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〈Iー2入院生活雑記〉一方、ICUに入ったままの夫が、「私を呼んでくれ」と、言っているというので、急いで、ICUに出向くと、夫は、必死になって、赤いマジックで書いた紙を、見せるのです。といっても、寝たままで筋力の弱った夫が、書いた文字は、まるで、二、三歳児が書いた、なぐり書きのようで、判読できません。わずかに、私の名前と、「マヤク」というカタカナが、読めます。「麻薬がどうしたの?」と、尋ねると、酸素マスクを付けた顔を、腕に向けて、手で指すし
〈Iー1入院生活雑記〉ドナーの術後の食事が、再開し、何日間か空っぽ状態の消化器には、まず、流動食が、提供されました。古びたプラスチックのコップに、4つ、液体が入っているのですが、どれも、ほとんど、飲むことができません。この状態が、三食続き、「この流動食、いつまで続くのだろう」と、さすがに泣きたくなる思いでした。ため息ばかりの昼下がり、昼寝から目覚めると、テーブルの上に、何か置いてあります。「よく寝ているので、帰りますね」という、長男のメモと、差
〈Hー5生体肝移植実施〉つらかったのは、一般病棟に移るまで、水を一滴も、口にできなかったことです。唇が、カサカサに乾いて、ひび割れ寸前。麻酔の作用による吐き気が、おさまってきたころ、看護師さんに、「お水を飲んでもいいですか」と聞くと、OKが出ました。吸い口に入れて、持って来てくれた、この時の冷水の、おいしかったこと。『命の水』だと思いました。「旦那さんが、奥さんに、会いたがっていらっしゃいますよ」という言葉で、手術後初めて、夫に会いに
〈Hー4生体肝移植実施〉「そう、良かった。良かった」頭が、ボンヤリしていて、それしか言えません。午前9時に入室した私の、手術終了が、午後4時。夫はその後も、難手術に耐え、日付が変わる真夜中の12時半に、手術終了。実に、15時間を超える大手術でした。手術の翌日から、元々元気な私は、すぐに歩き始めました。もっとも、胸の間からお腹に向けて、L字型に、大きく切開されていますから、歩くときは、どうしても、前かがみの「おばあさん歩き」です。その歩き方で、
4月20日に退院しました。コメント欄でご心配くださった方々に、きちんとお返事する余裕がありませんでしたが、これまでの経緯を簡単に記し、お返事にかえさせていただきます。「憩室出血」という病名4月11日深夜に、まったく突然、失神しそうな大量の下血がありました。突然で初めてのことでしたので、何かとても悪い病気の末期症状ではないかと思い、翌朝早く救急外来に駆け込むと、その日に即入院となりました。病名は「憩室出血」といい、大腸壁の一部が袋状に外側に突出した箇所(憩室)の血管が切れたことに
〈Hー3生体肝移植実施〉思わず、「今、何時ですか」と尋ねました。「4時ですよ」という返事に、「手術は、中止にならなかったんだ。肝臓は、移植されたんだ」と分かると、朦朧とした頭でしたが、移植の実現が、うれしくてたまりません。その後、うとうとしていると、娘たちが、ICU(集中治療室)に来て、半分、うれしそうに、半分、心配そうに、私に話しかけてきます。私は、応えようとするのですが、麻酔の作用か、吐き気がして、ゲーゲー。といっても、体の中は空っぽで
〈Hー2生体肝移植実施〉平成26年、4月28日。私は、朝から、浣腸の液剤を入れられました。絶食に加え、徹底的に、体内を空っぽにする作戦。そこへ、娘たちが到着しました。まず、私のベッドに来て、エールを送ってくれました。二人は、「父を手術室まで見送りたい」と言うので、「絶対に、生きてまた会おうね」との、夫への伝言を、頼みました。車椅子に乗って、手術室に到着。ストレッチャーに乗せられた私に、手術専門の看護師さんが、「横向きになってください。ちょっと
〈Hー1生体肝移植実施〉▼次女から、手渡された手紙お母さんへついに手術の日がやって来たね。この一か月、いや去年の9月から、懸命にお父さんを支えてくれて、本当にありがとう。お父さん一人だったら、確実に野垂れ死にしてたよね。そして今回、ドナーになってくれて、本当にありがとう。結局、私たちは、ドナー候補にもなれなかったけど、お母さんが難手術になるのに、ドナーになってくれたこと、本当に感謝してるよ。その細い体で流動食を食べさせられ、肝臓を取られるなん
〈Gー5肝移植手術に向けて〉入院翌日、ドナーの術前説明が行われました。ドナーの執刀医は、私の検査画像を、詳細に見ながら、「この手術は、症例が無いので、同時進行ではなく、まず、ドナーである、奥さんの方から切ります。肝臓の血管の位置が、移植可能かどうかを見ます」「その結果、血管が、あまりにも複雑に入り組んでいたり、取り出す血管が、奥深い場所にあり、取り出しが、困難だったりした場合、手術はそこで、終わりになります」と、説明しました。口調は冷静でし
〈Gー4肝移植手術に向けて〉いよいよ、ドナーの入院日。私が案内されたベッドは、なんと、夫が前日まで使用していた、ベッドでした。そのベッドに、横たわり、天井を眺めていると、「見舞う側だった自分」には見えなかった、新たな世界が広がります。命の危機に直面している、人間の苦しみを、共有することなど、出来ないけれど、このベッドの上で過ごした、眠れない日々、カーテン越しに、薄明るくなる夜明け、外界の空気をまとって、見舞ってくれる家族のまぶしさ…。
〈Gー3肝移植手術に向けて〉他にも、この最終面談で、判明したことが、二つあります。「肝移植手術の際に、支障があるため、レシピエントと、ドナー双方の胆のうが、摘出される」ということと、「肝臓は、切り取られても、数か月で、元の大きさに、復元する」という、驚くべき事実です。こうして、緊張と驚きの最終面談を終えると、その後は、手術日に向け、医師からは、「くれぐれも、体調を崩さないようにしてください。お二人のどちらかが、体調を悪くしても、移植は出来ま
〈Gー2肝移植手術に向けて〉移植手術三週間前になり、手術に向けて、家族と移植医との面談が、行われました。今回の手術の中心となる、血管外科のO医師は、よく通る声で、説明を始めました。「今回の移植では、ドナーの年齢が、56歳ということで、まだ、そんなお年ではありませんが、肝移植の世界では、40歳以上の方を、高齢者ドナーと呼んでいます」「次に、今回の手術は、通常よりも、長時間になります。成功率も、下がります。ちなみに、この病院で、術後、一年以内に
〈Gー1肝移植手術に向けて〉暦は、四月に入り、大学病院前の桜は、早くも、葉桜になり始めていました。父親が使用していた、パソコンのデータを、次男が整理していたら、おびただしい量の売り上げデータが、次々と、画面に出て来ます。「これが、我が父が、命を懸けてやっていた仕事か」と、つぶやく息子。もう二度と、このパソコンの前に、座ることはないかも。…そう思うと、ただただ、切なくなりました。洋服ダンスを開くと、スーツとワイシャツが、主(あるじ)不在の
〈Fー8最後の賭け〉そもそも、「脳死肝移植は、宝くじに当たるようなもの」という現実と、「あと何か月かで亡くなる」という現実を、はっきりと口にした、当の医師が、「最低でも、50%以上成功する手術しかしません」と、明言しつつ、「移植の可能性が、0,0001%の脳死登録をして、待ちましょう」という、矛盾に満ちた提言を、しているのです。3・「35%ルール」を、私は当初、絶対視していました。けれども、確か移植医は、「33%あれば、大丈夫なんですが…」と、言
〈Fー7最後の賭け〉2・「50%以下ならしません」という言葉に、驚きました。確かに、生体臓器移植は、ドナーの身体損傷を、前提にしています。それゆえ、「イチかバチか」の勝負に出るような、手術をして、失敗すれば、患者の命を奪う、のみならず、ドナーにダメージを、与えてしまいます。そのため、病院側の『安心・安全・トラブル回避』が、優先されるのだと、痛感しました。医療側は、とりあえず、脳死肝移植への登録を、勧めます。それは、(言葉は悪いですが)一応、可能性
〈Fー6最後の賭け〉「メリットは、二つ。お二人の血液型が、同じA型だということ。もう一つは、再発の可能性は、0%だということです」「先生、移植が成功したら、主人は、元通りの生活が送れるのですか?」「それはもう、激変します。夢のような再生が起きます」『夢のような再生』…この言葉が、以後、移植に挑む私の、エネルギー源となったのです。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇この10日余りのドタバタ劇で、医師と向き合った私が、感じたことが、三
〈Fー5最後の賭け〉「奥さんの肝臓の、主要な管である、胆管と門脈が、二つとも、二本に分かれているので、二本を一本にして移植する、それを、2カ所で行う必要があります」「人体の臓器は、取り出した瞬間から、劣化していきます。もちろん、冷却しながら進めますが、時間の勝負となります」「普通より、長時間の手術となり、当然、成功率も下がります。と言っても、50%以下なら、移植はしません。私たちの移植成功率は、80%ですが、今回は、それより下がります」「現在
〈Fー4最後の賭け〉「奥さんをドナーにして、やりましょう。それが一番、現実的です。急いで書類を作って、倫理委員会を通し、スケジュール調整をします」ついに、移植主治医が、重い決断をしてくれたのです。「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」夫の命を救うための、鉄の扉が開いた瞬間でした。その時、主治医が、「奥さんが、あんまり言うから…」と、ボソッとつぶやいたのです。私の必死の食い下がりがなければ、と思うと、怖いもの知らずの、
〈Fー3最後の賭け〉「馬鹿なことを言っちゃいけません。ご主人の今の状態では、空港にすら行けませんよ。仮に、行けたとしても、飛行機に、絶対搭乗させてもらえません。私だって、外国で治療を受けさせて、患者を連れ帰ったことが、あるんですよ。可能ならそうしますが、無理です」「でも、そうするしかありません。このまま死を待つことは、できません」「奥さん、ほとんど全ての方が、移植を待ちながら、亡くなっている。それが現状なんですよ」…未成年ドナーは駄目。海外移
〈Fー2最後の賭け〉「えっ、本当ですか?いえ、今までも、これからも、10代のドナーを、許可するつもりはありません。そのホームページの内容も、知りません」「でも、臓器移植年齢は16歳以上と、移植学会の規定にはあります」「もし、それを許してしまったら、うちの病院に、ドナーが殺到するかもしれないし、17歳のドナーを認めるか否かは、我々の手を離れて、法医学の領域になり、そこでの検討議題に、上げてもらう必要がある。時間がかかるだけです。とても間に合いません」
〈Fー1最後の賭け〉いよいよ、追い詰められた私は、主治医がいる消化器外科に、電話をして、「もう一度、面談をお願いしたい」と、申し出ました。決定権があると思われる、S医師との三回目の面談で、S医師は、「どのようなお話でしょうか」と、私に、話を促しました。「息子は、未成年なのですが、当初から『ドナーになる』と、言っています。息子に、ドナー検査を、していただけませんか?」「20歳未満は駄目です。息子さんは、おいくつですか。17歳では駄目です。認めら
せっかく体重落ちてきたのに今日は良くない物を買って即完食しました。いけませんねぇ💦でも1週間で2.4kg減量はちとやり過ぎたので、また明日から食生活を見直します💦
〈Eー3不退転の覚悟〉時間が切迫する中、私たち家族と、S医師との、再面談が、行われました。面談室に入ると、「娘たちが、ドナーになりたいと、志願しています。何とか早急に、ドナー検査を、お願いできないでしょうか」と、私が切り出しました。そこで急きょ、私が受けた検査と同様の検査が、二人の娘に対して、行われることになりました。面談室を出るとき、ストレッチャーに横たわる、夫の目からは、涙が流れていました。記録係の若いT医師が、「お幸せですね」と、
〈Eー2不退転の覚悟〉「昨日、カンファレンス(検討会)で、話し合いましたが、今回、奥さんをドナーにして、移植を行うのはやめよう、という、結論になりました。不可能ではないんですよ。ただ、危険が多いので、見送らせてもらいます」予想外の、断りの電話でしたが、私は妙に、落ち着いていました。春のお彼岸の、やわらかな日差しが、電話台のところまで届いていた光景が、忘れられません。茫然とした時間を経て、子どもたちに、移植を断られた旨の連絡をしつつ、病院側に、
〈Eー1不退転の覚悟〉春分の日の夕方、一本の電話が、入りました。移植手術主任の、S医師からでした。「実は今日は、先日のエコー検査で分かったことを、お話しするために、お電話しました」「奥さんの肝臓そのものには、何の異常も無いのですが、肝臓から出ている大きな管、胆管と門脈が、奥さんの場合、一本ではなく、二本に分かれているのです」「体には、何の不都合もありませんが、それを移植するとなると、話は別です。大部分の方の胆管と門脈は、一本ですから、一本の
〈Dー5肝臓の提供条件〉その日、私は次女と、雑踏の中にいました。その時、大学病院から、電話が入りました。「初日の検査は通りました。それで、精密検査をしたいので、明日、病院に来ていただけますか」というやりとりで、電話を切った途端、涙が、どっとあふれてきて、人目もはばからず、号泣してしまいました。「良かった。みんなに迷惑を掛けずに済んだ。私が、ドナーになれれば、それで解決する。子どもを巻き込まずに済んだ」一番恐れていた、35%ルールを、通過し
〈Dー4肝臓の提供条件〉翌日、長女が「話がある」と、思い詰めた顔で言うので、「何?お父さんのこと」と、訊くと、「私が、ドナーになる」と、言います。「でも、妹がドナーになるって、言ってくれているよ」と、返すと、「ううん、私がなる。私がお姉ちゃんなんだから」と、言うのです。手の中のハンカチを、ギュッと握りしめて、下を向いて…。長女は、大変な怖がりで、全てに対して、慎重な道を選択する娘でしたから、崖から飛び降りるような、決断だったと思います。長
〈Dー3肝臓の提供条件〉直感で、「この35%ルールが、唯一最大のハードルだな」と、思いました。迷うことなく、至急の検査を、要望したため、すぐに、私のドナー検査が行われ、レシピエントの夫も、三日後に転院することが、その場で決まりました。帰宅して、子どもたちに、35%ルールの話をしました。すると、次女は、「お母さんが、駄目だったら、私がドナーになる。肝臓を切っても、子どもだって産めるし、それで、お父さんの命が助かるのなら、恩返しができる」と、迷
〈Dー2肝臓の提供条件〉次に、生体肝移植の説明では、医学書に載っている、ドナー条件に加え、以下のような、驚くべき高いハードルが、示されました。「生体肝移植では、過去に、ドナーの方がお一人、亡くなられています。肝臓を、切り取り過ぎたのではないか、という反省に立って、厳格な基準が、作られました」「肝臓は、右葉と左葉に分かれていて、大人が子どもに、肝臓を提供するケースでは、三分の一の大きさの左葉を、提供すればよいのですが、大人から大人、中でも、
〈Dー1肝臓の提供条件〉夫に、振戦という、危険なサインが出たこともあり、急きょ、面会の予約が取れました。もはや、座っていることもできなくなった夫を、タクシーの後部座席に、横たわらせ、都内の大学病院へと、向かいました。二時間後に到着した時、目に入った、正面玄関横の、大きな桜の木は、今まさに、花開こうとしていました。初めて出会った、移植責任者で40代後半のS医師は、ストレッチャーに横たわっている夫と私に向かって、肝移植の説明を、始めました。「ご主