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4月20日に退院しました。コメント欄でご心配くださった方々に、きちんとお返事する余裕がありませんでしたが、これまでの経緯を簡単に記し、お返事にかえさせていただきます。「憩室出血」という病名4月11日深夜に、まったく突然、失神しそうな大量の下血がありました。突然で初めてのことでしたので、何かとても悪い病気の末期症状ではないかと思い、翌朝早く救急外来に駆け込むと、その日に即入院となりました。病名は「憩室出血」といい、大腸壁の一部が袋状に外側に突出した箇所(憩室)の血管が切れたことに
〈Jー1悪夢の細菌感染〉平成26年5月13日。この日、私は朝から、病院に行って夫に会おうと、決めていました。「よく見聞きしておきなさい」という、虫の知らせが、後押ししてくれたのでしょう。退院から五日目。「病院には来ないで、自宅療養していてください」と、言われていたので、そうっと、病室に入っていきました。時間は、午後一時。病室には、長男が先に来ていました。「来てたの」と、声を掛けると、長男が、明らかに動揺しています。「すごい熱なんだ」と、夫
〈Hー5生体肝移植実施〉つらかったのは、一般病棟に移るまで、水を一滴も、口にできなかったことです。唇が、カサカサに乾いて、ひび割れ寸前。麻酔の作用による吐き気が、おさまってきたころ、看護師さんに、「お水を飲んでもいいですか」と聞くと、OKが出ました。吸い口に入れて、持って来てくれた、この時の冷水の、おいしかったこと。『命の水』だと思いました。「旦那さんが、奥さんに、会いたがっていらっしゃいますよ」という言葉で、手術後初めて、夫に会いに
〈Iー3入院生活雑記〉退院当日、夫もちょうどこの日、ICUから、一般病棟に、移されたところでした。といっても、夫の個室には、たくさんの医療機器が、導入され、体には、さまざまな管が、付けられています。まだまだ、要注意患者です。「一足先に退院するね」と言うと、「うん、うん」と、うなずきます。いよいよ退院です。5月の車窓の風景は、まばゆくて、二週間ぶりに、病院の外に出た私は、今さらながら、普通の生活ができる喜びを、かみしめていました。漂う空気も、
お久しぶりです肝がん再発のブログを書いてから半年が経ちました。あれから2ヶ月に一回、癌の経過を見るため検査を受けています。主人は腎臓の数値が悪いのでこれ以上、腎数値を悪化させないために造影剤CTの検査が出来ません。なので私も詳しくは分かりませんが造影剤CTよりも精密差が落ちる種類のCT?と超音波エコーでの検査になります。あれから半年で3回ほど検査して先生の診断結果は…先生【癌とは言い切れない】私【えっ、なんですか?癌じゃないの?】先生【癌ではないとは
肝臓は、人間の身体の中で、最も大きな臓器ですし、消化器官としても、絶えず機能しなければならないので、常に、十分な血流が必要だと、言われています。健常人なら、立っていようが座っていようが、肝臓に、十分な血液が、流れるのでしょうが、当時の夫の肝臓は、肝硬変の中でも、5段階のレベル4くらいの、お手上げ状態でしたから、横になると、やっと少し血液が流れてラクになる…そんな感じだったのでしょう。入院すれば、ずっとベッド上で、横になって過ごすことが出来ますが、それ
「熊の胆(くまのい)」は、熊の姿がリアルに描かれた、パッケージだったので、子ども心に、その存在は、しっかりと記憶していますし、お腹が痛くなると、『富山の薬箱』を勝手に開けては、熊のパッケージの薬を、躊躇することなく飲んでいました。子どもの頃、「お腹が痛い」という症状が出た時に、いつも服用していた「熊の胆」…実は、この生薬を、化学的に合成したものが、〈ウルソ〉という肝臓薬だと知ったのは、夫の肝移植手術のドナーとなった私が、退院時に、40日間服用するようにと指
さて、肝臓の薬として、よく知られている〈ウルソ〉とは、どのような薬なのでしょうか?【ウルソとは】ウルソの正式名称は、ウルソデオキシコール酸。肝臓で作られる胆汁分泌の、促進作用により、胆汁の流れを改善し、肝臓の血流を良くして、肝細胞の障害を軽減したり、肝機能を守る作用がある。もともと、熊の胆汁から作られる、生薬「熊胆(ゆうたん)」を、起源としている。「熊胆(ゆうたん)」は、江戸時代には、既に万能薬として、庶民の間でも広まっていたが、1927年に、国内で
〈Fー2最後の賭け〉「えっ、本当ですか?いえ、今までも、これからも、10代のドナーを、許可するつもりはありません。そのホームページの内容も、知りません」「でも、臓器移植年齢は16歳以上と、移植学会の規定にはあります」「もし、それを許してしまったら、うちの病院に、ドナーが殺到するかもしれないし、17歳のドナーを認めるか否かは、我々の手を離れて、法医学の領域になり、そこでの検討議題に、上げてもらう必要がある。時間がかかるだけです。とても間に合いません」
削っても削っても、減らない様子を見かねた、野村さんが、「ご本人だと、思い出や文章に、愛着があって、なかなか削れないでしょうから、私がお手伝いしましょう」と、申し出て下さいました。そのおかげで、なんとか2020年3月に、究極のダイジェスト版として、まとめ上がり、「命の贈りものPart3」という、タイトルで、出版にこぎ着けることが、出来ました。(ちなみに、野村さんは、愛媛新聞社勤務だったので、文章校正には強い方で助かりました)そして今、ブログ開設時から、7年
〈Fー6最後の賭け〉「メリットは、二つ。お二人の血液型が、同じA型だということ。もう一つは、再発の可能性は、0%だということです」「先生、移植が成功したら、主人は、元通りの生活が送れるのですか?」「それはもう、激変します。夢のような再生が起きます」『夢のような再生』…この言葉が、以後、移植に挑む私の、エネルギー源となったのです。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇この10日余りのドタバタ劇で、医師と向き合った私が、感じたことが、三
〈Cー2腹水を抜く〉腹水に含まれている、「体にとって大切な成分」も、急激に失われ、夫は、みるみるうちに、やせ衰えていきました。さて、仕事続行が困難になり、退任した夫には、経済的なバックアップも、必要になり、「都心近くに引っ越し、皆で一緒に暮らして、生計を一つにしよう」ということになりました。三月、引っ越しと同時に、夫は、三回目の入院をしました。それから一週間が経過したころ、大きな異変が、起こりました。夫の全身が、震えだすようになったのです
ドナー(臓器提供者)という存在は、本当に不思議な立ち位置のままで、手術を受け、入院生活を送ることになります。身体的には、メスが入り、臓器を切り取られたり、摘出される訳ですから、当然、痛みはありますし、カテーテルやドレーンといった、さまざまな管も挿入され、まさに「病人」そのものです。ですが、元々ドナーは健康体なので、時間の経過とともに、健康を取り戻すことは、半ば、保証されています。その上、手術後の身体の痛みはあるけれども、それと引き換えに、大切な家
〈Aー2はじめに〉医療関係者からの、紋切り型の、極めて少ない情報の中で、「死ぬしかないのかな。諦めるしかないのかな。医者には逆らえないのかな」と、気弱になることもありました。もっと、当事者からの情報があったなら、遠回りせずに、早く命を救うことが、出来たでしょうし、当事者にしか分からない、不安や恐怖も、解消できたことでしょう。その悲痛な体験から、「私たちが、当事者として、生体臓器移植の語り部になろう」と、決断し、平成28年末に、『ダブル移植の語り部
〈Fー3最後の賭け〉「馬鹿なことを言っちゃいけません。ご主人の今の状態では、空港にすら行けませんよ。仮に、行けたとしても、飛行機に、絶対搭乗させてもらえません。私だって、外国で治療を受けさせて、患者を連れ帰ったことが、あるんですよ。可能ならそうしますが、無理です」「でも、そうするしかありません。このまま死を待つことは、できません」「奥さん、ほとんど全ての方が、移植を待ちながら、亡くなっている。それが現状なんですよ」…未成年ドナーは駄目。海外移
当時の人々、それも、診療所すらない田舎に住む人々にとっては、富山の薬箱は、なくてはならない、セーフティーネットだったのでしょう。富山の隣の県に住んでいたこともあり、私にも、富山の薬売りのオジサン(と言っても、きちんとジャケットを着たオジサン)が、毎年決まった頃に、各家庭を巡回していたという、はるか昔の記憶があります。我が家にオジサンが立ち寄ると、オジサンは、薬箱の中身を点検して、使った分だけ、薬代として回収し、新たに薬を補てんしていきました。その様子を眺
〈Cー3腹水を抜く〉「ご主人のこの症状は、肝硬変の末期で、いつ、肝不全が起こっても、不思議ではありません。明日の朝、ベッドで亡くなっているかもしれません」緊迫した口調でした。「私がドナーになりますから、肝移植をしていただけないでしょうか」この言葉は、悩んだ末でも、覚悟を決めたわけでもなく、ごく自然に、口から出た言葉でした。「いつ死んでもおかしくない」と、現状の危うさを指摘してくれた、若い熱血漢医師のお陰で、急きょ、夫の治療は、大転換を迎え
〈Dー3肝臓の提供条件〉直感で、「この35%ルールが、唯一最大のハードルだな」と、思いました。迷うことなく、至急の検査を、要望したため、すぐに、私のドナー検査が行われ、レシピエントの夫も、三日後に転院することが、その場で決まりました。帰宅して、子どもたちに、35%ルールの話をしました。すると、次女は、「お母さんが、駄目だったら、私がドナーになる。肝臓を切っても、子どもだって産めるし、それで、お父さんの命が助かるのなら、恩返しができる」と、迷
【羽ばたき振戦】通常、体内でたんぱく質を分解する過程で生成される、有害物質のアンモニアは、肝臓で無毒化されて、尿素に変わり、尿として排泄される。ところが、肝硬変などによって、肝機能が低下した場合、肝臓がアンモニアを、処理できなくなり、脳に運ばれたアンモニアが、肝性脳症を引き起こす。羽ばたき振戦は、肝性脳症の神経症状のひとつである。…このように、振戦は、重度の肝硬変であることを知らせてくれる、大事なシグナルだったのです。そして、この振戦の症状こそが、結果的に、夫を
東京都内のバスキュラーアクセス目白というシャント専門病院で手術を受ける当日です。シャントの吻合部分から太くなっている血管をマーク手術は2時間ほどかかるそうで、部分麻酔のため気分が悪くならないか心配でしたが、正味1時間ほどで終了。この時に大発見有りました。ドクターXのドラマで、手術開始の時は必ず「メス」って言うでしょう?私、術中もメスをずっと使っていると思っていたら、最初に皮膚を切開する時だけなんですってね。メスは刃物ですから、ずっと使っていると人はあっという間に亡くなりますと言われまし
〈Fー7最後の賭け〉2・「50%以下ならしません」という言葉に、驚きました。確かに、生体臓器移植は、ドナーの身体損傷を、前提にしています。それゆえ、「イチかバチか」の勝負に出るような、手術をして、失敗すれば、患者の命を奪う、のみならず、ドナーにダメージを、与えてしまいます。そのため、病院側の『安心・安全・トラブル回避』が、優先されるのだと、痛感しました。医療側は、とりあえず、脳死肝移植への登録を、勧めます。それは、(言葉は悪いですが)一応、可能性
〈Gー2肝移植手術に向けて〉移植手術三週間前になり、手術に向けて、家族と移植医との面談が、行われました。今回の手術の中心となる、血管外科のO医師は、よく通る声で、説明を始めました。「今回の移植では、ドナーの年齢が、56歳ということで、まだ、そんなお年ではありませんが、肝移植の世界では、40歳以上の方を、高齢者ドナーと呼んでいます」「次に、今回の手術は、通常よりも、長時間になります。成功率も、下がります。ちなみに、この病院で、術後、一年以内に
若き主治医の、緊迫しつつも、きっぱりとした口調は、夫の命が、危険水域に入ったことを示していました。「明日の朝、亡くなっているかも…」という言葉を聞いた私は、とっさに、「私がドナーになりますから、肝移植をしていただけないでしょうか」と、言ったのですが、このドナー志願の申し出によって、事態は急きょ、動き始めました。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇私たち夫婦は、10年前の2014年と2015年に、2度、臓器移植手術を受けていますが、私たちが辿った、激
〈Gー5肝移植手術に向けて〉入院翌日、ドナーの術前説明が行われました。ドナーの執刀医は、私の検査画像を、詳細に見ながら、「この手術は、症例が無いので、同時進行ではなく、まず、ドナーである、奥さんの方から切ります。肝臓の血管の位置が、移植可能かどうかを見ます」「その結果、血管が、あまりにも複雑に入り組んでいたり、取り出す血管が、奥深い場所にあり、取り出しが、困難だったりした場合、手術はそこで、終わりになります」と、説明しました。口調は冷静でし
〈Dー1肝臓の提供条件〉夫に、振戦という、危険なサインが出たこともあり、急きょ、面会の予約が取れました。もはや、座っていることもできなくなった夫を、タクシーの後部座席に、横たわらせ、都内の大学病院へと、向かいました。二時間後に到着した時、目に入った、正面玄関横の、大きな桜の木は、今まさに、花開こうとしていました。初めて出会った、移植責任者で40代後半のS医師は、ストレッチャーに横たわっている夫と私に向かって、肝移植の説明を、始めました。「ご主
それとは異なり、日本で絶えず話題になる、若者の就職先ランキングでは、『経済面での待遇の良さ』や『福利厚生』といった、要は、『給料が高くて手厚い生活支援のある』就職先が、人気のマトです。確かに、お金が無ければ、生活は苦しく、心も荒んでしまいがちです。それゆえに、我々は疑問も持たずに、『効率良く仕事をして給料やボーナスを少しでも多く貰えるようになる』ことが、幸せへの原動力になるのだと、信じ、立ち止まって考えることもなく、その価値観を、受け入れ続けてきたのかもしれま
〈Eー1不退転の覚悟〉春分の日の夕方、一本の電話が、入りました。移植手術主任の、S医師からでした。「実は今日は、先日のエコー検査で分かったことを、お話しするために、お電話しました」「奥さんの肝臓そのものには、何の異常も無いのですが、肝臓から出ている大きな管、胆管と門脈が、奥さんの場合、一本ではなく、二本に分かれているのです」「体には、何の不都合もありませんが、それを移植するとなると、話は別です。大部分の方の胆管と門脈は、一本ですから、一本の
諦めきれずに、駅の時刻表をずっと見ていても、あるはずだった時刻の、列車運行は無く、次の列車は、2時間待ち…代替手段の、バスやSL列車もありません。年末年始ダイヤで、消されてしまったのか、直近のダイヤ改正で、運行列車が減らされたのか、はたまた、私のチェックミスなのか…「あ~あ、ショック、ショック」と言いながらも、どうすることも出来ません。~飲食店もなさそうだし、あっても、お正月だし、どこか参拝するところはないかな?~と、駅舎の横にある、『家山案内図』
〈Dー4肝臓の提供条件〉翌日、長女が「話がある」と、思い詰めた顔で言うので、「何?お父さんのこと」と、訊くと、「私が、ドナーになる」と、言います。「でも、妹がドナーになるって、言ってくれているよ」と、返すと、「ううん、私がなる。私がお姉ちゃんなんだから」と、言うのです。手の中のハンカチを、ギュッと握りしめて、下を向いて…。長女は、大変な怖がりで、全てに対して、慎重な道を選択する娘でしたから、崖から飛び降りるような、決断だったと思います。長
その日、夫は、意外なほどルンルン状態で、近所の内科医院から戻ってきました。夫と、初対面のヤブ医者との会話と言えば…「肝臓が硬いようなのですが」と、夫が自己申告しても、「そんなに硬くはないよ」「白目が少し黄色っぽいようなのですが」と、これまた自己申告しても、「そうかな、フツーだよ」との返答。そして、持ち帰った薬が、ウルソ錠という、胆汁の分泌を良くして、肝臓の働きを高めるという、基礎的でポピュラーな肝臓薬。このベーシックな薬を、毎食後、たった一錠ず