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2022年6月1日生体肝移植2024年2月21日移植後1年8か月21日。移植患者にとって毎日の薬の服用は重要だ。かかせないのは免疫抑制剤!朝夕セルセプトカプセル250mg1日6カプセル食前朝夕プログラフカプセル0.5g1日2カプセル服用。移植された肝臓が拒絶反応をおこさないようにするため一生のみつづけなくてはいけない。しかし年齢重ねるごとにのみ忘れがおおくなってくるのが現状だ。のみ忘れを思いだし夜中の2時に服用したこともある。ケアマネ時代は
今から8年前…2015年4月わたしは夫に5年間の自由時間の許可を得て故郷の大分県に帰った。目的は姉の肝臓のドナーになるためだった。後々自分自身にドナーが必要な肝臓になるとは少しも考えていなかった。(2022年6月1日生体肝移植術)2018年11月肝硬変の姉が肝臓ガン破裂にて亡くなった。その時、母は…姉のお通夜の日。お坊さんのお経が始まると同時に…ブツブツと唱える声がする。お経と二重唱のようだった。もしや母?間違いない母だった。姉の死を受け入れられない
〈Fー7最後の賭け〉2・「50%以下ならしません」という言葉に、驚きました。確かに、生体臓器移植は、ドナーの身体損傷を、前提にしています。それゆえ、「イチかバチか」の勝負に出るような、手術をして、失敗すれば、患者の命を奪う、のみならず、ドナーにダメージを、与えてしまいます。そのため、病院側の『安心・安全・トラブル回避』が、優先されるのだと、痛感しました。医療側は、とりあえず、脳死肝移植への登録を、勧めます。それは、(言葉は悪いですが)一応、可能性
移植後半年たちました肝臓移植に至るまでの過程は後日綴るとします移植する人にとっては移植後の痛みが気になる事でしょう人それぞれ痛みの感じ方が違うを前提にしたうえ感想を述べます想像してたほど痛くなかったお産の痛みと比較するとお産の方が痛かった病院で痛みは10がマックスでどの程度ですかと聞かれたときわたしは2と答えていました移植後の2日間は麻酔で眠っていました目覚めた時は痛み止めの薬や点滴か上手くコントロールでき嘘のように痛みがなかったのです移植後の躰の変化パンパンにな
〈Hー1生体肝移植実施〉▼次女から、手渡された手紙お母さんへついに手術の日がやって来たね。この一か月、いや去年の9月から、懸命にお父さんを支えてくれて、本当にありがとう。お父さん一人だったら、確実に野垂れ死にしてたよね。そして今回、ドナーになってくれて、本当にありがとう。結局、私たちは、ドナー候補にもなれなかったけど、お母さんが難手術になるのに、ドナーになってくれたこと、本当に感謝してるよ。その細い体で流動食を食べさせられ、肝臓を取られるなん
こんにちは!あーちゃんmamaのyumikoと申します💡娘の病気発覚〜退院までを遡って書いていますので、最初から読まれる方はこちらから。『はじめまして』はじめまして!あーちゃんmamaのyumikoです💡娘が3歳半のときに肝芽腫と診断されました。発病率は100万人に1人という小児がん。病気の進行具合プレテキ…ameblo.jpお読みくださりありがとうございます🙏いつもは振り返って入院時の記録を書いていますが、先日、退院後4回目の検診dayだったので
明けましておめでとうございます少し良い話聞いてください生体肝移植1週間前手術にむけて頑張れるように子供たちにおかんの良いところを10あげて強引に解答をお願いした子供三人は嫌がらずに答えてくれたドナーになった娘のライン返答…大好きな子供たちありがとうおかんは10の良いところもらったから移植手術少しも怖くなかったつづく[ココマリ]上下セットスウェットゆったりロング丈トップスパンツルームウェアジャージ
久しぶりの投稿になります。前回投稿した5月12日くらいから体調が落ち着かず仕事を休みました。休んでもとれない倦怠感に腹水の貯留、全身の痙攣や痒み、浮腫や食後の腹痛等様々な症状が出てきました。自宅で療養しても家族には辛そうな顔しか見せることができず、なんとかならないものかと思い受診。その際、3年程診てもらっていた主治医が病院を辞められたと聞いてビックリしました。最後にお礼が言えればよかったです。今までありがとうございました😢そして6月1日より腹水やその他の症状改善のため現在入院してます。
〈Gー2肝移植手術に向けて〉移植手術三週間前になり、手術に向けて、家族と移植医との面談が、行われました。今回の手術の中心となる、血管外科のO医師は、よく通る声で、説明を始めました。「今回の移植では、ドナーの年齢が、56歳ということで、まだ、そんなお年ではありませんが、肝移植の世界では、40歳以上の方を、高齢者ドナーと呼んでいます」「次に、今回の手術は、通常よりも、長時間になります。成功率も、下がります。ちなみに、この病院で、術後、一年以内に
肝硬変になるまで17年前バセドウ病になり薬治療中、いくども鼻血がでたり歯茎からの出血が薬が原因で肝臓に負担がきた大学病院紹介薬治療中止しヨード剤※ヨード剤…放射線治療このころから少しずつ肝臓悪くなってくるその後生活習慣も影響したのか徐々に脂肪肝になってしまった脂肪肝はながかったが毎日ウオーキングをし肝臓の検査値もほぼ正常になるしかし再び脂肪肝になってしまったその後慢性肝炎肝硬変とあっという間に病気がすすんでいったのである
ちょうど一年前の明日パパを乗せて大学病院へ行きました。いきなり現れた体調不良胆管に腫瘍あり最初の市立病院でもし手術になってもここでは出来ないと言われ…隣の県の癌センターか同じ県内の大学病院かを紹介されました。どちらも車に乗って高速で2時間半くらいの場所です。癌だとすれば癌センターの方が良いのかとも思いましたがこれからしばらく通う事になる病院です。私や娘が運転して行くには県内の大学病院の方がなんて言っても行きやすいし、パパも県内の大学病院で良いと言うのでそちらに紹介状を
肝硬変の姉が肝臓がん破裂で2018年他界わたしの肝硬変は進行がはやかった勤め先のクリニックで強力ネオミノファーゲンシ注射を週3回うって…月1回県立病院で定期健診姉の死から2年半後夜中胃のあたりがおかしいなあと思いながら寝てると突然吐き気とは少し違う感じで苦しくない吐血をした洗面器半分位はいたのになぜか冷静でいられたこれが吐血かあー血の色がブドウジュースだー怖くもなかった救急車を呼ぼうと思ったが病院で死んでしまった
胃静脈瘤の治療として私が受けたのは、バルーン下逆行性経静脈的塞栓術(B-RTO)という血管造影での手術でした。大腿静脈からカテーテルを挿入し胃静脈まですすめ、静脈瘤の原因となる血管でバルーンを膨らませ、血流を遮断したあと、遮断した先の血管に硬化剤を入れて胃静脈瘤を固めてしまう治療法です。手術は無事終わり、後日胃カメラで検査した結果、胃静脈瘤が破裂する心配は無くなりました。いきなり吐血してそのまま亡くなる。この心配がなくなっただけでこの時どれだけ安堵したことか。しかしこの治療、私の場合今
消化器内科にてCTを受けた後に診察へ。この時はじめて肝硬変ですと告げられました。それもかなり進行した肝硬変のようでCT画像からも肝臓がゴツゴツしていることや食道や胃にボコボコした静脈瘤がはっきりとみられる程のものでした。Child-Pugh(チャイルド・ピュー)分類では10点の非代償性肝硬変、そして胃静脈瘤、食道静脈瘤と診断されました。この時は病気を告知されても、自覚症状も感じないため、身体に起きている事態の深刻さを受け入れることが全くできませんでした。一緒に新婚生活をはじめたばかりの
12月に予定通り脾摘手術と肝生検を行いました。手術前には同意書とか説明書に色々署名することになります。この説明では最悪術中に起こる最悪な場合をたくさん説明されます。死んでしまう可能性も伝えられます。色々と嫌な想像をさせることを聞くことになるのですが、しっかり話を聞けばどのような医療行為でも起こり得ることばかりなので結果全て安心しておまかせするのが一番かなと今では思いますが、初めて手術を受ける場合は手術を受けるのをやっぱりやめようかなとか不安になったり、怖いとは思ってしまうと思います。
…こんな経緯で、2016年12月に始めた、「ダブル移植の語り部」ブログ。本編は、2年3か月にも及び、(というとカッコよく聞こえますが、実際は、単にダラダラ書いただけ…)最後は、すっかり元気になり、会社勤めも難なくこなせるようになった、夫とともに、高知県に〈だるま夕日〉を見に行く、という最終章『だるま夕日』で、幕を閉じました。その後も、続編として、「どなドナDONOR」と銘打った、地味なブログを、書き続けていたところ、えひめ移植者の会会長の、野村さんから
2022年6月1日生体肝移植2024年3月5日移植後1年9か月と5日。ついに娘家族との同居生活を終了。移植後は犬の感染リスクを防ぐため退院してすぐに娘の家族と同居したのだが....。同居生活は約1年7か月つづいた。短かったような...長かったような...最初はお互いをいたわりあいながら同居生活していたが...だんだんなれてくるうちに婿どのの些細な言葉がストレスになってきた。婿どのも義母がうとましくなってきていたようだった。嫁と姑も難しいが婿と姑も
私は子供の頃から身体が大きく小学生から大学生まで柔道をしていました。スポーツでの怪我は何度か経験しましたが内臓疾患等は今まで全く指摘されたことがなかったので体力もあるし自分の身体は丈夫な方だと思っていました。そのため多少の疲労もあまり気にせず、大変なのはみんな同じだと思い続け今まで働いてきたので入院で会社を休むことは今回が初めての事でした。沈黙の臓器と言われている肝臓なだけに知らず知らずのうちに無理をかけていたようです。今回は数日の検査入院とのことで会社にも事情を説明し入院の手続きを済ま
〈Bー3初めての入院〉結果は、非代償性肝硬変(もう治ることのない肝硬変)との診断で、即入院。このころ夫は、まだバリバリ、仕事をしていましたから、病室に、パソコンを持ち込んで、半分、病人半分、仕事人状態でした。初めて投与された、利尿剤は、とてもよく効いて、一日ごとに、体重が500グラムずつ減り、それとともに、膨張していたお腹がへこんできて、「退院する日も近いね」と、二人で、喜び合っていました。日々、良くなっていく夫を、見舞うのは、うれしく、
〈Dー2肝臓の提供条件〉次に、生体肝移植の説明では、医学書に載っている、ドナー条件に加え、以下のような、驚くべき高いハードルが、示されました。「生体肝移植では、過去に、ドナーの方がお一人、亡くなられています。肝臓を、切り取り過ぎたのではないか、という反省に立って、厳格な基準が、作られました」「肝臓は、右葉と左葉に分かれていて、大人が子どもに、肝臓を提供するケースでは、三分の一の大きさの左葉を、提供すればよいのですが、大人から大人、中でも、
〈Gー1肝移植手術に向けて〉暦は、四月に入り、大学病院前の桜は、早くも、葉桜になり始めていました。父親が使用していた、パソコンのデータを、次男が整理していたら、おびただしい量の売り上げデータが、次々と、画面に出て来ます。「これが、我が父が、命を懸けてやっていた仕事か」と、つぶやく息子。もう二度と、このパソコンの前に、座ることはないかも。…そう思うと、ただただ、切なくなりました。洋服ダンスを開くと、スーツとワイシャツが、主(あるじ)不在の
1月28日生体肝移植後4日目零也はまだ眠り続けています。口の呼吸器を2日目に一度外しましたが、胸水が溜まって左肺が無気肺になってしまい、左胸腔穿刺(針を刺して水を抜く処置)をしてまた呼吸器を付けて貰っている状態です。たまに薄っすら目を開けるので、夫が『お母さんだよ』って冗談を言うとゆっくり違うと首を横に振ってくれました。手を握ると時々弱々しい力で握り返してくれます。肝機能などは落ち着いてきているので今のところは順調です!これから始まる拒絶反応が怖いですが、頑張って
2017年1月19日最終診断は肝芽腫でステージ4門脈にも絡みついている肺に転移。他の骨髄や骨に転移はなし。来週の頭から、ヨーロッパ方式で化学治療の抗がん剤開始する予定小さくなれば、手術無理だったら、生体肝移植も視野に入れる大体予想していた通りでしたがまた涙が止まらない。強くならないと。来週から治療を頑張ろうね、れいや。1月21日痛み止めも1日2回に減った。傷の痛みも無く、今日も元気♪私の弟がお見舞いに来た。2DSとマリオメーカーを買って来てくれて、れいや大喜び♪
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今から3年前のお話です。2018年6月。この時会社で受けた健康診断が人生を一辺させるとは思ってもいませんでした。当時は30歳で理学療法士として訪問看護ステーションにて勤務しており、結婚して半年過ぎるくらいの時期で新築のマイホームに住みはじめたばかりの頃でした。忙しいながらも毎日楽しく仕事に打ち込み家庭でも充実した日々を送っていました。会社での健康診断で要精密検査の結果。血小板の数値が基準値を大きく下回っており5万/μlしか無いことを指摘されました。血小板の基準値は15〜45万/μlで
入院17日目です。そこそこ寝たはずなのに朝から倦怠感MAXです💦肝硬変の症状にある黄疸(おうだん)について少しだけ、自分の現在の状態も含めて記事に残します。黄疸とは白目の部分や皮膚が黄色くなることです。原因は血液の中にビリルビンという黄色い色素が増加するからです。増加する工程は検索して頂ければ沢山出てくるので割愛させていただきます。簡単にまとめると肝機能が低下すると血液中のビリルビンが増加して黄疸が他覚所見としてみられます。このビリルビンが増加しているかどうかは血液検査でわかります
2022年6月1日生体肝移植2024年4月30日移植後1年11か月。4月22日に息子が救急搬送されたばかりなのに!94歳の義母がまさかまさかの救急搬送!お昼に食事の用意をしていると珍しく義妹から電話がかかってきた。「おばあちゃんに電話をかけたけど応答がないの」妹は普段1人でパン屋さんを営んでいる。すぐに母の様子を見に行けないため義姉であるわたしに連絡がきた。夫を先に実家に向かわせた。わたしは血圧計、体温計、サチュレーションを用意し夫よ
〈Cー3腹水を抜く〉「ご主人のこの症状は、肝硬変の末期で、いつ、肝不全が起こっても、不思議ではありません。明日の朝、ベッドで亡くなっているかもしれません」緊迫した口調でした。「私がドナーになりますから、肝移植をしていただけないでしょうか」この言葉は、悩んだ末でも、覚悟を決めたわけでもなく、ごく自然に、口から出た言葉でした。「いつ死んでもおかしくない」と、現状の危うさを指摘してくれた、若い熱血漢医師のお陰で、急きょ、夫の治療は、大転換を迎え
〈Hー3生体肝移植実施〉思わず、「今、何時ですか」と尋ねました。「4時ですよ」という返事に、「手術は、中止にならなかったんだ。肝臓は、移植されたんだ」と分かると、朦朧とした頭でしたが、移植の実現が、うれしくてたまりません。その後、うとうとしていると、娘たちが、ICU(集中治療室)に来て、半分、うれしそうに、半分、心配そうに、私に話しかけてきます。私は、応えようとするのですが、麻酔の作用か、吐き気がして、ゲーゲー。といっても、体の中は空っぽで
〈Fー8最後の賭け〉そもそも、「脳死肝移植は、宝くじに当たるようなもの」という現実と、「あと何か月かで亡くなる」という現実を、はっきりと口にした、当の医師が、「最低でも、50%以上成功する手術しかしません」と、明言しつつ、「移植の可能性が、0,0001%の脳死登録をして、待ちましょう」という、矛盾に満ちた提言を、しているのです。3・「35%ルール」を、私は当初、絶対視していました。けれども、確か移植医は、「33%あれば、大丈夫なんですが…」と、言