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動悸、息切れ、倦怠感、脱力感が酷くなり即日入院となったあと経過を記事にしています。まず採血、PCR検査、レントゲン、造影CT、動脈血採血が行われました。採血では貧血が酷いようでHb6.0アルブミンは1.9ビリルビンは15近くまで上がっていました。この時点でどこかから出血している可能性もあるので胃カメラを受ける事にも同意しました。PCRは陰性。レントゲン、造影CTでは腹水や浮腫が酷い事がわかりました。そして数日後に胃カメラを受けたところ、胃静脈瘤2箇所が破裂しており出血していたこと
2022年6月1日生体肝移植。2024年2月10日移植後1年8か月と10日。デニーズにて。ドナーの手術と入院費用について質問がありました。解答します。質問された○○さん遅くなってすみません。ドナーの手術代は入院費用に含まれます。基本生体ドナーの術前術後入院費用はレシピエントに請求されます。但し個室代やオムツ代は含まれません。ドナーにかかる費用は3か月をめどに生体ドナーの保険診療に替わります。わたしの場合3か月目からも娘にかかった費用は全額負担しています。参
2022年のスタートは高熱と共に。wMRIやCT、超音波検査などでわかったことの一つにどうやら私の胆のうの中には、砂というか泥と言うか、いわゆる胆泥と言われるようなものがあるらしくそれがサラサラと胆管を流れるタイミングで高熱がでるみたいでした。入院中の謎の高熱も、年明けの高熱も多分これが原因ではないかと…。それに加えて脾腫により血液も貧血傾向が激しく、血小板もかなり少ないのでよく内出血や鼻血が止まらなかったり。なので、年明けの入院は胆のうの状態?中身?を確認すべくERCPの為のもの
4年目の小集団療育。毎年クラス替えがあり年によってカラーが違って面白いです今年はほぼ年長児&全員男児かつADHDっ子が多い〜いつも皆暴れている笑お互いに刺激になって相乗効果でやばい大丈夫かな…と思いつつ、当人たちは大変楽しいようで療育終わりも「公園いこー!」「わー!!」で4人ほど公園へ。鬼ごっこ?謎の走り込み??で噛み合わない会話でみんな楽しそう最近のなんなんの問題行動は急に抱きつく!なのですが(障害児ぽい…)、お互い様な感じ30分ぐらいして、うちは図書館行く予定だったし一人の子も
主治医と家族の話は、ロクな内容ではありません。今回の不吉な予感は、娘の眠い💤という話前の状況も、重なっておりました。しかし、私は肝性脳症から目覚めた自信がみなぎっておりました。不思議です。亡父が、肝性脳症から目覚めることなく亡くなった時、主治医が目覚める確率はほぼ無いと言っていたから。目覚めればいいけれど、と。異常なアンモニア値だったらしいです。でも、私は目覚めた‼️それが、何よりもの自信でした。まったく根拠はありません。約束の時間が近づき、夫と娘が病室に来ました。主治医の話も、3回目
〈Bー3初めての入院〉結果は、非代償性肝硬変(もう治ることのない肝硬変)との診断で、即入院。このころ夫は、まだバリバリ、仕事をしていましたから、病室に、パソコンを持ち込んで、半分、病人半分、仕事人状態でした。初めて投与された、利尿剤は、とてもよく効いて、一日ごとに、体重が500グラムずつ減り、それとともに、膨張していたお腹がへこんできて、「退院する日も近いね」と、二人で、喜び合っていました。日々、良くなっていく夫を、見舞うのは、うれしく、
連日夏日なGW前半爽やかな気候ではなくもわっと暑い!し、すごーい人2日目はけいママさんファミリーとプレイパーク行きましたが、人多いなぁかなりワチャワチャしていました…でもプレパって大らかな感じなので助かりますせっかく一緒に行ったのに特性っ子たちは(というかほぼうちの問題)、マイペースを発揮しつつも一緒に遊べたタイミングもあったから良かったかな是非また遊んでくださいプレパと言えば泥んこ遊び!全身あそび!のイメージなのに、今回なんなん全くやらず殆どずっと工作をしていて…でもノコギリもトン
移植を受けるか受けないかを決めるのは本当に難しい。生きるか死ぬかを選ぶようなもの。そして、賭けみたいなものだなと感じます。私が感じた生体肝移植の問題は・誰がドナーになるのか・入院中の家族のこと(育児や介護などをレシピエント、ドナーが担っていた場合)・レシピエント、ドナーの看護問題(入院中の着替えや日用品などの運搬、回収など)(もし、後遺症や合併症などが起き入院が長引いたり、最悪の事態が起きたら)・仕事をどうするか(休めるのか、辞めるのか)・通院(手術を受けられる病院
2022年6月1日生体肝移植2022年9月20日胆管ドレナージ抜去のため入院。移植手術後3か月20日後胆管の管を抜きに入院した。しかし検査結果悪く胆管狭窄。入院期間は2週間になり内視鏡でステントもいれた。わたしには珍しく吐き気が5日間続いた。そんな時、同室で大腸ガンを患っているYちゃんにであった。彼女は術後の痛みと嘔吐と絶食にたえながら早くご飯が食べたい❗と訴えていた。夕から絶食解禁のはずがその日には夕食がでず...痛みより吐き気より食べ
10年位前2つ上の姉が肝硬変で肝性脳症昏睡状態になり危険な状態になったことがある病気が先々進行すると…内科的治療でよくならない場合は肝移植しかないその当時わたしも脂肪肝があり完全な健康体ではなかったが生体肝移植のドナー条件は2親等以内の親族か夫65さい以下とても大好きな大事な姉だったいつもいつもわたしが困った時には助けてくれたウルトラマン姉だったこの先生体肝移植が必要なときがくるかもしれない一大決心わたしが姉のドナーになろう
2度目の腹水が気になり始めた頃がこれ。効かない利尿剤はだんだんと処方量が増えてその時は少し減る腹水に対してその少し上の量また溜まるという腹水とのイタチごっこ。今ではもう少し立派なお腹に出来上がってきていますが、自主規制しときます。(まだ、妊娠8ヶ月くらいでサムスカも未使用)前回の腹水の時より脾臓や胆のうの肥大化が進んでいるのか右を向いても左を向いても楽な姿勢が定まらなくて、あまり睡眠の質も良くない。短時間寝落ちにちかい眠りで寝て起きての繰り返し。『体の向き、右にする
いつも当ブログに足を運んでいただきありがとうございます😊最近はいつも暗い感じの先行きの見えない記事になってしまっていましたが今日のはいつもより全然ましです先程主治医より入院時から今日までの採血結果の説明がありました。今までも30歳の時に非代償性肝硬変と診断されて入退院を繰り返しながらも、毎月外来での採血を行なってきました。採血を受ける度に聞く説明も、徐々に悪くなっていっている事はあっても良くなっているというのは聞いたことがなかっただけに今日の結果には驚きました。結果ですが…入院時に
今日は朝イチで、月に1回の精神科の外来日でした。もともとアルコール性肝炎から肝硬変となった私の場合、万が一肝移植となったら、生体肝移植・脳死体移植ともに、精神科での一定期間の断酒が認められないと移植できないらしく、その為の通院。そもそも移植を望んでないので、通院して証明をもらう必要性はないともいえるのですが、精神科にいってみるのも一つの経験として、定期外来に行っています。アルコール性肝炎からの肝硬変ということで、お察しの通り、私はとてもお酒を飲んでいました。ただ依存しているつもりは
発達っ子年長5月と言えば…就学相談&放課後等デイサービス探し!の季節ですねぇうちの自治体も就学相談はスタートしていますが、我が家はまだ申し込んでいません。と言うのも就学相談という名前でありながら、支援学校、支援級(知的のみ)、通級によって申し込み方も時期も違うのですそれを決めるのが就学相談じゃないんかい!と初っ端からツッコミしかありませんが…、やる気のなさで有名かつ子ども数の多い我が自治体、そんなもんでしょう申込み期間も短いし年長になってから存在知った人とかは確実に乗り遅れますね。
2018年6月毎年恒例の人間ドッグここでしっかり、胸焼けなどの症状を伝える結果は肝硬変の疑い食道静脈瘤肝血管腫との事。特に食道静脈瘤は昨年よりも育っているらしい定期受診の時に主治医に伝え、エコーの予約。肝硬変かぁ静脈瘤破裂とか大丈夫かぁその時の結果はこの頃の黄疸値は3くらいでした。異常値であるのに、やはりわたしは旦那の黄色さを感じませんでした。そして白目は黄色いとは感じず、充血をしてるかなって見えてました。子どもが持って帰った七夕の短冊に「健康になりたい」
消化器内科にてCTを受けた後に診察へ。この時はじめて肝硬変ですと告げられました。それもかなり進行した肝硬変のようでCT画像からも肝臓がゴツゴツしていることや食道や胃にボコボコした静脈瘤がはっきりとみられる程のものでした。Child-Pugh(チャイルド・ピュー)分類では10点の非代償性肝硬変、そして胃静脈瘤、食道静脈瘤と診断されました。この時は病気を告知されても、自覚症状も感じないため、身体に起きている事態の深刻さを受け入れることが全くできませんでした。一緒に新婚生活をはじめたばかりの
。:+*゚゜゚*+:。:+*゚゜゚*+:。:+*゚゜゚*+:。:+*゚゜明るい未来を信じて初めまして方はこちらをご覧下さい↓↓↓小児がん肝芽腫の闘病記録。:+*゚゜゚*+:。:+*゚゜゚*+:。:+*゚゜゚*+:。:+*゚゜9月5日生体肝移植後9ヶ月お久しぶりです毎日元気に過ごしています夏休みも終わり課題考査も終わりました✨期末考査の結果がとても悪かったので夏休み中に1学期の復習を頑張りましたよその甲
今日の検査も無事迎えることが出来ました今日は、*精神科*消化器外科精神科は、わたしと主人も一緒に受診でした。主人は、次男の代わりというのもあるのですが、夫婦でちゃんと移植について良いことも悪いことも認識が出来ているかどうかの確認に内容は、移植について覚悟が出来ているかの確認をして頂いた感じの内容でした。先生に「移植のデメリットは?」と聞かれて、夫婦揃ってしっかりと答えることが出来ませんでした。もちろん、レシピエントの拒絶反応や合併症・ドナーもすぐに手術前のように生活が出来るとい
今から3年前のお話です。2018年6月。この時会社で受けた健康診断が人生を一辺させるとは思ってもいませんでした。当時は30歳で理学療法士として訪問看護ステーションにて勤務しており、結婚して半年過ぎるくらいの時期で新築のマイホームに住みはじめたばかりの頃でした。忙しいながらも毎日楽しく仕事に打ち込み家庭でも充実した日々を送っていました。会社での健康診断で要精密検査の結果。血小板の数値が基準値を大きく下回っており5万/μlしか無いことを指摘されました。血小板の基準値は15〜45万/μlで
そして、とうとう、秘境駅と呼ばれる、〈奥大井湖上駅〉に到着。湖の上の赤い橋(レインボーブリッジ)のすぐ脇に、駅の表示板がポツンとあるだけの駅。赤いミニ列車と車掌くんとは、ここでサヨナラです。青いベンチコートを着て、車掌帽をかぶり、ザーザー降りの雨の中を走り回る、若き車掌くん。列車を降り、いよいよお別れという時に、どうしてもひと言、彼に伝えずにはいられませんでした。「観光ガイド、とっても楽しめました。どうもありがとう!」すると車掌くんは、驚いた顔で、
進行がマイペースの肝硬変となって果たしてこんなペースでいて、脳死肝移植は受けられるのはいつになるのか。生体肝移植を受ける人は計画的に入院、手術をして回復して。それはとても良いことで、本当にそう思うのは嘘じゃない。ただ心がどこか自分自身に対してモヤモヤしてしまう。生体肝移植をした人だけでなく人生のステップを上がった人など自分はただ立ち止まっているだけの様な気分になる事が増えた。もうこのままでいいや、そんな気持ちにもなる。脳死肝移植をうけられる保証や、ここまで頑張れば
〈Fー7最後の賭け〉2・「50%以下ならしません」という言葉に、驚きました。確かに、生体臓器移植は、ドナーの身体損傷を、前提にしています。それゆえ、「イチかバチか」の勝負に出るような、手術をして、失敗すれば、患者の命を奪う、のみならず、ドナーにダメージを、与えてしまいます。そのため、病院側の『安心・安全・トラブル回避』が、優先されるのだと、痛感しました。医療側は、とりあえず、脳死肝移植への登録を、勧めます。それは、(言葉は悪いですが)一応、可能性
〈Kー7人工透析を開始〉六月中旬になると、夫を車椅子に乗せ、病室を出て、エレベーター前の、見晴らしの良い所で、しばらく東京の眺望を楽しむ、という日課が、始まりました。このころの夫は、20分くらい座っているのが、限度だったのですが、毎日、担当の看護師さんが、「ちょっと、電話しなきゃ」とか、「すぐ終わる用事があるので待っててね」とか言って、離れて行き、戻ってこないのです。実は、主治医から、「一時間以上座っていられるように」という、指示が出ていたので、
〈Gー1肝移植手術に向けて〉暦は、四月に入り、大学病院前の桜は、早くも、葉桜になり始めていました。父親が使用していた、パソコンのデータを、次男が整理していたら、おびただしい量の売り上げデータが、次々と、画面に出て来ます。「これが、我が父が、命を懸けてやっていた仕事か」と、つぶやく息子。もう二度と、このパソコンの前に、座ることはないかも。…そう思うと、ただただ、切なくなりました。洋服ダンスを開くと、スーツとワイシャツが、主(あるじ)不在の
私は子供の頃から身体が大きく小学生から大学生まで柔道をしていました。スポーツでの怪我は何度か経験しましたが内臓疾患等は今まで全く指摘されたことがなかったので体力もあるし自分の身体は丈夫な方だと思っていました。そのため多少の疲労もあまり気にせず、大変なのはみんな同じだと思い続け今まで働いてきたので入院で会社を休むことは今回が初めての事でした。沈黙の臓器と言われている肝臓なだけに知らず知らずのうちに無理をかけていたようです。今回は数日の検査入院とのことで会社にも事情を説明し入院の手続きを済ま
先日、滋賀県の近江八幡に1泊旅行してきましたコロナの第7波爆発直前で毎日感染者が増えていたし、私たちの住む大阪だけブロック割除外ギリギリまで行くか悩みましたが、結果としては誰も感染せず(旅行後は怖くて1週間ひきこもり)、何より息子がとっても楽しそうだったので行ってよかったです行き先もかなり悩みました。①息子に海水浴デビューさせたい②温泉に浸かりたい&息子用に部屋風呂付③万が一雨でも楽しめる④片道車で2時間以内この条件で色々考えて、今回は車で1時間半かからない近江八幡に決定滋賀な
2022年6月1日生体肝移植。2024年3月15日移植後1年9か月と15日。初めてサイゼリアデビュー肝臓提供してくれた娘に対する感情がどんなものだったか!もちろん感謝!自分の病気に娘を巻き込んだ罪悪感!移植手術がおよぼす娘の身体の影響とむすめの将来にたいする不安!幸いむすめは小学校の先生であり産休中だった。仕事復帰もできるし休むことに対しての影響
〈Jー6悪夢の細菌感染〉夫は、ICUから出て、まだ5日しか経っていません。この時期の、生死にかかわる重篤な症状、それは、急性拒絶反応と感染症です。病院側から配られた、移植ガイドブックにも、このことが、強調されています。「退院後も、37,5度以上の熱が出たら、すぐ、連絡してください」とも書かれています。たった37,5度で、入院だそうです。それなのに、それを軽く超える、高熱の入院患者には、感染症対応をしない!一刻を争うはずなのに、何もしない!
〈Kー5人工透析を開始〉「生死五分五分」と告げられた、五月中旬から、半月が経ちました。相変わらず、移植肝臓は働かず、人工透析は、必要不可欠な医療となりました。それでも、夫からは、死の危険性が、徐々に薄れていき、いよいよ、寝たきり状態からの脱皮を図る、リハビリが、始まりました。ところが、これが大変でした。夫は、移植手術後一か月間、全く起き上がることが、ありませんでした。全身が、上体を起こすことを忘れてしまった、そんな感じです。最初に、
〈Jー8悪夢の細菌感染〉その後、私は、神仏に祈り続けました。とにかく、夫の最大の危機だと感じたのです。「命が危ない。どうか、助けてください!」と。夫の命が、この世にとどまるか、あの世に旅立ってしまうか、まさに、「神のみぞ知る」状態でした。その日の夜、9時過ぎに、大学病院の移植医から、電話が入りました。「ご主人は、夜になって、ICUに再び運ばれましたが、細菌感染していて、危険な状態です。療養中のお母さんは、来ないでください。娘さんが、至急来てくだ