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胃静脈瘤の治療は無事終了しました。食道や胃にできる静脈瘤は何らかの原因で肝臓が繊維化し肝硬変の状態まで進行したことで門脈圧が亢進し起こる合併症です。肝炎を経て肝硬変まで進行してしまった場合、今後は定期的に胃カメラを行い破裂する前に治療していくしかないです。肝炎だけど肝硬変ではない方。健診で肝臓の数値が悪い方や血小板数が少ない方。今ならまだ戻れます。こっちに来ると戻れません。本当に辛いので絶対に来ないでください。自分だけではなく肝硬変は周りを巻き込んで不幸にします。私は診断された時
移植選択で気になる移植費用さぞかし高額だろう?払えるか?心配される方も多いでしょう大丈夫!わたしもはらえましたなぜかというと成人肝移植のための医療費助成制度があるからです自立支援医療《更生医療》(18歳以上で障害者手帳)を取得しているかた)窓口負担が軽くなる詳しくは市町村に問い合わせて限度額適用認定証加入保険に問い合わせて特定疾患医療費助成制度わたしはあてはまらなかったが保健所、保険センターに問い合わせて肝移植されるかたはほとん
2019-2230年近く様々な病気を患ってきた母がいよいよ弱ってきて退院しては翌日入院、即日入院、長期にわたる入院生活によるものかと思っていたら認知症も出ていた末期の腎臓もいよいよで透析治療開始目の前で急に脳梗塞になりせっかく退院してきて数日生体肝移植で飲み続けてる免疫抑制剤のこともありコロナ禍でやっと旅行を計画した前日に緊急入院刻々と母から目を離すことができなくなってた思えばこの頃睡眠時間もなく自分のことはゆっくりできていなかったまぁ20年間ずっと💧寂しくて不安からか孫
私は子供の頃から身体が大きく小学生から大学生まで柔道をしていました。スポーツでの怪我は何度か経験しましたが内臓疾患等は今まで全く指摘されたことがなかったので体力もあるし自分の身体は丈夫な方だと思っていました。そのため多少の疲労もあまり気にせず、大変なのはみんな同じだと思い続け今まで働いてきたので入院で会社を休むことは今回が初めての事でした。沈黙の臓器と言われている肝臓なだけに知らず知らずのうちに無理をかけていたようです。今回は数日の検査入院とのことで会社にも事情を説明し入院の手続きを済ま
退院後。理学療法士として働いている身なので、あまり職場や自分の担当する患者さんに迷惑をかけたくなく、退院後はすぐにでも仕事に復帰しなければならないという思いが強かったため、即仕事に戻ったのを覚えています。今思い返すと、まだ自覚症状も感じない時期で、更に肝臓に負担をかけてしまっていたと思います。しかし、実際は感じていたのかもしれません。疲労は働いていれば誰でも感じるし、この時点で毎日とれない倦怠感が現れているのに、体力がないだけと自分を誤魔化し、他人の前では平気で振る舞う。倦怠感なんて気
2022年6月1日生体肝移植2023年10月23日移植後1年4か月と23日入院。久々の入院!コロナ感染で延期になっていた胆管のステント交換!やっと入院できたー病院ついてすぐにMri。なんやかんや手続きなどしながら病室ついたのは11時頃。医師からmri検査結果の説明。この若い医師は移植病棟でニューフェース!初めての対面。検査結果よりニューフェースの方が気になる!どんなあだ名をつけようかな?今回の入院日数は内視鏡で胆管のステント具合をみて決まる。1週
動悸、息切れ、倦怠感、脱力感が酷くなり即日入院となったあと経過を記事にしています。まず採血、PCR検査、レントゲン、造影CT、動脈血採血が行われました。採血では貧血が酷いようでHb6.0アルブミンは1.9ビリルビンは15近くまで上がっていました。この時点でどこかから出血している可能性もあるので胃カメラを受ける事にも同意しました。PCRは陰性。レントゲン、造影CTでは腹水や浮腫が酷い事がわかりました。そして数日後に胃カメラを受けたところ、胃静脈瘤2箇所が破裂しており出血していたこと
1月28日生体肝移植後4日目零也はまだ眠り続けています。口の呼吸器を2日目に一度外しましたが、胸水が溜まって左肺が無気肺になってしまい、左胸腔穿刺(針を刺して水を抜く処置)をしてまた呼吸器を付けて貰っている状態です。たまに薄っすら目を開けるので、夫が『お母さんだよ』って冗談を言うとゆっくり違うと首を横に振ってくれました。手を握ると時々弱々しい力で握り返してくれます。肝機能などは落ち着いてきているので今のところは順調です!これから始まる拒絶反応が怖いですが、頑張って
肝硬変の姉が肝臓がん破裂で2018年他界わたしの肝硬変は進行がはやかった勤め先のクリニックで強力ネオミノファーゲンシ注射を週3回うって…月1回県立病院で定期健診姉の死から2年半後夜中胃のあたりがおかしいなあと思いながら寝てると突然吐き気とは少し違う感じで苦しくない吐血をした洗面器半分位はいたのになぜか冷静でいられたこれが吐血かあー血の色がブドウジュースだー怖くもなかった救急車を呼ぼうと思ったが病院で死んでしまった
〈Iー3入院生活雑記〉退院当日、夫もちょうどこの日、ICUから、一般病棟に、移されたところでした。といっても、夫の個室には、たくさんの医療機器が、導入され、体には、さまざまな管が、付けられています。まだまだ、要注意患者です。「一足先に退院するね」と言うと、「うん、うん」と、うなずきます。いよいよ退院です。5月の車窓の風景は、まばゆくて、二週間ぶりに、病院の外に出た私は、今さらながら、普通の生活ができる喜びを、かみしめていました。漂う空気も、
〈Fー6最後の賭け〉「メリットは、二つ。お二人の血液型が、同じA型だということ。もう一つは、再発の可能性は、0%だということです」「先生、移植が成功したら、主人は、元通りの生活が送れるのですか?」「それはもう、激変します。夢のような再生が起きます」『夢のような再生』…この言葉が、以後、移植に挑む私の、エネルギー源となったのです。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇この10日余りのドタバタ劇で、医師と向き合った私が、感じたことが、三
2022年6月1日生体肝移植2024年3月1日移植後1年9か月夫が「今日は38年目の結婚記念日だよ。」車の中でポツリと言った。「そうなんだ。」とこたえながらたいした感動もなく「ずいぶんもったもんだ.」..と心の中で思った。そうこうしているうちに小山すぎの木クリックについた。今日は健康診断。肝移植患者はガンリスクがある。そのため一年に1回は健康診断が必要だ。しかし大学病院での健康診断では腹部エコー心臓エコー心電図レントゲン内視鏡骨密度検査をおこなう
〈Gー5肝移植手術に向けて〉入院翌日、ドナーの術前説明が行われました。ドナーの執刀医は、私の検査画像を、詳細に見ながら、「この手術は、症例が無いので、同時進行ではなく、まず、ドナーである、奥さんの方から切ります。肝臓の血管の位置が、移植可能かどうかを見ます」「その結果、血管が、あまりにも複雑に入り組んでいたり、取り出す血管が、奥深い場所にあり、取り出しが、困難だったりした場合、手術はそこで、終わりになります」と、説明しました。口調は冷静でし
〈Hー2生体肝移植実施〉平成26年、4月28日。私は、朝から、浣腸の液剤を入れられました。絶食に加え、徹底的に、体内を空っぽにする作戦。そこへ、娘たちが到着しました。まず、私のベッドに来て、エールを送ってくれました。二人は、「父を手術室まで見送りたい」と言うので、「絶対に、生きてまた会おうね」との、夫への伝言を、頼みました。車椅子に乗って、手術室に到着。ストレッチャーに乗せられた私に、手術専門の看護師さんが、「横向きになってください。ちょっと
〈Gー4肝移植手術に向けて〉いよいよ、ドナーの入院日。私が案内されたベッドは、なんと、夫が前日まで使用していた、ベッドでした。そのベッドに、横たわり、天井を眺めていると、「見舞う側だった自分」には見えなかった、新たな世界が広がります。命の危機に直面している、人間の苦しみを、共有することなど、出来ないけれど、このベッドの上で過ごした、眠れない日々、カーテン越しに、薄明るくなる夜明け、外界の空気をまとって、見舞ってくれる家族のまぶしさ…。
2022年6月1日生体肝移植2024年3月16日移植後1年9か月と16日。移植患者は感染リスクがあるため動物との接触にもかなりの制限があります。この1年9か月の間自分の家の犬二匹にも触りませんでした...動物の病原菌に感染しないようにわたしの居住間から離れて暮らしていました。しかし移植後1年9か月がたち見るだけならよいだろうと...猫ちゃんカフェにいってきました。凄く広々としていました。オーナーが保護した猫ちゃんをキッカケに大きな大きな猫ハウスを
足とお腹が一気にむくんで1週間で体重が10kg増えました。身体が重たいし横になると布団のシワの痕が身体中に残るようにもなりました。現在利尿剤はフロセミド、スピロノラクトン、サムスカを飲んでおり塩分制限もしているのですが身体はむくんでいく一方。腹水がある時は安静を取らないと苦しいのでベッドで生活している時間ばかりになります。現在仕事は休職中です。実際に使用して効果を実感した肝硬変に対する商品!Amazon(アマゾン)ママセレクトたんぽぽ茶2g×30包入りティーバッグ国内焙煎
〈Gー3肝移植手術に向けて〉他にも、この最終面談で、判明したことが、二つあります。「肝移植手術の際に、支障があるため、レシピエントと、ドナー双方の胆のうが、摘出される」ということと、「肝臓は、切り取られても、数か月で、元の大きさに、復元する」という、驚くべき事実です。こうして、緊張と驚きの最終面談を終えると、その後は、手術日に向け、医師からは、「くれぐれも、体調を崩さないようにしてください。お二人のどちらかが、体調を悪くしても、移植は出来ま
肝硬変の姉が肝臓がん破裂で他界してから2年半後肝硬変は悪化し食道静脈瘤破裂で手術それからだんだんと体調わるくなり2カ月後には仕事ができなくなった2020年6月コロナが蔓延し始めた頃夫が栃木から迎えにきた夫の運転で二泊三日かけ九州から栃木まで…二人きりで旅行するのは新婚旅行以来だったが旅行気分ではなかった座っていられなくずっと後部席で横になって旅館の温泉や食事も楽しめないくらいわたしは弱っていたつづく今治タ
肝硬変食道静脈瘤破裂結紮術…おー進行これから下り坂父母どうするか?姉が生きていたときは両親のSOSは姉が対応帰郷してからは両親の面倒はわたしがみていた父はレビー小体型認知症だったこの病気は幻視や幻聴があり奇妙な行動は神経質な母を苦しめた80さいの母は父がおかしな事をするたび昼夜問わずわたしに助けをもとめた父は要介護1特別養護老人ホームには要介護3以上でないと入所できないわたしがいなくなったら母は世話はできないだいぶお金がかかるが
今日は友達がお見舞いに来てくれました9月に入院したときからずっと心配してくれてる大事な友達😭🫰🏻今は特に食事制限ないので買ってきてくれたケーキを一緒に食べました💗たのしかったーーーー🥺次はいつ会えるかなぁ😫友達と話してて思ったけど周りが職場でどんどん成長していってる私はずっと入院してて退院後もしばらく仕事できないので焦るなぁ😰まぁ、、、今は手術を乗り越えることを考えよう😗手術日はよ決まらんかなぁ!
お久しぶりです肝がん再発のブログを書いてから半年が経ちました。あれから2ヶ月に一回、癌の経過を見るため検査を受けています。主人は腎臓の数値が悪いのでこれ以上、腎数値を悪化させないために造影剤CTの検査が出来ません。なので私も詳しくは分かりませんが造影剤CTよりも精密差が落ちる種類のCT?と超音波エコーでの検査になります。あれから半年で3回ほど検査して先生の診断結果は…先生【癌とは言い切れない】私【えっ、なんですか?癌じゃないの?】先生【癌ではないとは
本当は姉のドナーになるはずがわたしが肝臓もらう側になってしまった。8年前の話。今から10年前姉が肝硬変になり肝性脳症を起こし意識不明になった事がある。姉夫婦には子供はいなかった。兄弟姉妹はわたしと弟。その時から姉のドナーになると決めていた。脂肪肝はあったが毎日ウオーキングをし1年かけて正常値にもどした。そしていつでもドナーになれるように準備していた。わたしが54歳の時、義兄から緊急の連絡がきた。姉が倒れたと…姉は体調をなんども壊していたのでいつでも長期に帰省する
〈Hー4生体肝移植実施〉「そう、良かった。良かった」頭が、ボンヤリしていて、それしか言えません。午前9時に入室した私の、手術終了が、午後4時。夫はその後も、難手術に耐え、日付が変わる真夜中の12時半に、手術終了。実に、15時間を超える大手術でした。手術の翌日から、元々元気な私は、すぐに歩き始めました。もっとも、胸の間からお腹に向けて、L字型に、大きく切開されていますから、歩くときは、どうしても、前かがみの「おばあさん歩き」です。その歩き方で、
〈Iー1入院生活雑記〉ドナーの術後の食事が、再開し、何日間か空っぽ状態の消化器には、まず、流動食が、提供されました。古びたプラスチックのコップに、4つ、液体が入っているのですが、どれも、ほとんど、飲むことができません。この状態が、三食続き、「この流動食、いつまで続くのだろう」と、さすがに泣きたくなる思いでした。ため息ばかりの昼下がり、昼寝から目覚めると、テーブルの上に、何か置いてあります。「よく寝ているので、帰りますね」という、長男のメモと、差
こんにちは〜シングル母さんの古野崎ちち子(このさきちちこ)です!↓はじめての方はコチラから登場人物紹介〜毎日毎日暑いですね〜1日が終わると、もうヘトヘト嫌な家事はついつい後回しにしてしまう私ですが私はよくこんなコトがあります寝落ちした朝のいたたまれないほどの嫌悪感と言ったら。。。誰かお姫様だっこでお布団へ運んでよ〜とは、言わないけどそっと毛布くらいかけてくれる人はいないのかよ!な〜んてわびし
〈Bー7初めての入院〉一回目の入院から、二か月後、今度は、もっとひどい状態での、入院となりました。前回の入院時に、処方された利尿剤は、もう、効き目がなくなり、大きく膨張したお腹への、次の策として、アルブミン投与という、治療が行われました。けれども、腹水は、前回のようには抜けず、大きなお腹のまま、二回目の退院となりました。腹水が、溜まるので、足は、くぼみがなくなり、まるで、ゾウのよう。お腹は、カエルのよう。外見から、それと分かるほど、夫
〈Fー8最後の賭け〉そもそも、「脳死肝移植は、宝くじに当たるようなもの」という現実と、「あと何か月かで亡くなる」という現実を、はっきりと口にした、当の医師が、「最低でも、50%以上成功する手術しかしません」と、明言しつつ、「移植の可能性が、0,0001%の脳死登録をして、待ちましょう」という、矛盾に満ちた提言を、しているのです。3・「35%ルール」を、私は当初、絶対視していました。けれども、確か移植医は、「33%あれば、大丈夫なんですが…」と、言
〈Cー2腹水を抜く〉腹水に含まれている、「体にとって大切な成分」も、急激に失われ、夫は、みるみるうちに、やせ衰えていきました。さて、仕事続行が困難になり、退任した夫には、経済的なバックアップも、必要になり、「都心近くに引っ越し、皆で一緒に暮らして、生計を一つにしよう」ということになりました。三月、引っ越しと同時に、夫は、三回目の入院をしました。それから一週間が経過したころ、大きな異変が、起こりました。夫の全身が、震えだすようになったのです
肝硬変も進行すると合併症がでてくるわたしは味覚障害になり食事がとれなくなり味覚障害でも味がわかるコーヒー牛乳スイカトマト甘酒を毎日食べ突然入院日に糖尿病になっていた入院したその日からインスリン開始となったそれから毎日朝昼夕寝る前にインスリンを打つ始め看護士さんに注射してもらっていたがそのうち自分で注射うつようになるインスリンをうつまえは毎回血糖値指に針をさし血糖を計るこれらはとても面倒で毎日続けるのはしんど