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5月19日(日)、入院6日目、術後3日目。この日は主人と昼の付き添いバトンタッチ。久しぶりにあったかいごはんを食べられたし少し休憩もできた、けれど、家に帰ってもやることは同じ、ひたすら検索ばばぁwithWi-fi環境下。PTCD後に白色便になった場合とかPTCD失敗とかPTCD2回目とかいろんな検索ワードで検索したけどなかなかヒットせず、それもそう、PTCDの平均実施年齢60代後半とのこと、ブログをやってる人なんてほとんどいない!調べたところによりますと胆管拡張がない胆管への穿刺
移植外科と眼科の診察日眼科は目薬なし(検査なし)の日だったのでサクサク終わり、やーっと移植呼ばれたと思ったら、診察室内で医師二人相談中。嫌な予感しかしない最近体調どう?と聞かれ、「疲れやすい印象ちょっと元気ないお腹痛がること多い風邪的な症状は無し」を伝え、あー、と。肝機能がね…「入院ですかねぇ」そうだねぇ緊急入院決定今日肝生検できるのかは確認してそれは可能とのことだったので、「手続きレントゲン麻酔科行きますー」って慣れきっている自分が悲しいなんなんに伝えたら半泣きでめちゃ
術後6日目(3/25)朝夫の回診時になんなん拒絶の可能性が出てきたと話が来たかーと思いながらICU医師に確認すると、肝機能数値が上がってきてはいるけど他の症状はないので現段階では可能性論。肝生検もまだ予定はないですということ。便も緩いのでミルクストップになるかもと主治医夫経由で言われましたが、これもまだ経過観察とのことでヒヤヒヤする夫の痛みはだいぶ落ち着いたようで(今は内服のみ)、今日術後初の面会とシャワーに面会時は念のため看護師+車椅子で行ったけど歩きで行けたそうです6日ぶりに父
2022年6月1日生体肝移植2024年5月28日移植後1年11か月と28日あと何日かすると移植して丸2年となる。はやいもんだ。肝硬変末期の痛みや苦しさを忘れてしまうほど元気にくらしている。平和な日常を毎日過ごす中で娘がドナーにきまり実際に肝臓をもらい手術をしたころの事を思い出す。健康な身体の娘に母のために身体を傷つけた事に当事は罪悪感でいっぱいだったころ...娘は「おかん!何回もごめんねごめんねって言わないでいわれるとつらいごめんねのかわり
。:+*゚゜゚*+:。:+*゚゜゚*+:。:+*゚゜゚*+:。:+*゚゜明るい未来を信じて初めまして方はこちらをご覧下さい↓↓↓小児がん肝芽腫の闘病記録。:+*゚゜゚*+:。:+*゚゜゚*+:。:+*゚゜゚*+:。:+*゚゜9月5日生体肝移植後9ヶ月お久しぶりです毎日元気に過ごしています夏休みも終わり課題考査も終わりました✨期末考査の結果がとても悪かったので夏休み中に1学期の復習を頑張りましたよその甲
本日移植外来行ってきまして、なんなんの移植日2020年2月20日になりましたついについについについに、あぁ…神先生にエコーや前回までの血液検査結果見ていただいた感じ(今日は血液検査なし)、まだ待ちたいなら待てるレベルではあるけれど、今日明日に移植をしてもおかしくないレベルでもある。あとは両親の気持ち、どう?とお言葉。事前に想定していた通りだったので、昨日までに夫婦で話し合った結論として、進めようという決意を伝え日にちの調整に入りました。最近のなんなんはすごーく不機嫌が続いてしま
病院から帰宅して、その日は夜中だったのもあり子供たちを寝かしつけた後、旦那が心配だったのでリビングで一緒に寝ました。旦那は普段リビングで寝てしまうことが多く、一番安心するようでした。ただ、私は気付いていなかったんです。普段旦那は左耳を下にして、横を向いていることが多いことに朝、目を覚ましたとき、まだ旦那は寝ていて、子供たちを保育園に送ってきてしまおうと、そっと家を出ました。帰りに、お買い物をしていると、スマホがなりました。気付くと凄い数の着信全て旦那…。何か、あったのかと直ぐ
8時半にマクドナルドハウスを出て私の免許更新へ。来月まで大丈夫だけど今日を逃すと更新できないような気がして。無事初回の講習に入る事ができる。10時に講習が終わりパン買って戻る。早めのお昼ご飯食べて11時に面会に行くとエコー中で少し待たされる。寝ている。見るからに脱水な感じ。ケアしている最中は起きてたとの事だけど全然起きない。途中目覚めてYouTubeみる?と聞くと頷く。YouTube流しているとまた寝て12時に退室。13時過ぎに入室。やっぱり寝てる。鎮静下げたらしいけど寝て
お久しぶりです肝がん再発のブログを書いてから半年が経ちました。あれから2ヶ月に一回、癌の経過を見るため検査を受けています。主人は腎臓の数値が悪いのでこれ以上、腎数値を悪化させないために造影剤CTの検査が出来ません。なので私も詳しくは分かりませんが造影剤CTよりも精密差が落ちる種類のCT?と超音波エコーでの検査になります。あれから半年で3回ほど検査して先生の診断結果は…先生【癌とは言い切れない】私【えっ、なんですか?癌じゃないの?】先生【癌ではないとは
こんにちは!私のズボラな性格によりなかなか更新できないのですが今後もマイペースで更新していきたいと思います!生体肝移植をしてから1年が経ちました。昨年は、移植手術したり真菌感染したりとなかなか大変な1年ではありました。支えてくれる家族や先生たち、周りの方々のおかげでここ最近は割と調子よく過ごせていますだいぶ体力が回復して、歩ける距離が増えたり、最近はSwitchのリングフィットで軽く運動したりもしています!血液検査の数値もしばらく安定していて
10時に入室。起きている。YouTube見せながらマッサージ。採血結果WBC:34百HGB:10.5PLT:5万アンモニア:142T-BIL:32.56ビリルビンが…泣きたい週末にかけて大きな動きはないと思う。今一番重要視しているのはアンモニア。アンモニアを見ながら透析している。水に関しては引けている感じだし尿も出ているから引いていない。呼吸器はいつでも抜ける感じだけどどうするか検討中。状態が落ち着いたら一旦大学に戻ってから転院かな。身体拭きをしてもらう。二男くん
【γ-GTP、506ですと!】入院3日目の朝、若手のドクターがやってきた。「makn-maknさん、血液検査の結果です。やっぱり数値、悪いですね」どれどれ。と手に取る。うわっ本当に悪いな。前回の胃潰瘍の吐血で、血液検査の数値は何度もみてきたから、だいたいのことはわかる。ASTが210(基準値13~33)、γ-GTPが506(基準値10~47)ですと!?T-BILも救急室では1.9程度(基準値0.3~1.2)だが、翌日は2.8に跳ねあがっている。自分のこんな検査数値
ご覧いただきありがとうございますなかなかブログを更新できずごめんなさい今までの治療まとめ2022年8月肝芽腫を告知され即入院9月化学療法110月化学療法211月化学療法3両肺の手術12月肝移植2023年1月化学療法42月化学療法53月化学療法64月肺手術5月化学療法76月化学療法87月化学療法98月肺手術9月化学療法1010月造血幹細胞採取化学療法11.1211月化学療法1312月化学療法14
13日にドタバタ退院して、頭はぐちゃごちゃながら何とか気持ちと生活の建て直しを図っています近況振り返り。14日バレンタインジーっと見つめるなんなん昨年と比べると成長が見えますチョコは今年も六花亭(自分が食べたいだけw)この日は以前同じ病棟でお友達になったなんなん同級生Mちゃんママと久しぶりに会ってお茶Mちゃんはなんなんと入れ替えで13日に救急からの入院。やっぱり希望病棟に入れず(移植病棟ではない)モヤモヤとのことさくっと退院できること願っています土曜日は夫婦共に疲労が過ぎて何
なんなん今日の検査は造影CTだけですで朝からトリクロ飲むも浅ーい眠り追加して深めの睡眠にが、検査が混んでいて行けない…約2時間呼ばれるも、なんなん起き始めましたまーそうなりますわな結局点滴注入に。なんだかなー検査終わっても、起きない起きない2時間後にミルク飲ませると、飲むけど終わった瞬間寝ました夕方になってちょっと起きても薬が抜けないらしく(通常2〜3時間で抜けるそう)フラフラ〜な酔っ払い状態急に動いてベッド柵に突進したり叫んだり、明らかに通常ではありませんシャワーも怖いの
9時半に夫のエコーのために病院へ。エコーが終わってホテルへ戻っていたら主治医から電話。「お母さん今どこにいる?」ホテルに戻ってます。今病院出たところ。「あっ遅くなってすみません。二男くんの状態に変わりはないのだけど。水を引く事とかを考えるとやっぱり透析をした方がとなって。午後からこども病院に転院させようと思うんだけど」ホテルチェックアウトして11時くらいに戻れば良いですか?「お願いします」チェックアウトして長男連れて病院へ。担当医からお話し「浮腫はだいぶん取れて来たけれど肺の水
昨夜は21時くらいから咳が止まらず眠れず。咳もひたすら出るしサチュレーションの低下、シーソー呼吸になり当直医を呼び出したけど「感染症にできる事はありません」アタピー入れてもらい30分くらいうとうとするけどすぐに咳き込んで起きる。6時くらいから酸素外れるとサチュレーションは70台半ば。酸素マスク当てても88〜89。不穏な感じ。7時半すぎにそろそろ血内の先生来てるだろうとナースコール。TDr.採血に来る。「レントゲン手配します」この人聴診すらしていかない。すぐにIDr.来て聴診
仕事…病院で働いてますリハビリテーション科に勤めてやがて、20年。この仕事好きなんですよね~。なのでまだまだ、頑張りたい❗と思うのですが時々体が限界を訴えます。家に帰りつくとソファーにたおれこむことがあります。患者さんを抱える時に、痛みや不快感で躊躇することがあります。限界かも…とまだ大丈夫…をいったりきたり。「原発性硬化性胆管炎(PSC)です…」とは、最近まで直属の上司にも言ってなかった。もちろん、部署内は、上司以外は知りません。知ってる友人も少人数
先日の肝生検の結果&久しぶり総診受診朝からあっつー24時間エアコンつけていても5時半の時点で暑い…駅のホームも暑い電車は地下鉄区間が長いので寒いけど…この暑さの中遅延がなくて良かった今日の外来もまぁ概ねいつもの一日だったのですが、入院からの外来だから嫌がるかな…は今日はお泊まりない?と聞いてきたものの、ないよ!と伝えたら不安がる様子はなく採血ではひとりで頑張ったのでなんなんかなり褒められて診察では私が褒められてと、ストレスの少ない一日でした〜と、そんなに世の中甘く無く一番
主治医と家族の話は、ロクな内容ではありません。今回の不吉な予感は、娘の眠い💤という話前の状況も、重なっておりました。しかし、私は肝性脳症から目覚めた自信がみなぎっておりました。不思議です。亡父が、肝性脳症から目覚めることなく亡くなった時、主治医が目覚める確率はほぼ無いと言っていたから。目覚めればいいけれど、と。異常なアンモニア値だったらしいです。でも、私は目覚めた‼️それが、何よりもの自信でした。まったく根拠はありません。約束の時間が近づき、夫と娘が病室に来ました。主治医の話も、3回目
2022年6月1日生体肝移植2024年4月30日移植後1年11か月。4月22日に息子が救急搬送されたばかりなのに!94歳の義母がまさかまさかの救急搬送!お昼に食事の用意をしていると珍しく義妹から電話がかかってきた。「おばあちゃんに電話をかけたけど応答がないの」妹は普段1人でパン屋さんを営んでいる。すぐに母の様子を見に行けないため義姉であるわたしに連絡がきた。夫を先に実家に向かわせた。わたしは血圧計、体温計、サチュレーションを用意し夫よ
一晩中咳がひどく眠れず。朝血圧141/96採血有り。席を伝える。回診「レントゲンとエコーに後ほどきます」エコーで大丈夫そうなのでサムスカ追加。血圧が160まで上がり、セパミット。サムスカ注入した後でIDr.に「お薬の件でお話があるので」と面談室に呼ばれる。サムスカの指示の仕方が悪く思っていた量の倍を投与してしまった。投与してはいけない量では無いんだけど本当に申し訳ありませんでした。その後大量に尿が出る。水分摂取量500ccに制限されてる二男くんは水が欲しくて大変。その後の採
退院できて、予定どおり抜け殻になりwあっという間に時がすぎ...かれこれブログが空いてしまいました去年の12月から始まった成育での入院生活。12月19日に肝臓移植をしてクリスマスも、お正月も病院で過ごし2月13日に無事に退院しました帰りに寄ったパーキングにて。(ウイルスに怯えて店内には入りませんが)お外の世界が、こんなにも嬉しいアホ毛がすごくてヒートテック丸見えの疲れ切った母には触れないで。退院おめでとう🎉カノンちゃん帰宅して、息子や家族との時間も2人の育児でバタバタで
今から8年前…2015年4月わたしは夫に5年間の自由時間の許可を得て故郷の大分県に帰った。目的は姉の肝臓のドナーになるためだった。後々自分自身にドナーが必要な肝臓になるとは少しも考えていなかった。(2022年6月1日生体肝移植術)2018年11月肝硬変の姉が肝臓ガン破裂にて亡くなった。その時、母は…姉のお通夜の日。お坊さんのお経が始まると同時に…ブツブツと唱える声がする。お経と二重唱のようだった。もしや母?間違いない母だった。姉の死を受け入れられない
7時半お目覚め。朝からぐったり。なんとなく朦朧としている。9時過ぎから採血。30分近くかかってできる。体重23kg。6キロくらい浮腫んでる。10時主治医回診。「内服の利尿剤使います。あとポートから引けなくなってる件なんだけど外科と相談して明日入れ替えます。血小板は増えてるんだけど明日に備えてFFPとPC入れます。ルートが多い方が良いからヒックマンにします」沢山買ったカテーテルカバー全て捨てちゃった…前買ってた人がminneから消えた…とりあえず探して購入。11時半アタピー1
新学期1週目の最終日は外来外来の日は早起き必須ですが、久しぶりの幼稚園や療育の疲れかなんなん普段6時〜6時半に起きるのに中々起きず可哀想な気分(幼稚園ならまだ起きなくても間に合う時間なので)いつもの感じで9:10頃着採血34番10時前に終わり遊んで遊んで11:35に診察呼ばれて会計雨降ってる…院内レストラン行こう…今日はサンドイッチな気分だったけどねー気まぐれ天気疲れるわ診察は、数値ゆるーく下がっているからステロイド減らしてみよう!で久しぶり5mgに←まだ全然多いがこれ
こうして、ひょうたんから出た駒が、時代の流れに乗って、駆けはじめたのである。「それで、アメリカ行きのファンドは、取ってあるの?」「そんなものはあらせん。自費ですわ」「じゃあ、病院出張で、一年間行ってきなさいよ」腹をくくって、そう答えた。副院長分際で、その権限はなかったが、これ以外に、万波先生を、病院につなぎ止める手はないと思った。それから半年たった、ある暑い日。病棟に行くと、ランニング姿の万波先生が、いるではないか!「おやっ、夏休み?」「ベルツア
若き主治医の、緊迫しつつも、きっぱりとした口調は、夫の命が、危険水域に入ったことを示していました。「明日の朝、亡くなっているかも…」という言葉を聞いた私は、とっさに、「私がドナーになりますから、肝移植をしていただけないでしょうか」と、言ったのですが、このドナー志願の申し出によって、事態は急きょ、動き始めました。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇私たち夫婦は、10年前の2014年と2015年に、2度、臓器移植手術を受けていますが、私たちが辿った、激
昨日「さようなら万波誠先生」の章は、終了しました。ところが、この章の原稿を入稿し終えた、昨年末になって、突然、『万波先生に関するとんでもない逸話』が、飛び込んできました。その数々の逸話を、書き上げてくれた主は、市立宇和島病院名誉院長の、近藤俊文先生(なんと90歳!)このブログでも、度々紹介してきたように、近藤俊文先生は、万波先生のかつての職場の上司であり、半世紀以上の長きにわたり、万波先生を、ずっと温かく見守ってきた方です。そんな方ですから、私などが
〈Dー5肝臓の提供条件〉その日、私は次女と、雑踏の中にいました。その時、大学病院から、電話が入りました。「初日の検査は通りました。それで、精密検査をしたいので、明日、病院に来ていただけますか」というやりとりで、電話を切った途端、涙が、どっとあふれてきて、人目もはばからず、号泣してしまいました。「良かった。みんなに迷惑を掛けずに済んだ。私が、ドナーになれれば、それで解決する。子どもを巻き込まずに済んだ」一番恐れていた、35%ルールを、通過し