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2024年1月1日に瞳は精神病棟のトイレで自分のトートバッグの持ち紐で自死未遂偶然、私は瞳の部屋の大掃除のために1月3日4日と瞳のマンションにきていました。薬がたくさん入っている袋を2袋見つけた。片方は精神安定剤や、持病の「コルヒチン」などがたくさん入っていました。片方は胃の薬や整腸剤風船膨らましたくらいの袋がふたつ。1日の自死未遂の事で4日の日に担当の先生に病院に呼ばれた。話をして私たちが望んでいた「電気療法」も始めたいと言ってくれた。薬のふた袋も「勝手に処分できないので
今、東京へ向かう高速バスの中です。瞳が無理を承知で「東大病気精神科」に連絡し「明日診療してくれる」と思いもよらない展開になり翌日診察したら「このまま入院してください」とマンションに一匹で留守番している犬会いに行く事も許されず入院になりました。それが、たまたま「東大病院精神科科長」だったので、私たちは「これで助かった!ありがたい!もう安心」と心から感謝しました。入院後の、担当の先生もとっても熱心に瞳と接触してくれて本当に感謝していました。しかし最後の最後に甘かったというか何故?とい
瞳って自死未遂するたび「ごめんなさい。もうしません。」って言うの。「もうしません。」は未遂をしないってこと。自死成功がゴールだったから。でも入院して3ヶ月考えも変わってきた。波があるけどどうにか生きよう!と思って自ら入院を希望したんだから。誕生日までには退院したかったみたいだけど退院は今回の事でまたのびちゃったね。私の1番の反省点担当医に何か言うとかならず「私の患者は瞳さんですから」って言われて私の意見は聞いてもらえなかった。だからどんどん先生に私の気持ちも意見も
長女と瞳と私で、「三軒並んで家があったら良いね〜」って話していました。一緒に住んでると喧嘩したりするから。それでもいつも誰かの家に集まっているんだろうね〜って私は親らしくないダメな頼りない親だったので娘たちに怒られたり女3人まるで友だちみたいな家族でした。だけどいつも病んでる瞳とまじめすぎていつも病んでる長女のほほんと酔って翌日はしら〜っと忘れてる私3人で生きてきたから絆もつよかった。病んでばかりの瞳だったけど私たちの想像をはるかに超えた恐ろしい経験を一度や二度とじゃな
休みの日、朝からシャッターをしめて、犬たちとゆっくり過ごす。正午くらいだと人も少ないので公園に犬たちの散歩に行く。もうやる事終了でゆっくりしようと玄関鍵かけて寝っ転がっていると母と妹が何かもってきたり、自分たちの買い物や趣味の都合時間に瞳にお供え持ってきたりしたとたん、胸がザクザクと張り裂けそうになり、帰った後は抗うつ剤を多めにのむ。断酒してるから、アルコールにもにげない。せめて休みのひなんだから「今から大丈夫?」くらい聞いてほしい。全てやる事終わったから早めにお風呂入っていても合鍵でく
先日のブログでは、分かれ道があったら、少しでも明るい方へ進むって書いたけど瞳が生まれて、赤ちゃんはみんなスタート地点は同じ。なのに、分かれ道の度に間違えた道を選んでしまい、そんな不幸な人生の終わり方をさせてしまったと考えると本当にやりなおしたい。やり直して瞳に幸せな生涯をおくらせたい。長ーい夢をみているだけで明日は瞳が生きてます様に。瞳に会いたい
今日、叔父のお見舞いに行ってきました。ひと月に1組2人10分しか面会できなかった病院が、予約すればいつでも2人なら15分面会できる様になり妹と行ってきました。叔父は、その最期をむかえる病院に入院して1年半です。意識があるのかないのか波があるようでただただベットで点滴をし何もない状態で生かされています。きっと息を引き取るまでずっとこのままでしょう。今日は調子が良かったのか握手を求めてくれて帰りに「ありがと」とかすかな声で言ってくれました。死ぬまで生かされてるのは間違いありません。そん
今日、瞳の一周忌法要しました。本当の命日は14日です。去年1泊退院した娘に本当に最後会いハグしてバイバイしました。きっとその晩に大量の400錠以上の薬を飲んで(持病の薬のために死亡普通の睡眠薬などではほとんど助かってしまいます。そんな方法は絶対障害を残し死ぬ事はほぼないとDr.がいってました。考えている人は絶対やめてくださいね)縁あって、お経をよんでくれているお坊様は本当に穏やかな人です。「娘のいる場所には悪い人はいませんか?」と聞いたら「いない」とこたえてくれました。あと
瞳にあいたい瞳の歌を聴きたい