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今回はツアー中の出来事について書く。王家の谷を出たバスは、お土産屋を経由してハトシェプスト葬祭殿に向かうことになっていた。ここは女王の偉業を伝える最も重要な遺跡であり、『碧いホルスの瞳』の聖地でもある。『『碧いホルスの瞳』①』日本人はエジプトと聞けば、何を連想するだろうか。天を衝くピラミッド、ツタンカーメンに捧げられた至宝の数々、絶世にして悲劇の美女クレオパトラ…テレビでエジプトが…ameblo.jp個人的に思い入れが強く、今回の旅の主要な目的地でもあったので大いに期待していた。しかし
ラムセス9世の墓には音楽を演奏している壁画がある、ということを入る前ガイドのわっちゃんから聞いていました。この辺というあたりで探していました。墓の管理人さんがにこやかにあらわれて、フォト?と聞いてきました。ハープの演奏している壁画、ハープ、ハープと連呼。ここだよと指示した場所は通路からのぞけますが中を撮影できるような場所ではなし。通路の横、別の副室みたいな場所でした。一般客は立ち入り不可能。あら残念。と覗き込んでいたところ、スマホかしてとひょいと立ち入り禁止ラインをのりこえてそ
謎めいたツタンカーメン王墓。なぜ発見されなかったのか。まずツタンカーメンの父であるアクエンアテンによる宗教改革。多神教から1神教への強制変更が否定され、王名表からも父子ともに削除されたこと。何年かに1回ある王家の谷の鉄砲水の通り道であり入口がうまっていたこと。その後に造営されたラムセス5世の墓の労働者の小屋が入口にあったこと。あたりがよく言われていることです。それでも盗掘未遂が2回あったのは周知の事実です。封印壁の左下に人が一人やっと通れる穴があいていて、それをふさいだあとも写真
王家の谷。チケットは2種類あります。特別料金の墓(ツタンカーメン等)は別料金。通常チケットでは開いている墓を3つまで見学可。すべてのお墓が開いているわけではありません。あちこち随時修復しています。まず入ったのはラムセス4世。お墓の前にこうした概略図があります。ガイドさんは同行できないため、この図をつかい見どころその他の説明をガイドさんから受けます。入口はいってすぐ。そんなに有名なお墓ではありませんが。色もまだまだ残っています。実はエジプト旅行で一番楽しみにしていたのが王
ハトシェプスト女王葬祭殿は王家の谷からひと山超えた位置にある。現在は禁止されているけど、少し前までは王家の谷から徒歩でハトシェプスト女王葬祭殿移動する観光客もいたようだ。両観光地(王妃の谷含む)ともナイル川西岸にありナイル川西岸は死者の世界とされ、墓地遺跡群がある。ハトシェプスト女王葬祭殿は、断崖の下に建設された太陽神アメンラーを祀る葬祭殿であり、ハトシェプスト女王の墓でもあるのだが・・・ここで、疑問がひとつ。女性であるハトシェプスト女王の墓が、なぜ
次にいったのはラムセス9世。全く事前に情報がなかった墓。壁画がきれい、あと楽器演奏の壁画があります、とガイドのわっちゃん。ハープの壁画がありますよ、といわれハープの壁画でテンションだだあがり。この辺です、と教えていただきました。通路の左側、ちょっと奥まった小部屋です。よくさがしてね、で墓内へ。この墓も色がよく残っています。きれいだなあ、とじっくり見ながら奥へ進みます。人の手や体があたりそうなところはアクリル板でガードされています。通路は板敷き。歩きにくいことはありません
【王家の谷③セティ1世王墓】王家の谷の中で最も保存状態が良く豪華で壮麗な壁画が残っているセティ1世のお墓をご紹介。セティ1世(英:SetiI、在位:紀元前1294年-紀元前1279年)は古代エジプト第19王朝の第2代ファラオ。名は「セト神の君」を意味します。エジプト神話で主に悪として描かれるようなセトの名を冠したファラオの即位は、実在が確認できる王では初めてのことでした。セティ1世は、アクエンアテンの時代に荒廃したエジプトの復興に努め、国力の充実も図った。海外遠征にも力を入
昨年も同じ時期に、エジプトの記事を書いていました⬇️『ハトシェプスト女王葬祭殿の悲劇〜エジプトパート2』僕達がハトシェプスト女王葬祭殿を訪れた2ヶ月後、この谷で悲劇が起きた。テロは実に無慈悲だ、何の罪もない観光客を卑怯にも、下の写真の崖の上から機関銃で、62名を…ameblo.jpエジプトの楽しみ方は、古代の都テーベ(現在のルクソール観光)を忘れてはなりません。下の地図の様に、ルクソールは、見学箇所がナイル川の西側と東側に分かれています。カイロからルクソールに飛行機で飛び、用意され
12/30テレビ大阪(テレビ東京系列)で放送「たけしの新・世界七不思議大百科」を見て大興奮です世界2大ピラミッド新発見&初公開SPエジプトとメキシコのピラミッド特集でこの前行ってきたクフ王のピラミッドの謎に迫っていましたー「これ見た見た!」と言う映像から「こんな場所あったんやー」と"φ(・ェ・o)~メモメモする場所までたっぷり(笑)普段全くテレビ見ないのに2時間チョイ、かじりついてました。2019年、一部公開予定の大エジプト博物館当初は2015年完成予定だ
王家の谷(おうけのたに)は、エジプト、テーベ(現ルクソール)のナイル川西岸にある岩山の谷にある岩窟墓群のことです。古代エジプトの新王国時代の王たちの墓が集中していることからこの名があり、24の王墓を含む64の墓が発見されています。西の谷と東の谷があり、東の谷に60、西の谷に4の墓がある。この地にファラオが墓地を建設するようになったのは、紀元前1250年頃、トトメス1世が造ったことが始まりとされています。王家の谷は、険しい岩場を削って造られた岩窟墓地群でこの岩窟墓地群を「王家の谷」と名