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・終戦記念日が近づくと、第二次大戦関連の本がまとめ出て来る。この本もそうかな?と思って、寝る前にざっと目を通しておこう‥と思って、読みだした。引き込まれて、「通読」してしまった。3時半か?!丁度配達されたばかりの朝刊を読んで「二度寝」したら朝9時過ぎの起床となった。・・・しかし、「大和」が海軍の沖縄への「特攻」という位置づけで、結果はアメリカの航空機(約360機だそうだ)に寄ってたかって爆撃され、沈没してしまう。まあ、これは予想されていた通りだ。誰が考えても、「無理筋」の戦艦が「特攻」
知覧特攻平和会館を見た後に向かったのが〝特攻の母〟として慕われた鳥濱トメさんが営んでいた「富屋食堂」へ行きました!知覧は、大東亜戦争末期、沖縄に上陸した米軍に対し、20歳前後の若者達が250kg爆弾を飛行機に積み、敵艦に体当たりをしていった〝特攻隊〟の陸軍最大の特攻基地となっていました。陸軍は、特攻隊員の食事などの場として「富屋食堂」を軍の指定食堂としました。ここでは、食事の他に身の回りのお世話などもされていました。その跡地に平成13年(2001年)10月に外観は当時のままに
今年6月に2泊3日で鹿児島へ旅行に行きましたが、行きたい場所をリストアップして3日間で希望する場所を全部は周れませんでしたがどうしても行きたかった場所の1つが特攻基地のあった知覧でした。当初は知覧(陸軍)、鹿屋(海軍)、万世(陸軍)の特攻基地を周りたかったのですが韓国岳、高千穂峰、開聞岳に登ることを優先した為、知覧だけになってしまいました。昨年暮れに映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」のロケ地として使用され注目を集めた茨城県阿見町(霞ヶ関の西側)にある予科練平和記念館へ
戦争を繰り返さないために1、知覧特攻平和会館と特攻隊員の遺品5月26日27日、鹿児島市で全国教誨師大会が開催され、参加してきました。大会終了後、少し足を延ばして南九州市知覧町に向かいました。目的地は「知覧特攻平和会館」です。太平洋戦争当時、多くの特攻隊員が飛び立った航空基地があった場所です。会館に行く途中、会館の周辺に石灯籠がたくさん並んでました。特攻作戦で亡くなられた方々の慰霊のための灯籠のようです。知覧特攻平和会館は、特攻隊員の遺品や記録を後世に伝え、二度と特攻作戦
先日のNHK「映像の世紀」で「特攻若者たちの絶望と祈り」。特攻に赴いた若者たちの記録を綴ったものだ。そのなかで、ぼくの印象に残ったのは慶応大学の上原良司(1945年5月11日戦死22歳)さんの記録だ(以下「上原」と略)。特攻隊員たちの間で「死んだら靖国で会おう」が合言葉であった時代、上原が妹に残した言葉は「俺が戦争で死ぬのは愛する人たちのため。戦死しても天国に行くから靖国神社にはいないよ」と。また、彼が出撃前夜に書いた遺書にはこう書かれている。「権力主義、