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出撃前に愛機を見守る(知覧特別攻撃隊の本より)全館がほぼ撮影が禁止なので、館内の展示の様子は観覧した感想を書くしかない。知覧特別攻撃隊の本(以下の掲載写真は、この本より複写転載したもの)まずこの特攻平和会館や周辺の施設は、知覧飛行場の滑走路や司令部、弾薬庫、三角兵舎などがあった跡地に建てられている。三角兵舎(復元されたもの)この特攻平和会館には、知覧から飛び立った特攻隊員の方々の遺影
24振武隊三浦秀逸少尉長文です。陸軍第24振武隊三浦秀逸(しゅういつ)少尉のために私が描かせていただいた二式複座戦闘機「屠龍」の絵があります。24振武隊は、茶色の屠龍でした。絵では表現出来ませんでしたが、もっと濃い茶色の屠龍です。三浦秀逸少尉は、復員されております。私は以前、ブログを書いていた時からたびたび申し上げておりますが、【陸軍第24振武隊】について特に調べていた時期がありました。家にある屠龍のプラモデルも24振武隊を思って茶色の塗装で飾ってあります。三浦秀逸少尉は先程
右派が「特攻隊員は日本の人々を守るために死んだんだ」と言うと、左派は「全然守れなかっただろうが。彼らは犠牲者だ。美化するな」と言う。SNSでそんな感じのやりとりを見かけました。特攻隊員に限らずなのですが、戦死した日本軍将兵は果たして日本の人々を守る事ができたのか?結論から言うと、戦争末期の日本軍の奮戦の結果として約400万人の日本人の人命が救われたと私は考えます。文字通り、亡き英霊たちは日本の人々を救ったのです。・・・・・硫黄島や沖縄の戦いで米軍は多く
おはようございます。大阪は雨から晴れへ。ますらおの首途送るか梅の花特攻隊員で有名な穴澤利夫烈士。その穴澤利夫さんの生まれ変わりやという10才の少年を取り上げた番組。『何だコレ!ミステリー』↑この動画が見れなければ↓こっちを見て下さい。俺は輪廻転生に関しては否定論者ではない。でもこれはちょっとなあ…俺の意見は最後に。
知覧にて後列一番左が板津さんその右が”特攻の母”鳥濱トメさんあんたにな、頼んでおきたいことがあるこれから話す二つのこと、な、これはあんたがちゃんと伝えていってほしいんだ今から13年前の夏知覧特攻平和会館初代館長・板津(旧姓小椋)忠正さん(故人)は私にこう切り出しましたその二つの話、というのが特攻に関して「通説」となっている「片道燃料」と「洗脳」についてでした生前の板津さん(ご自宅にて)いつもテニスの話を自慢げにしてくれた昨日ね、ふと板津さ
原作はSNSを中心に話題を集めた汐見夏衛の同名ベストセラー小説。戦時中の日本にタイムスリップした現代の女子高生と特攻隊員の青年の“切ない恋の行方を描いたラブストーリー”。原作は未読です。知覧特攻平和会館を訪ね彼らの遺書を読んでいたので、劇場公開時、観賞を見送った。ところがとても評判がよく興行収入45億円を挙げるヒット作となった。日本アカデミー賞では優秀脚本賞を始め数々の賞を獲得している。ということでWOWOW公開時、観賞しました。当初の感想は、タイムスリップの必要性に乗れず、淡々
彼の痕跡、そして彼を知る人を探して駆け回っていた頃私の良き相談相手になってくれていたのが特攻隊戦没者慰霊顕彰会の方でした。ある日顕彰会を訪れた際、こんな話を聞いたことがあります。ある特攻隊員の法要に、上官だと言う人が現れて、参拝させてくれと言うこれはこれは...よくお参りくださいました、と、ご遺族は丁寧に挨拶したんだけれどもよくよく考えたらその部隊は全員突入死したはずで生きている人がいるはずはない慌てて追いかけたけどもう姿はなかった...「その隊員
知覧特攻平和会館を見た後に向かったのが〝特攻の母〟として慕われた鳥濱トメさんが営んでいた「富屋食堂」へ行きました!知覧は、大東亜戦争末期、沖縄に上陸した米軍に対し、20歳前後の若者達が250kg爆弾を飛行機に積み、敵艦に体当たりをしていった〝特攻隊〟の陸軍最大の特攻基地となっていました。陸軍は、特攻隊員の食事などの場として「富屋食堂」を軍の指定食堂としました。ここでは、食事の他に身の回りのお世話などもされていました。その跡地に平成13年(2001年)10月に外観は当時のままに