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ヨンファさんの、すてきなインタビュー記事です!sizukuyh@sizukuyhmikaまたまた、ヨンファさんのチングさんからのお便りを見て舞い上がっています。@JYHeffect26歳の頃の記事にありました。ヨンファさんはチングさんたちの手本になりたいって言っていたのも思い出します。→もう、ヨンファさんは私にも手本です。🤩https://t.co/BMbEKHoG6lhttps://t.co/lJLFGgpeD62018年08月21日09:51上の記事の内容です。↓とっても
子犬を抱いた少年兵(中央が荒木)毎日新聞社より前列左より、早川勉伍長、荒木幸雄伍長、千田孝正伍長。後列左から、高橋要伍長、高橋峯好伍長荒木幸雄佐賀県にある特攻隊員の宿舎だった西往寺で、荒木を中心とする第72振武隊は「ほがらか隊」と称し、出撃までを過ごす。当初の出撃予定日だった1945年5月26日、出撃予定時刻の2時間前に記念撮影を行うが、その日は出撃中止となった。5月27日、第7
2024年の15冊目。「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」(スターツ出版275ページ)汐見夏衛著14冊目はこちらでした。『2024年読書★14冊目「三十の反撃」ソン・ウォンビョン著』2024年の14冊目。「三十の反撃」(祥伝社300ページ)ソン・ウォンビョン著先月に読んだ著者の本「アーモンド」より2冊目。『2024年読書★…ameblo.jp親や学校すべてにイライラした毎日を送る中2の百合。母親とケンカをして家を飛び出し目
#いつだってUandIあと、500日の日、この日は暑い日でした。夏を二度すごして、ヨンファさんはかえってきました。汗かくから、水は?あせもとか、ないかしら?いろんな心配をしましたよね。いま、横浜で、ファンミーティングまっただなか!いつ、何がおこるかわからないなあと、おもいますが、目の前のことに全力投球!な、ヨンファさんです!20240504ーーーーーーーーーーー⭐あと、500日!!!あ、、除隊までです。Logo:HELLOJYH.COMもう、何度か、ご
【4月11日】~前略~その晩、20振武隊、69振武隊、30振武隊のお別れ会が食堂であった。特別9時まで時間をもらって給仕する。前に隊長さん、住所を書いてやるから家に出撃したことを知らせてくれ、とお願いされたのを思ひつき、酔ふていたけど住所をおききする。酒臭いいきをふきかけながらやさしくかいて下さる。「空から轟沈」のうたを唄ふ。ありったけの声でうたふつもりだったが、何故か聲がつまって涙が溢れ出てきた。森さんも「出ませう」といふて兵舎
今日は仕事で鹿児島県知覧にあるお客様宅にお邪魔して来ました。知覧と言えば全国的に『知覧茶』でも有名なお茶の産地ですが特攻隊の基地としても有名な場所特攻隊員が心を寄せた現存する富屋食堂の前を帰り道通りました。映画の撮影でも使われた場所生まれて何度も訪れた知覧の特攻基地は10~20代の我が子ぐらいの年齢の子供たちが国のために散って逝く覚悟を持った場所今日は仕事でしたから特攻基
主人の「これは是非、読んでほしい」という強い勧めで、今、「永遠の0(ゼロ)」という本を読んでいます。これは百田尚樹さんが作者の本で、第二次世界大戦のこと、特に特攻隊員のことが書かれています。先日、百田さんの「カエルの楽園」を読んで、その出来栄えに唸っていたので、作者の名前を聞いて、私はすぐに、この本を手に取りました。内容が内容だけに涙なしでは読めない話なのですが、その中で、ある人物が出てきて、気になって、娘にその
またまた長い記事になってしまったがお付き合いよろしくお願いします。新展示館を出て隣、司令部の建屋に入る。建物外観、内観もふくめ、先に記事にした「鹿島海軍航空隊基地司令部」とほぼ同じ作りである。保存状態はこちらのほうがすこぶる良いが。1階には戦時中の航空機エンジンが展示。中でもひときわ目を引くのがライトサイクロンR-3350である。星型空冷複列18気筒のビッグエンジンは幾多のシリーズが作られたが、そのひとつがB-29に4基搭載され10000mを飛行したのだ。空気の薄い
プライムさんで・・・・早速映画「ゴジラー1.0」を鑑賞した。映画『ゴジラ-1.0』公式サイト2023年11月3日(金・祝)公開監督・脚本・VFX:山崎貴godzilla-movie2023.toho.co.jpあの終わり方って????映像がとてもきれいでリアリティがあって・・・・元特攻隊員だった・・敷島と家族のような間柄になった女性典子と孤児となった明子の関係は・・・もしかしたら終戦後には普通にあった話かもしれない。けれども・・・・彼らが・・・・・
ラジオと戦争表題から戦時下、国営のラジオ放送局が大本営発表をそのまま放送し、戦意を高揚させつつ国民を欺いたもうひとつの戦犯という認識をもつかもしれない23年11月第5刷本文573ページ実は日本軍とラジオ局のタッグが組まれたのは太平洋戦争前の日中戦争からだという。著者は82年にNHKに入局したのち、主に番組ディレクターとしてETV(以前の教育テレビ)特集を手がけてきた。その番組名には原爆、戦場、戦犯などが見られ、戦争をテーマにした番組制作を、職業人としてライフワークにしてきたことが
こんばんは!(^o^)丿よりタフに!より美しく!より笑顔に!あなたを鍛えて、壊して、癒やす空手師範の田中です。🍀特攻隊太平洋戦争末期に日本軍が編成した生還を期さない体当たり攻撃部隊。戦闘機の下に、250Kg爆弾を装着して、搭乗員もろとも敵艦に体当たりしました。1944年(昭和19年)10月、フィリピンに於いて、第一航空艦隊の命令によって編成されて出撃した‟神風特別攻撃隊”が最初であり、この時に、米軍の護衛空母軍に大きな損害を与えました
こちらは、2015年にお亡くなりになった俳優で元自衛隊員の今井雅之氏の講演です。特攻隊員をテーマにした「ウィンズ・オブ・ゴッド」という舞台や映画の製作と出演を通じて、何百人もの元特攻隊員の方々に実際に会ってインタビューした今井氏。実際は、特攻隊員たちは「天皇陛下万歳」と叫んで亡くなった人はほとんどおらず、皆「お母さん」と言って亡くなっていったこと。海外での講演では、特攻隊員たちが残された家族に無事でいてほしい一心で戦ったことや、「おかあさん」と言って亡くなったことを聞いて、戦争で親類を失った
数年前に初めて聴いて好きになった歌がある。灰田勝彦が歌った「森の小径」という曲。1940年(昭和15年)に発表された曲である。世は戦争へと突き進む時代。歌謡曲は軍歌にとってかわられた時代。哀愁を帯びた曲や、恋愛を歌った曲、戦意を喪失させる曲がことごとく禁止され、歌うこと、放送されることが許されなかった時代。「森の小径」はそんな時代の曲とは思われない。作曲は灰田有紀彦。灰田勝彦の兄。作詩は佐伯孝夫。昭和歌謡史に残る名曲を数々作詩している。ハワイアンを思わせるメロディー。思いを寄
今日も4㎞をランニングしました。7月のランニング距離は計28.8㎞。あと13kmほどですが、フルマラソン達成できるかな。今日は趣向を変えて真面目な話。ブルーになりたくない方はスルーしてくださいね。昨日何気に見ていたYOUTUBEで思わず涙しました。18歳で戦死した相花少尉(特攻隊員)の遺書。出典articleimage.nicoblomaga.jp遺書母を慕いて母上お元気ですか永い間本当に有難うございました我六歳の
【義烈空挺隊の最期の給養の献立‼️】〜腹が減っては戦は出来ん⁉️〜特攻隊の先駆けはレイテ沖海戦で海軍の神風特攻隊敷島隊の関行雄大尉とされています。大東亜戦争で特攻隊で出撃、散華された将兵は6,418柱と伝えられています。この特攻兵の最期の給養(食事)は、どんなものだったのでしょうか?陸上自衛隊第一空挺団の資料館にあった資料から、意外な事実が分かったので紹介します。陸軍落下傘部隊の最後の空挺作戦である義烈空挺隊の出撃前の食事内容と機内食の内容が資料として残されています。義烈空
去年12月から調べようと思っていた陸軍第79振武隊ですが、他の方が優先になっていましたが、今回書こうと思います。79振武隊は熊谷陸軍飛行学校桶川分教場で特攻訓練を行いました。埼玉県桶川市と川島町の河川敷にあるホンダエアポートが旧陸軍滑走路だとブログに書きました。79振武隊はそこが川田谷飛行場だった時、そこから知覧に向けて飛び立って行きました。(↑ホンダエアポート)戦後、ホンダが買い取り今は滑走路が整備されていますが、昔は土の滑走路でした。79振武隊は12名で編
1泊2日薩摩半島一人旅2日目指宿フェニックスホテルをチェックアウトして知覧特攻平和会館に向かいました。入館料は500円入場券と共に三つ折りのパンフレットを渡されました。パンフレットにはこう記されていました。「この知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期の沖縄戦で、人類史上類ない爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等貴重な資料を収集・保存・展示して当時の真情を後世に正しく伝え世界恒久の平和に寄与するのもです。」その
監督:成田洋一2023年主な登場人物(俳優)役柄【現代の人々】加納百合:かのうゆり(福原遥)高校3年生。将来に悩み、母と喧嘩をして家出する。加納幸恵:かのうゆきえ(中嶋朋子)百合の母。ヤマダ(坪倉由幸)百合の学校の担任。【1945年の人々】佐久間彰:さくまあきら(水上恒司)特攻隊員。秋田出身。21歳。石丸(伊藤健太郎)特攻隊員。彰の親友で同じ部隊に所属する。高知出身。21歳。板倉(嶋﨑斗亜)特攻隊員。大阪出身。18歳。故郷に許嫁を残してきている。寺岡(上川周作)特攻隊
私はかねがね、政治や宗教上の悪質なプロパガンダ以外の映画は全てその存在を認めるべきだと考えている、だからFacebookやその他のSNSで、制作者サイド(主にインディーズ)からの「こんな映画は映画じゃない」的発言を見かける度に胸が痛む。しかし「好きか?嫌いか?」と問われたら話は別で、否定はしないが観たくない映画(ジャンル)はある。その筆頭が「特攻映画」だ。為政者(軍部)が「‟国体”の保持」に名を借りた自己の保身のために、自国の若者を大量にシステム的に死に追いやった、いわば自国民に対する