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前回の続き。実際に行った道から逆に遡って記録しています。貝塚の縄文時代から、産金の歴史の遺跡へ。偶然これもグーグルマップで見つけたものです。1回目一人で行った時は気づきませんでした。黄金橋にカモシカのの岳の峠を越えて暗い山道をぐるぐるめぐっていく。道は狭く、暗い道に向かっていく先は「産金遺跡」きっと山奥のような日も当たらない洞窟のような所だろう・・・とイメージしていたのだが、パッと視界が開け、峠を抜け里の集落へ降りてきた。ここが産金遺跡だった。満開の八
39の県で「緊急事態宣言」が解除になりましたね。羨ましいような、怖いような…残り8の都道府県でも、早ければ21日(木)に解除されるかも知れないみたいですが、欧米の第2波のニュースを見ると恐ろしいです解除されたところで、日本人は100%気を抜いたりはしないと思いますが2019年11月12日、日帰りで行ける一之宮へ参拝しました一之宮貫前神社です【電車】上信電鉄・上州一ノ宮駅より徒歩15分。【車】上信越自動車道・富岡インター、下仁田インターより約20分。うちからは電車を乗り継ぎ、2
東北地方にある飯豊山。新潟、山形、福島の3県をまたがる広大な山。飯豊山登山は、標高が高いので健脚向けの山。この山の由来のひとつに気になっていることが、前からあった。飯豊山地は、「山容飯を豊かに盛るが如き」と表現され、これが飯豊の語源になっているとの事。しかし、その当字に「イイデ」としたのは、なぜ?マタギの世界では「12」12人で山に入ると縁起が悪いので、どうしても12人になる場合は、山の神が増えて「13」人にすれば問題ないと言う。そんなマタギの聖地でもある「飯豊」と
以前のgooブログの過去記事が何年分もいっぱいたまっているので、どんどんまとめて書きます。けっこう深い話になるのですが、祝詞、です。詳しいことは割愛。ここでは、『秋田物部文書』という本から参考に、興味深い点だけを拾って紹介します。※『物部文書』とは、1938年に一子相伝として代々受け継いできたのが唐松神社の宮司家である物部氏であり、出羽の地に移った物部氏の来歴ついて記録されているもの。----------------------------------------数年前
天理大学でも知られている奈良県天理(てんり)市の布留(ふる)町には、布留川(ふるがわ)の南に布留山(ふるやま)に抱かれた石上神宮(いそのかみじんぐう)があります。この神社は、古代より天皇家の武器庫として、軍事をつかさどる物部(もののべ)氏によって奉斎されてきたといいます。『日本書紀』にのこる「神宮」は伊勢(いせ)と出雲(いずも)と石上(いそのかみ)だけであり、歴史は神代までさかのぼるといいます。天照大神の孫に、兄・櫛玉火明命(クシタマホノアカリ)と
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その15唐松神社と天日宮の謎を解くため、同じ「玉鉾神」を祀る愛知県武豊町の「玉鉾神社」を調べていたら、少々沼にはまってしまった(笑)。それにしてもこの神社、かなりへんてこりんな神社である。メインの祭神が第121代孝明天皇なのに、どうも本当の祭神は違うようで、神殿の右隣りにある小さな祠である「倭日高宮」という社が非常に妙なのである。なにせその名前に「ミロク」がついており、「魅録天照国照饒速日命」「さくや姫改神みろくかぐや姫命」とあるのだ。まるで最近
ここまでの話①『「諏訪大社」の謎』こんにちは冒険部タケバヤシです!先日とある先生に誘われて長野県「諏訪大社(すわたいしゃ)」に行ってきましたー!もともとは一緒に山登りに行こうという話だったけど…ameblo.jpここまでの話②『「守屋山」の凄さ』前回『「諏訪大社」の謎』こんにちは冒険部タケバヤシです!先日とある先生に誘われて長野県「諏訪大社(すわたいしゃ)」に行ってきましたー!もともとは一緒に山登り…ameblo.jpここまでの話③『そして「風神山」へ』こんにちは冒険部タケバヤ
☆「守屋池」(物部守屋首洗池)河内国渋川郡大阪府八尾市太子堂3-3-16(「大聖勝軍寺」前)(P無し)蘇我馬子との宗教戦争に敗れた物部守屋の首を洗ったと伝承される池。この宗教戦争は「丁未の乱」と呼ばれ、用明天皇二年(587年)のこと。おおよその経緯は以下の通り。━━四月、蘇我馬子との対立がいよいよと深まり、身の危険を感じた物部守屋は朝廷を離れ、別業(別荘)である「阿都」へ退き周りを固めた。そして用明天皇が崩御。七月、馬子は泊瀬部皇子(崇峻天皇)、竹田皇子、厩戸皇子(聖徳太子)
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その14唐松神社は女性の生涯を守る「女一代守神」で、縁結び、子宝、安産の神なのは、唐松神社の本殿に神功皇后の「腹帯」がご神体として祀られ、「天日宮」の背後にある「石男石」(男性器=子宝)、「女石」(女性器=安産)、「玉鉾石」(結婚・結合)の三種の「抱石」を縁結びや子授けの神様として祀っているためである。なんで「天日宮」が池の中に建つお宮で、そのご神体が「抱石」なのか、一つは古事記の「イザナギとイザナミの国産み神話」の中の二神が国を生む場所「オノゴ
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その57「聖徳太子はイエス・キリストである」と書いた時も、頭がおかしい人だと思われるだろうと書いたが、今度は「武内宿禰とは秦河勝で復活体のモーセである」と書いてしまった。これで完全に頭がおかしな人のレッテルを貼られるかもしれないが、そうでないと腹落ちしないのである。筆者が中学生の頃より読んできた様々な文献には「武内宿禰とは伝説上の人物で実在しない」というものが多く、それがが納得できなかった。なにせ我が家は武内宿禰の末裔であり、「実在しない人物
夏になると、秋田物部氏が登場、するようなのです。夏らしくない天候ですが、すっきりしないですね。5、6年くらい前だったか、お盆の時期、すごく秋田物部氏を妄想してブログにいっぱい書いてました。なぜか、夏によく秋田へでかけてます。いろいろ書いてましたが、かなりの情報量で、やっぱり読む気がしない。笑でもあれから7、8年も経っているので、アメブロの方にまとめておきます。青いラインが雄物川。秋田物部氏伝承の舞台です。始めて唐松神社に参拝したのは、2014年の8
滋賀~京都から、奈良入り。奈良を宿泊地として、2日目は大阪へ。目的地は大阪府交野市に鎮座する磐船神社。昔だと河内の国に当たります。国道168号が通ってるんですね~いろはの道祭神・ニギハヤヒノミコトが天の磐船(太陽の船~宙船)に乗って、この地に降り立ったとされる伝説があります。昨今は岩窟めぐりでも知られます。巨石信仰の場ですね。拝殿のすぐ後ろが天の磐船と伝わる磐座。確かに、大きな船のようです。岩窟につながる鳥居岩窟につながる岩たち不動明王野生の椿。椿は霊性が高い樹木。魔除け
矢田坐久志玉比古神社(やたにますくしたまひこじんじゃ)大和国添下郡奈良県大和郡山市矢田町965(P無し、境外東側に広くなったスペースあり、駐車場代わりに使用しているようです)■延喜式神名帳矢田坐久志玉比古神社二座並大月次新嘗の比定社■旧社格県社■祭神久志玉比古神御炊屋姫命(ミカシキヤヒメノミコト)「矢田丘陵」の東麓、古い集落内に鎮座する社。◎櫛玉饒速日神(クシタマニギハヤヒノカミ)が天神から「天羽々矢」を三本授かり、射落ちた場所に住処を定めようとして落ちたのが当
今回もずっと気になっていた神社です。切手神社香取市大根字原口1106切手大神の扁額切手神社御修営記念碑によると御祭神は稲倉魂命通称切手大神詳しい由緒は不詳本殿を横から「切手」という神社名から郵便切手と何か関係のある神社と誤解する方も多いように見受けられます。どのような経緯で切手神社になったのか非常に気になったので彼是調べたのですが、唯一手掛かりとなったのは「抹殺された古代出雲王朝」という藤原としえさんの著書のみでした。この本によると切手神社は崇神天皇(百嶋神
石上神宮は私にとって、自身のルーツにつながる、特別なお社です。石上神宮のご祭神は、布都御霊大神、布留御霊大神、布都斯魂大神。主祭神・布都御霊大神は、神代にタケミカヅチ神が帯びていた霊剣・フツミタマ。後に、天孫である神武天皇に引き継がれて、東征した際に、力をふるい国土平定を成し、そのご霊威を称えられた神です。神武天皇は、物部氏の遠祖である宇摩志麻治命に命じて、宮中に祀らせました。さらに、時代が下り、崇神天皇の御代に、物部氏の祖・伊香色雄命が現在地に祀ったのが、石上神宮の始まりとされます。布留
(石上神宮の楼門)■表記紀…物部十千根大連、十千根太夫命など記…(掲載無し)■概要饒速日命七世孫で、伊香色雄命(イカガシコオノミコト)の子。紀には以下の3ヶ所で登場。◎垂仁天皇二十五年春二月の条━━天皇は武渟川別(阿倍臣遠祖)・彦国葺(和珥臣遠祖)・大鹿嶋(中臣連遠祖)・十千根(物部連遠祖)の五人の大夫(まへつきみ)に詔して、「先代の御間城入彦五十瓊殖天皇(崇神天皇)は叡智に富む聖人であられた。聡明で慎み深く志半ばで退いた。まつりごとを大切にし国を治められた。神祇を崇めて己
伊加加志神社(いかがしじんじゃ)阿波国麻殖郡徳島県吉野川市川島町桑村1635(駐車場は覚えていません)■延喜式神名帳伊加加志神社の比定社■旧社格郷社■祭神伊加賀色許売命伊加賀色雄命天照大御神吉野川にほど近いところ、四国山地の麓に鎮座。イカガシコメ・イカガシコオ神を祀る数少ない社であり、式内比定社。創建時期由緒等に関しては伝わっていないようで、さまざまな資料から類推するしか方法は無さそうかと思います。「先代旧事本紀」によると、イカガシコオ神の同母姉がイカガシコメ神。イ
こんばんは天神系賀茂氏…始祖である賀茂建角身命は、神武天皇の東征を手助けした八咫烏とも言われている。そして下鴨神社の御祭神であり、上賀茂神社の御祭神である賀茂別雷神の祖父でもある。地祇系賀茂氏…始祖である大鴨積命は、大物主の子の大田田根子の孫とのこと。大物主と繋がっている古事記で国津神である大国主を助けた大物主。ここからの由縁で、地祇系賀茂氏となっているのだろうか。。大物主神は、三輪山に祀られていて、大神神社(おおみわじんじゃ)の御祭神。*画像お借りしています。そしてここにもう1
今日もブログにご訪問いただきありがとうございます私が唱えている祝詞の一つに、十種大祓があります十種大祓にあります「十種神寳」「ひふみよいむなやことにのおとふるへゆらゆらかくいのりせば・・・」十種神寳と祝詞で、死んだ者さえ甦るという言い伝えがあります十種大祓高天原に神留坐す皇神等鋳顕給ふ十種瑞津の
青雲神社の近く、猿飛来に小さな猿田彦神社がありました。由来などは不明。お社は小さくて木像が祀られています。誰かを模したような像ですね。ちょっと見えないけど。またここで夢を思い出してしまった。雲に乗った猿ではなく、ゾウに乗った猿と少年。少年は何かの像のような置物のようにも見えた。ここで、出会ったのかな?さて、帰って来てから知ったのですが、他に栗原金成という金売吉次伝説がある猿田彦神社がありました。(金売吉次は物部氏?)こちらに写真のっ
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その44神代文字で記された「竹内文書」を書いたのは、正確には誰かは分からない。武内・建内・竹内の3つの名でその正体を隠した武内宿禰(たけのうちのすくね)自身が書いたものとはどこにも書かれていないからだ。その宿禰の末裔たちが代々保管してきたその内容について、歴代の竹内家の宮司たちは「時いたれば秘史を皇室に奉還せよ」と子々孫々に伝え、それが『竹内文書』となって世に出たのだが、その内容に注目したのは、酒井勝軍や山根キクといった人たちだけでなく、後の首相の東
こんにちは。笑いと癒しの音楽クリエイター、セシリアみつよです。いつも読んで下さって、どうもありがとうございます。5~6年前に戸隠神社と諏訪大社に行きました。諏訪大社。諏訪明神をお祀りしてあります。建御名方神とも言われていますが、元々土着の神さんであった諏訪明神に代わって、そこを治めたのかもしれません。世界史を見ても、征服する時は、その土地の信仰を否定せず、吸収していく方が上手く治められるようです。諏訪大社下社春宮奥に見えるのが、御柱祭の柱。諏訪大社と大神
「日本」を封印した「聖徳太子」その13聖徳太子と蘇我馬子は、推古天皇のもと共同で政治を行ったとされている。二人は親戚関係にあったが、その仲については政敵でライバルだったという説と協力者だったという正反対の説が存在する。だが、これまで見てきたように、聖徳太子は滅ぼした相手の物部守屋を祀るなど、常に太子の影には物部氏の存在が登場する。それはまるで太子を守護しているかのようにである。◆「聖徳太子」の母方の出自「厩戸皇子」(うまやどのみこ)と呼ばれた太子は、蘇我氏と強い血縁関係にあった
前話へ次話へ第37話一図で解る「物部氏の系譜」本話は「一図」シリーズ(8)追加編、一図で解る「物部氏の系譜」です。一図に表わした日本古代史(下図)の中で、物部(もののべ)氏は時代的にも(縦)地域的にも(左右)全面に現れ、活躍の程がしのばれます。一図(8)物部氏の系譜今回は①②③④が対象です●定説の系譜物部氏は大和の豪族大和王権の重臣記紀による定説では「物部氏は神武以来、大和王権随一の重臣・豪族であったが、宗家は物部守屋の代で蘇我馬子に
磐船神社(いわふねじんじゃ)の創建年代は不詳であるが、御祭神の饒速日命は天照大御神の詔により高天原より天の磐船に乗り河内国河上哮ヶ峯に天孫降臨した地であると伝えられている。饒速日命の子孫は、物部氏で古代大和朝廷の最大の氏族で、大連として代々の天皇に仕えており、ここ交野の地には肩野(かたの)物部という一族がおり、祖先の降臨の地として祭祀を行っていたとされている。当神社には、饒速日命が乗ってきた磐船を御神体として祀っており、古来より天孫降臨の聖地として崇敬されている。御祭神:天照国
ふと、ある事に気づいた。勝手な考察ですけど。何度も登場している大伴金村の子、大伴佐手彦。(537年~550年頃)大伴佐手彦の「て」は主に「手」を当て字としている。※指・手のひら・手首・腕などにいう。古くは枕草子の歌に「手」がある。佐弖彦とあっても「手」が正しい。しかし、アテルイなど多くは貴族、豪族ではない先住の人には「弖」をあてるようだ。記録をする人が異なる民族(先住民)に対して使うからだろう。これ重要。弓月というツクヨミの存在を知っている者が主に歴史編纂をしていたとし
こんにちは😃本当に朝晩が過ごしやすくなって参りました☀️秋も近いですね。今回は茨城に残る、物部氏の祖、ニギハヤヒを祀る神社を訪ねました。「千と千尋の神隠し」の「ハク」をご存じの方は多いと思います。多少ネタバレを含みます。(見てない方はご注意下さい)ラストの盛り上がりの所で、魔女に名前を奪われコントロールされていたハクが、あるきっかけで自分の名前を取り戻します。「私の本当の名は、ニギハヤミコハクヌシだ」とその時、聞いたことあるような、無いような神様の名前だなーって思っていました。
岡山の土産といったら、「きびだんご」1/10に行った青春18きっぷの旅、岡山・倉敷のんびり旅で買ってきたものです。会社への土産として買ってきました。パッケージのイラストも可愛いですね。3種類(元祖、黒糖、海塩)入っていて、1個づつ個別包装してあるので配りやすいです。昔話が3話入っていました。①皆さん、お馴染み、桃太郎。②桃太郎の鬼退治の続きのお話・・・鬼のおみやげ③鬼退治の帰り道に・・・海坊主の島なるほどね~
古代史ファンにとって【古史古伝】は謎解きに欠かせないアイテムですよね。物部氏の末裔が宮司をしているという、あの秋田物部文書を有する秋田県大仙市に鎮座する『唐松神社』へ参拝してまいりました唐松神社の予備知識として、物部文書があるニギハヤヒの肖像画がある十種の神宝があるといったサックリとしたイメージを持っておりました。(なんだかスゴイ神社呪術廻戦ファンでもあるので、ずーっと行きたくて、行きたくて、春の雪解けとともにようやく行ってきました
過去記事「天火明命とニギハヤヒ」https://ameblo.jp/happylife3749/entry-12358482201.html前回記事「ニギハヤヒ諸説」https://s.ameblo.jp/happylife3749/entry-12358858659.htmlの続きです。ニギハヤヒは、・邇芸速日命(ニギハヤヒ):『古事記』・饒速日命(ニギハヤヒ):『日本書紀』『先代旧事本紀』など・櫛玉饒速日命(クシタマニギヤハヒ):『日本書紀』・饒速日尊(ニギハヤヒ):『先代