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「日本書紀」は当時の王権の正当性を主張することが主要な目的だった。時の王権の中心人物は天武天皇・持統天皇と藤原不比等であった。持統天皇の父は天智天皇(中大兄皇子)であり、不比等の父は鎌足である。2人による蘇我氏に対するクーデターとされる「乙巳の変」からの政治改革を「大化の改新」として律令国家の建設を「歴史書」にアピールしようとしたわけである。下掲は平安時代に描かれた乙巳の変。律令国家建設と天皇への中央集権化は乙巳の変以前の推古天皇(554-628)、蘇我馬子(?-626)・聖徳太子
因幡の白兎には暗号がこめられています。因(よる)幡(はた)=秦氏白兎=シロ=新羅の兎=住吉大社建設日・辛卯の年・卯月・卯日=神功皇后インドネシアでは因幡の白兎の話ば「子鹿とワニ」鹿は物部氏のトーテムである事から=物部氏秦氏+物部氏+神功皇后(息長氏)の連合体があった事を表していると思います。また、「息が長い」は「鼻が長い」に繋がり、兎は「兎道(うじ)」に繋がるので宇治氏(兎道氏)の祖神「猿田彦大神」をも意味します。日本を最初に支配した「旧王朝=連合体」では「うさぎ」に正当性があ
エジプトのセト神は、荒ぶる・混沌の神です。日本のスサノオは、元々の伊勢の土着神猿田彦大神の鼻から生まれた【核・太陽神】であり、太陽神ニギハヤヒ神の親でもあります。エジプトのオシリス神同様、豊穣を司る植物神でもあります。※馬(子)の皮を履いだのはスサノオ蘇我馬子、蘇我氏の祖神は猿田彦大神・スサノオです。漢皇子(ワニ)と藤原氏(有熊氏・セト神)熊族は蘇我氏に丁未の汚名を着せました。蘇我氏は物部氏を滅ぼしてはいません私は物部氏の拠点だった地域に住んでいますが「藤原氏」が「物部氏」の地
欠史八代は、旧王朝です。鳥信仰でありながら、おそらく、漢族=熊座北斗七星信仰の皮を被せられました。【七】人の人間を食べたと言う記述は、北斗七星や熊座信仰に生贄文化がある事を表している様に感じています。第2代・綏靖(すいぜい)天皇の墓地(陵墓)の名称は、桃化鳥田丘上陵つきだ「桃花鳥」はトキの古名です。エジプトで言えばトト神に該当します。熊襲族と隼人族は仲間であり、鳥信仰です。百襲姫は、熊襲族(桃花鳥族)の巫女倭迹迹(トト神です。)日百襲姫新王朝(漢皇子&藤原氏有熊氏)は、自分
こぶとり爺さんのおとぎ話は、石切剣箭神社の御祭神【ニギハヤヒ神】を奉ずる【物部氏】が王であり、神であった立場から鬼に落とされた形の物語です。普通に考えて、【でんぼ切除】は外科手術です。物部氏はある程度科学力を持っていた可能性があります。物部氏由来、くろんど池も語源は【蔵人】←クラウドです。空から降臨する石の船←何を想像しますか?こぶとり爺さんの中での【踊り】は、神事のお囃子イシキリ=イエスキリストついでに言えば亡き父が着付け師として所属していた【太秦】は、イシュマシャ新王朝
みなさんこんばんは~(*^^*)もう歩けません…2日間歩いた~八尾市の八尾神社です祭神は宇麻志麻治命この地を本拠とした物部氏の一族、栗栖連がその祖神を祀ったものらしい古くから西郷、木戸両村の氏神で明治41年(1908)に八尾神社と改めた尾先が八枚に分れた鶯の名所であった事が由来という事もある…本当かな?何だか変わった手水舎です…狛犬さんは正面は浪速狛犬さんしかしこの後ろ姿はない…果たして浪速狛犬さんと言っていいのか?この顔付きは文政あたりの
2月13日は「苗字制定記念日」。1875年(明治8年)2月13日に明治政府が「平民苗字必称義務令」を布告し、国民全員に苗字(名字)を名乗ることを義務付けたことに由来します。江戸時代まで苗字は貴族や武士の特権でしたが、この法令により一般市民も強制的に苗字を持つことになりました。最近はインターネットで検索すると全国の苗字の分布などがすぐに調べられます。手軽ではありますが、それをもって古代氏族の拠点を推測しようとするのはちょっと違うようです。1875年の「平民苗字必称義務令」の布告は、そ
大和郡山市矢田町不明社白滝大神、玉姫大神も
Σヽ(`д´;)ノうおお!いつの間にかpapiponさんの「キ」シリーズが更新されてました‼️まだ読んでないけどリブログさせていただきますpapiponさんいつもありがとうございます😊あ、関連記事(*´艸`*)『”「キ」を追いかけて押戸石へ~正倉院展「書いてはいけない!?謎の職人差別」奈良編①”』ワーッ(✽゚д゚✽)‼️待ってました‼️papiponさんの「キ」シリーズ‼️ヽ(=´▽`=)ノpapiponさんありがとうございます😊まだ読んでないけど…amebl
二ギギは徐福のことでニギギはニギハヤヒのことらしい。だから、ニギギとニギハヤヒは同一人物。ニギハヤヒは物部氏の祖先で、ニギハヤヒはのちの秦氏(はたうじ)。そして、トゥーランドブイログいわく、すべての日本人はニギギの血が入っているってことらしい。歴史を知ってたら、徐福なんて、クソやんけ、と思うけど、でも、それでええんやと思った。俺が何もないのに頭に暴言が浮かんだりしてしまうのはそういうご先祖さまがおられたからやと思うことにしようと思う。ご先祖さまと共に生きるって、そういうことやろうし。
前回のつづきです~前回は、日本の先住民族で難攻不落の神の一族…「物部氏」をいかにして藤原側権力者たちが貶めてきたか…その手口を書かせて頂きました…カッテニまずは、「品部(しなべ)」という制度によって、「モノ」から「神」を切り離し…「シナ」に置き換える「職人部門」を作り…日本中の技術職人を隔離して、徹底的に弾圧した…そして…物部→朝廷→藤原という図式で物部の私有地を巧妙な作戦で全て奪い取り藤原のものにしてしまった…という2つの出来事を書きましたが…今回は、藤原(+古代から
石上さんにお詣りに行ってきました。立春なので、筋から言えば氏神さんに行くのが妥当かとも思いつつ。やっぱり独特の空気と雰囲気というかパワーを感じる石上さんに行きたくなります。初めて石上さんに行った時、鳥居の前に立った瞬間に何か電気に打たれたような衝撃を感じました。“ここは、今まで来たことがないような場所”という一種異様な雰囲気、空気を感じたものです。全く観光地化することもなく、どっしりと鎮座しています。そして、立春の今日、今までにない引き締まった空気を感じました。昨日
天理市の石上神宮から山の辺の道を北へと歩いているみくるです前回の記事では、山の辺の道から少しそれて「姫丸稲荷神社」へ参拝した様子をお届けしました。『【山の辺の道】夕暮れに染まる「宮の屋敷」。親子二代のドラマが眠る姫丸稲荷神社』天理市の石上神宮から山の辺の道を北へと歩いているみくるです竹林の「石上銅鐸出土地」を抜けて、次に訪れたのは「姫丸稲荷(ひめまるいなり)神社」。ここは、かつて天…ameblo.jp不思議な魅力のある神社を後にして、ここからは再び「山の辺の道(北コース)」
瑠香ですお久しぶりです。去年の年末、久しぶりに安房神社へ参拝しました。突然決まった安房への旅。6年前だったか、忌部氏が気になっていた時期に千葉のお友達に連れて行ってもらったことがあります。それ以来のことで、わたし的には忌部関連はもう終わっている感じがしていたのに、ここに来てまさかまた忌部の流れがやってくるとは思いませんでした。忌部の流れが来た、と言ってもとくに何かあったわけでもなく、ふつうに楽しく参拝しました(笑)途中で彩雲が現れましたこうして美しい現象として見せてもらえるのは嬉しい
【バチカン図書館の極秘文書】その内容がヤバすぎる!天皇家とヨーロッパ王族は血縁関係⁉︎裏天皇と表天皇の存在⁉︎モルドバ国立教育大学名誉教授・杣浩二さん完全版👇https://nicochannel.jp/owstv-plus/video/sm9yCgnKpmRj2SpKCn3SwL4x完全版👇https://nicochannel.jp/owstv-plus/video/sm9yCgnKpmRj2SpKCn3SwL4x
蘇我入鹿は大化の改新の後、怨霊となり人々にたたったというので恐れられていたそうです。実は聖徳太子は蘇我入鹿なのだという説があります。それは、入鹿が本当に悪政をしいたのであれば、入鹿は怨霊にはなれません。崇徳上皇も菅原道真も平将門もみな無念の非業の死を遂げたから怨霊になったわけで、単なる悪人が成敗されても怨霊になれないのです。入鹿の本名で供養できない理由は、後の政権の正当性を否定することになるからです。聖徳太子という名前で供養するから祟らないでくださいという妥協案ですね。聖徳太子は非業の
山の辺の道を石上神宮から北へ歩いているみくるです山の辺の道を歩く旅、今回は少し不思議で、背筋がスッと伸びるような場所を訪れました。それは、天理の竹林の中にひっそりと佇む「石上銅鐸(いそのかみどうたく)出土地」です。12月の静寂に包まれた竹林を歩く前回の記事でご紹介した「ウワナリ塚古墳」から、分岐点まで戻り、少し歩くと景色は一変して深い竹林に包まれます。訪れたのは昨年の12月のことでした。突如現れる「歴史の現場」竹林の奥へと進んでいくと、立派な石碑が建てられていました。ここは明治時
みなさんおはようございます~(*^^*)八尾市志紀にある弓削神社です、2つの弓削神社の西側の方ですね旧志紀郡西弓削村の鎮守、2つの神社の間には長瀬川が流れていたそうです東側の弓削神社より境内は広いです手水舎の龍も大きくてすごいです祭神はここは3柱です饒速日命-物部氏祖神可美麻治命-物部氏祖神天照皇大神-二俣に所在した天照皇太神社を合祀祭神が物部氏祖神ですからね~拝殿です狛犬さんはオリジナルこれはきっと先代の模写でしょうか
山の辺の道を石上神宮からさらに北へと歩いているみくるです「光」の次は「闇」?双子の古墳を訪ねて前回は、ロープで登る「石上大塚古墳」をご紹介しました。『山の辺の道で冒険!【石上大塚古墳】竹林の奥に眠る「物部氏の巨大石室」が凄かった』山の辺の道を歩いているみくるです山の辺の道で「本気の冒険」?!奈良県天理市から歩く「山の辺の道」北コース、穏やかな里山歩きを楽しんでいたのですが、今回訪れた「…ameblo.jp実は、そのすぐお隣に「ウワナリ塚古墳」という、大きさも形もそっくりな「双子」のような
ご訪問ありがとうございます今回は后妃と皇子女になりますが、けっこう大勢いるので(^^;)ささっと見てwただ2章目では、大伴金村が失脚しますので、(これは教科書レベルということで)ご留意いただけたら、と思います。目次石姫皇女の立后磯城島金刺宮大伴金村の失脚欽明天皇の妃と皇子女妃堅塩媛の皇子女妃小姉君の皇子女その他・まとめ目次を開く石姫皇女の立后元年春正月庚戌朔甲子、役人たちが皇后を立てるようにお願いしたので、「正妃で仁賢天皇の皇女である石姫を皇后とする。」と仰せになった
島根の石ころ日和ももじさんのブログです。最近の記事は「幾層にも重なった神話世界の中で「大地」の女神を想う(画像あり)」です。ameblo.jpももしさんのブログに【九尾の狐】のことが書いてあって、そこに「九尾の狐は何処かで地母神信仰に繋がっている氣がする」と。で、結構重要なことなのだけれど、こんなことが書いてあった。元々はたしか、ドラヴィダ系(≒出雲族の起源)の地母神であった、豊穣の女神ダーキン(ダーキニー)が、侵攻してきたアーリア勢力によって悪神に
山の辺の道を歩いているみくるです山の辺の道で「本気の冒険」?!奈良県天理市から歩く「山の辺の道」北コース、穏やかな里山歩きを楽しんでいたのですが、今回訪れた「石上大塚古墳」は、想像以上の大冒険に案内板に従って一歩コースを逸れると、そこは別世界でした。ピンクのリボンと「運命のロープ」道なき竹林を進むために頼りにしたのは、木々に結ばれたピンクのリボン。さらに、墳丘の急斜面には一本のロープが……!「これを登るの?!」と一瞬ひるみましたが、歴史好きの血が騒ぎ、必死に登り切ってきました12
みなさんおはようございます~(^_^)今日は片頭痛が無いです、少し歩くことにした玉造稲荷神社です大坂三十三観音霊場十番札所です創建は垂仁天皇18年(紀元前12年)紀元前?誰か見たんですかね祭神は宇迦之御魂大神、まあ稲荷神社ですからねしかし創建当時は比売社だったそうですここでは下照比売だったのでしょうか利休井があります、千利休の自宅が南側にあったそうです狛犬さんです、この台座に乗った狛犬さんは少し珍しいです稲荷神社ですがおきつねさんがいません神紋は勾玉が向かい合ってる
クリックで拡大できます今回はこういうお題でいきます。古神道の内容なんですが、これもどこまでが本当なのかよくわからず、語りにくい話ではあります。さて、十種神宝(じゅっしゅしんぽう)はご存知でしょうか。簡単に言うと、古代から物部氏に伝わる10種類の秘宝で、その力は日本の国全体におよび、また、死者を蘇生することさえできると言われます。邇芸速日命(にぎはやひのみこと)が天照大神から手渡され、天磐船に乗って河内国(大阪府交野市)の河上の地に天降り、その後大和国に移ったとされています。ま
秦氏と物部氏のああだこうだいざこざがありまあ、いろいろあって、神社が建てられるのですね~この神社がコンパスがぐるぐる回るゼロ地場に密集して作られているということでなんらかの意図というのがあるのですね。フォッサマグナというところなどですね。☜ここだけおさえておきましょう。
皆様、明けましておめでとうございます☺️今年もよろしくお願いいたしますいよいよ奈良編スタートでーす!ヾ(*´∇`)ノ♪またまた長いですが、お付き合い頂けたら幸いです(人´▽`*)♪(注:これは、歴史素人のおばさんが直感と感覚だけを頼りに書いている勝手きままなブログです…ご了承下さい)目次シュメールの痕跡を求めて奈良へ正倉院展へ…職人の記録がないのはなぜ?刷り込まれている職人のイメージ物部、忌部とは?「物部から品部へ」計画目次を開くシュメールの痕跡を求めて奈良へそもそも、
2025年3月28日、奈良県立橿原考古学研究所を訪問した。その際に、藤ノ木古墳の展示の写真を撮っていますので写真紹介します。上の動画を視聴したのがこのブログを作成するキッカケとなりました。藤ノ木古墳の基本情報所在地:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺西2丁目形式:円墳(直径45m)横穴式築造年代:6世紀後半出土品:金銅製冠・履・馬具、飾大刀・剣、須恵器など土器、銅鏡発掘:1985年7月By斑鳩町と橿原考古学研究所上の写真は藤ノ木古墳の概要が記された説明パネル撮影:202
悠久の封印を解く:物部氏の影と「一宮・干支」の聖なる幾何学私たちは、ふと訪れた神社の静寂の中で、**「なぜ、この場所なのか?」**という震えるような戦慄を覚えたことはありませんか?教科書が語る表面的な歴史の裏側には、時に私たちの想像を絶する「巨大な意図」が脈打っています。今回は、古代日本を裏から支えた軍事・祭祀集団**「物部氏」と、全国に配された「一宮」、そして宇宙の理である「干支」**……これらが織りなす、美しくも不可解な論理構造の深淵へと、私たちを誘(いざな)います。注意!!こ
本文:美しき歴史の光芒と、客観という名の冷徹な真実古代日本の霧の彼方から、私たちは常に「隠された真実」という甘美な調べに誘われます。**「全国の一宮は、実は物部氏の聖域であった」**という説。それは、まるで夜露に濡れた月見草のように、切なくも美しい歴史のロマンを感じさせます。しかし、真実を愛する知性は、時にその甘美な夢から覚め、透徹した光を当てなければなりません。この記事では、私たちの心の琴線に触れながらも、学術的・客観的という「理性の盾」を用いて、この魅力的な仮説を丁寧に、かつ徹底的に
十二支に封印された太陽神「饒速日命」の暗号|干支が語る日本人の正体私たちは、毎年当たり前のように繰り返される「干支(えと)」の習慣に、国家規模の壮大な秘密が隠されていると考えたことはありますか?年賀状、方位、そして運勢。私たちの生活に溶け込んだ「子・丑・寅……」というリズム。実は、これらはすべて、ある一柱の強大な神――**「饒速日命(ニギハヤヒノミコト)」**へと収束していくのです。本記事では、言語学、神学、量子力学、そして歴史の深層から、日本人が今日まで守り続けてきた「干支の真実」