ブログ記事1,127件
皆さま古代日本の出雲王家では、代々口伝によって「正史」を伝えてきたと言われています。この伝統は出雲王家だけでなく、他の有力な古代家系でも見られ、各家系の口伝を比較することで、共通点や相違点を明らかにできるとされています。ただ、口承には記憶の錯誤やゆがみも生じ、本来の情報源とは異なった情報も加味されたり、意図的に虚偽のワードに置き換えられていたり、「暗号解読」に多大な労力を必要とします。今回は、いわゆる出雲口伝と呼ばれているものについて、なるべく本筋が見えやすくなるように要約し、
善光寺の内々陣土日、ブログをお休みするのでもう1つ、記事を更新しておきますね。善光寺の御本尊。一光三尊阿弥陀如来。欽明天皇13年(552年)百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像。これは廃仏派の物部氏によって難波の堀江へ打ち捨てられたが、信濃国司の従者・本田善光が信濃の国へとお連れし、はじめは長野県飯田市でお祀りした。皇極天皇元年(642年)現在の地に遷座。皇極天皇3年(644年)勅願により伽藍が造営される。本田善光の名を取って『善光寺』と名付けられた。
皆さま次に、物部氏による東征と、ヤマト王国の姫巫女(ヒミコ)に焦点を当てながらお話しいたします。よろしくお付き合いくださいませ。第一次物部東征とは、2世紀後半に起こった大規模な軍事行動であり、徐福(ニギハヤヒ)の子孫である物部一族がヤマトを目指して行った東征です。この遠征は、後に「神武東征」として神話化される基盤となったもので、ヤマトの政治的・宗教的構造に深い影響を与えました。1.背景と発端西暦165年ごろ、物部王国のヒコナギサタケ王の王子イツセがヤマトへの遷都を計画
石上神宮:奈良県天理市布留町384当社を再訪したのはあるサイトで拝殿裏の禁足地を見学できると知ったからだ。初めて訪れた時の印象は専らニワトリで、国宝の拝殿や重文の楼門はあるものの、日本有数の古社とされる割にそれほど目に止まるものがなかった。禁足地があることは知っていたが、拝殿前からは窺えず、周囲は森で囲まれているためにその様子はさっぱりわからなかった。楼門拝殿定刻の午後1時に社務所前に集合する。集まったのは20人程だろうか。授与品を受け取り、境内で整列させられた後、二手に分かれて神職から
スタジオジブリSTUDIOGHIBLI@JP_GHIBLIA:設定上はカタカナ表記ですが、「ニギハヤミ」という名前は、飛鳥時代に蘇我氏と争って破れた物部氏の祖先といわれる饒速日命(ニギハヤビノミコト)や、川の神で龍の化身でもある速秋津彦(ハヤアキツヒコ)など複数の神を合成したものだそうです。2022年01月07日23:22こちらも気になりました。東北のことや「もののけ姫」のことも書かれており今、この時代にとても大切な言葉が記されていると思いました。↓国常立命(金龍)ま
にほんブログ村にほんブログ村剛力彩芽「全てがリスペクト」ライオネス飛鳥との食事で感激!飛鳥も「彩芽ちゃんが演じてくれてよかった」女優の剛力彩芽(32)が3日までに自身のインスタグラムストーリーズを更新。9月19日から配信スタートされたNetflixドラマ「極悪女王」で演じたライオネス飛鳥と食事したこ...news.goo.ne.jp百舌鳥・古市古墳群の謎に迫る講座、羽曳野で26日から全3回世界文化遺産「百舌鳥(もず)・古市古墳群」の謎に迫る市民講座が、古市古墳群のある羽曳野市で
ご訪問ありがとうございます。今回は宝塚と忍熊王、あの白鳥伝承がある中山寺、中山観音のお話です。『「日本書紀」を読んでみよう❗(72)神功皇后五色塚古墳と中山観音』ご訪問ありがとうございます。「日本書紀」に戻りまして、今回は忍熊オシクマ王の叛乱になります。その前に住吉大社の創建に関わる記事があるので、そこから始めましょう…ameblo.jp北摂の地に紫雲たなびくといわれる中山寺は、聖徳太子の創建によるわが国最初の観音霊場です。第十四代仲哀天皇の先后大中姫(さきのきさきおおなかひめ)、そ
伊加加志神社(いかがしじんじゃ)阿波国麻殖郡徳島県吉野川市川島町桑村1635(駐車場は覚えていません)■延喜式神名帳伊加加志神社の比定社■旧社格郷社■祭神伊加賀色許売命伊加賀色雄命天照大御神吉野川にほど近いところ、四国山地の麓に鎮座。イカガシコメ・イカガシコオ神を祀る数少ない社であり、式内比定社。創建時期由緒等に関しては伝わっていないようで、さまざまな資料から類推するしか方法は無さそうかと思います。「先代旧事本紀」によると、イカガシコオ神の同母姉がイカガシコメ神。イ
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その15唐松神社と天日宮の謎を解くため、同じ「玉鉾神」を祀る愛知県武豊町の「玉鉾神社」を調べていたら、少々沼にはまってしまった(笑)。それにしてもこの神社、かなりへんてこりんな神社である。メインの祭神が第121代孝明天皇なのに、どうも本当の祭神は違うようで、神殿の右隣りにある小さな祠である「倭日高宮」という社が非常に妙なのである。なにせその名前に「ミロク」がついており、「魅録天照国照饒速日命」「さくや姫改神みろくかぐや姫命」とあるのだ。まるで最近
「山の神と乙姫さん」と関連が深い、いざなぎ流を調べていた。いざなぎ流は、言葉の魔術、つまり呪だ。祭文(法文)によって神を招喚し使役する。いざなぎ流の「山の神の祭文」は、山の神まつりの由来を示す。山の神の樹木を人が伐採したことによる祟りを、「天竺星のじょもんの巫殿(みこどの)」が鎮め、山の神まつりを行うことで、一部の山の木の伐採を許すという契約を結ぶのだ。いざなぎ流祭文は、太夫(たゆう)という宗教者によって読誦される。太夫の相手は、人ではなく神だ。神を呼び寄せ、「星のじょもんの巫」
締切り間近!追加募集します!日本の源流である、物部・出雲を巡る神社神霊探訪ツアーのお知らせ誰でも、初めての方でも参加できます。今回の神社神霊ツアーは、「縄文・物部」に縁のある神社や遺蹟や古墳群を訪れる巡礼の旅となります。大己貴神道こそが、この国にもともとあった本当の神道=随神なのです。8世紀に作られた今の神道とは違い、「死」と「呪術」がその教えの中にありました。重厚で神秘的な教えであったのです。アマテラス以前の神々と縄文の古墳群、まつろわぬ者達の軌跡を辿る旅となります
引き続き、前回の記事の続きである。天津甕星(あまつみかぼし)は、日本神話に登場する星の神である。別名、天香香背男(あめのかがせお)。『日本書紀』に唯一の悪神として登場する星神で、「金星」と「蛇」で象徴されている。まさに「日本のルシファー」だが、初めに言っておくと、私は天津甕星の子孫である。天津甕星(天香香背男)は知名度の低い神だったが、『君の名は。』に登場したことで近年は少し知られるようになった。『日本書紀』に記されている天
◎石上神宮「御本殿と禁足地」特別参拝(令和六年9月23日)まさかこんな日がくるとは…。明治七年に禁足地内の発掘をしたところ、ホントに土の中から出てきた伝説の御神体の神剣。その顕現150周年を記念して企画された、「御本殿と禁足地」特別参拝。まさかまさかの夢のような企画を知り、もちろん喜び勇んで参拝へ。3世紀~4世紀初頭頃でしょうか。(卑弥呼が没して間もない頃とした方が分かりよい?)石上神宮とは…第10代崇神天皇七年、饒速日命六世孫とされる伊香色雄命(イカガシコオノミコト)が
八咫烏神社(那智勝浦町八尺鏡野)紀伊国牟婁郡和歌山県那智勝浦町八尺鏡野(詳細住所不明、写真右隣に少しだけ見える建物が「八尺鏡野294」)■祭神建角身命「那智山」等を源流とする「太田川」下流の小さな集落、那智勝浦町「八尺鏡野(やたがの)」に鎮座する社。「八尺鏡野」は181人64世帯の過疎地(令和二年国勢調査データ)。◎当初についての資料は見当たらず詳細は不明。明治六年に下里神社に合祀されるも、現在は復社したと伝わっています。ネット情報等では、八咫烏(建角身命)の神武東征軍先導に留
はい!奈央です。ちょっとだけど、調べましたよ。物部氏と尾張氏との繋がり!はい!下の図がネットで調べた物部氏と尾張氏の系図の一例です。原典は、基本、先代旧事本紀(せんだいくじほんき)みたいですね。この先代旧事本紀の成立は大同年間(806年-810年)以後、延喜書紀講筵(904年-906年)以前と推定されているそうです。先ず、下の図が物部氏と尾張氏の概略系図だそうです。物部氏元祖系図「おとくに」HPよりお借りしました。尾張氏概略系図「おとくに」HPよ
先日、TOLANDVLOGさんのこの動画を真似して、古代シュメールの痕跡を探しに「フィールドワーク」なるものに出掛けてみました(ちょっとほったらかしていて、これは今年初めに書いた記事です)出掛けた場所は、TOLANDVLOGさんでも紹介されていた東京都町田市「鶴川」というところ。TOLANDVLOGさんによると、鶴川の「鶴」という文字は、フェニキアの王、ヒラムが統治していた都市「テュロス」→「ツール」→「鶴」と音が変化したものらしく…今も「真鶴」などの地名としてあちこちに残っているそ
こんにちは、スタルペスです。二週連続で筑後地方の古墳に来ました。日曜日のドライブは、翌日の月曜日から始まる仕事を考えるとあまり遠くまでいけません。そういう時は、古墳や遺跡も多い筑後地域が一番です。今回は、久留米市にある鷲塚古墳(わしづかこふん)と十連寺古墳(じゅうれんじこふん)に行きました。久留米市は、2005年2月の平成の大合併により、三井郡北野町、三潴郡三潴町、三潴郡城島町、浮羽郡田主丸町の4町が合併し人口30万人になり、福岡県第3の都市であり中核市指定自治体として今も
若宮神社(交野市私市)河内国交野郡大阪府交野市私市6-618(P無し、当日は「私市会館」前に頭から突っ込んで停め置き参拝しました)■祭神住吉四神(表筒男命・中筒男命・底筒男命・息長帯姫命)「生駒山地」河内国側山裾、「龍王山」(標高318m)の西側麓、交野市(かたのし)私市(きさいち)に鎮座する社。◎創建由緒に関する社頭案内は以下の通り。━━当地区には天田神社が古来より祭祀してありますが、もともとこの社は産土の神を祀ったものと考えられます。上古天孫饒速日尊が天の磐船に乗って、こ
「大和と日本」の謎:その26富士王朝が滅亡した決定的な要因は天変地異であったが、それを引き起こしたのは「契約の聖櫃アーク」を用いた呪術であった。創造神ヤハウェ=イエス・キリストは神武=崇神=応神天皇に東西日本を支配する権能を与えた。それが「鳥見山」における初の大嘗祭の意味であった。だが、外物部氏はこれに逆らってしまった。ここで富士王朝の運命が決まってしまった。なにせ外物部氏も物部氏であり、彼らが奉じたのは絶対神ヤハウェである。モーセに逆らったイスラエル民族が次々と滅ぼされたように、彼らも
はるか古代も現在のように太陽☀️は東から上り西に沈みます。そして、闇夜に輝く月🌙と星⭐️現代人よりも古代人は太陽と月と星の位置で方角を理解していました。星🌟の代表は北極星、金星、オリオン座、シリウスなどがあります。自然崇拝の古代人は太陽神と星を宇宙神ととらえていたと思います。それは古代日本だけではなく全世界共通なのです。古代日本では創造神は国常立神、天之御中主となります。個人的には天之御中主は宇宙神ではなかったのかと思います。そこから神代七代となりイザナギ、イザナミとなります。
「日本」を封印した「聖徳太子」その13聖徳太子と蘇我馬子は、推古天皇のもと共同で政治を行ったとされている。二人は親戚関係にあったが、その仲については政敵でライバルだったという説と協力者だったという正反対の説が存在する。だが、これまで見てきたように、聖徳太子は滅ぼした相手の物部守屋を祀るなど、常に太子の影には物部氏の存在が登場する。それはまるで太子を守護しているかのようにである。◆「聖徳太子」の母方の出自「厩戸皇子」(うまやどのみこ)と呼ばれた太子は、蘇我氏と強い血縁関係にあった
⭐️ついたちの甕星御守⭐️毎月一日は星のお祭り@大甕神社令和5年11月1日の御祈祷を終えて茨城・大甕から星の街にやってきた⭐️甕星御守不思議な紋様🌀令和5年10月の記録の続き『【星の民】想像超えいばらき物部氏と甕星⭐️と石と音霊・言霊・数霊』大好きなデヴィ夫人インドネシアの母日本🇯🇵とインドネシア🇮🇩をつなぐ思いつきで急遽茨城大甕神社・甕星香々背男者へのつづき最近虹が多いんだよね〜といい…ameblo.jp思いつきででかけてみたいばらき想像超え
はい!奈央です。空白の4世紀247年、邪馬壹国の卑弥呼が亡くなり、そのあとを受けて壹輿が女王となりました。壹輿は、魏に使いを派遣しています。265年、魏は滅び、晋という国が建国されました。266年、倭の女王が貢ぎ物をもって使いを派遣してきたことが記録されています。この記録には女王の名前がありませんが、壹輿だろうと考えられています。このあと、中国王朝の公式記録からぷっつりと倭の文字が消えます。413年、『晋書』安帝本紀に「義熈九年(413年)是の歳、高
『空海と失われた十氏族の内緒話』『阿波と粟と空海の内緒話』『阿波の国の内緒話』『「ア」と「ワ」と『蛇』の内緒話。』日本語は五十音で構成されている。これを『五十音(コトダマ)』と読むこと…ameblo.jp↑のつづき。古来より日本に渡来した人々には3パターンあると思っている。まずは『地』から来た民。日本が島国ではなく、地続きだった頃に渡ってきた者達。アソベ族であったり、アイヌの祖先と言われる人々。次に『海』から来た民。中国や百済、あるいはそこを経由してやってきたユダヤ人や古
6月24日(水)晴れこの日はめちゃめちゃ暑かったけれどお仕事も夕方からだったので、ちょろっと近くの八尾市までコロナ自粛前は東大阪と八尾をテクテクと徘徊していたので再開しましたこの日はGOOGLE先生に駅から近い神社をチョイスして頂いて(だって、アチイもん)やってきたのは近鉄八尾駅から徒歩で数分の場所に鎮座しているコチラその名も八尾神社(やおじんじゃ)駅からは裏参道の方が近いみたい裏参道鳥居提灯がゆらゆらしていて雰囲気が良いこちらは御神木かな古い幹から新しい枝が出て
はい!歴史大好きの奈央です。前のブログで、石上(いそのかみ)神宮の神宝「七支刀」のことを書きました。この石上神宮の七支刀の由来は遠い昔に忘れ去られ、「六叉の鉾(ろくさのほこ)」と呼ばれ、神田にその年はじめて苗を植える儀式に神を降ろす祭具として用いていました。1874年(明治7年)、大宮司となった菅政友が、大宮司としてこの神宝をつぶさに観察する機会を得て、剣身に金象嵌銘文が施されていることを発見し、以来その銘文の解釈・判読を巡って研究が続いています。そのような中、多く
物部神社(与謝野町石川)丹後国與謝郡京都府与謝郡与謝野町大字石川字物部2013(一の鳥居前に停めました)■延喜式神名帳物部神社の比定社■旧社格村社■祭神宇麻志麻遅命「野田川」下流域を起源とする「加悦谷」。「丹後王国」発祥地とされ、その下流郊外に鎮座する社。◎当地はかつて「物部郷」と呼ばれ、物部氏が本貫としていたようです。後に「石川村」と呼ばれるようになったとのこと。◎ご祭神は物部氏の祖神である宇麻志麻遅命。蘇我石川宿禰命とする説もあるようですが、少なくとも「延喜式神名帳」
創建崇神天皇7年御祭神布都御魂大神布留御魂大神布都欺魂大神配祀神宇摩志麻治命五十瓊敷命白河天皇市川臣命〒632-0014奈良県天理市布留町3842017年6月27日参拝
39の県で「緊急事態宣言」が解除になりましたね。羨ましいような、怖いような…残り8の都道府県でも、早ければ21日(木)に解除されるかも知れないみたいですが、欧米の第2波のニュースを見ると恐ろしいです解除されたところで、日本人は100%気を抜いたりはしないと思いますが2019年11月12日、日帰りで行ける一之宮へ参拝しました一之宮貫前神社です【電車】上信電鉄・上州一ノ宮駅より徒歩15分。【車】上信越自動車道・富岡インター、下仁田インターより約20分。うちからは電車を乗り継ぎ、2
古代史ファンにとって【古史古伝】は謎解きに欠かせないアイテムですよね。物部氏の末裔が宮司をしているという、あの秋田物部文書を有する秋田県大仙市に鎮座する『唐松神社』へ参拝してまいりました唐松神社の予備知識として、物部文書があるニギハヤヒの肖像画がある十種の神宝があるといったサックリとしたイメージを持っておりました。(なんだかスゴイ神社呪術廻戦ファンでもあるので、ずーっと行きたくて、行きたくて、春の雪解けとともにようやく行ってきました