ブログ記事8,823件
この日は間違いなく、人生で一番辛い日。この先何十年も人生は続くだろうけど、もうこんな辛い日はこないと思う。その日は朝からとてもいい天気で、Nくんは本当に最後まで親孝行だと思った。15時から火葬、逆算すると13時頃には棺に入れて準備しないといけなかった。まずは、Nくんを旅立ち用のお洋服にお着替え。退院する時にお着替えしたんだけど、その時はお下がりの洋服だったから、なんとなく新しい洋服で送ってあげたかった。パパと3人で家の周りを散歩したりして、最後の時間を目一杯楽しん
出産後、母は帰宅。旦那は特例で一晩一緒に泊まってもいいことになった。家族3人で一緒に過ごそうねずーっとお顔を見ていても飽きない旦那は絵本を用意していてくれて娘に読み聞かせをしてくれた。私は娘の写真や動画を残してあとはひたすら目に焼き付けていた。数日後別れることなんて今は考えないでおこうこの日は、この瞬間は、娘の誕生を祝いたいよねそう夫婦で話していたとき義母から電話がきたスピーカーで旦那が電話をとると「産まれたってね!あのこれからのことなんだけど、火葬とか葬儀とかあるでしょ
入院して出産するまでに赤ちゃんの洋服と頭が寒くないように赤ちゃんの帽子を縫わせてもらえました。産院では死産の患者さんのために何種類もの布や、赤ちゃんの大きさ別の型紙バイアステープ、リボン、裁縫セットなどを用意してくれていたのです。赤ちゃんが生まれて旦那さんと一緒にお洋服を着せて一緒に過ごした初めての夜その日の夜に思いました。赤ちゃんが着ている帽子もお洋服も火葬で燃えてしまうそれは悲しい。朝4時頃目が覚めるとそれに気づいた担当の助産師さんがあまり眠れませ
こんにちは☁今日は娘ちゃん、週明けの保育園で泣いていましたが、私も寝不足だったので、いそいそと預けて少しお昼寝しましたやっぱりあの喧嘩が、時々メンタルやられます喧嘩が理由と言うか…死産がなければ、こんな事にならなかったのに…とか、会いたい人に会えない気持ちみたいなものが、すごく辛くなる時があるんですよね〜。私は天使ママのわりには、明るく過ごしている方だと思っています。それは赤ちゃんの週数が小さかったから…とか、上の子がいるから…とかではなく、ただ泣いて何も出来ないのは嫌だから、きち
コロナな日々197~叔父の葬儀で東京へ●2024年3月12日(火)夜、母から電話。東京の叔父(母の弟)が本日早朝に亡くなったとのこと。通夜は3/16(土)、告別式は3/17(日)。高齢の母が東京に行くのは無理なので、告別式は自分が行く。東京在住の弟には、通夜と告別式の両方行ってもらうことにする。●2024年3月13日(水)朝、東京に単身赴任している友人のAさんにショートメール(SMS)を送信。自分はAndroid端末なのだけれど、送信先もAndroidなら、既読マーク
2020年2月26日娘が天国へ逝く日全然寝付けず、長時間の移動もあり体力の温存の為に無理にでも寝ようと瞼を閉じました。瞼を閉じると・・・可愛かった娘の寝顔決して起きることのない・・・・可愛い寝顔が思い出しました。思菜やっと会えたのにもうお別れなんだね・・・ずっと一緒に生きていたかった・・・どんな声でどんな瞳だったのかなどんな表情で泣いてどんなに可愛い笑顔だったんだろう・・・里帰り出産だった為、火葬は私の実家の方で行う予定でした。こ
こんばんは。納棺の現場では喜んでいただけることも多いのですがご納得いただけないことやご不満が残ってしまう場合もあります。こちらの対応が悪い場合もあります。説明不足や技量不足、故人様のお顔の表情の問題、火葬の都合上、どうしてもお受けできないこと時間の掛け方等々本当にいろいろあります。喜んでいただけた現場は本当にうれしく心も軽くなりますがクレームをいただいた現場ややむなく終了した感があった現場は心が重くなりますし本当に忘れられないし忘れてはいけない。
Nくんが生まれた翌日、病院から死産証明書をもらうことができた。前日の夜、明日には書類の準備ができます、と助産師さんに言われていたので、面会の際に夫に持って帰ってもらった。わたしは、書類を見たら更に辛くなりそうで一切見なかった。そして、夫は私の両親と一緒に市役所に提出、同時に火葬の予約もしてくれた。彼の地元ではなく、私の里帰り先での手続きだったから、両親が旦那と一緒にいろいろ進めてくれて本当にありがたかった。死産の場合、死産届の提出が必要ってことはなんとなく知っていたけど
「戦後最大級のフィクサー・大谷貴義は、日本の宝石王と呼ばれていました。ダイヤモンドは遺骨から製造可能です。遺体由来のダイヤモンドの利権を有していたと見ています。支配層の松利権は、遺体が関係する戦争や仏教に深く関わっているのです。」ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川から繋がる「大谷家」の大谷貴義の核心部分について追究していきました。「戦後最大級のフィクサー」と称された大谷貴義は、「日本の宝石王」とも呼ばれており、大きな松利権を支配することで巨万の富を得ていたと見ています。支配層・
現在、アメブロの入院・闘病生活ジャンルの最上位圏にランクインしている「胃癌ステージ4の旦那と私の日常を綴る日記」というタイトルのブログ主、nicoさんが、「火葬場の雰囲気に震えた」という記事をアップされています。この記事にも私は強く共感しました。火葬は「怖い」「残酷な」葬儀といえます。亡くなった方に、「早くこの世から完全にいなくなってくれ」といわんばかりの葬儀だからです。先日も触れましたが、日本は有史以来、土葬が超長期の慣行でした。火葬は仏教とともに伝来した葬儀であり、ほぼ定着したのが
ララですいつも読んでいただきありがとうございます4月25日夜中に実家の母からLINE実家のゴールデンレトリバーのピースが亡くなったと…夜中2時ごろ父親がトイレに行った時は廊下で寝ていて父がおいでと言ったら布団に来そうその後3時ごろ隣に寝ていた母が目を覚ますと息をしていなかったと前日の夜まで普通にご飯を食べていたのに急に亡くなってしまった隣で寝てたのに気が付かないほど静かに亡くなってしまったもう13歳だったので大型犬だと人間にすると90歳以上足腰はだいぶ弱っていた
膨大なサンプルを観察してきた。そして、私のリアルに知る人に関しては相当な人数であるが、長期的に被害を受けた人は皆無で、いつのまにか元に戻っているというのを見て来た。しかし顔も知らないいわば、知り合いの知り合いの知り合いくらいになるとやはり被害はけっこう耳に入ってくる。『人体の回復力と、陰謀論』アレについて、SNSでは、両極端に意見が別れ、バトルがありましたね。今日も、独断と偏見に基づき…いえいえ、たくさんのサンプルを観察して発信してまいります。*…ameblo.jp
2024.04.27父を思い出し、また泣けてきてしまう。いまだに夢にも出てきてくれない父葬儀の孫たちからの手紙に号泣した後は火葬場へ。父の顔が見れるのはこれが最後。父の頬を触ったまま泣き崩れる私。母は、頭のネジが外れたように、空元気のように、変に明るく振る舞うまだまだ受け入れられない様子ふと隣を見ると姉も号泣お通夜、葬儀と私と母がメソメソしているため気丈に振る舞っていた姉が号泣。2人で手を繋いで、抱き合って、大泣き。火葬の扉が閉められたあとも2人でずっとその場に留まり泣いて
家族葬のトワーズに見学行ってきました!近年は葬儀場は家族葬がスタンダードになってきました!家族葬のトワーズに見学に行ってきました!トワーズ、ネーミングがいいですね!入口、受付になります!遺族待機室お食事室になります。お坊さん控え室、宿泊室内遺族控え室になります。すべてとても清潔感のあるお部屋でした。式場は使用中のため写真はNGでしたがとても良い式場でした!料金プランは基本3パターンになります。一般葬儀(お通やあり)1日葬(お通やなし)直葬(火葬プラン)直葬プラン
『お墓を改装する事にしました』弟が亡くなって、親父の眠る墓に入る日が近々きます。その為に我が家系のお墓を綺麗にしようと、母が決めました。親父があの世に逝って33年経ち、お取上げをしようと法…ameblo.jpお墓にある遺骨を見せてもらった時に、伯父、叔母、祖父、祖母の遺骨がありました。そして、まちづくり整備課で一旦申請をして書き込みしてもらいました。その後、伯父、叔母、祖父、祖母の遺骨を一つにしてもらおうと思い、母と相談した結果、再火葬して一つの遺骨にしてもらおうと考えました。これがめち
私自身に起きた、死産の記録になります。似たような症状だからといって、同じ結果になるとは限りません。妊娠中の方は不安になるかもしれまん。また、辛い内容が含まれています。天使ママさんは辛い記憶を呼び起こしてしまうかもしれません。ご注意願います。妊娠16週で子宮内感染、切迫流産により入院。妊娠17週で羊水過少、流産・死産の宣告。妊娠19週で心拍停止、死産。ピヨちゃんはたくさんの思い出を残してくれ、そしてたくさんの人の愛に見守れ、旅立ちの準備に入りました。業者へピヨち
(一部、過去の投稿と被る箇所があります)火葬場に着くまでに、夫を乗せた車と私の車の間にいたお坊さんが道を間違えました。そりゃそうよね。Amazonで配達されてきたような、地の利のないお坊さんだもの。結局最後に到着したお坊さんは、頭をかいて苦笑いしながら車から降りてきました。一同が揃い、読経の中、本当に最後の別れの時になりました。もう一度顔を見ました。夫と呼ばれていた人の亡骸は、もうただの空容器に見えました。作り物の人形みたい。そう思いながら涙があふれました。人生で、父親より長く
トゥーサンの時期の墓地の近くのお花屋さんの店先今はトゥーサン(万聖節・諸聖人の祝日)のバカンスで、フランスでは皆がお墓参りをする時期です。我が家にとって、このトゥーサンのバカンスは、夫の命日が近いタイミングでもあり、もう10年以上が経った今でも季節的にあの頃のことを思い出してしまう複雑な季節でもあります。当時、ちょうどトゥーサンのバカンスが終わった翌日に、夫は職場で倒れて入院し、その後、数日のうちに亡くなってしまったので、本当に急なことで、茫然自失の状態でした。娘
前回の続き『棺に入れられなかった物』前回の続き『遺体となって4日ぶりの対面』病院を途中で抜け出し、死に際一緒にいれなかった私は、4日ぶりに遺体の旦那に会いました。この日はお葬式でしたが、葬儀場に…ameblo.jpお花や好きな物に囲まれた旦那を、最後火葬前に写真を撮りました。そして棺の箱は閉じられ、男性陣たちは旦那の棺を持って霊柩車に乗せる。霊柩車には私と旦那の弟が乗り火葬場へ向かいました。この3人で車に乗るのは4日ぶりで、4日前はまだ普通に生きてたのになって思う気持ちと、3人でよく車
お久しぶりですしばらく、ブログをお休みしていましたと、同時にSNSからも離れていて皆さまには、ご心配をおかけしていましたちゃんと、生きてます何とか、日々を過ごしていますブログをお休みしたのはあの日、祖父が亡くなったんです娘を亡くして、半年もせずに、祖父を…わたしは両親が離婚していてそこからは母と一時に暮らしていました亡くなったのは父方の祖父だったので離婚後はそこまで密な関係ではありませんでした何年かに1度、会うくらいましてやコロナ禍以降は祖父も認知症のため施設入所し
ピッコマで漫画配信中!「ぎふてっど」で検索オンラインサロンへのご参加もお待ちしています♪オンラインサロン/コミュニティ運営ならYOOR「ユア」YOORは、オンラインサロン専用トークルームを完備した、コミュニティやファンクラブ、オンラインレッスンの場として利用できるプラットフォームです。yoor.jp母と2晩ほど一緒に過ごし、火葬の日。いよいよお棺の顔の部分の蓋が閉じられるという瞬間。母の死後の顔は散々見たのに、これで見納めかと思うとなんだか妙に悲しくな
火葬が終わって、子供達を実家に迎えに行った。めずらしく長女が熱が出ていた。かなり久々。なんだろうこのタイミング…3人とも私の実家は大好きで帰るのを嫌がるくらいなので、寂しかったとかはないと思うんだけど。色々考える時間を減らす為に、次々と用事を与えてくれたんだろうか。家に連れて帰ると線香の匂い、仏壇にはお花がたくさん。いつもと違う事に気づく。主人が子供達を仏壇の前に座らせて説明した。お腹の赤ちゃん、病気が見つかって産まれてこれなかったんや…お空に帰ったんや。みんなの事見守ってくれよるから、
あーちゃんへ沢山のコメント、メッセージをありがとうございます。ブログを通してあーちゃんはこんなに皆さんにお気持ちをいただいていたのだなあと改めて感謝の気持ちでいっぱいです。おひとりおひとりへのお返事をするのは難しいため、こちらでご挨拶にかえさせていただければと思います。ご訪問ありがとうございます2017年にアルツハイマー型認知症と診断された母の介護日記を書いています。母は現在介護付有料老人ホームで暮らしています。詳しくはこちらをどうぞ↓『「アルツフルデイズ」について』公式トップ
火葬場には予約時間の30分前に着く必要がありました。火葬場に着くと、私達の親族が待っていました。静かな火葬場に、見慣れた顔が並びます。皆、喪服を着て、悲しそうな顔をしています。よんちゃん。あなたのお父さんお母さん、お兄ちゃんにお姉ちゃん。ひいおばあちゃんにおじいちゃんおばあちゃん、おじさんもおばさんも、みんな生きてるんだよ?なんで、最初に逝ってしまったのですか?また涙が溢れてきました。たまらなく、つらくて苦しかった。よんちゃんをみんなに抱っこしてもらい、手続きに入ります。中
火葬当日。眠れないまま朝を迎え、火葬場へ向かいました。喪服は持っていなかったため、真っ黒なワンピースに黒のジャケットで。足元、バッグは喪服のものを持っていたので、使用しました。奇しくも、このワンピースを買った時、母から修道女みたいだねと言われていたものでした。まさか自分の息子を送る時に使用することになるとは…思ってもいませんでした。11時からと聞いていましたが、早めに出たため、10時半に到着予定でした。実家から火葬場までは1時間弱。私は運転ができないため、父が運転してくれていま
題名の通り、3月18日に勇輝ちゃんを火葬してきました。色々と調べてなるべく骨を残してくれる火葬場を選びました。2月26日に火葬をしようと決めていましたが、(火葬の日を決めないと、私と勇輝ちゃんは退院出来なかった為)火葬所の方と話すと、「胎児の骨は残っても骨盤と遺灰位になる」と言われ、「せっかく私達の所に来てくれたのに、何も残らないのは悲しい過ぎる」と思い、その日は火葬をキャンセルしました。冷蔵庫に入れて保管していましたが、段々と腐敗してきたので、丁度流産してから1ヶ月が経過してから火葬する
飼っていた動物が死ぬと、昔と違ってそこら辺に埋めるわけにはいかない都会だと土のある場所が無かったり、所有者もハッキリしていてやたらと埋められない実家で飼っていた元野良猫の与作は近所のちょっとした山に埋めに行った表札に書いたら同居し始めたおじいさんと間違えられた与作埋めたのは夏休みの間、早朝走っていたところそこだって誰かの山なのだろうけど、分からないもんねその頃は動物の火葬屋さんなど無かったし、たとえ有ってもたぶんほとんどの人は頼まなかったと思う今は火葬屋さんが家に来てくれたり、ペッ
今日でちょうど葬儀と火葬から1週間。1週間前の今頃、息子は骨になって私の元に帰って来た。真っ青な空に白い雲が浮かんでて、とても静かな真夏日。霊柩車の助手席で息子の遺影を抱えて隣の運転手さんにスマホの動画を見せつつ話しかけた。『この動画、息子が産まれて直ぐに撮影した動画なんです。助産師さんに抱き抱えられて元気な産声をあげていますよねぇ…昨年の12月7日…8ヶ月後には骨になってしまうなんて…人生て何が起こるか分かりませんねぇ』と笑いながら独り言のように呟いている不気味な自分がいた。この日が
パシュパティナート、バシュバテイナタ(Pashupatinath)は、カトマンズにあるシヴァ神を祭るネパール最大のヒンドゥー教寺院。バグマティ川の川岸に建ち、1979年世界遺産に登録された「カトマンズ盆地」を構成する一つ。シヴァが滞在したとの言い伝えのあるこの地は、はるか1500年以上も昔から巡礼の地となっており、インド大陸四大シヴァ寺院の一つにも数えられ、近年までヒンドゥー教が国教であったネパールでは最高の聖なる地であり、ネパール国内のみならずインドなど海外からのサドゥや巡礼者が数多く訪問す
火葬時の職員が、私達の控室にやって来て火葬が終わったことを告げました。火葬を始めてから1時間が経過したころでした。小さいため、通常より早く終わったようです。そのころには私も、少しだけ気持ちが落ち着きつつありました。子どもと手を繋いで、よんちゃんの元に向かいます。案内されたお部屋には、まだ熱をもった台がありました。そしてそこには、小さなお骨がありました。どこがなんの骨か、良くわかるほどキレイに残っていました。私達はそれを、ひとつひとつ丁寧に取り上げました。ハッキリと分かる骨が無く