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京都2日目のことです。もう一つお寺を見に行こうということになり、友だちが、「大徳寺でも特別拝観しているって言うんだけど、どお~?」って聞いてきたので、「大徳寺か、ずいぶん行ったことがないから行ってみたい」と私。というわけで、大徳寺へ。駐車場もあると言うことで、和順会館を10時前に出発。まずは「黄梅院」へ。大徳寺黄梅院【織田信長、豊臣秀吉、小早川隆景、蒲生氏郷、千利休…戦国ゆかりの寺2024年10月5日~12月8日】秋の特別公開2024年10月5日~12月8日拝観
ロシア正教会とは?プーチン大統領を支持している!?【正義のミカタチャンネル】ロシア専門家・中村逸郎先生2022年6月11日収録ロシア人の本音①この話は、中村逸郎先生、高橋洋一さん、長谷川幸洋さんの対談で言っていたことです。この対談は前にも見たことがありますが、もう一度よく見てみると、いろんなことに気が付きました。まず、第一番に「ロシアとは何だろうか?」と考えると、筑波大学名誉教授の中村逸郎先生は、「皆さんロシアが先進国だと思っていますが、とんでもありません。ロシアは
アクセスありがとうございますいいねボタンありませんのでご興味ない方トバシテ下さい!テーマがバラバラですみませんm。。m三条帝がとうとう御譲位され次の帝になられたのは後一条帝(=敦成・あつひら親王)三条帝(院)は御譲位後太秦広隆寺に参籠されたり比叡山根本中堂に参詣されて病気平癒を祈願されましたが1017年に崩御されました今回は三条帝の最期のお言葉に感動しました「娍子(すけこ)!闇を共に歩んでくれて嬉しかったぞ!」闇の中でもポジティブな姿勢を崩さない不屈
皆様、いかがお過ごしでしょうか?日進舘は今日も元気です♪今日は寒いですね💦昨日の夜には、こんなに雪が……外気温もマイナス5℃❄️この雪で、出迎えてくれるのは、、、ヒヨコちゃん🐤積もりました☃️沢山、雪が降り、積もりました❄️万座にお越しの際はくれぐれも、くれぐれもお気を付けくださいませ🙇♀️スタッドレスタイヤもお忘れなく、お越しくださいませ🛞11月19日のお花は『ムラサキシキブ』💐花言葉は【聡明】です✨紫式部の源氏物語が大好きで、取り憑かれたように読んでいたなぁ、、、
おはようございます😃お寺で和の香りを作りましょう香宮かんです今年もギリギリいただけました、こちらは《亥の子餅》!今回は先日訪れた京都駅のお土産コーナーの,八ツ橋で有名な井筒屋さんのもの😆かんちゃん、京都へ?忙しないねーイノシシ🐗さんの子供のウリ坊を模した和菓子。旧暦十月亥の日、亥の刻(夜の9時から11時)食べるこちらは、源氏物語の《葵》にも登場するお菓子🍭京都風俗博物館に行きましたー!中国から伝わった風習で,なんでも万病に効くと信じられていたそう✨また多産なイノ
TEACEREMONY11月は茶人のお正月とも呼ばれ、茶道のお稽古は炉開きとなります。ウリボウをイメージした「亥の子餅」をお茶菓子にいただくのが楽しみの一つです旧暦の亥の月(現在の11月)の最初の亥の日・亥の刻(現在の11月13日)に亥の子餅を食べると無病息災や子孫繁栄が叶うとされています。イノシシが多産であることから、子孫繁栄を願う意味も含まれたそうです。お稽古の直前に京都にいたので、せっかくなら京都の和菓子屋さんの亥の子餅を楽しむことにしました。
Wikipediaより藤原道長公が「望月の歌」を詠んだWikipediaに藤原道長-Wikipediaja.wikipedia.org実資はその日記に「一家立三后、未曾有なり」(『小右記』)と感嘆の言葉を記した。10月の威子の立后の日に道長の邸宅で諸公卿を集めて祝宴が開かれ、道長は実資に向かって即興の歌「この世をばわが世とぞ思ふ望月の虧(かけ)たることもなしと思へば」を詠じた。実資は「優美なり」としたが返歌は
日曜日に(๑́⌯ꇴ⌯)ノおはようデス☀︎猛暑日は続きますしたたる汗は大地を濡らす平安の都・京都の地思いは馳せる千年の雅な世界最愛だった筈の藤壺の死のあと光源氏の心は癒しがたくかつて求愛していた桃園式部卿宮の娘朝顔に熱心に言い寄るのでした*誰にも知られず神の許しを待っていた間に長年つらい世を過ごしてきたんだ✿一通りのお見舞いの挨拶をするだけでも誓ったことに背くと神が戒めるでしょう朝顔の古称槿(ムクゲ)✤古く平安時代[ムクゲ][キキョウ]を朝顔と称していたとい
旧暦十月最初の亥の日【玄猪=亥の子の日】令和6年(2024年)は11月7日(木)で立冬と同じ日この日、万病を払い子孫繁栄を願って食べるお餅。その名は『源氏物語』の「葵の帖」にも見られ、当時の製法は不明ながら、亥の子の形につくられていたよう。【とらや】季節の生菓子<亥の子餅>販売期間11/1()〜11/30(木)まで1個:税込・¥540【とらや】では、鎌倉時代の文献を参考に、きな粉・干柿・胡麻を混ぜ込んだ餅製の生地で御膳餡を包んで表面
ご訪問ありがとうございます。先週の「光る君へ」では、双寿丸(伊藤健太郎さん)が賢子と別れて、主人である平為賢(神尾佑さん)について大宰府に行くという展開でした。NHK「光る君へ」をしへて!佐治芳彦さんより同じ頃、目を負傷した藤原隆家(竜星涼さん)も、名医がいるという太宰府の赴任を希望していましたね。隆家ですが、一条天皇の皇后の宮である定子の弟で、「枕草子」では目立ちたがりでユーモアのある人物に描かれています。クラゲの骨『サロンの華<1>清少納言その4中関白家とのやり取り』
おはようございますあいです。イラスト解釈では、古文目線を養うための古典常識を中心にお話ししています。お役に立てたら幸いですっ♪(*^m^*)↓今回の源氏物語↓ーーーーーーーーーーーーーー「…『うち払ふ袖も露けき常夏にあらし吹きそふ秋も来にけり』とはかなげに言ひなして、まめまめしく恨みたるさまも見えず。…」イラスト訳はこちら→ーーーーーーーーーーーーーー【源氏物語~これまでのあらすじ】桐壺帝の御子である光源氏は、臣下に降格してからも継母である藤壺宮を忘れられないで
あらすじまひろ(吉高由里子)の娘、賢子は数えの三歳に。子ぼんのうな宣孝(佐々木蔵之介)に賢子もなつき、家族で幸せなひとときを過ごしていた。任地に戻った宣孝だったが…。まひろを案ずる道長(柄本佑)は、越前国守の再任かなわず帰京した為時(岸谷五朗)に子の指南役を依頼するが、為時は断ってしまう。一方、土御門殿では、詮子(吉田羊)の四十歳を祝う儀式が盛大に執り行われていた。しかし、詮子の身体は弱っており…。感想スケボー中継からの突然の切り替えに吹きました(≧∇≦)
こんばんはあいです。◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇■【御心ばへ】…心遣い、意向、心の様子■【おどろかす】…注意を促す■【~せたまふ】…~あそばす(最高敬語)◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇今日はこの中から、「心ばへ」についてお話します☆ーーーーーーーーーーーーーーー「心ばへ」は、心が動いていく、伸びていくことをいいます。↑こんなふうに、心が向いていく、その様子を表します。したがって、・相手へ思いやりの心が向いていく様子→心遣い・何らかの事物に心が向いている様
【古文】ものなども聞こし召さず、朝餉のけしきばかり触れさせたまひて、大床子の御膳などは、いと遥かに思し召したれば、陪膳にさぶらふ限りは、心苦しき御気色を見たてまつり嘆く。・・・・・・・・・・・・・・・ものなども聞こし召さず、お食物などもお召し上がりにならず、朝餉のけしきばかり触れさせたまひて、訳)朝の御膳はほんの形だけお箸をおつけあそばして、大床子の御膳などは、いと遥かに思し召したれば、訳)正式な大床子の御膳などは、とても召し上がる気になれないとお思いになっておられるの
さんざん道長と張りあった三条天皇が、けっきょく譲位することになりました。天皇というものはできれば早めに退位&出家したがるものだけど、25年も皇太子の座に耐えた末の践祚でしたから、もうちょっと頑張りたかったね。養子資平を蔵人頭にしてもらえなかった件で、「私を頼りにするな!」とブチ切れていた実資さんですが、譲位と引きかえに第1皇子敦明親王を春宮にするという知恵を出しました。頼りにされると断れないタイプ。敦明親王は春宮になったものの、翌年に三条院が崩御すると春宮を辞退して准太上天皇小
2023大学入学共通テスト【3】古文の逐語訳です。字数制限により、イラスト訳を分散投稿しています。イラスト訳1⇒イラスト訳2⇒イラスト訳3⇒【1】宮司(※皇后に仕える役人)ども集まりて、船をばいかがすべき。紅葉を多くとりにやりて、船の屋形にして、船さし(※船を操作する人)は侍のⓐ若からむをさしたりければ、俄に狩袴染めなどして(※狩衣の袴を今回の催しにふさわしく染めて)、きらめきけり。その日になりて、人々、皆参り集まりぬ。「御船はまうけたりや」と尋ねられければ、「皆ま
【古文】「…また直人の上達部などまでなり上り、我は顔にて家の内を飾り、人に劣らじと思へる。…」ーーーーーーーーーーーーーーーまた直人の訳)また、普通の身分の人で上達部などまでなり上り、訳)上達部の位などにまで出世して、我は顔にて家の内を飾り、訳)得意顔で屋敷の中を飾り、人に劣らじと思へる。訳)誰にも劣るまいと思っている(人)。【古文】「…また直人の上達部などまでなり上り、我は顔にて家の内を飾り、人に劣らじと思へる。…」【訳】「…また、普通の身
第三話で源倫子のサロンで、忖度なく漢字の実力を見せつけたまひろ。そして別の機会に和歌の実力もみせつけたまひろ。まひろ以前に倫子のサロンにいた女性は「空気読めよ、下級貴族の娘」と言いたそうですが、倫子の母親がまひろの実力にかんしんしていましたし、倫子の「赤染衛門と仲良くなりそうね」の一言で黙るしかなかったみたいですね。あとまひろ(紫式部)が持っていた残りの実力は、日本紀の知識。これは紫式部日記「日本記の御局」が該当するのではと思います。<「日本記の御局」のあらすじ>私(紫式部)に悪意を持って
【番外編】京都市上京区京都御苑の京都御所京都市の中心部に位置する京都御所は源氏物語の主人公「光源氏」が誕生した地で源氏物語は京都御所から物語がはじまります。京都御所は長らく日本における都の中枢ですが794年平安京へ遷都した時の御所からは火災などで幾度か場所を移されています。現在の京都御所は古来の内裏の形態を今日に保存している由緒あるもので安政2年(1855年)
【古文】「さるべき契りこそはおはしましけめ。そこらの人の誹り、恨みをも憚らせたまはず、この御ことに触れたることをば、道理をも失はせたまひ、…・・・・・・・・・・・・・・・「さるべき契りこそはおはしましけめ。訳)「こうなるはずの前世からの宿縁がおありあそばしたのだろう。そこらの人の誹り、恨みをも憚らせたまはず、訳)たくさんの人びとの非難や嫉妬をも気がねあそばさず、この御ことに触れたることをば、訳)あの方の事に関することは、道理をも失はせたまひ、…訳)分別をお失いあそばさ
明石の姫君が二条の院で紫の上に懐いていた頃、太政大臣(葵の上の父君・元左大臣)が亡くなったわ。源氏は、そろそろ静かな出家を願っていたのだけれど、政務が多忙になるとそういう訳にもいかなくなると、太政大臣の死を残念に思うわ。その年は世の中に変事が多くて、朝廷でも神仏のお告げがしきりに有ったのよ。また、天候も異常な月や日や星の光が見えたりで、周囲の人は不安になっていたのよ。で、藤壺の尼宮は、正月初めからずっと病で苦しんでいたわ。帝はたいそう心配して三条の宮にお見舞いの行幸をなさり、非常に
「その人なめり」と見たまふに、いとをかしければ、太刀抜きたるかひなをとらへて、いといたうつみたまへれば、ねたきものから、え堪へで笑ひぬ。【これまでのあらすじ】桐壺帝の第二皇子として生まれた光源氏でしたが、源氏姓を賜り、臣下に降ります。亡き母の面影を追い求め、恋に渇望した光源氏は、父帝の妃である藤壺宮と不義密通に及び、懐妊させてしまいます。光源氏18歳冬。藤壺宮は、光源氏との不義密通の御子を出産しました。源氏は、年増にして色好みの源典侍(げんのないしのすけ)にちょっかいを出したのを、義兄
こんばんはあいです。◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇■【かれ】…あのお方、ここでは桐壺更衣をさす■【人】…人々、ここでは妃たちをさす■【の】…~が(主格)、~の(連体格)■【ゆるす】…許す、認める、許容する■【きこゆ】…~申し上げる■【ざりし(ざりき)】…~なかった■【~に】…~のに、~ところ、~時に■【心ざし】…愛情、寵愛■【あやにくなり】…あいにくである■【~ぞかし】…ものだよ(強調)◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇今日はこの中から、「あやにく」の意味についてお話しします。ーーーーーー
源氏物語イラスト訳の重要古語です【古文単語の主なパターン】1.古典特有語…現代にない古語。2.古今異義語…現代と意味の異なる古語。3.死語的現代ワード…高校生がほぼ使わない死語?【今回の源氏物語】またなくらうがはしき隣の用意なさを、いかなる事とも聞き知りたるさまならねば、なかなか、恥ぢかかやかむよりは、罪許されてぞ見えける。今回のイラスト訳はこちら――――――――――今回出てきた古文単語――――――――――■【またなく】
後白河院が蓮華王院宝蔵にコレクションした『絵巻物』は日本美術史上の傑作揃いですが、院が関与したといわれる「小柴垣草紙」は「袋法師絵詞」「稚児之草紙」と共に三大性愛絵巻物と称される傑作です小柴垣草紙のモチーフは斎宮(写真は全てネット画像を借用しています)野宮神社斎宮行列「小柴垣草紙」は、実際に起きた※斎宮(さいぐう)と警護の滝口武者(内裏の警護の武士)の密通事件を下敷きにして制作されました神に祈る斎宮のイメージ※斎宮とは、天皇の名代として伊勢神宮の大祭に参加する巫女で、未婚の内親王又
第21帖・少女では、光源氏33歳夏から35歳冬のことが話題になっています。※Top写真は、住吉大社表参道にある”俵屋宗達筆・澪標の図屏風”の複製陶板画になります。第12帖・明石から第21帖・少女までは、光源氏が窮地に陥り、須磨での禊の後に明石に行きそこから運気が上向きになっていく様子が書かれていますので、その代表的なシーンを用いています。ただ、今後はTop写真を変更する可能性もあります。※この項目は、関連事項などの記事をアップしたらリンクアップデートします。「少女」という巻名は、光源氏と夕
こんにちはわいわいプラス富野教室です2023年11月4日(土)今回はお出かけということで、京都府宇治市で開催されている宇治十帖スタンプラリーに行って来ました宇治十帖(うじじゅうじょう)スタンプラリーは、毎年10月から11月の期間に開催されている宇治市のイベントの1つです今から1,000年ほど前の平安時代中期に成立した長編小説『源氏物語』の主人公、光源氏の息子(本当の父親は別人とされています)薫君(かおるのきみ)が中心人物となる物語の舞台が、現在の宇治市と
【原文】御前の壺前栽のいとおもしろき盛りなるを御覧ずるやうにて、忍びやかに心にくき限りの女房四五人さぶらはせたまひて、御物語せさせたまふなりけり。・・・・・・・・・・・・・・・今日は「御前の様子」のお話です☆ーーーーーーーーーーーーーーー【これまでのあらすじ】帝のご寵愛を独り占めにし、幼子を1人遺してこの世を去った桐壺更衣…。忘れ形見である光の宮の参内を切望する帝は、その旨を伝えに更衣の実家へ派遣した靫負命婦の帰りを待ち侘びていました。ーーーーーーーーーーーーーーー夕
1900年1月に浄土真宗本願寺派の覚応寺僧侶・河野鉄南に初めて会い、それが与謝野鉄幹になっています。与謝野鉄幹は京都出身ですが、大阪住吉郡(今の大阪市住之江区)にある浄土真宗本願寺派・安養寺に養子となっている経歴があります。安養寺と覚応寺は同じ宗派でしたので、河野鉄南と与謝野鉄幹は面識があったんでしょうね。この記事では、与謝野晶子の伴侶・鉄幹について紹介します。<与謝野鉄幹の生涯>※上記写真は鉄幹若い頃の写真(さかい利晶の杜に掲示)◎18**年、京都愛宕郡岡崎の浄土真宗本願寺派寺院・願
『光る君へ』のドラマ評を書くことを目的に、このブログを昨年9月からはじめましたが、続けることができなくなりました。今回の放映を見るまでは、7月7日の放映中止日にはドラマの前半の総括をしようかと思っていたところなので、このようなことになるとは、と自身驚いています。また清少納言が中宮定子の不遇のときを記した『枕草子』の各段を時系列にわかりやすくまとめて、ドラマ評に活用できるようにしていたのですが、今回26話を見ている途中で、ドラマ評を続けるのは無理だと気づいたのです。道長が一条天皇を「誹謗」し