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土浦駐屯地の隣、予科練平和記念館へ。桜が満開でしたねえ。ここは以前にも訪れていますが、今回は企画展「心をつないで—海原会のこれまでとこれから」を見てきました。(中は撮影禁止なので、写真はないのです)予科練予科練生とは、海軍予科練習生の略称。予科練といえば、太平洋戦争中、下士官搭乗員として海軍航空隊を支えた存在でした。名だたる搭乗員達が予科練から育っています。「ラバウルの魔王」西澤広義さん、「空戦の神様(そして我らが菅野直大尉大好きな)」杉田庄一さん、「海軍のB29撃墜王」月光の遠藤幸男
美しく、哀しき銀河梓特別攻撃隊の存在を知ったのは、海軍の爆撃機「銀河」について調べていた時でした。銀河は太平洋戦争後半で実戦投入された海軍の高速爆撃機で、海軍航空廠が当時の技術のすべてを傾けて設計した最新機。生産したのは中島飛行機。↑銀河(写真はWikiからお借りしました)最大速度556キロで、航続距離は5000キロを超える。エンジンがダブルで、操縦桿はスティックではなくリング。一式陸攻の後継機とされ、多人数で運用していた一式陸攻と違い、操縦員、偵察員、電信員3名で運用可能。艦上攻撃
鹿児島出張で立ち寄った隼人歴史民俗資料館。隼人歴史民俗資料館www.city-kirishima.jp鹿児島神宮から近く。入館料は大人¥180。犬好き西郷さん。上野の銅像とはかなり違う、確か写真嫌いだったとか暗殺を回避する為に写真を撮らなかったとか。この形は初めて見た。ダイヤル式電話機、使えない(知らない)世代がかなり増えて来てますね。戻るのが遅い電話機も有ったな。和文タイプライター。これはギミックが凄いって思ったな。ここで文字を合わせると。ここで版を拾い印字。ワープ
1941年(昭和16年)12月8日。ハワイの真珠湾を日本海軍が攻撃した日。その日から太平洋戦争が始まりました。あの日、真珠湾を攻撃した日本海軍の飛行隊の陣容は、第一次攻撃隊182機と第二次攻撃隊167機の合計350機。魚雷を放つ艦上攻撃機(艦攻)、爆弾を放つ艦上爆撃機(艦爆)、そして敵戦闘機と戦闘する零戦と、3種類の航空隊が出撃しています。総指揮官は淵田美津雄中佐。淵田中佐の指揮官機から、有名な「トラトラトラ」(ワレ奇襲ニ成功セリ)の電信が発せられました。その時の海軍攻撃飛行隊を
52丙型です。やってしまいました。1/72と間違えたのです。既に1/48として購入してあったので、2個目です。1/48なのに箱の大きさが一緒て・・・値段もほぼ同じだし・・・くっそ~~~~。組立説明図は日本語と英語で2枚入っています。1/72に人形は付いていませんが1/48はパイロットと整備員6体が付属します。ただ整備員の出来が今一つです。E.T.みたい。設計が1983で古いです。だから安いのか。塗装指示もコクピットの色が青竹色です。プラモに出戻った時はコクピットを青竹
伝説の紫電改部隊零戦の後継戦闘機、紫電改。源田実司令率いる三四三空で、太平洋戦争の末期、光芒を放った紫電改部隊。鴛淵孝大尉が率いる七○一隊(通称が維新隊)菅野直大尉が率いる三〇一隊(通称新選組)そして、林喜重大尉が四〇七隊(通称天誅組)を率いていました。林大尉についてはこのブログでも「大変な部下思い:四〇七隊長林喜直大尉」で紹介しております。『大変な部下思い:四〇七隊長林喜重大尉』林大尉の紫電改引き揚げプロジェクト進行中!以前「よみがえる紫電改」で、鹿児島県阿久根市折口海
珊瑚海海戦1942年(昭和17年)5月7日、8日。南太平洋、オーストラリア北東沖の珊瑚海。英語ではCoralSea。(地図はWikiからお借りしました)オーストラリアのポートモレスビーを攻略する一環として、珊瑚海に進出した日本海軍と、それを撃退しようとするアメリカ・オーストラリア連合国艦隊との間で戦われた海戦。名付けて、珊瑚海海戦。この海戦は、空母と空母が互いの視野の外から攻撃し合うという海戦史上初の空母海戦となりました。1941年(昭和16年)12月に真珠湾攻撃、1942年2
イギリス艦隊を発見した帆足少尉機太平洋戦争関連の本を読んでいると、あれ?この名前、前にも見たな・・・と思い、調べ直すことがあります。帆足正音(ほあしまさと)少尉もその一人で、いろいろな本のマレー沖海戦の記述のところでチラッと出てくる。その名前が独特なので印象に残っていましたが、豊田穣著『マレー沖海戦』を読んで、索敵に大活躍したすごい人だったのだとわかりました。戦争中は国民学校の教科書にも掲載されるほど有名な海軍士官だったそう。今では、帆足少尉のことを知っている人は少ないと思うけれど・・・