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「行く先は四国と決めている。四国でなくてはならないという理由はない。でも地図帳を眺めていると、四国はなぜか僕が向かうべき土地であるように思える」村上春樹「海辺のカフカ」p18詫間海軍航空隊詫間航空隊と言う存在と神風特攻隊の基地であったという事実を詫間海軍航空隊記録編集委員会のホームページで偶然に知ることとなった。上図はその当時の詫間航空隊の平面図と、その概略であり、詫間航空隊の知識と図は詫間海軍航空隊記録編集委員会のホームページから拝借した。そしてその土地と建物に潜む歴史を知らぬ
1/48雷電です。発売は1974年で50年以上前の製品です。すげ~~~~!今でも販売しているということは、売れているんだろうな。安いし。現在発売されているアイテムなのでデカールが貼れない心配はありません。でも流石に「フムナ」などの文字はありません。モールドは零戦51丙型同様凸凹混在です。編隊灯のモールドはありません。資料を見て穴を開けます。赤LEDの抵抗を主翼に収めたところです。青と尾灯のLED用抵抗は右主翼内です。点灯試験です。1/48で透明部分も大きくなります。レ
珊瑚海海戦攻撃隊最初の犠牲者珊瑚海海戦。1942年(昭和17年)5月4日から8日に渡って、ニューギニアとオーストラリアの間にある珊瑚海で日本海軍と連合軍(主にアメリカ軍)とで戦った海戦。ポートモレスビーを攻めるというMO作戦の一環でしたが、両軍が敵の艦隊がどこにいるのかわからず、空母の機動部隊同士の戦いになった、史上初の空母海戦となりました。珊瑚海海戦についてはこのブログでもたびたび書いております。相手の艦隊が目視できないまま、攻撃隊を発進させる戦いですから、索敵が超重要になります。相
「ワレに追いつくグラマン無し」です。30年前の製品です。昔を思い出させるパッケージングが楽しいです。エッチングのピトー管が付属します。デカールもなかなか細かくて良い感じですが「フムナ」ラインは無いのですね。凹ボールドでパーツも繊細な感じです。翼端灯もクリアーの別パーツです。でも綺麗に付きそうにありません。翼端は上に向かって曲がっていますが繊細なラインです。金型はそういったところから痛むので、少々酷い状態です。この隙間、どうするのが正解か分かりません。埋めるべきか削る
彗星43型です。エンジンを液冷から空冷の金星エンジンに換装したものです。調べたら43型は特攻機専用みたいになり、後部座席や旋回機銃などを外したタイプの様です。でもキットは付いているので33型ということにします。特攻機なんて嫌だから・・・キットは12型とコンパチの様で液冷機首も付属します。翼端の処理が最近の物と同じです。存外新しいものかも。アリイでやらなかった電動化をします。エンジン部分は加工しなくてもモーターが入ります。ていうか大きめです。モーター4mmに対して5mmく
彗星の液冷エンジンタイプです。箱絵の3番です。プラが恐ろしく漏れています。タミヤもハセガワも1/72は現在取り扱っていません。仕方なしに買いましたが、う~~~~~~ん。ガッカリ。1960~70年の金型でしょうか。翼と胴体を見てください。日の丸のモールドがあります。ある意味貴重?胴体は一体ではなく機首部分が後嵌めです。空冷エンジンもあったのでしょうか。仮合わせしたら胴体が合いません。それもそのはず、座席が大きすぎです。削りました。今回は光らせるとか関係ないです
零戦22型です。52・21・32と来てタミヤ1/72零戦の最後です。32型のモーターを失敗したので、別のモーターにしました。いつもの如く作り、点灯試験です。赤が弱いですが原因が分かりました。青・白・緑は3Vですが、赤・黄などは2Vだそうです。3Vで売っているのに、とんでもねー!・・・抵抗をかませば良いそうです。220ΩとのことですがLEDの消費電力が分からないので、要検討です。塗装です。カウリングなど塗ってマスキングです。下面は灰緑色です。上面は灰緑色(中島系)をベ
32型です。「艦上」といいますが「陸上」のイメージが強いです。デカールも地上の部隊しかありません。次の22型と金型を共通するためか、はめ込み式のパネルがあります。垂直尾翼も舵の部分が別パーツです。なんかカッコイイ。ネットで風防のマスクシートが売っていたので購入しました。¥200です。送料が¥110で損な気分ですが、他に3点注文しても送料は変わりませんでした。逆に「送料安っす!」です。今回は閉状態です。開状態は塗料が吹き込みそうで心配だったからです。今回も電動化しま
滋賀海軍航空隊と大津海軍航空隊琵琶湖の周りには、滋賀海軍航空隊と大津海軍航空隊がありました。滋賀海軍航空隊は、滋賀県大津市の滋賀里町にありました。通称「滋賀空」。太平洋戦争中は秘密基地であったそうで、当時の記録や資料は限られているそうです。太平洋戦争が進むにつれ、飛行予科練習生(予科練)の人数が急増したので、予科練生を育成する目的で1943年(昭和18年)に設立されました。滋賀海軍航空隊では、甲飛第13・14期をはじめとした生徒の教育を行い、最終的に甲飛第16期生までが入隊しました。
また零戦52丙型です。パネルラインを濃く塗っていましたが、ドライブラシは逆に角を白くします。反対にしたらどう見えるのかな?やってみます。素組です。塗装前です。識別帯を塗ってマスキングです。日の丸もグラデーションを入れました。裏は灰緑色(中島系)で塗ります。パネルラインを白っぽくします。色の差が大きいなあ。中島系ではなく、白い方でぼやかします。もっと白くして上塗りです。やりすぎた?上面は濃緑色(1/144向け・ガイアカラー)です。パネルの中を濃緑色(三菱系)で塗り
紫電です。昨年製作しましたが、今回はLEDを組み込んで作ります。古いキットですがなかなか細かく、排気管などは一本一本分かれています。排気管は細いのでモーター組み込み穴を開けるのに折れそうでした。主翼が中翼なので結線のタイミングに悩みました。点灯試験です。塗装前です。識別帯を塗ってマスキングです。下面を黒サフ・銀8番で塗りパネルラインを処理します。上面に濃緑色を吹きます。こちらも濃淡を付けます。パネルの中を吹いた後、ぼかします。細かな部品を付けて塗装します。ガンポッドの銃
紫電改です。中古で買いましたが、かなり古い製品で郵便番号が3桁です。なんでC.G.なんだろう。箱絵のことかな。紙製品は黄ばんでいて、デカールも怪しいです。紫電改装備部隊の資料が付属し、番号を選ぶ際の参考に出来ます。凹モールドで、広すぎず深すぎずで良い感じです。前回の飛燕Ⅱ型改の方が新しいのでしょうが、落ちます。何があったのでしょうか。コクピット周りはすっきりとしていて時代を感じます。この辺は仕方ないと思います。エンジンに4mmモーターを組み込みます。サイズがピッタリで
2025年4月6日にこのブログで、「よみがえる紫電改」のタイトルで、鹿児島県阿久根市折口の海に沈む紫電改の引き揚げ活動について書きました。『よみがえる紫電改』愛媛県の紫電改展示館昭和54年(1979年)、愛媛県南宇和島の久良湾の海底に沈んでいた紫電改がほぼ完全な形で発見され、引き揚げられて「紫電改展示館」で展示さ…ameblo.jpそして、ついに、2026年4月8日、紫電改が引き揚げられました!ニュースで、海から引き揚げられた紫電改を見て、涙でましたわ。胸アツです。紫電改の翼
土浦駐屯地の隣、予科練平和記念館へ。桜が満開でしたねえ。ここは以前にも訪れていますが、今回は企画展「心をつないで—海原会のこれまでとこれから」を見てきました。(中は撮影禁止なので、写真はないのです)予科練予科練生とは、海軍予科練習生の略称。予科練といえば、太平洋戦争中、下士官搭乗員として海軍航空隊を支えた存在でした。名だたる搭乗員達が予科練から育っています。「ラバウルの魔王」西澤広義さん、「空戦の神様(そして我らが菅野直大尉大好きな)」杉田庄一さん、「海軍のB29撃墜王」月光の遠藤幸男
霞ヶ浦海軍航空隊と土浦海軍航空隊土浦海軍航空隊の歴史は、1940年(昭和15年)11月に霞ヶ浦海軍航空隊の予科練習部を移転させたことから始まります。霞ヶ浦海軍航空隊とその分派の歴史をたどってみると・・・。1922年(大正11年)11月に、霞ヶ浦海軍航空隊が開隊。海軍の航空隊員教育の中核になります。この霞ヶ浦海軍航空隊から、いろいろな航空隊が分派していきます。1930年(昭和5年)12月に、偵察練習生教育は横須賀海軍航空隊に移ります。1934年(昭和9年)6月、友部分遣隊を設置して、
晴嵐です。子供の頃に潜水艦・伊400を作り、搭載機の晴嵐に喜んでいました。モーターライズしますが、元のプロペラシャフトはこんな感じです。珍しいです。削って4mmモーターを仕込みます。今回はプラ板に直径4mmの穴を開けて固定します。問題は結線部分をどこに格納するかです。操縦席が良く出来ている分、かさばっています。組立説明図には「錘を入れろ」とありますがモーターがあるので入れられません。今回は錘を入れませんでしたが、入れるならフロートの先端がお勧めです。点灯試験です。尾
52丙型です。やってしまいました。1/72と間違えたのです。既に1/48として購入してあったので、2個目です。1/48なのに箱の大きさが一緒て・・・値段もほぼ同じだし・・・くっそ~~~~。組立説明図は日本語と英語で2枚入っています。1/72に人形は付いていませんが1/48はパイロットと整備員6体が付属します。ただ整備員の出来が今一つです。E.T.みたい。設計が1983で古いです。だから安いのか。塗装指示もコクピットの色が青竹色です。プラモに出戻った時はコクピットを青竹
零戦52型です。メーカーをハセガワとタミヤで迷いました。ハセガワのAシリーズは¥620ですが、零戦はDシリーズで¥1000位です。タミヤは¥1100位なので違いが見たくて買ってみました。ビックリしました。精密です。脚引込庫のモールドがあります。コクピットもしっかり再現されています。エンジンも細かさが違います。一番驚いたのが表面加工です。マットに仕上がっていて、艶のある部分との差でパーツが表現されています。モデルグラフィックスで「至高のゼロ」がありましたが、匹敵するというか、
鹿児島出張で立ち寄った隼人歴史民俗資料館。隼人歴史民俗資料館www.city-kirishima.jp鹿児島神宮から近く。入館料は大人¥180。犬好き西郷さん。上野の銅像とはかなり違う、確か写真嫌いだったとか暗殺を回避する為に写真を撮らなかったとか。この形は初めて見た。ダイヤル式電話機、使えない(知らない)世代がかなり増えて来てますね。戻るのが遅い電話機も有ったな。和文タイプライター。これはギミックが凄いって思ったな。ここで文字を合わせると。ここで版を拾い印字。ワープ
震電です。今までは「A」シリーズでしたが、震電は「D」シリーズです。何が違うんだろう。あ、値段が違う!5割増し!デカールの日付は「1995.07」です。「A」シリーズより新しいようですが「A」シリーズのデカールの日付は「2013」です。「A」シリーズは古い模型を「2013」に整理して、デカールだけ新たに作ったのでしょう。凹モールドです。ゲートは古いですが30年前ですからね。2枚ある垂直尾翼に尾灯がありません。どうせLEDを埋め込むのでOKです。垂直尾翼は
必ず年に一度この日はくる。みなさんに考えて欲しくていつもリンクを貼る。『神雷桜』昔もここ数日のように、桜の開花の話題がかまびすしかったっけ?どうもここ15年くらい、年々‘開花フィーバー’がひどくなっているように思える。靖国神社の標本木、…ameblo.jpひとりくらい俺のようなへそ曲がりがいないと忘れ去られてしまう。
『七生報国』という楠木正成の精神からくる言葉ですが、私のイメージでは【旧帝国海軍】でよく使われていた言葉だと思っていたのですが、(例えば海軍航空隊とか、回天搭乗員とか、桜花搭乗員とか)【旧帝国陸軍航空隊】でも『七生報国』という言葉はよく使われていたのでしょうか?ふと疑問に思いました。『使うのは個人こじんによります。』とかではなくて、陸軍航空隊としての軍の中で使われていたのかなぁ?と疑問に思いました。私が知らないだけかな?何かを疑っているわけではなくて、今、知覧から出撃した振武隊の方を
97艦攻です。戦闘機以外は初ですね。凹モールドです。プラ漏れが凄いです。昔の鯛焼きみたい。ピトー管は真鍮で作りました。ゲートは古いタイプです。状態が悪くてモールドだか漏れだか解り辛いです。危うく着艦フックを取るところでした。魚雷は凹凸を合わせると上手く合いません。凸を削り落としました。上手く合わさったと思ったらプラがまわっていませんでした。まあいいや。いつもの様に回して光らせますが、コクピットが大きくて隙間が狭いです。大丈夫かなあ。コクピットの床が木目調になって
零戦の初陣から参加白根斐夫(しらねあやお)少佐。海軍兵学校第64期卒の零戦パイロット。空母赤城、瑞鶴の分隊長を経て、最後は零戦の後継機「紫電」の部隊の隊長となって戦いました。白根少佐について書かれた物には必ず「美男子」と書いてあります。そして「名門の出」とも。↑お写真が残っております(写真はWikiからお借りしています)お父様が貴族院議員、内閣書記官長などを歴任した白根竹介氏ということで、お生まれのよき方でありました。でも。顔と生まれがよいだけではありません。零戦の操縦の腕もバリバ
紫電改です。パーツ数が少ないのでその気になれば一瞬で組み上がりますが、回らせて光らせるので時間がかかります。凹モールドです。ゲートは古い感じです。金型が痛んで漏れがあります。脚カバーは飛行状態の一体型で用意されていて、着陸状態製作時は切り離します。雷電も同じでした。因みに搭乗員が雷電と同じなので同時期に設計されたと思われます。灯具はLED直埋めでモーターは4mmです。以前使っていたモーターは長さが12mmでしたが雷電から長さが8mmの物を使っています。これは4.5vですが3v
雷電です。子供の頃は零戦より好きでした。凹モールドですが古い感じです。鍾馗や飛燕の様なゲートではありません。金型も傷んでいます。透明部品は整形が大変です。いつもの如く回して光らせます。翼端灯だけでなく編隊灯も光らせます。LED直埋めです。尾灯も光ります。灯具の穴はレジンで埋めます。点灯試験です。青は光がキツイなあ。写真を忘れましたがモーターも付けました。胴体と主翼を接着すると隙間があります。下手に削ると合わせが悪くなるのでパテ埋めします。吸気口を先に付けたら曲
天山艦攻隊、トラックへ進出す宮里照芳中尉(戦死後、少佐)。海軍兵学校69期。艦上攻撃機「天山」の偵察員でした。それも見事な索敵実績をあげた偵察員でした。宮里中尉の活躍ぶりは、肥田真幸著『青春天山雷撃隊』(光人社NF文庫)に活写されています。肥田さんのお名前は、鹿児島の鹿屋海軍航空基地資料館を訪ねた時、攻撃第254飛行隊の碑にありました。『海軍航空隊跡めぐり:鹿屋海軍航空隊後編』鹿屋航空基地資料館(鹿屋航空基地資料館の続きです)資料館の撮影OKのスペースには、かって鹿屋に
よく閲覧しているインターネットサイト『現代ビジネス』から、気になった話題をご紹介します神立尚紀さんのこのシリーズいつも興味深く拝読させてもらっています第一話味方を犠牲に…?零戦指揮官が死ぬまで語らなかった「意外な真実」太平洋戦争を経験した日高盛康氏は、戦後81年が経過し、戦争の記憶が薄れる中、元海軍戦闘機搭乗員としての戦後の人生を振り返る。日高は戦後、航空自衛隊や富士重工で飛行を続け、最終的には5652時間の飛行時間を記録。彼は、
真珠湾攻撃に参加した航空機搭乗員は770名、その後終戦までに戦死、殉職したのが622名、生き残ったのが148名だったという。3年8ヶ月の間に8割が命を落とした計算。海軍全体の戦死率が約2割だったことを考えると、航空機搭乗員の消耗率は一目瞭然。平成半ば以降の元零戦搭乗員への聞き取りに関しては功績大きい神立さんの著作は今までに何冊か紹介している。登場するのは8人、多くがビッグ・ネームだが、それは平成後半の世まで生き残っていたからこそ。勝ち残ってきた男たちだからゆえ空戦のはなしは面白いのだが
珊瑚海海戦1942年(昭和17年)5月7日、8日。南太平洋、オーストラリア北東沖の珊瑚海。英語ではCoralSea。(地図はWikiからお借りしました)オーストラリアのポートモレスビーを攻略する一環として、珊瑚海に進出した日本海軍と、それを撃退しようとするアメリカ・オーストラリア連合国艦隊との間で戦われた海戦。名付けて、珊瑚海海戦。この海戦は、空母と空母が互いの視野の外から攻撃し合うという海戦史上初の空母海戦となりました。1941年(昭和16年)12月に真珠湾攻撃、1942年2