ブログ記事460件
ラバウルで暴れまくった零戦パイロット川戸正治郎(かわとまさじろう)二等飛行兵曹(最終階級は上等飛行兵曹)は、丙種飛行予科練習生を経て、1943年(昭和18年)10月にラバウルへ着任、253空に加わりました。まだ18歳でした。青年というより少年です。敬愛をこめて川戸くんと呼ばせて頂きます。この川戸くん、負けん気がすごかった!ラバウル航空隊が終焉し、航空隊とは名ばかりの居残り組がラバウルに残留するようになった段階でも、ファイティング・スピリットを失わなかった。戦って、戦って、戦うぞ!と、
南太平洋海戦を戦った零戦隊長日高盛康大尉(最終階級少佐)。海軍兵学校66期。歴戦の零戦パイロットです。日高大尉といえば南太平洋海戦。そして日高大尉のお名前は海軍航空隊好きの間ではある行動で有名だと思います。そして戦後もある意味その名が忘れられることはなかった・・・。なにせ、航空自衛隊の教科書に載ってしまったので。私は日高大尉の決断を責めるとか批判するという意図でこれを書いているわけではありません。戦争において、人生において、大きな決断を迫られた時、AかBかどちらかの道を瞬時に選択しな
鴻池基地指揮官入来院良秋大尉。鹿児島県出身。海軍兵学校65期。宮野善治郎大尉と同期ですね。艦上攻撃機の搭乗員です。南太平洋海戦で奮戦。戦死後少佐。入来院大尉については、『空母雷撃隊艦攻搭乗員の太平洋海空戦記』(光人社NF文庫)を著した艦上攻撃機乗りの金沢秀利氏が、その人柄がわかるエピソードをいろいろと書いて下さっています。この金沢氏もすごい方で、艦上攻撃機の偵察員/電信員だったのですが、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、南太平洋海戦と3回も大きな海戦に参加して生還した方。敵艦船に肉
中攻隊に檜貝あり「中攻隊に檜貝あり」と言われた檜貝嚢治(ひがいじょうじ)少佐(戦死後二階級特進で大佐)。中攻とは魚雷で敵艦船を攻撃する海軍の雷撃機のことで、この雷撃隊の名指揮官として、海軍中にその名が轟いていた檜貝さん。海軍兵学校57期。そして超ハンサムなお方。当時有名な美男子でした。(写真はWikiからお借りしています)顔だけじゃない。性格もよし。腕もよし。檜貝さんのことを悪く書いた戦記物を見たことがない。上司も同僚も部下も、み~んな檜貝少佐を敬慕していた。日中戦争で既
神風特別攻撃隊八幡護皇隊最近『宇佐海軍航空隊の歴史』(宇佐市教育委員会発行/潮書房光人新社発行)を読んで、宇佐海軍航空隊跡を訪ねたい願望をメラメラと燃やしております。しかし、大雨や地震で九州は大変な状況のようなので、今年行けるかなあ・・・。『宇佐海軍航空隊の歴史』の中に、大分県宇佐で編成された神風特別攻撃隊、八幡護皇隊についての特集があり、初めて知ることもたくさんありました。八幡護皇隊は、第一、第二、第三と、3回に渡って出撃しますが、艦上爆撃機の隊と、艦上攻撃機の隊とがありました。
■3D(立体)画像で蘇る「大分海軍航空隊」その2■さて、いよいよ3D画像の紹介です。※現状では、大分海軍航空隊の構造物の写真は僅かしかなく、第12海軍航空廠にあっては写真はほぼ皆無。ですから、第12海軍航空廠の構造物は3D復元できていません。軍事機密が要因です。では、どのように3D画像を見せるのか?手法はいくつかあります。それぞれ、長所と短所があり悩ましいです。・1、3DCAD上に表現して出力する。長所:3Dモデルの表現は正確。短所:標高データを私のPC環境では地面として活
台湾に日本の軍人が神様として祀られている台湾で飛虎将軍として盛大に祀られている海軍の零戦パイロット、杉浦茂峰少尉についてはこのブログでも複数回書いてきました。杉浦少尉の生家跡(茨城県・水戸市にある)も訪ねたし。杉浦少尉が主人公の切ないラブストーリー『君と共に空へ飛ぶ』(菅野茂著)も読んだ。『台湾で神様になった杉浦茂峰少尉』台湾沖航空戦を戦った零戦パイロット台湾沖航空戦を戦った零戦搭乗員、杉浦茂峰(すぎうらしげみね)少尉(兵曹長から死後少尉に昇進)。乙飛予科練出身。1944(昭…am
343海軍航空隊戦闘第407飛行隊隊長林喜重大尉乗機松山基地1945年4月kit:1/32ハセガワ08236detail:マスターAM-32-0071/32日本海軍99式2号機銃20mm銃身(4本入り)Amazon(アマゾン)ヤフーモデルYMA32581/32N1K2-J紫電改計器盤(ハセガワ用)Amazon(アマゾン)RequestedworkFinishedproductsbyProfessionalmodels.
■3D(立体)画像で蘇る「大分海軍航空隊」その1■今回は「大分海軍航空隊」に焦点を当てます。復元には数年を要しましたが、第二次大戦時の様相が分かってきました。なんとか出来上がった成果品を紹介して参りたいと思います。「大分海軍航空隊」は攻撃のための基地ではなく、予科練の飛行練習隊としてのスタートでした。1944年(昭和19年)には、「大分海軍航空基地」として基地的運用になりました。※本土防衛という意味では全国の航空隊も同様と思います。また、近隣(南側)には第12海軍航空廠という海軍用
1/350の空母搭載機です。中古で購入しましたが箱を開けると?2袋入っていました。零戦×3・99艦爆×3・97艦攻×6のはずですが倍あります。1/350赤城のクリアパーツやチェーンもあります。恐らく売った人が確認せずにいたのでしょう。ラッキー!と言いそうですが、そう単純ではありません。デカールは1セット分です。ハセガワに注文すると¥800+送料です。・・・・・作れる分だけにします。クリヤーパーツで構成されています。接着剤で曇ります。尾翼は突き付けでとても作
https://gendai.media/articles/-/169887?page=5「天皇に降伏はない」終戦6日後に自爆した「学徒士官」昭和20年8月15日、天皇の玉音放送により日本の降伏が伝えられたが、一部の軍隊は反抗を続けた。特に、厚木基地の302海軍航空隊は徹底抗戦を呼びかけ、改田義徳中尉は終戦後6日目に自爆した。彼の選択は、戦局の混乱と軍人としての信念に基づくものであり、降伏に対する強い抵抗感が背景にあった。gendai.mediaご来訪ありがとうございます…終戦の詔を聴い
『暗い波濤』に描かれた北東海軍航空隊私の愛読書、阿川弘之氏の『暗い波濤』で、最も心が揺さぶられるシーンの一つである第24章の北千島の占守島の北東海軍航空隊の最後。(地図はWikiからお借りしています)1945年(昭和20年)8月15日の終戦の時点で、ソ連に対峙する北の国境、占守島を守る航空隊は、わずか4機の九七式艦上攻撃機と、陸軍の隼3機だけでした。北東海軍航空隊派遣隊のこの小さな航空隊を指揮していたのが、大学生から海軍に入った飛行予備学生の早乙女大尉。8月15日の玉音放送を聞いて
(地図はWikiからお借りしています)大鵬劇団の誕生1945年(昭和20年)8月15日。終戦。日本の敗戦が決まった日。南洋の一大航空基地であったラバウルも、連合軍に降伏します。終戦時、海軍、陸軍合わせて約10万人がラバウルにいました。かつては勇名を謳われたラバウル航空隊も、翼を失い、武器を置きました。ラバウルには約3000名のオーストラリア軍が進駐してきて、日本兵を9か所の収容所に分けて収容しました。その収容所の一つ、トーマ集団に入っていた渡辺紀三夫氏は、第251空の整
1/32零式艦上戦闘機52型の続きです。塗装ですが着陸脚を閉じ、フラップなどを付けての塗装にします。稼働した時に未塗装面が出ない様にそれらしいところは塗っておきます。ラバウル所属機にするので派手に汚します。塗装前です。下面です。全体塗装前です。下面は灰白色です。資料が古いせいもありますが灰緑色は何か抵抗があるのです。上面は緑です。明るい三菱系です。灰緑色みたいwww暗緑色です。パネルの鋲が細かく彫刻されているので派手にやってみました。馴染ませた後、退色の雰囲気を出
本日13:15より、十条駅前ジェイトホールにて終戦イベント出演させて頂きます!元特攻隊生き残りの父より聞いた話語りと、軍歌昭和歌謡英語曲歌唱させて頂きます。父の戦争時代の品も公開します。貴重な話、演劇、生演奏、歌他中身がつまった内容濃いイベントです。一同、私も、「役割感」にてはりきっています。シリーズ企画の初回、レアです!皆様どうぞいらして下さいませ。受付でアティーシャみわよりチケット購入の旨お伝え頂けましたら前売り料金とさせて頂きます。出演させて頂ける感謝にて、皆様のお越しを心より
日本側が所有していた財産はパイロット達の忠誠心だけであった『海鷲の航跡:日本海軍航空隊外史』(海空会日本海軍航空隊外史刊行会編・原書房)の中に、元海軍中佐の富永謙吾氏がまとめた「米国の日本海軍航空論評」が収録されています。これは、戦後、太平洋戦争における日本海軍航空隊の分析をアメリカ軍が行って「米国戦略爆撃調査団報告書」としてまとめられたものを訳して要約したものです。これを読むと、なぜ日本海軍が太平洋戦争に敗北したのか、その要因は何だったのかが見えてきます。このアメリカの報告書には「神
1/32零式艦上戦闘機52型の続きです。エッチングパーツが付属しますが精密感アップではなく強度アップに使用します。水平尾翼のエレベーターです。フラップとエルロンです。垂直尾翼とラダーです。垂直尾翼に?と思ったらアンテナ線挿入の穴でした。着陸脚カバーも可動です。本物もこう?と思える構造が面白いです。バネとか組み込みながら作ります。ひっくり返すと・・・楽しいなあ♡配線して翼を貼り合わせます。着陸脚のヒンジは嵌め込むだけです。後々取れそうなので補強しておきます。タイヤと
『海鷲の航跡:日本海軍航空隊外史』(海空会日本海軍航空隊外史刊行会編・原書房)の中に、元海軍中佐の富永謙吾氏がまとめた「米国の日本海軍航空論評」が収録されています。これは、戦後、太平洋戦争における日本海軍航空隊の分析をアメリカ軍が行って「米国戦略爆撃調査団報告書」としてまとめられたものを訳して要約したものです。これを読むと、なぜ日本海軍が太平洋戦争に敗北したのか、その要因は何だったのかが見えてきます。いや、初めから、経済力とか工業力の差から、負けは決まっていました、無理な戦争をすべきでなかっ
1/32零式艦上戦闘機52型の続きです。いつもの様にLEDを組み込みます。なんというか電飾の計画があったのでしょうか。配線できるようになっています。翼端灯は別パーツで隙間もあります。編隊灯も別パーツで穴が開いています。電飾パーツを組み込んだ製品も発売したのかな?でも射爆装置や機内灯には電飾の気配がありません。しめしめ、私だけかな。内部の細かさは流石です。流石ですが何となく違和感があります。このキットって精密よりもギミックに振っているんじゃない?着陸脚は格納できます。尾輪
↑↑↑どれかクリックしていただけると元気が出ますw!(^^)!2026年5月7日(木)の記録です。5年前にも訪れているところですが、海軍航空隊串良基地跡地下壕第一電信室になります。こちらは観光地化された戦争遺構でございまして、24時間見学できるわけではなさそうです。鹿児島県観光サイト「かごしまの旅」によりますと・・・太平洋戦争末期、串良基地から飛び立った特別攻撃隊員が突入前の送る電信を受信していた地下壕。
1/32の零戦52型です。高いので躊躇していましたが買ってしまいました。箱を開けると、おお、内蓋が・・・そそるなあ。袋もいっぱいです。しかもデカい。ディスプレイスタンドもあります。デカールを見たら発売は2001です。・・・・・・・やっちゃた?25年も前です。1/48は2008で1/72は2013です。1番古いのかあ。調べればよかったかな。まあいいや。気を取り直します。組立説明図では操縦席や胴体からですが私は発動機からにします。栄21型はシリンダー7個が2列で
前回書き忘れましたがカウルフラップは閉と開が選択できます。開にしました。フラップは元々が下がった状態で閉じた状態にも出来ます。下がった状態にします。塗装です。全体塗装前の下面です。下面は灰白色にしました。上面です。先ずは灰緑色です。暗緑色(三菱系)です。マスキングを剥がしたところです。ここから汚しますが空母搭載機なので茶系は使いません。完成です。風防は開状態です。薄いですが収まりは厳し目です。デカールが光るのでトップコートが必要ですね。通電です。五式戦の
生きていた筒井四郎大尉「ツゲガラオ最後の基地指揮官筒井四郎大尉」で、1945年(昭和20年)2月、最後の海軍救援機がフィリピンのルソン島、ツゲガラオ海軍飛行場へ向かったことを書きました。『ツゲガラオ最後の基地指揮官筒井四郎大尉』アメリカ軍が迫るフィリピン、ツゲガラオ基地マレー沖海戦で日本海軍の攻撃隊がイギリス東洋艦隊のプリンス・オブ・ウェールズとレパルスを沈めましたが、レパルスに爆…ameblo.jpツゲガラオ海軍飛行場に救援機が着き、30名搭乗のところ、あと1名乗れるか
零戦52型です。2008年の製品です。以前52型丙を作りましたがあちらは¥1,600でこちらは¥3,200です。きっと凄いはずです。人形も座像1・立像4です。まああちらは立像6でしたが・・・しまった!これ用に風防のマスキングを買いましたが、付属している!タミヤさん、やるなあ。と思ったら切れ目は入っていません。買ったのが無駄にならなくて喜ぶべきでしょうか。パーツが細かく分かれています。垂直尾翼も別パーツです。さらに翼と舵で分かれています。凄いけど別に嬉しくないゾ。カウ
夕方になるにつれ、雲が多くなってきました。気温は高いものの、風が心地よいです。飛行機のエンジン音が聞こえたので上空を見上げました。行きの道中は炎天下で暑くて、飛行機の音を気に留める余裕はありませんでしたが、雲が出てきた帰路は、一時停止して空を見上げる余裕がでてきました。茨城空港からあがった飛行機か、羽田か成田に着陸する飛行機かはわかりません。考えてみると、霞ヶ浦は飛行機に縁のあるところです。海軍は航空機を入手した後、1921年、イギリスからセンピル大佐を団
もう30年近く昔に同じく秦さんの‘第二次大戦航空史話’上下巻を読んでいたので、日本軍に話題を絞った本作も読みたくてウズウズ(30年も)していた。ようやく上下巻揃って安くて状態良好で入手、カバーもかっこいいね!秦さんは日本の歴史学界の泰斗であるから恭しく読み始めた。上下それぞれ15話ずつ計30の空戦とそれに関係するできごとについて史料を駆使して事実を積み上げる。‘山本元帥の最期’、‘帰らざる友永雷撃隊’、‘加藤軍神を葬ったブレニム’とかのタイトルで、われわれが知っているストーリーを詳細に
流星改です。発売は1997なので30年前のキットです。デカいしパーツ数も多いです。魚雷搭載なので爆弾庫は閉じたパーツですが急降下爆撃機用の爆弾庫開放パーツも付いています。パーツ数の割に組立図は簡素であっさりです。3ページ縛り?今回も射爆装置を光らせます。翼端灯はクリアパーツで初めから切り欠いてあります。電飾にピッタリです。モーター組み込みは機首の構造確認からです。エンジン前の円筒はなんだろ?冷却対策でカウリングからの整流かな?モーターは4mmがすっぽり入ります。接着
海軍にもあった空対空特攻隊陸軍飛行戦闘隊には震天制空隊という、B29に空中で体当たりして撃破するという、空対空特別攻撃隊が存在していました。今考えるととんでもなく恐ろしい作戦ですが、日本本土を焦土にするB29をなんとかやっつけたいと果敢に戦っていたパイロット達がいました。(ただ、この陸軍の空対空特攻は、海軍の対敵艦特攻と違い、絶対死んでこいという命令ではなく、B29にぶつかった後、できればパラシュートで脱出生還してくれという作戦だったので、実際B29を体当たりで墜とした後生還したパイロットも
まとめ買い模型に入っていた紫電改です。コクピット付きです。このキットには気合を感じます。くっきりモールドです。プロペラの根元も綺麗に塗装されています。湯口も本体に跡が残らない様になっています。いったい零戦52型は何だったんでしょう。全てこのレベルでやってほしかった。エンジン部品はモーター組み込み用になっています。モーターは直径6mmが妥当でしょう。私の所有モーターは4mmと7mmです。合いませんが慣れているので問題無しです。キリで穴を広げます。最終は4mmですがその
まとめ買い模型に入っていた零戦52型です。?なんか変です。シールの話ではありません。形が変です。21型はコクピットとパイロットが付属しましたが見当たりません。う~~~ん。いつの時代の模型?拘らない私が見てもスタイルが変なのが分かってしまいます。カウリングの機銃口が分かりますか?取り敢えず付けただけです。アンテナの差込口も見当たりません。水平尾翼も絶対違う。21型はちゃんとしていたのに何で?少なくとも平成に作られたキットとは思えません。何処からか譲り受けた昭和の金型を