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2022年1月7日。浪江町大字権現堂について研究中の西村慎太郎です😊さて、前回は「一次資料」について述べてみました。相馬中村藩を語る上での「一次資料」として最もまとまっているのは、今野美壽編『相馬藩政史』上巻・下巻(相馬郷友会、1940年・1941年)。編纂物ではありますが、もともとの古文書を翻刻した内容になってます。残念なのは、誤字・脱字・誤植が多いこと😥そのあたりを十分に吟味しながら用いる必要があります。さて、これまで相馬中村藩の重要な政策であったにも関わらず、このブログで紹
一般社団法人浪江町地域文化フォーラム理事の西村慎太郎です。4月12日に北幾世橋地区の調査に行ってきました。前回のブログでは「ゴジラの木」について掲載しました。さらに東側の延命寺あたりまで行ってみました。延命寺についてですが、現在は寺院というより堂宇が遺されていて、現在再建が進んでいます。江戸時代の末期にはこのあたりには地蔵堂と薬師堂があったようなので、現在再建が進んでいるのはいずれかと思います。また、堂宇の後ろに墓石のようなものが確認できます。再建が済んだら調査をしたいと思います
2024年4月26日。前回のブログで古書店の目録で相馬藩の古文書を2点見つけ、早速ゲットした話を書きました🤩その2冊目が「當人割大成」というもの。1丁目表には「文久三亥年秋日當人割覚」と記されており、題箋と異なります。文久3年(1863)に編纂されたようで、志賀隆庸の名前が記されています。「蔵本」の印があることから、彼自身が執筆したのかどうなのか不明。2丁目表には「文久四甲子初春當人大成覚書」とあります。内容は前回見たように、幕末に藩主が参府するに当たっての人数割り
2022年1月8日。浪江町大字権現堂について研究中の西村慎太郎です😊前回は廃藩置県後に相馬中村藩で実施された「家中土着」という政策について検証してみました。権現堂村には転居した旧藩士はいませんでしたが、周辺村落には多くの旧藩士が移っており、権現堂村にとっても少なからぬ影響があったものと思われます。そのひとりが北幾世橋村に転居した錦織良蔵。錦織晩香という号で著名かと思います。相馬中村藩の重臣であり、明治時代は学者としても名を馳せた錦織晩香についてはこれまで敢えて触れてきませんでした。実は
No.28会社員・五味田寿男場所:福島県浪江町年齢:54才被害者:10代少女未成年者誘拐の疑いで浪江町の会社員・五味田寿男が逮捕。五味田容疑者は27日午前0時ごろ、いわき市内でSNSで知り合ったいわき市に住む10代の少女を浪江町の自宅に泊まりに来るように誘い3日間にわたって連れまわした疑い。
3泊4日でいわき市から新地町までを北上する夏休みふくしま浜通り旅2日目はいわき市を出発して浪江町まで行く計画で出発。午前中の広野町、楢葉町、富岡町は前回のブログで『ふくしま浜通り旅☆広野町、楢葉町、富岡町』今年の夏休みは福島の浜通りを北上する旅。2日目はいわきを出発して浪江町まで。『ふくしま浜通り旅☆いわき市』福島県全市町村制覇を目指し、夏休みは浜通りをいわき市…ameblo.jp午後は大熊町、双葉町、浪江町へ向かいました。大熊町、双葉町、浪江町は福島第一原発事故の被害が最も深刻だった
「浪江町立津島中学校[閉校]」(福島県)の放射線量をはかりました。WemeasuredtheradiationdoseatTsushimaJuniorHighSchoolinNamieTown,FukushimaPrefecture.福島県浪江町では、面積の8割が、現在も帰還困難区域のままです。東京電力の原発事故による放射能汚染で立ち入り規制が続いています。2023年03月31日には、帰還困難区域の一部が避難解除となりました。今回の津島中学校は、その解除
両竹じゃんぴんプロジェクト「もろたけ歴史通信」vol.145を配信致しました。引き続き、多くの皆さまのご支援を宜しくお願い致します。これまでの活動報告については以下をご覧ください。https://ameblo.jp/morotake-rekishi/-----------------------------------------------福島県双葉町の原子力災害被災地域の歴史と文化を継承する『大字誌両竹』第5号刊行!!amazonでお求めできます!!-----------
道の駅なみえに寄り道駐車場が満車だったので、ここでもぐるぐる回って空き待ち😓入ってすぐの所に見たことないパックご飯ふくふくご飯なんかパッケージがほのぼのしてて可愛い😊その隣にはいつもだとパン屋さんのコッペパンが並んでいるのに能登半島復興応援として能登産の物が並んでます復興応援の隣に今度こそコッペパンが並んでいるかと思ったらBARATZが並んでましたこれ美味しいんだよね〜😋振り返ると浪江町請戸港発道の駅なみえ限定のしらすふりかけこれ絶対美味しいやつ✨そしてやっとパン屋さ
2024年4月25日。古書店の目録で相馬藩の古文書を2点見つけましたので、早速ゲットしました🤩まず1点目。「政會勤仕録全」というもの。表紙見返しには「文久元辛酉輯定員録」と記されていて、題箋と表題が異なっていますが、文久元年(1861)に編纂されたことが分かります。但し、1丁目には「慶応乙丑孟冬政府舘官許加俸員定録」という表題が記されています。つまり慶応元年(1865)孟冬(10月)に藩庁から許された「加俸員定録」ということです。左下には「弘莾雑籍」とあることから、弘莾
2021年7月8日。浪江町大字権現堂について勉強中の西村慎太郎です😊前回は浪江の糸市の終焉時期について検討してみました。「県下有数の市場」、あるいは「県下屈指ノ市場」と評された浪江の糸市も明治40年代には衰退していきました。また、近世までの養蚕については、わずかに『奥相志』(『相馬市史4資料編1』、相馬市)に「古来民人農隙に蚕養を為し、繭糸を出す」と書かれているくらいです(1081頁)。ここでは近世権現堂の生産の基礎であった稲作を検討に当たって、その土地所有の形態を確認するた
両竹じゃんぴんプロジェクト「もろたけ歴史通信」vol.144を配信致しました。引き続き、多くの皆さまのご支援を宜しくお願い致します。これまでの活動報告については以下をご覧ください。https://ameblo.jp/morotake-rekishi/-----------------------------------------------福島県双葉町の原子力災害被災地域の歴史と文化を継承する『大字誌両竹』第5号刊行!!amazonでお求めできます!!---------
2022年6月19日。『大字誌浪江町権現堂』前近代編執筆中の西村慎太郎です😄『大字誌浪江町権現堂』前近代編ですが、現在は第1章の「高野宿・浪江宿と権現堂の名前」を書き終えましたので、今回は「高野宿」という名前について書きます。『奥相志』に「もともと高野町と称した。寛政年間(一七八九~一八〇一)に浪江町と改めた」と記されているように、浪江宿は「高野」と称されていました。そもそも、権現堂村の中には請戸村と内陸(室原村など)の地域をつなぐ東西に延びる道と南北に延びる「陸前浜街道」が交錯
2024年3月4日。西村慎太郎です。さて、『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)に記された苕野(くさの)神社について見ています。本日も苕野神社の「縁起」について見てみたいと思います。「縁起」とは、寺社の起源、沿革や由来のこと。前回は「或記(別の記録)」の内容を見ましたので、本日は『奥相志』の編者・齋藤完隆による考察を検証してみたいと思います。-----------------------------------按人皇始神武帝也
一般社団法人浪江町地域文化フォーラムです。浪江町新町通りの乗り物センター三原前に掲げられている明治5年頃作成の「権現堂村絵図」ですが、経年劣化のため固定している置き石の紐が切れてしまっていましたが、このたび当法人・天井優志理事によって修復・補強が施工されました。こちらの絵図は撮影自由ですので、ぜひInstagramなどにご活用ください。---------------------------------------------------一般社団法人浪江町歴史文化フォーラム
どーもです。最近、ご年配の方に30代に見られて、年配者には実年齢よりまだまだ若く見られるんだなーっと思った日本橋行政書士、あおき法務事務所の青木です。東京都感染拡大防止協力金の専門家事前確認を無料で承っております。公式ホームページ→https://www.gyosei-aoki.com/街の中華屋さんもボチボチ冷やし中華が出てきて、唐突ですが冷やしでは中華で絶対に譲れない事があります。それは、冷やし中華にはマヨネーズたっぷり絡めて食べるのが普通でしょ!です。東京へ出てきて
2024年4月27日。前回・前々回にわたって古書店でゲットした相馬藩の記録2冊について触れました。現在、内容を確認中ですので、追ってこのブログで紹介したいと思いますが、とりあえず、本日より再び浪江町の話に戻りたいと思います。なお、相馬藩士といえば、明治4年(1971)の廃藩置県に際して、藩が各村々から土地を買い上げて、それを藩士に与えて自活を推進した「家中土着」が行われたことはこちらのブログでも以前ご紹介しました。『調査日誌301日目-明治4年の「家中土着」-』2022年1月
今日は語呂合わせで、いい風呂の日だそうで。そんないい風呂の日にちなんで、当地双葉郡内で私が利用したことのある日帰り温泉2か所などを紹介いたします。海を一望する温泉「しおかぜ荘」楢葉町楢葉町にある天神岬スポーツ公園にある日帰り温泉「しおかぜ荘」天神岬温泉しおかぜ荘太平洋を眺めながら、こころもからだもリフレッシュスポーツの後にもオススメ太平洋を眺めながらの温泉浴は、心もからだもリフレッシュします。黄金色のしっとりとした塩化物泉、源泉100%、旅の疲れを癒してくれ、また皮膚病