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2025年5月1日(木)初日木馬亭の日浅草の浪曲定席は毎月、1日~7日に開催しています。浅草木馬亭の定席。6回目です。昭和45年5月1日に木馬亭定席が始まり、今年で55周年!本日はお祝いイベントです。昭和45年5月1日の口演を、本日は再現!というイベントこれは行きたいお客さんたくさんいた心配してたけど、席に座れました55年前、こけら落としだから渾身の作品を持ち寄ったんだと思います。さて、55年後の今日の観客(わたし)にも刺さるかな浪曲は2500円。2025年
連雀亭のブログをご覧頂きありがとうございます。2025年6月の番組表をお知らせ致します。◎2025年6月ワンコイン寄席の番組表はこちら開場11:00開演11:30(~12:30頃)当日のみ500円◎2025年6月昼席(日替り昼席&講談きゃたぴら)の番組表はこちら講談きゃたぴらは毎月10日~13日となっております。開場13:00開演13:30(~15:00頃)当日のみ1000円◎2025年6月夜席(貸席)の番組表はこちら詳細につきまし
和文化・おもてなしマナー講師の安達和子です先日のたった一日のことでこんなにブログネタになるとは…まだまだ知らない世界がありますね~大衆演劇とは主として地方を興行して回る劇団の娯楽性豊かな演劇のことです。もとは明治時代に歌舞伎が国劇となり大歌舞伎に対し、中歌舞伎と呼ばれていたものです。大歌舞伎では恵まれなかった一派と地方歌舞伎のセミプロたちが集合離散を繰り返して全国各地を巡業していました明治中期になると新派、浪曲などの旅一座も加わり合同公演を行なううちに「
この度も大変遅くなりまして申し訳ございません。5月の番組表をお知らせ致します。コロナ対策は油断なく継続しておこなっております。皆様のご協力をよろしくお願いいたします。◎2024年5月ワンコイン寄席の番組表はこちらです。開場11:00開演11:30(~12:30頃)当日のみ500円◎2024年5月昼席(日替り昼席&講談きゃたぴら)の番組表はこちらです。開場13:00開演13:30(~15:00頃)当日のみ1000円◎2024年5月夜席(貸席)の番組表はこちらです
紅雀兄さんと佐ん吉君と三人で枝雀師匠のご自宅へ伺いました。枝雀師匠のご夫人は、かつら枝代と言うお名前で上方落語の三味線のお囃子方をされてました。本名が、志代子と言うお名前なので私は、入門した時から志代子姉さんと呼ばせていただいております。お姉さんは、元々ジョウサンズと言う女性浪曲漫才トリオでアコーディオンを担当されてました。今年で79歳。66歳で三味線を引退されました。15時に自宅に寄せていただき23時まで。終電近い電車で帰りました。お姉さんは、昔の事をよく覚えておられ、枝雀師匠の事だ
連雀亭のブログをご覧頂きありがとうございます。2025年3月の番組表をお知らせ致します。◎2025年4月ワンコイン寄席の番組表はこちら開場11:00開演11:30(~12:30頃)当日のみ500円◎2025年4月昼席(日替り昼席&講談きゃたぴら)の番組表はこちら講談きゃたぴらは毎月10日~13日となっております。開場13:00開演13:30(~15:00頃)当日のみ1000円◎2025年4月夜席(貸席)の番組表はこちら詳細につきまし
富士琴哉/浪曲師水乃金魚/曲師「栃錦少年時代」じゃなくて→「赤穂義士銘々伝/中山安兵衛婿入り」玉川き太/浪曲師玉川鈴/曲師「浪花節じいさん」お仲入り天中軒すみれ/浪曲師沢村理緒/曲師「太閤記/織田家仕官」初恋藤吉郎後日談富士綾那/浪曲師沢村博喜/曲師「は組小町」お江戸演芸倶楽部招待券使用5月度演芸公演費用1公演¥0(累計26公演¥44,000)お江戸演芸倶楽部5月度利用実績1公演/優待金額¥25,00(累計9公演/優待金額¥11,000
連雀亭のブログをご覧頂きありがとうございます。しばらくの間、お付き合い願います。この度も大変遅くなりまして申し訳ございません。まず、正月特別興行のお知らせです。元日から三日まで今年は各日、二部制でお送りします。各部10名出演して、木戸銭2,000円新メンバーから、真打の決まったメンバーまで各派、幅広い演者でお待ちをしております。〜主任〜◎元日一部立川寸志二部三遊亭鯛好◎二日一部柳家花飛二部港家小ゆき◎三日一部瀧川鯉丸二部神田紅純番
連雀亭のブログをご覧頂きありがとうございます。しばらくの間、お付き合い願います。この度も大変遅くなりまして申し訳ございません。2025年3月の番組表をお知らせ致します。◎2025年3月ワンコイン寄席の番組表はこちら開場11:00開演11:30(~12:30頃)当日のみ500円◎2025年3月昼席(日替り昼席&講談きゃたぴら)の番組表はこちら開場13:00開演13:30(~15:00頃)当日のみ1000円◎2025年3月夜席(貸席
サムネ万延元年(1860年)森の石松は、三十石船で大阪の八軒屋から淀川を京都の伏見まで船旅を楽しむ。伏見で船を降りて寺社をお参りして京都見物を済ました。この旅は、前回の「石松三十石船道中」の続きだが、今回の「石松と見受山鎌太郎」は、石松が鎌太郎宅にワラジを脱ぎ、そこでの二人の話になる。草津追分の道標東海道は京都三条大橋から大津宿を経て、その次の宿場が草津宿になる。草津追分は東海道と中山道の分岐点であった。京都三条大橋から草津追分道標まで直線で17.3Kmの地点だ。草津宿の追分周辺地域を
今でも信じられない自分が最後に三味線を見たのは今月の上方演芸特選会自分は基本的に最前列の席を取るので、初月さんは目の前1月の上方演芸特選会は4日連続で幸枝若さんを見たので、4日連続ですぐ目の前で初月さんの三味線を見ていた2月は浪曲名人会と幸枝若さんの人間国宝祝いの舞台で浪曲はほぼ文楽劇場でしか見たことがないが一度でも一心寺に見に行けば良かったなと上方演芸特選会を通して浪曲を見るようになって5年最近、ようやく、浪曲の面白さがわかってきたところ本当に残念です浪花の曲師の三本
清水次郎長の女房は三代にわたりお蝶と呼ばれています。なぜお蝶とよんでいたのか初代お蝶を知りたくなりました。次郎長が海道一の男になれたのも世話女房のお蝶があったからこそと興味がわくのです。初代お蝶との別れ京見物に向かった次郎長お蝶石松の三人は尾張名古屋でお蝶と次郎長が病に苦しみだします。もともとお蝶は癪もちでした。その持病がでてしまいました。ところが次郎長の懐には僅かなお金しか残っていなくて三人はこの場所で立ち往生するしかありません。古いお堂でお蝶の発作が出てしま
姪の結婚式から帰ってきて、テレビを付けたら、東海テレビでぐっさん家がやっていた実家に帰ってきたタイミングや浜松や鈴鹿に住んでいた時にたまに見ていた自分が見ていた頃は講談師の方が進行役今は恵子先生こと春野恵子が進行役その後ろで、一風亭初月さんが三味線を弾くつい最近、恵子先生がぐっさん家に出ていて、初月さんが三味線を弾いているのを知った今日が最後の放送だった
私の母は5月2日付で特養に入所しました。9月の誕生日で95歳になります。どれくらい生きるかは分かりません。今日はその特養に行っていろいろ手続きをしてきました。私は母のこともあり主人のこともあるので遠出は出来ません。目下の楽しみは月1の浅草木馬亭での浪曲定席です。たっぷり12時15分から4時すぎまで楽しめて木戸銭が2500円です。今は母と主人が優先です。こちらには介護のことも書きますが、好きな浪曲の話やシャンソンの話や料理のことも書くのでよろしくお願いします。
9月15日敬老の日秩父市荒川日野地区の敬老会で、二つの人情話を披露する予定役員会で題名が確定したので、今回も高須番長様にお願いした本日深夜になって、メールにて、原字をお届けいただいた今日の日中に気づき開いてみた初めの、越後伝吉が目に飛び込んできた時に、思わず拍手をしてしまった「完璧!」の一言言いようのな
日曜日は楽しみにしていた浅草です。三社祭もありますが、お目当ては浪曲です。木馬亭で浪曲定席聴いたらさっさと帰ります。三社祭で込み合っているし、浅草では3回も紛失をしました。スマホの紛失です。そのたびに探して交番に届いています。主人はどこでも自分の興味の無いものは寝ます。自宅で留守番はかわいそうなので連れて行きますが、終わったらさっさと帰ります。
今日は朝から弁当を作って豊川稲荷へ行き、帰り道に愛知県新城市にある森の石松のお墓と石松の生家跡に行ってきました。森の石松(山本石松)は清水次郎長(山本長五郎)の子分として幕末期に実在した侠客(きょうかく)とされていて、浜松辺りに住んでいる大人なら知らない人はいない位有名な人ですが、古文書などに目立って活躍した記載が無いのが気になったのでいろいろ調べてみました。前置き石松の出身は当時の三州半原村にあり、代々庄屋も務めた家柄でしたが父親の代に自宅から火災を起こしてしまい、自宅は全焼、石松の母
1970年、大阪万博テーマ曲「世界の国からこんにちは」三波春夫で一番に思い出すのが「徹子の部屋」に出演していた時の事シベリアに抑留された時の経験談です二十代前半の4年間をシベリアで抑留生活を強いられていたのにその時の出来事を笑顔で話していたのでびっくりiというのも私の父の従兄弟がシベリアに送られ我が家でその当時の話をした時のことです。嗚咽を堪え、涙をポロポロと流したのです。子供だった私は大人の男の人が