ブログ記事413件
二条通りを散策した時の続きです。頂妙寺を過ぎると、鴨川の二条大橋を渡ります。善導寺という竜宮城のような門のお寺に寄ってさらに西に進むと、河原町二条の交差点に出ます。ここを右折すると、「浄土宗法雲寺」と刻まれた石柱があり、お寺の門に向かって石畳みがまっすぐ伸びています。さらに菊野大明神の看板も立っていて、ここが次に目指す場所だと確認できました。看板に大々的に書かれているように、良縁に加えて悪縁切りの祈願処です。縁切りでは安井金比羅宮よりもパワーが強く、京都最強
今朝、で行ったのが法雲寺この入り口には、本堂実は、本当に見たかったのは、同じ境内にある菊野大明神こちらは、豊川大明神で菊野大明神の方は、菊野大明神の御神体は深草少将が小野小町への百夜通いの時に腰掛けたと伝えられる御霊石歴史に詳しい人なら知っているかもしれないが、深草少将は、小野小町に求婚したところ百日間通い続けたら結婚してもいいと言われたが、九十九日目に雪の降る日で、雪に埋まって凍死したという悲劇の人物京都で、縁切りというと、安井
おはよう!金曜日、天気は曇りさっ今週もあとちょっとふぁいと~先週末、三連休の一日は京都へ9月にも歩いたけど、木屋町通りを北へ木屋町の街並みを楽しみながら高瀬川沿いをぶらぶらなんかええねぇ
【所在地】茨城県土浦市高岡1890【山号等】大雄山法雲寺【宗派】臨済宗建長寺派【御本尊】釈迦如来【HP】なし【電話】029-862-2116当寺は、1332年に常陸国守護小田治久の開基により創建された草庵(正受庵)と伝えられ、開山は小田宗知の子で中国に渡って中峰明本に師事した復庵宗己とされています。中世には武将らに信仰され、最盛期には末寺300余か寺を抱える大寺として隆盛を極めたものの、1573年に兵火により焼失しました。江戸時代に入り1689