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絶賛沖縄最終日。平和記念公園の流れで「旧海軍司令部壕」に寄ったんだけど…正直、ごめん。気軽に行く場所じゃなかったかも。中に入った瞬間、空気が違う。いや、空気っていうか、“気配”がすごい。手榴弾で自決した跡がそのまま残ってて、壁も床も、まるで“時間が止まってる”みたいな生々しさ。出撃口に立ったときはもう限界で、霊感ゼロの旦那と私が同時に「ここ、絶対なにかいる」って感じたレベル。(私はたま〜〜に変な感覚が働くタイプだけど、旦
Tetsu龍でございます。正門入口の横に城址碑があります。ここの雰囲気、竹田城の入口となんとなく似ている気がした。石垣の城がやはり好きですね。勝連城は、梯子を登るように上がっていったのですが、中城城はそんな感じでもない。連郭式の山城に分類され、海が見える側の石垣に上がると、金武湾が広がっているので、高台にあることが判ります。正門から入った処、右側が南の郭、左側が西の郭になります。西の郭は、東西に長く120mあります。馬場の訓練場と思われます。南の郭は野面積で一番古く、この
2025年8月24日、月組千穐楽公演にお邪魔しました。ひめゆり(2025)|ミュージカル座新しい国産ミュージカルの創造・製作を目的としたミュージカル劇団『ミュージカル座』の「ひめゆり(2025)」については、こちらのページをご確認ください。musical-za.co.jp千葉住みなので、アクセス便利な北千住駅前のシアター1010にて。助かりました!ミュージカル座さんの本部は埼玉なので、さいたま芸術劇場の方がきっと便利なのだろうと思うのですが。また、シアター1010は、駅に隣接した北千
■澤野大樹氏インタビュー『日本DS終了と三次元ホログラム最終調整』【前編】より続き~後編スタートすみません、何の話しをしていましたっけ?――日本はアメリカから核物質を借りているというお話しでした。はい、そうでしたね。日本がアメリカから核物質を借りていると言いましたけれども、1955年に締結された『日米原子力研究協定』ならびに、1956年『特殊核物質の貸貸借に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府を代表して行動する合衆国原子力委員会との間の協定』というのもあるのです。
ななとせも待てどかへらぬいとしごの女神のつばさつけてくだれる今日6月23日は1945年沖縄戦の終了した日。沖縄戦で、日本軍により動員された沖縄県の10代から20代の女子学徒隊のうち、看護要員として「沖縄師範学校女子部」と「沖縄県立第一高等女学校」の生徒で構成されたひめゆり学徒隊は、戦禍の中、米軍の爆撃、機銃掃射や自決を迫られ240名のうち136名が死亡しました。1945年太平洋戦争の敗戦。最大の被災地沖縄は戦争の傷跡が沢山残っていました。
なんでも紹介・・・「沖縄『戦後』ゼロ年」目取真俊著辺野古米軍ゲート前「座り込み500日、1000人結集」と、翌日の11月19日の琉球新報が一面に報じた。参加した仲宗根悟県議は、政府の作業強行に「わじわじーして、わったーうちなー、うしぇてぇーならん(怒りが沸いてきた。沖縄の人を見くびってはならない)。(移設反対の)うねりをつくっていこう」と呼びかけた、とある。昨年7月の座り込み開始から500日!雨風や酷暑、寒さにも耐えての非暴力・不服従を貫く新基地反対の沖縄の民意は揺るぎない。それまでの
太平洋戦争での日本敗戦を知らないまま2年間、沖縄のガジュマルの木の上で生き抜いた2人の日本兵の実話を基にした、井上ひさし原案の同名舞台劇を映画化。太平洋戦争末期の1945年、沖縄県伊江島に米軍が侵攻し、攻防戦で島は壊滅的な状況に陥っていた。宮崎から派兵された山下一雄と新兵の安慶名セイジュンは、敵の銃撃に追い詰められ、大きなガジュマルの木の上に身を潜め、援軍が来るまでその場で待機することを決断する。話が嚙み合わないながらも、2人きりで恐怖と飢えに耐え忍び、やがて戦争は終結するが、そのことを知