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糸満市にある摩文仁ヶ丘です。5月1日から5月5日の間は、こいのぼりまつりです。メインの6本の掲揚塔には元気に鯉が泳いでいました。5月1日の午前中に掲揚式があり、参加した子供園児たちが空を見上げて鯉のぼりを楽しんでいました。沖縄のGW間の天気予報は、前半が晴れて後半には梅雨模様になりそうです。絶好の鯉のぼり日和です。近隣の子供園児作成の鯉も逞しくて元気です。沖縄戦については
その1.参考となるyoutube動画※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。授業に使える沖縄関連のYouTube番組一覧・ヲタカタ!開設されて間もないため、動画数はまだ少ない。基本的にはTVアニメ「沖縄で好きになった子が方言すぎてツラすぎる」を用いた、アニオタ系の動画。その中で「沖ツラで学ぶ沖縄文化」シリーズはPart.1~4はいずれも視聴時間が20分以内。アニメで沖縄の文化と言葉を楽しく、分かりやすく紹介してくれ、授業に利用しやすい点でもイチオシの
Tetsu龍でございます。正門入口の横に城址碑があります。ここの雰囲気、竹田城の入口となんとなく似ている気がした。石垣の城がやはり好きですね。勝連城は、梯子を登るように上がっていったのですが、中城城はそんな感じでもない。連郭式の山城に分類され、海が見える側の石垣に上がると、金武湾が広がっているので、高台にあることが判ります。正門から入った処、右側が南の郭、左側が西の郭になります。西の郭は、東西に長く120mあります。馬場の訓練場と思われます。南の郭は野面積で一番古く、この
糸満市にある摩文仁ヶ丘です。沖縄戦終結50周年記念事業として作られた平和の礎があります。平和の礎の刻銘条件は、国籍、軍人・軍属・民間人の区別なく、沖縄戦(1945年3月26日〜9月7日)の戦闘やそれに伴う死因で亡くなったすべての人です。また、沖縄県出身者に限り、1931年の満州事変以降の15年戦争で亡くなった方も対象となります。今では総数242.567名の刻銘数になっています。エリアの南端広場には「平和の火」があります。「平和の火
cheeseです💕今回ご紹介するのはこちらの一冊📙(西平英夫『ひめゆりの塔ー学徒隊長の手記』雄山閣、1995年)本書の著者・西平英夫先生は奈良県出身。京大(哲学科)を卒業後、30歳で沖縄師範学校教授となる(1938年)。沖縄戦の際は、ひめゆり学徒隊本部指揮班に所属し学徒隊長の位置にあった。本書は、西平先生の立場から沖縄戦とひめゆり部隊の動向が綴られる。ひめゆり学徒たちを率いる立場にあった教師たちがつどどのような判断を強いられたのかも克明に記される。
なんでも紹介・・・「沖縄『戦後』ゼロ年」目取真俊著辺野古米軍ゲート前「座り込み500日、1000人結集」と、翌日の11月19日の琉球新報が一面に報じた。参加した仲宗根悟県議は、政府の作業強行に「わじわじーして、わったーうちなー、うしぇてぇーならん(怒りが沸いてきた。沖縄の人を見くびってはならない)。(移設反対の)うねりをつくっていこう」と呼びかけた、とある。昨年7月の座り込み開始から500日!雨風や酷暑、寒さにも耐えての非暴力・不服従を貫く新基地反対の沖縄の民意は揺るぎない。それまでの
1285)死に様は色々あり◇沖縄戦の日本軍指揮官である第32軍司令官・牛島満中将は、1945年6月23日に沖縄本島南部の摩文仁にある司令部壕で自決した。◇終戦時の陸軍大臣である阿南惟幾は、1945年8月15日未明に自決した。◇731部隊の石井四郎部隊長を含む主要メンバーの多くは、敗戦時に日本へ逃げ帰った。◇アドルフ•ヒトラーは、1945年4月30日に自殺した。ーーーーーーーーーーーーー
たまたま図書館で借りた本だが、著者が何箇所かで紹介している戦争遺跡に関する記述が少し気になったので取り上げてみた。すなわち、戦争遺跡である壕(軍の陣地や住民の避難所)を「いままでは県内外の団体が自由に平和学習に使用していたが、自治体が(指定管理者)が管理するようになって見学に許可が必要になった」どちらかといえば、著者はやや否定的な文脈で紹介している。以前だったらふーん、と読み飛ばしていただろうが、最近あった辺野古沖の抗議船の沈没事故を踏まえて読むと、ちょっと見方が変わってくる。
2019年7月8日発信。江崎道朗氏の歴史的名著をもとに、中国共産党軍の対日情報工作の根幹にある「政府と人民を分断する二分論」と、その延長線上にある戦後日本の報道空間の問題を論じつつ、硫黄島・沖縄における日本軍と民間人の奮戦が、アメリカの無条件降伏政策を押し戻した歴史的意味を明らかにする一篇。日本側の抵抗が米軍に甚大な損害と深刻な衝撃を与え、本土侵攻計画や終戦方針に大きな影響を及ぼした事実を描いている。2019-07-08中国共産党軍が日本に対して行っていた情報工作活動の根幹は二分論(米国
2019年7月8日発信。江崎道朗氏の歴史的名著を通じて、硫黄島・沖縄における日本軍と民間人の奮戦が、アメリカの無条件降伏政策を揺るがし、その見直し論を強めた歴史的意味を論じた一篇。日本側の抵抗が米軍に甚大な損害と深刻な心理的衝撃を与え、本土侵攻計画や戦争終結方針に大きな影響を及ぼした事実を明らかにしている。2019-07-08そのほか、米軍は士官の戦死があまりにも多くて、着任した士官の名前を覚える暇もなかったほどだったという。以下の江崎道朗氏の著作は歴史的な名著である。この本を読まな
cheeseです💕今回ご紹介するのはこちらの一冊📗(渡辺考『ひめゆり学徒だった山内祐子さんが沖縄の高校生に伝えたこと』講談社、2025年)沖縄戦をまなぶ女子高生たちが元ひめゆり学徒の山内さんにおこなったインタビューを元に書かれた一冊。(ひめゆり学徒とは沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒たちをさします)昭和20年3月23日の夜、軍からの命令が下り学徒たちは南風原の沖縄陸軍病院に従事することになりました。動員されたのは引率の教員1
姉夫婦と4人で沖縄に来ています。6時前に羽田の駐車場に着きたいので、5時前に出発!!日本って明るくなるのが早い!!1日目は旦那の行きたい場所3ヶ所周りました。私と姉が計画立てたら絶対に行かない所3ヶ所🥵最初に行ったのは、旧海軍司令部壕。たくさんの千羽鶴が飾られていました。1944年、つるはし⛏️やくわで掘られた450メートルあった壕で4000人の兵を収容していたそうです。ひんやりした壕は、ドイツで見たベルグフォーフ(ヒトラーの山荘)近くにあった地下壕を思い出しました。海軍少佐達
日本兵をやっつけたい戦争は怖がることに無感覚になることだった特に沖縄戦では日本軍に多くの仲間が殺されるのを目にした殺される仲間の数が増えるほど日本兵をやっつけたいという感情が大きくなってきたその感情は「無感覚」になり「無感動」へと続いた
cheeseです💕今回ご紹介するのはこちらの一冊📗(大田昌秀『死者たちは、いまだ眠れず』新泉社、2006年)「慰霊」とひとくちにいうけれど本当の意味での「慰霊」とはどのようなことだろう?本書はそんな疑問について考えさせる一冊である。沖縄には各県が建てた「慰霊の塔」があるという。筆者はそのうち140基の慰霊の塔碑文を調査した団体が「調査したすべての碑文をとおしてあの戦争についてのもっと正確に言うと自分らの戦争への加担についての罪責の自覚が見当た
豊見城の高台にある海軍壕公園です。慰霊碑の側に、海軍として沖縄戦に関わった部隊・戦艦等が刻銘されています。軍艦大和もありました。旧海軍司令部壕の入口は資料館作りになっています。司令部入口を目指しました。最近発見された遺物です。司令部壕へ下りる前に資料室を見学です。入口で線香をあげて合掌しました。地下約20mへ下ります。司令官質室や作戦室・幕僚室そして通信室は繋がっていました。
マジで日本の技術力エグすぎるわ🇯🇵ENEOSが水と空気中のCO2だけで合成燃料(e-fuel)の生産に世界初成功!石油使わず、完全にゼロカーボンで燃料作れるようになったって…「私たちは答えを見つけます。いつもそうしてきたように。」エネルギー革命本気で来るかも。…pic.twitter.com/0fo79ZrX2w—まったりver2(@mattariver2)2026年3月31日【人工石油】単価は1リッター10円!これで世界を救っちゃえ✨pic.twitter.co
沖縄県の公式ホームページでは「平和の礎メタバース(仮想空間)」を3月から公開しています。沖縄戦で亡くなられた24万人余の名前が刻まれた記念碑をメタバース上で再現されています。戦争体験者の高齢化や沖縄県外にいてもメタバース(仮想空間)で刻銘者の検索や平和学習が出来ます。利用方法は、から「アプリ」「ブラウザ」をダウンロード出来ます。平和の礎メタバース|沖縄県公式ホームページ沖縄県公式ホームページwww.pref.okinawa.lg.jp
アメリカ副大統領とイラン外務大臣の大芝居とホルムズ海峡封鎖が河童涅槃人をしょぼんとさせたのと同時に、ニューヨーク株式市場が一気に活気づいて、明るい気分になった。"IRANHASJUSTANNOUNCEDTHATTHESTRAITOFIRANISFULLYOPENANDREADYFORFULLPASSAGE.THANKYOU!"-PresidentDonaldJ.Trump🇺🇸pic.twitter.com/xDQpCj8APe—The
この日の読谷海岸は5,6mの風だったカイトをうまくコントロールして楽しんでいるサーファー81年前のこのあたりは米軍が大量の物資を陸揚げ中だった前扉が開く上陸用舟艇や大型トラック(写真は読谷村西海岸の説明板より)1945年4月1日米軍はその前年10月から沖縄各地や南西諸島を猛爆撃日本本土攻撃の基地を沖縄につくるため上陸作戦が開始された日先月下旬沖縄と宮古島を旅した後4月1日早朝に那覇港から鹿児島港行きフェリーに乗船嘉手納や読谷村の沖合を通過
やせ衰えた日本兵士沖縄戦でスレッジさんは野戦病院の跡地でやせ衰えた日本人兵士を発見した体重は90ポンド(40キロ)をきっていた日本兵を相棒と共に外に運び出したものの置き場所がなく地面の上に横たえた
ノーモア沖縄戦命どぅ宝の会公式サイトhttp://nomore-okinawasen.org賛同フォーム今回のメルマガは「戦争止めよう!沖縄・西日本ネットワーク」共同代表、高井弘之さんの新刊ブックレットの紹介です。今回で3冊目となる本冊のタイトルは「中国への戦争態勢」は誰のための何のためのものか―東アジアでの戦争を止めるために―で、今私たちが向き合わなければならないテーマとなっています。目次、購入方法を以下ご案内いたします。ぜひ個人、団体でご一読ください。「中国への戦争態勢」は
4月8日おはようございますなんかスッキリしない空模様だなぁ朝のスイーツタイム昨夜お腹いっぱいで食べられなかったエーデルワイスさんの紅芋モンブランを食べながらまったりホテルの朝ご飯を食べてから朝散歩ホテルの前を歩きながら徒歩圏内の波上宮まで行ってみますそれにしても鼻がムズムズしない、快適(花粉症です)那覇唯一のビーチ人工の砂浜なんだそうだけどキレイだよね沖縄っぽい東屋なんだ?これ?なんか毒々しいビジュアル結構デカい!調べたらアダンって植物っぽい沖縄は見たことのない植物
WAKOのブログにお越しくださりありがとうございます日本の聖域を巡り祈りを捧げるわこ旅シリーズ魂の大幅アップデートが起こった今回の沖縄旅斎場御嶽を後にしいよいよ最後の目的地へ那覇空港からもほど近い旧海軍司令部豪大東亜戦争において唯一地上戦があった沖縄多くの兵士、そして民間人が命を落とした激戦の地当初首里城地下にあった海軍司令部ですが戦況悪化にともないここの地の地下へと移り
cheeseです💕今回ご紹介するのはこちらの一冊📙(林博史『沖縄戦なぜ20万人が犠牲になったのか』集英社、2025年)沖縄戦を多大な史料をもとに分析した一冊。沖縄戦の経過を時間軸でとらえると同時に島や地域ごとの状況や戦場の人々を描くことで沖縄戦を多面的にうかびあがらせる労作となっている。もっとも心にのこったのは第4章(「戦場のなかの人々」)である。項だては次のようになっている。1.日本兵たち2.日本軍による住民に対する残虐行為3.戦場に駆り出さ
ええと、、、メモリアル?バースデー?戦後沖縄?慰霊?オリンピック?そんな記念日!そして生誕は?浪速のイタリアーノ?シズー?あれこれ、、、「コークオン」「コカコーラ」とにかく、、、ともかく、、、それは6月の?戦後沖縄の傷痕から?オリンピックに?浪速のイタリアーノ?ジズー?#コークオン#コカコーラ#ドリンクチケット#2026年6月23日#慰霊の日#沖縄戦?#オリンピックデー#本並健治?#ジネディーヌ・ジダンpic.twitter.com/5O21N
沖縄に行ってた時まだKiちゃんもいる間に沖縄平和記念資料館と旧海軍司令豪へ連れて行ってもらいました。沖縄平和記念資料館は戦争で犠牲になった方々の霊沖縄戦の歴史的教訓を正しく次代に伝え全世界の人々に沖縄のこころを伝える所。中に入ったら沖縄戦の写真テレビで見た事のある女の子の写真もありました。白旗持って防空壕から出て来る写真もうそれはそれはとても心の痛む写真が沢山。この心の思いは伝えられない是非沖縄に行く機会があったら行ってみてください。これは資料館の外
日本が太平洋戦争の降伏文章に調印したのはアメリカの戦艦ミズーリでというのは有名このミズーリに特攻機が飛び込んだのはあまり知られていない。この写真、今まさに突入しようとするゼロ戦操縦者は何を思い突入していったのか、迫る特攻機に戦艦の乗組員は怖かったと思います1945年4月11日、沖縄戦に参戦していた戦艦ミズーリに、特攻機の一機が低空飛行で向かい、右舷艦尾付近に衝突。右翼は副砲塔にぶつかり、燃料に引火した。爆弾は爆発しなかったようですミズーリ甲板が火災となりました。その鎮火後に甲板で機体
こんにちは、kanonです。最近、沖縄に行きたいな~と考えます。瞑想しているときに、一番居心地の良い場所をイメージしたりするのですが、沖縄の自然、海や風、草木のイメージをよくします。あぁ、またあの場所に行きたいな。私は、沖縄の南部が好きです。セーファー御嶽や久高島がありますね。平和公園やひめゆり平和記念資料館などもあります。沖縄って、リゾート地というイメージが強いと思いますが、私は、神の島だなぁと思います。自然や神々を大切にしている人たちが多いし、昔から
美ら海水族館ここから始まった沖縄戦嘉手納基地上里さんとアデヤッコ空みたいに大きな水槽生のパイナップルは花粉症にいいらしいちまきどら焼きチーズいり大福ライブつきですたまたま乗った観光バスでした美ら海水族館やパイナップル園を回りましたがガイドさん上里洋子さんとの出会いとこの記念写真は私の宝物になりました上原さんは「平和ガイド」の先駆け:元々はバス会社に勤務するガイドでした定年退職後もフリーの立場で修学旅行生や一般観光客に向けて沖縄戦の歴史を
糸満市の摩文仁ヶ丘です。独りよがりボランティアでブーゲンビル島慰霊碑の清掃をやっています。昨年の6月からできるときにできるだけの清掃です。随分とスッキリとなって気づきました。二本の樹木が植樹されています。二本とも同じ人です。ブーゲンビル島で戦死されたご主人を偲んで奥様の植樹です。1970年の植樹ですから復帰前です。どんな方だったのか気になったので、平和の礎地域にある検索コーナーへ行きました。