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マンデラエフェクト|北朝鮮の万景峰号は北朝鮮と新潟を行き来していたことがあります|Facebook北朝鮮の万景峰号は北朝鮮と新潟を行き来していたことがあります。なぜ新潟だったかというと、朝鮮半島は新潟が近かったからです。今の世界では九州の方が近いことになってますが。また、江戸時代の人口は江戸よりも大阪よりも新潟の方が多かった。これもやはり朝鮮半島との交易があったからではないでしょうか。www.facebook.com北朝鮮の万景峰号は北朝鮮と新潟を
和文化・おもてなしマナー講師の安達和子です本日は【居酒屋の誕生】について話しますねようやく声が出るようになってきました(;^_^A体調が悪いのは辛いですね。でも、お酒の話なら元気になりますよ~先日飲んでいたとき「なんで居酒屋と言うの」と…「酒屋に居たまま飲む」というところから居酒屋が誕生したようですが…元々、お酒屋さんはお酒の量り売りでしたので本来持ち帰って家で飲むものでした。でも、江戸時代には仕事終わりに酒屋に寄って買ったばかりのお酒をその場で一杯飲
居合の流派はかなりの数があり、技も型も千差万別だが柄の握り方一つとっても右手と左手を離して持つ流派と、右手と左手をくっつけて持つ流派がある。現代は拳を離して持ち小指に力を入れるやり方をする流派が多いが、新撰組の土方さんはクソ握りと言われるバットのように右手と左手をくっつけて持ち、親指と人差し指に力を入れて刀を持っていたそうな。ここのブログに書かれているように、確かに室内で振り回すには拳をくっつける方が振りが小さくコンパクトになる。好みの問題な気もするが、影抜きという技は拳をく
◆江戸時代のシャンプー、ふのりを使った洗髪料のつくり方には謎が多い!こんにちは、山村です!今回は、江戸時代の洗髪料を、ふのり(布海苔)を使ってつくってみました。江戸時代の美容書『都風俗化粧伝(みやこふうぞくけわいでん)』には、洗髪料として、「ふのり」と「うどん粉」を用いたと書かれています。その洗髪プロセスとは、熱い湯につけて溶かしたふのりに、うどん粉を加え、この混合物を熱いうちに髪にもみこみ、熱い湯ですすぎ、さらに水ですすぐというもの。ふのりは、現代
清水友邦さん投稿より約1万6000年もの間、環境を破壊せず戦争をしなかった縄文時代は世界でも類のない平和な時代でした。争いを好まず和を尊ぶ心人を同じ仲間としてやさしく迎え入れる心富を独り占めにせず誰にでも平等に分け与える心個性や能力の差を認めながら調和できる心自然に対する感謝と畏怖の心日本に住む人の心には縄文の心が延々と引き継がれてきました。今から140年前の1877(明治10年)に東京大学の教授としてエドワード・S・モース(EdwardS.Morse1838-1925)がア
歩いてロープーウエイ街に行ってみました。観光客でにぎわっていました。「丸水(がんすい)」宇和島の鯛めしのお店が長い行列を作っています。ロープーウエイも並んでましたが、わりとすぐに乗れました。新緑を見ながら松山の街を見下ろします。ソフトクリームをベンチで食べてしばし、観光気分を味わいます。坂道はけっこう急で、帰りがこわいので、観光もここまで。ロープーウエイに乗れたの楽しかった♪(市の経営で往復400円、みなさま折があればどうぞお越しくださいませ)松山城の築城者、加藤嘉明
ーーー滋賀県近江の妖怪ーーー滋賀県近江の山の麓に住む「彦兵衛」。彼の両親は織物職人として生計を立てていた。彦兵衛は母親作った織物を町に売りに行く仕事をしていた。しかし6月は「蛍売りの仕事」もしていた。父親が籠職人なのでそれに蛍を入れて町に売り歩いていたようだ。彦兵衛の幼馴染に弥七という「ところてん売り」がいた。年は彦兵衛と同じで今年20歳になる。またその妹の綾乃は亡き父の後を継いでシャボン玉を売ったり枝豆を売ったりして生計を立てていた。だが最近ずっ
【江戸名所四季の詠御殿山花見之圓】今までの個人セッションでは、私が前世を見ていましたが、今回はお客様自身で前世を見ていただきました。数秘鑑定の後、その方の現在に関係する前世に誘導しました。以下、ご本人のご承諾を得て、掲載しました。・M様の現在と関係する前世出てきたのは、江戸時代。5才くらいの男の子でした。地方の町の長屋に住んでいる庶民の子どもでした。両親は昼間は働きに出ているので、一人で遊んでいます。そばに、年上の女の子がいます。赤い着物におかっぱ頭です。姉?
日比谷公園幸門脇烏帽子石、松本楼付近石橋、雲形池付近馬の水飲みについてです。①烏帽子石日比谷公園幸門脇日比谷公会堂の南東方向烏帽子石2023.12.7(木)撮影こちらが、烏帽子石です。日比谷公園幸門脇日比谷公会堂の南東方向烏帽子石(えぼしいし)"この石は,江戸時代,江戸城外郭市ヶ谷御門の石垣の中にあったもので,形が烏帽子(昔,元服した男子のかぶりものの一種)に似ていたため,人々から烏帽子石と呼ばれて珍重されていたものです.明治時代,道路拡張に伴い石塁が取
大内宿でくるみそばの昼食をとり、散策した後、車で約1時間、会津若松市内の飯盛山へ。急な階段で、右手にある動く歩道に乗らないと大変だというような放送が流れ続けていました。見た感じこれくらい大丈夫と思いましたが、もしや見えてる先のずっと奥まで階段が続くのかしら、そんなに言うのなら・・・と心配に。今年のお正月、江ノ島で同じような動く歩道エスカーを使わず歩き回ったら、帰りの下りで膝が痛くなったので、ここは無理はしないでおこうと250円を払って乗ることに。夫は利用せず階段で。この坂を上
皆様こんにちは!!昨日は「憲法記念日」でしたね♪GWってぐるっとなって、なんの日だかわからなくなりますが…Oyoにとっては!青梅大祭お祭りの日でした〜梵旦が来て以来、ワンワン立ち入り禁止の秩父三峯神社からワンワンウェルカムの武蔵御嶽神社に崇敬神社を変更してまもなく2年。青梅に通い詰めるうちに、すっかり青梅ファンになってしまいましたさて、そんな愛してやまない青梅のお祭り。これは参加しないわけにはいきません!お祭り大好きなんです♪みんなのハッピーなエネルギーが🌀🌀と上昇して、上
ここらへんで、本来のジャンルへ一旦戻る。最近見ていたドラマ『翔ぶが如く』の世界に触発されて読んだというよりも、この本を先に読んだからドラマを見たという順序になります。岩波ジュニア新書なので、平易な文体で書かれておりシンプルで読みやすいです。「生きづらさ」っていうのは今この時代によく聞くワードだけど、どの時代でも生きづらさってあるし、考えてみれば幕府が瓦解していきなり新しい考え方を植え付けられた明治時代は、全員がレベル段違いに生きづらかっただろうなあ。まずこの表紙「實業少
私は仕事柄、除霊をしばしば頼まれます。不浄霊(=成仏できていない霊)から憑依される感覚は、されたことのない人には分からないと思います。しかし、私のように霊的な間口が広くて、何度も憑依された経験を持つ人からすると、憑いた瞬間に「今、憑かれた」とか、ふとした瞬間に「やっぱり何か載っている」と、自分でも自覚ができるようになります。そして憑依された霊の祓い方ですが、それは霊能者によって大きく異なるようです。私の除霊のやり方は、若いころに年長の僧侶のところへ通って、時間をかけながら習得しました。霊的な感
「伊勢神宮は支配層・八咫烏にとって最も重要な松利権の工作拠点。江戸時代には、徳川幕府が推奨したお伊勢参りによって多くの人々が参拝する神社となりました。大勢の人々が集まる場所は表裏の金儲けの仕組にも通じます。伊勢神宮を支援団体が伊勢神宮崇敬会であり、初代会長は八咫烏の役割を担っていました。」静岡県浜松の地から愛知県の渥美半島を通って三重県の伊勢神宮まで神御衣(絹織物)を運ぶ儀式としての「赤引糸の旅」は、渥美半島を通る中央構造線を封印する役目でもあります。それは伊勢・志摩を中心とする光の土地を
大阪天満宮の近くに天神橋筋商店街があります日本一長い商店街で有名な天神橋筋商店街、その距離なんと2.6キロ地下鉄2区間分の長さに600もの店が軒を連ねているそうです天神橋筋1丁目~6丁目まであります。江戸時代、大阪天満宮の門前町として栄えたのが始まりだそうですよ。さて、その大阪天満宮に近い2丁目のアーケードにこんな人形が飾られています。(南側)(北側)いつもなんの人形だろう、と思っていたら、天神祭と関係のある人形でした御迎え人形と呼ばれています
なんて美味しそうなお蕎麦なんだろう🤗(お蕎麦、大好き)いつかは行ってみたいお蕎麦屋さんです私の自宅からほど近い場所にある深大寺は、江戸時代から続く蕎麦処としても有名で、境内周辺に蕎麦屋が20店舗ほどありますその中でも常に行列が絶えない人気店「湧水(ゆうすい)」さんに来ました国産蕎麦粉を石臼挽きした蕎麦は香り高く、初めはつゆを付けずに食べて香りを楽しむのがオススメ…pic.twitter.com/lcVxtO4zmr—自分の頭で考える人2.0(@Awakend_Ci
私は江戸時代の文化に興味津々だから、落語は関連が多く、面白く識る事が出来て楽しいですね。クドカンさんに関わる事柄がわからず記事内に書籍の「びんぼう自慢」の志ん生さんの本の表紙に載ってる火鉢が実に見事で、そちらに目がいきました。謝らなきゃいけないね。ごめんなさい。
昨日の今日の卵焼きすぽーん昨日田舎宅に戻ってこの間手に入れた私の曽祖父の戸籍をちゃんと読んでみたあれ?明治5年生まれで出生地が既に北海道の住所?筆文字だから読むのに時間かけるん?広島出身って聞いてたけどどこか間違った?それともその上の高祖父(調べた(笑))が広島出身でどこかでズレて伝わった?ちょっと調べたら広島から北海道に入植した人はそれなりに多かったそう地名になってるくらいだものなあ少なくとも明治5年生まれの曽祖父の父の代となると江
昨日、我が家のささやかな初釜が無事終わりました。茶会としても勿論ですが、内々でも、今年になって初めて炉に釜を掛けたわけで、昔の茶人に「遅過ぎ!」と叱られそうですが。釜と言えば、先回、「釜日」という言葉に触れましたが、「在釜」という言葉、ご存知でしょうか?釜が在る、つまり、釜を掛けている状態ですが、辞書には「茶会を催しているのを知らせる言葉」とあります。この言葉も、少なくとも東京では死語になっているのではないでしょうか?「本日在釜」などと紙に書き、門前に張り出すのですが、私は東京では一
240501(水)ふりかけと言えば浮かぶのはのりたま、ゴマ塩。最近は給食でおにぎりを作っていていろいろふりかけを学んだ。ふりかけは大好き。特に弁当には欠かせない。これ友人がプレゼントしてくれた本。ふりかけ:日本の食と思想Amazon(アマゾン)いやー簡易なうんちく本と思いきやなかなか堀が深い。最後はどんぶり飯、一汁一菜、アジア各国のふりかけに及ぶ食文化論になってしまう。そりゃそうだ。小魚の煮つけ、佃煮でもふりかけになっちゃう。江戸時代から流行ったぶっかけ飯もそうだ
今日は、江戸時代に行われていたとされる身分制度について、小名木善行先生の講義から考えていきたいと思います学校で習うし、日本人なら知らない人はいない、士農工商(しのうこうしょう)という言葉。これはいったいどういうものだったのか?最近の教科書では、これは身分制度ではなく、職業分類だと書いているものも出てきたようです。じっさいに、その通りで、職業間には自由があった。農民だったけど、武士になる人、商人だった人が武士になる、武士だったけど、商人になる人、武士だけど、職
4月30日、只見線ビューポイントで列車撮影をした後、『只見線ビューポイントへ急げ!朝からドタバタ記』昨日からから来ている福島県。今日は朝から大内宿へ行く予定だったのだけど、只見線の列車が見えるビューポイントに行ってみることに。実は、行くかやめておくか何度も迷…ameblo.jp大内宿に向かいました。只見線ビューポイントの道の駅尾瀬街道みしま宿と大内宿は全く別方向。どちらも会津若松中心部より離れた山の中。みしま宿は西で奥会津と言われる場所、大内宿は南の山間部。車で約2時間程で大内宿に
新潟長岡氏の摂田屋の続編です。”江口団子”で団子をいただいた後は摂田屋の街並みを歩きます。摂田屋は”酒、味噌、醤油”の醸造する蔵元がたくさん残っているんですよ。歩くこと1分ほどで、昔ながらの古い建物がありました。ここは、“越のむらさき”さんです。江戸時代から醤油を造り続ける老舗です。明治10年竣工の社屋は登録無形文化財です。これは”れんがの煙突”です。現在は当初の2/3程度の高さらしいのですが、この風景が摂田屋のシンボル的な存在らしいですよ。このお店の店頭には、
特殊算の総復習をざざっとこなし中。ほぼ基本問題、プラスαみたいな。パターンには慣れてきたかな。息抜きねって、社会のYouTube挟んだら、全然息抜きにならない。ですよね。ごめん。知ってた。YouTubeもゲーム実況ばっか見るから日本史系もっと見てほしいなー。受験生だし!https://youtu.be/frQaAK2PHG0?si=y4kOj_S0e4g7g0dB【日本史⑩】江戸時代の流れを7分でアニメ解説する試みQ江戸時代とはどんな時代か?A260年と長く続き、列強国により
GW皆様も楽しんでいらっしゃるかと思います。数年ぶりにシオンカー発動チリンチリン今日はトリミングでもなく、チックンでもないからご機嫌シオンちゃん。薔薇を見に都電三ノ輪橋へ。江戸時代は川が流れていたのですね。現在は、関東の駅百選認定駅に選ばれています。駅は都電駅です。パパさんとシオンちゃん、早速お散歩都電とシオンちゃんそして都電沿線は薔薇で彩られます。4月末、少し早かったかな?種類も豊富なの
4/20,4/27,5/4と行いました!20日には、meijiさんから寄付していただいたお菓子を配りました!二人の生徒には余りあるぐらいいただけて、感謝感謝です。先日、「私塾」の歴史について書かれた本を読んでみたところ、江戸時代から始まる「寺子屋」文化と、「無料塾」って、実に実に似ているのかもな、と。それだけではないけど、「寺子屋」の師匠は、報酬を求めていなかったらしい。少し似ている。
今日は、漢方について話します。漢方は、言わずとしれた中国で生まれた薬です。日本でも江戸時代には、かなり流通していたようです。江戸時代では、漢方の材料が、中国からの輸入が十分でないため流通しませんでした。この名残か、現在の日本でも、中国で使用されている量より少ない量で処方されているようです。そのため、日本では、漢方はじわっとゆっくり効くというふれこみになっています。これが、実は間違いではないかという話があります。北海道のイサイ先生達によると、漢方は、すぐ効く!とおっしゃっています。私も
明治時代に華族になった人は、大きく分けて3つのグループに分けられます。公家・旧藩主明治維新の功臣国家に貢献した人物公家・旧藩主明治時代に華族になった人の多くは、江戸時代に公家や旧藩主であった人たちです。明治政府は、新しい国家体制を構築するために、これらの人たちの協力を得る必要があったためです。具体的には、以下の人たちが華族となりました。公家:九条家、二条家、一条家、近衛家、鷹司家、徳川家康の血を引く家など旧藩主:徳川家、尾張徳川家、紀州徳川家、水戸徳川家、薩摩藩、長州藩、肥前藩、
師匠は「前世はない」と断言する人でした。でも、私はときどき、「必要だから、(今のこの人に)前世を教えてあげてね」と神様から言われることがあります。どの神様に聞いても「前世はある」と答えます。でも、師匠が「ない!」と言い張るわけで...。結構長い間葛藤していたのですが、「やっぱり前世ってあるのかも!」と思ったきっかけがありました。母の友人の旦那さん(Sさん)とその方の前世さんですSさんとご挨拶をさせていただいた時、Sさんより先に後ろに
朝の支度をしている時、子どもと話をしました。「今のパパの食事どう思う?野菜ばっかりで可哀そう?」そう質問したら「うーんとね、、、江戸時代の武士みたい!」と、素晴らしい回答が返って来ました。子どもたちはなぜか江戸時代が大好きで(桃と卍を読み、火消に惚れ、江戸時代が好きになって友だちを巻き込んで色々研究しているみたいで)江戸の食文化にも詳しい。仏教の影響で、当時は四足動物は食べず(鳥は食べてた)、それこそ米と野菜中心のごはんだったそう。(←