ブログ記事21,819件
◆「女性は外見より内面を磨くべき」という儒教の価値観を反映し、薄化粧が基本でした!こんにちは、山村です!江戸時代後期には、女性の模範的な生き方について書かれた「女大学」「女今川」などの女訓書(じょくんしょ)が、寺子屋などで女子教育のテキストとして使われ、女子はこれらの本を通して、日常生活のマナーや結婚後のあるべき姿を学んでいました。日本の女訓書に大きな影響を与えたのが、中国後漢の時代に書かれた儒教の本『女誡(じょかい)』と言われています。『女誡』は、嫁ぐ
今日は土用の丑の日でした。土用の丑の日になぜうなぎを食べるのかというのは諸説ありますが、江戸時代にエレキテルで有名な平賀源内が広めたという話があります。うなぎの蒲焼は夏場は旬を過ぎてこってりしているので売り上げが落ちていたそうです。そこで夏場に売り上げアップをしたいと考えたうなぎ屋が平賀源内に相談したところ、本日土用の丑の日という看板を出すように提案したのです。するとこの目新しい看板を見たお客さんがお店に来て繁盛し、それを他のお店も真似をして土用の丑の日にうなぎを食べる習慣が広まったそうです。う
こんにちは貝柄山公園は鎌ヶ谷市中心部からやや西のところにあります広さは4.1ha地形は南北に細長く中央に池がありぐるっと一周できますジョギングや散歩で何周も回る方がおられます『悦び花を飾りて』大須賀力作ヤブミョウガこの辺りは小金牧と呼ばれ江戸時代より軍馬の飼育が行なわれていました公園の北側から鎌ヶ谷市郷土資料館に足を延ばしました29000年前旧石器時代の石器が出土しています(東林跡遺跡)人類が日本列島に到達したのが約38000年前と言われて
前回の続きです続いて豪農?だったかな、その方のお家に。途中、結界があったりで超リアルでした。水汲みは女性の仕事だったのかな?ニコやかに殴りかかるサイコパスにも見える広いお庭で裏山気持ちはハイテンション床高っ湿気対策?だったのでしょうか土間でなかったここらでおなか空いたので、ごはんに。街中(江戸)にあるお蕎麦屋さんにお店の前でお友達は、はいからさんでしたお蕎麦とかやくごはんめちゃ
(大国魂神社HPより)お祭りはなぜやるのか神様・自然に感謝豊作を祈る・感謝慰霊、厄除け主にこれえらの為に行われます。神社で多くの人が祈願している運が良くなる為ではないんです。金運が祈願され始めたのは江戸時代それまで稲荷神社では豊作を祈願していましたがこの頃より金運も祈願するようになります。関東で金毘羅神社流行したのも金運に関する神社だったからでしょう。江戸時代に地方の藩が参勤交代の際に江戸での資金繰りの為に神社を勧請してお賽銭を集めていたと言われています。東京の神
スカートで江戸時代に行った男の娘はっと気づいたら学校?いいや寺子屋裏に回ると長屋の露地共同炊事場・・・井戸端会議ですね長屋に入ると粋なおかみさんが表店に回るとおおや伊勢屋さんかい?おはいり平時親分とかふと出て来そうなお茶やさんも御用だ!って捕まらないうちにここは時代劇でおなじみお江戸日本橋のセット時は変わり元禄時代私が座ってる松の廊下で収録されたそうです・・・「身代わり忠臣蔵」「離してくだされ梶川殿!!!!」吉良殿!またれい!そうここは松の廊下のセットでござる
中世ヨーロッパ~化政文化
史跡:佐渡金山新潟県佐渡市下相川1305佐渡金銀山400年の歴史を伝える史跡。江戸金山絵巻(宗太夫坑)コースでは、人形を使って当時の採掘作業を忠実に再現。明治官営鉱山(道遊坑)コースには、明治期以降の近代化産業遺産群が残ります道遊坑(近代コース)大人1,000円、中学生500円宗太夫坑(江戸時代コース)大人1,000円、中学生500円宗太夫坑・道遊坑見学共通券大人1,500円、中学生750円佐渡金山・・と言えばこちら、道遊の割戸が有名金を求めて山⛰
↑古い刀は茎に黒錆がついている。これは自然発生的についたものではなくて、意図的に錆付けされたものだと思います。https://ikedaart.net/?pid=159467378↑昭和初期の刀黒錆を付けずに経年劣化すればこんな感じで赤錆がつく。こうならないように黒錆がつけられていた。鍔は現代でも黒く錆付けされていますよね。いつ頃から茎に錆つけしなくなったのかというと、たぶん明治の廃刀令以降のことでしょう。新々刀の茎は黒錆ついていますし。廃刀令以降し
■坂本龍馬の身長と体重は?まず、江戸時代の男性の平均身長は、158㎝~159㎝だと言われています。令和三年、現代の日本における男性の平均身長は約172㎝であり、現代に比べると江戸時代の男性は非常に小さかった事が分かります。江戸時代には獣の肉を食べる習慣が一般的では無かった為、動物性たんぱく質が欠乏し、骨の成長の停滞につながったといわれております。少し前にTBSドラマで「JIN-仁-」が放送されましたが、この劇中にも江戸時代の人の栄養の偏りからくる「脚気」の治療方法として、「安道名津(あん
あれから早いもので2か月以上も経ちますね!宮崎旅をして宮崎港から宮崎カーフェリーで神戸へ。台風接近によるシケで瀬戸内周りになり神戸港には約3時間遅れの11時過ぎ。💡それなら遅くなりついでに寄りましょう💡ってことで神戸三宮フェリーターミナルから中突堤ターミナルへ🚙移動。プチ神戸湾クルーズをしました😊今回はその乗船した神戸ベイクルーズの「御座船安宅丸」をご案内します。-----------------------------------------宮崎カーフェリー「
以前、脇差の外装を合口拵えで作成して小柄を取りつけられるように小柄櫃もつくってもらいました。柄巻きは「捻り巻」↑すると、柄糸の合わせ目の所で干渉してこのままでは小柄が抜けません。↑小柄をつまんで少し引っ張れば小柄の刀身がしなってこんな感じで抜けます。しかし、なんとなく鞘の小柄櫃の部分に負荷がかかってしまって良くなさそうです。次に小柄櫃をつける場合は捻り巻にはしない方が良さそうです。というか、本来小柄や笄を取り付ける場合は捻り巻にはしないのかもしれません
白粉花(オシロイバナ)バイカラー色々ー都立水元公園タナゴ釣の途中に撮りました!原産地:ペルーなど熱帯アメリカ科/属:オシロイバナ科/オシロイバナ属(ミラビリス属)花径:3cm位開花期:6月〜10月黒い果実(種子)を割ると、白い粉質のもの(胚乳にあたる部分)があり、それがおしろいの粉のようなので、この名がつけられています。日本には江戸時代に入り、各地で野生化しているものも多く見られます。bygoogle
こんにちは。東京の展示会に出席するうちの営業が、「いよいよ来ました」となぜか明治神宮の写真を送ってくれたので、明治神宮のお話を書いていきたいと思います😅実はこの明治神宮と皇居にはとある共通したパワースポットの秘密が隠されているのです。なぜに気が良い?木が生えているから?いやいや…明治神宮は1920年創建の、「植林による森」なのに、今やすごいパワースポットになっているのです😅そこには何か秘密が隠されているのかもしれません。※明治神宮皇居は江戸城の跡地に建っている、
「橘さんは、前世を視ることが出来ますか?」時々、そう質問されることがあります。私は不思議なモノ・ことを日々目にしていますが、狙って前世だけを視ることは出来ません(前世を視ることが得意な霊能者もいます)。ですが時々。神様が、『今このタイミングで、必要!』と判断した時だけ、人の前世が視えることがあります。前世自体、あるorないが分かれる案件だからこの話は、夢物語と思ってくださって構いません「へぇ~そういう事もあるのかぁ」くらいの気持ちで、お付き
いよいよ3月に入ってきましたね〜〜ww。ついウキウキしてしまいます。もう寒さのピークは過ぎて、これからどんどん暖かくなってきますよ。この時期は年度末でもあるから、巷ではみんな忙しく働いているんだろうな。そして3月は卒業式や人事異動の季節でもあるから、別れの季節でもあるのかなぁ?去る人もいれば来る人もいる、出会いと別れを繰り返して、人というのは成長していくんだよね。あ、そういえば、平昌冬季オリンピックがやっと終わったようですね。あまり興味がなかったから
(藍:ジャパンブルー)明治初め、英国の化学者アトキンソンは日本の暮らしに藍染めが深く根づいていることに驚き藍を「ジャパンブルー」と呼んだ。藍色はそれ以前から浮世絵などを通し海外に知られており日本の色彩文化を代表する色といえる。(p102)・・・・・・・(利休鼠:侘寂の色)日本の美として有名な「侘寂(わびさび)」を象徴するのが竹の色。利休が竹林を愛したことから“利休”が緑みを意味する形容詞として江戸時代に使われ始めた。「利休鼠」はまさに緑の彼方に竹
和紙に包まれ、まるで繭玉のようなお菓子。青森県弘前市にある御用御菓子司「大阪屋」の『冬夏(とうか)』という和菓子で江戸時代から伝わる和菓子なのだとか。炒った糯米(もちごめ)を繭玉の形にして砂糖をまぶしたもので、素朴な組み合わせながらも繊細なお菓子です。原材料も餅米、砂糖、水飴、大豆、和三盆のみ。御用御菓子司「大阪屋」は寛永7年(1630年)に創業し、約390年の歴史を持つ東北でも指折りの老舗の和菓子屋なのだそうです。しかも、もともと
和文化・おもてなしマナー講師の安達和子です本日は【江戸時代の敬語】について話しますね商人しぐさや繁盛しぐさと言われる江戸しぐさの教えには「人間関係はきちんとした言葉づかいから始まる」とされています江戸の商人としてお客さまのお相手をするのですから耳に心地よい言葉でなければいけないのです私たちが使用する日本語は相手を敬う気持ちを言葉として表現しています。日本語の敬語にも「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」と…江戸しぐさでは人間には上下はないというのが根本にあるの
福岡には江戸時代からの街道沿いの宿場が今でも残っています。前回からの続きです。『唐津街道・赤間宿散策④』先日、仕事サボって社会勉強に行って来ました。しかも日本の歴史勉強。仕事より勉強優先の私です。前回からの続きです。『唐津街道・赤間宿散策③』先日、…ameblo.jp福岡県宗像市には唐津街道の名残を感じる街並みがあります。街道の駅赤馬館宗像市内の特産品など取り揃えています。
◆米ぬか洗顔で目指すはツルスベ肌!こんにちは、山村です!今回は、久しぶりに江戸時代の化粧の再現で、米ぬかを使った洗顔を試してみました。米ぬかは、玄米を精米する時にできる外皮や胚芽(はいが)の粉末のこと庶民も白米を食べるようになった江戸時代後期には、この米ぬかを、洗顔料やからだを洗う石鹸代わりに利用していたのです。江戸後期の美容のバイブル『都風俗化粧伝』(文化10年、1813年刊)の、「湯化粧の伝」には、湯を使ってぬか袋で顔をよく洗い、白粉を薄くほどこす、とあります。
※Yahooオークションから引用・加工杉屋佐助さんの大黒様から始まった謎解き散策私が疑問に思ったことは以下の3点です。①上長瀬の茶所と正受寺は同一?②上長瀬の茶所はどこにあったのか③名古屋の商家が寄進した石造物はどうして消えたのか?何処へ行ったのか。※あくまでも素人の考察ですので、的外れな点も多々あると思います。①上長瀬の茶所と正受寺は同一?私を悩み続けさせたのは正受寺の存在でした。【谷汲長瀬①】上長瀬渡船場跡記事でも書きましたが、閲覧した文献は『
うちのブログは、アクセスの7割ちょっとが「検索」でいらっしゃる方々でして。ありがとうございます。日本古代史ばっかりやっている所ですが、たまに中世や近代や海外もやってます。ゆっくりして行ってってくださいましね☆で、アクセス解析を見てみると、多い日で「検索」の8割ほどは「系図」なのですが、ここ数ヶ月は『光る君へ』関連で来る「藤原氏」のほかに、「徳川家」でいらっしゃる方が多いのです。去年は大河ドラマが『どうする家康』だったので、その余波かな…と思いかけたのですが、検索ワードでは「徳川
以前、車のボンネットに、知らない間に傷が出来たという方から相談を受けました。自分ではぶつけた記憶はないので、誰かがイタズラをして傷つけたのではないかと思いました。小さな“ひっかき傷”のようなものでしたので、タッチペンを塗って目立たないようにしました。しかし、しばらくするまた同じ場所に傷がついています。しかも今回は傷が大きく広がっていて、何かの模様のように見えます。車は家の前の車庫に止めていたので、車庫を監視している防犯カメラ映像を確認しました。誰かのイタズラであれば、警察に被害届を出そうと思い
も~い~くつ寝~る~と~♪この「お正月」って歌の作曲は滝廉太郎さんだったんですね~という事でもう年末です。思えば今年1年は「杉屋佐助」さん探しに没頭した年でしたほとんど佐助さんの記事で埋め尽くされた感じですそういえば、佐助さんの新発見の夢を1回見たこともありました。まさに「寝ても覚めても」佐助さん佐助さんを知ってから「佐助さんの石造物を探す!」プロジェクト(笑)を立ち上げましたが、先ずは既に発見されている石造物を見ることで「杉屋佐助」という人物に近づいて行こうと考えました。そ
きもの都粋高塚です大原商店さんから入荷した簪(かんざし)、とても好評です先が耳かきの形なのが、気になった皆さま。江戸時代は、実際に簪で頭を掻いたりしていたのだそうですね。「日本髪を結っていると頭がかゆくなってもなかなか掻けませんが、これがあれば髪形を崩さずに頭を掻くことができるということで、大いに流行りました。」のだそうです。江戸時代より前は、垂髪が一般的だったので、簪は流行らなかったとか。画像、耳かき情報局さんよりお借りしました。耳かき情報局|耳かきの道具からトラブ
まだ着物が日常に着られていた時代江戸時代の庶民が結んだ引き抜き結び(角出し)帯枕、帯揚げ、帯じめなんて何も使わないヒュンヒュンって結べちゃう帯結び我が家に残る唯一のアンティーク帯は義母のものなのか、まだ古い人のものなのか、もはや分かりませんが柄のつき方が途中、逆さまなので普通にお太鼓には結べない帯なんだなぁとは思っていました。私が結ぶには派手だけど可愛いので大切にしまっていたものを引っ張り出して結んでみましたよなんだか、ゆらゆらしてこれで完成なの?って思いますが浮
◆ムクロジを使って泡立ちの実験をしてみました!こんにちは、山村です!今回は、江戸時代の化粧に関する実験編。前回の再現では、米ぬかの洗顔を試してみましたが、今回は江戸時代に用いられたムクロジについて紹介します。ムクロジというと、普通の人は、まず耳にしない植物です。4月に神代植物公園に行ってムクロジの木を撮影したのですが、そもそもが15~20mにもなる落葉高木公園のムクロジも、写真のように、首が痛いほど見上げる高さになっていました。左下に、緑の若葉
明日7月27日(土)の夜、隅田川沿いでは第47回隅田川花火大会が開催される予定ですが・・・。明日の関東地方はゲリラ雷雨のおそれがあります。雲の多い空から日差しが届く時間もあるものの、午後は雨雲が急発達し局地的に激しい雷雨となる可能性がありそうです。先週土曜日の、荒川沿いの「足立花火大会」は、開催20分前に中止になりましたが、隅田川は・・・どうなりますか・・・?江戸時代の享保17年(1732年)に大飢饉が発生し、多くの餓死者が出たうえに、疫病まで流行したことで、犠牲となった人々の慰霊と悪疫
本日のNHK学園市川オープンスクール「もういちど、古典文学」では、『雨月物語』を取り上げます。雨月物語上(講談社学術文庫487)Amazon『雨月物語』は上田秋成(うえだあきなり。1734年生まれ、1809年没)の読本です。9つの短編で構成され、霊や祟り、死の関わる話ばかりなので、「怪談」と称されることもあります。『雨月物語』の中では、中国の古典を日本に置き換えた友情譚「菊花の契」、死してなお夫の帰りを待ち続けた妻を描く「浅茅が宿」、崇徳院の御陵を訪ねる西行を描いた「白