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僕は、クロさんと別れたあと、呉服問屋のお家に戻って、すぐにお風呂に入った。ここには、たくさんの人が働いている。その方たちに僕が外を歩くことで、何かの菌が感染したらいけないと思ったんだ。もともと江戸に来る前も、散歩した後は、きれいに足を拭いて、消毒やブラッシングを身体中していたから、その習慣は、今も沁みついていたんだ。絶対に、丸尾の皆さんに迷惑をかけてはいけない。そう思った。マロ君が町犬と関わってはいけないと話した言葉も気になっていた。
一商工農の三民には、近年隠れた驕りがある。家業をきちんと勤めないことである。この難にかかってしまうと一生苦しむことになる。そういうのがその人の子供に移っていき、全体として近年世の中にいつとなく、前にも書いた通り調子こくようになって、下々の者たちまで飾り、帯が派手になっていき、履物足袋に至るまで消費が限りない。下々の無名の者たちの驕りは大概頭の飾りから始まり、手足に終わると見える。芸事は様々あるが、浄瑠璃、小唄、音曲の数々、中間から小物に至るまで童子の類に至るまで、四座[1]でまなび俗を嫌
宿を出て茨城に向かう途中、ちょっとした景勝地がありました。安寿と厨子王の話は、子供の時にテレビで知っていましたが、20年前に佐渡島をサイクリングした時、再び出会いました。とっても懐かしく思ったのですが、それがここ広野町につながっていたとは。感慨深いものがあります。一度枯れてしまって、再度植えた松は再び枯れてしまいましたが、きっと昔は立派な松があったのでしょう。その後、茨城に入って、すぐにある五浦美術館へ行きました。高円宮妃久子殿下の根付けの写真展を見るためです。展示してある根つけは
この絵大好きなんだ伊藤若冲《象図》東京富士美術館蔵墨の象がドーンドーンとこちらに迫ってくる揺るぎない強い構図実はこのモデルの象が本当にいたんだよゾウは将軍吉宗に献上するためベトナムからやってきた1728年(享保13年)江戸に向かう途中天皇に謁見するため京都に立ち寄った市中を練り歩く姿はきっとすごい数の見物人だったよねそれを若冲がサクッと写生したんだやはりゾウを初めてみたとんでもない驚きと感動がこちらに伝わってくる
トランクで旅するトランカー®︎YuhKawasakiです!大阪くらしの今昔館へ!江戸時代から明治、大正、昭和へかけての大阪の住まいと歴史と文化が体験ができる日本初のミュージアムです!江戸時代へタイムトリップ!江戸時代の天保の頃の大阪の街並みを復元しています!柴犬の親子が。天六にあるからてんとろく?(笑)楽しみにしていたのは着物体験!30分間1000円で借りることができます。今の時期は浴衣です。浴衣で撮影したいしまずは着物コーナーへ。服の上から着付けしてもらう形なので、お
池鯉鮒宿|スポット検索|【公式】愛知県の観光サイトAichiNow池鯉鮒宿(ちりゅうじゅく)は、東海道五十三次の39番目の宿場。「知立」と書けば「なるほど」と思えるのですが、なぜ「池鯉鮒」?この表記は江戸時代に一般的に使われるようになったようですが、当時、知立神社(池鯉鮒大明神とも称する)の御手洗池に鯉や鮒が多くいたことに由来するといわれています。どうやら昔の人々のユーモラスな遊び心によって、東海道の旅人が「きっとあの…aichinow.pref.aichi.jp池鯉鮒宿、東海道
※千野隆司著『おれは一万石百貨の難』37前話と同じ言葉が今回も当てはまる。”あいかわらず高岡藩には金がない”ということだ。ただ、これは、高岡藩のみならず、当時のほとんどの藩にあてはまることだった。藩は、荷船の五大力船(ごだいりきせん)を購入したい。資金は、相場により創りだせる、という甘い夢を見ていた。頼りは脇両替の熊井屋の跡取り房太郎の助言のみ。房太郎の祝言に招かれていたが、遅れそうになったのが、北町奉行所与力の山野辺蔵之助(やまのべくらのすけ)だった。高岡藩主井
厳しい残暑が続いております水分塩分補給に努めましょうね✋さてリフレッシュ旅長野県塩尻市『奈良井宿』へHPより画像お借りしましたm(__)m平日なのに駐車場がいっぱい『木曽の大橋』近くの無料駐車場へやっとこさ停めれました『木曽の大橋』楽しみにしてたけど工事中残念HPよりおお♪先ずは右に逸れ『奈良井氏居館跡』へハーハーゼーゼー登った先に原っぱのみ(標高978m)戦国時代の国人領主奈良井氏の館(山城)の遺構だそうです小道を下ります
御嵩町中山道御嶽宿古民家カフェかしわ屋定休日水曜日・木曜日営業時間9:00〜16:00古民家カフェとしての営業が4年目となります。旅籠、民宿としては江戸時代の天保からです。屋号も「旅籠柏屋」で現在と同じです。「古民家カフェかしわ屋」※画数を観て、ひらがな表記にしました。天保13年(てんぽう13年)は、西暦1842年です。元号:天保13年西暦:1842年干支:壬寅(みずのえとら)江戸時代:第12代将軍徳川家慶の時代ちなみに、2026年から184年前です。「
上白石萌音、5年ぶりにTBS系火ドラ主演『いろはの恋は時代(とき)をかける』で一人二役に挑む共演にSnowMan・向井康二【コメント全文】https://news.yahoo.co.jp/articles/1d469ae3b564adcd2085efc0ff53e3cb2af28588上白石萌音江戸時代の娘と小学校教師の一人二役に「先生方への感謝と尊敬を込めて」共演はSnowMan・向井康二10月スタートTBSドラマhttps://news.yahoo.co.jp/artic
8月20日木曜日江戸煩い江戸時代の終わり頃。地方の人達が江戸に来ると何故か病に罹り国に帰ると治ったので江戸煩いと呼ばれる病が流行った。これは江戸の庶民が白米を食べていたのでビタミンB1不足が原因で脚気になっていたからだ。糠漬けを食べると治ったり蕎麦を食べると治ったので江戸煩いには蕎麦が良いと言う噂が広まり江戸で蕎麦が流行り江戸っ子が蕎麦好きになったと言う事にも繋がったようです。
僕は、きものを脱いで、普段のぽメラニンの姿で、その町犬に会いに行った。町犬は、約束通り、江戸の大通りの裏道で待っていてくれた。P『お待たせしました。どうしたんですか?』N『あんたに話があって、毎日あそこに行っていたんだ。あんたは、江戸の犬では、ないな。どこか別のところから来たんだろ?だから頼みたいことがあるんだ』P「どうしてそれが解ったんですか?』N『見ればわかるよ。こんなきれいな犬は野良にはいないし、狆でもないことくらい俺にも解るさ!!もしかして、別の時代から来たのかい
暁に斬る!第11話平四郎(北大路欣也)とお春(名取裕子)に蘭医学を志す、兵馬(加納竜)実の母の今際の際に従い、御法度の「ふわけ」をして、実際の内臓を見た、と打ち明けられる。この「ふわけ」が気になり、調べてみました。〜〜〜〜〜江戸時代の「腑分け(ふわけ)」とは、刑死した罪人の遺体を切り開いて、体の中の様子を調べる人体解剖のこと。表向き固く禁じられている一般認識があったが、幕府や藩の特別なお墨付きや許可を得て、刑死体を使った解剖が条件付きで行われていた。儒教的な倫
三匹が斬る!第15話九官鳥そう言えば、九官鳥は江戸時代にいたのか、知りたくなり、調べてみました。〜〜〜〜〜九官鳥が日本に初めてやってきたのは、記録に残る確実なもので江戸時代(万治3年・1660年)。長崎奉行が幕府に献上したのが最初期の記録とされている。〜日本渡来の歴史〜1660年(万治3年)長崎奉行が九官鳥を江戸へ献上した記録が残る。1666年(寛文6年)諸侯(大名)の間でも飼育・献上されていた。江戸中期以降人間の言葉を真似する珍しい鳥として、オウムやイン
隠し目付参上第13話で、殿山泰司さんが演じた根岸検校。番組内のナレーションでも、「検校」について説明があったが、個人的にも調べてみました。〜〜〜〜〜江戸時代の視覚障害者(盲人)の自治組織「当道座」における最高位の階級および称号。幕府の保護を背景に金融業などで大きな富を築き、高い権力を持った。〜当道座の階級と仕組み〜当道座は4つの階級に分かれていた。検校(けんぎょう):最高位別当(べっとう):第2位勾当(こうとう):第3位座頭(ざとう):第4位〜検校の権力と
白粉花(オシロイバナ)5色ー都立水元公園タナゴ釣の途中に撮りました!原産地:ペルーなど熱帯アメリカ科/属:オシロイバナ科/オシロイバナ属(ミラビリス属)花径:3cm位開花期:6月〜10月黒い果実(種子)を割ると、白い粉質のもの(胚乳にあたる部分)があり、それがおしろいの粉のようなので、この名がつけられています。日本には江戸時代に入り、各地で野生化しているものも多く見られます。bygoogle
【時代劇こぼれ話】必殺・飛び道具必殺シリーズでは、それぞれの仕掛人・仕事人の殺し技が多岐に亘ります。元々の原作である「仕掛人・藤枝梅安」なら梅安の鍼、彦次郎の吹き矢、小杉十五郎の剣、ということになります。仕事人シリーズなら、三味線屋の勇次の三味線の糸、が一番印象的でした。では飛び道具はどのくらい出て来たのでしょうか?これもマニアの人が調べてくれていて、10種類以上あるようです。意外ですね。何といっても、彦次郎の吹き矢というのが秀逸です。藤枝梅安が調合したという
「うさぎ玉ほろほろ」西條奈加講談社時代小説文庫を読みました。「南星屋シリーズ」の3巻目です。南星屋は、江戸麹町にある菓子屋です。主人公は、主人の治兵衛。娘のお永、孫のお君と店を営んでいます。人情ものというジャンルだと思いますが、江戸時代も、現代と同じようなことに喜んだり悩んだりしているのだなぁ…と思います。今回は、お菓子好きで旅好きの渡り中元鹿蔵という男が、ある夜治兵衛に手紙を託し、すぐに逃げろと言いおいて、いなくなってしまいます。そのあと、火事がおこって町は混乱。
創建年は不詳も1648年、1658年、1788年に社殿修営の棟札が残っており少なくとも江戸時代には存在していた木々に覆われいい雰囲気手広熊野神社はかつて青蓮寺の支院・宝積院の鎮守として熊野権現を祀ったのが始まりと伝わる先代の鳥居武家の尊崇(そんすう)が篤かった古社<主祭神>イザナミコトサカノオノハヤタマノオノ「熊野三神」の組み合わせ熊野神社で広くみられる参道狛犬年齢不詳かなり口を大きく開けている表情も個性的漫画チックでコミ
前回書いたこれ、の続きで政治、政党の話しをする前にもう一回補足です『日本人減少問題のまとめ』ひろゆき新党と他の政党について、もう一回深掘りしようかと思ったので、少子化=人口減少の一体何が問題なのか復習しときます日本人人口減少で何が起きるのか、まと…ameblo.jp200年後に日本人絶滅って、煽ってるだけでしょ、人口は減っても江戸時代に戻るだけだし、別にそれでもいいでしょと思っている人もまだ多いかと思うので、そういう人はこの動画是非みてほしい私
皆様、ご機嫌YOです!今の日本において多くの人が恩恵を受けている外食。それは既に江戸時代において始まっていました。武士・町人問わず独身男性が多く、かつ建物の構造上火災に弱い為自炊がしにくかった江戸の町。そんな町に住む彼らが大いに頼りにしたのが行商人が売りに来る総菜、そして屋台の外食でした。そして外食の屋台は夜にも営業しており、夜にも働いている人達の胃袋の強い味方となったのです。今回は江戸時代にタイムスリップしたずんだもんと一緒に江戸時代の夜の屋台事情について見ていきましょう。「働く
隠し目付参上第12話ん?チェンソー?江戸時代に?ん?手巻き式?それでも充分、凄いぞ。↓押して推してください↓にほんブログ村
明治時代瀬戸の染付は江戸時代に盛んになり、現在も造られているもので長い歴史を持っている焼き物。幕末から海外に輸出され、パリ万博に出品で好評を博してからは盛んに海外に輸出された。その多くは飾り物としての製品が中心であったが、次第に生活必需品も輸出されるようになる。今まで生産されなかったカップ類も盛んに製造されるようになり、多くのカップ類も造られた。そんな瀬戸の染付はコ
大山修一という学者をご存知でしょうか?昨日、悲観的なエルニーニョ現象の影響についてたブログに書きました。人間の叡智は、砂漠をも緑化させてしまうのです。豊かな大地(ウクライナ)を戦争で荒廃させているロシアの暴挙の愚かさが目に余ります。江戸時代のSDGsの延長〜循環型社会に学ぶ大山修一氏が、江戸時代を意識したかどうかは、分かりません。ただ、理屈は人糞を集め、農地に利用した江戸時代の肥料利用の原理です。一歩踏み出す勇気が、大きな変化をもたらしたと僕は思います。荒野が農園に変
皆さんこんにちは。岡山県津山市の電話占い師道広義博です。私は、ネットオークションで法華経の権威の松花堂昭乗の描いた布袋の図を落札しました!江戸時代の僧侶としては美術書で最高峰に位置するランキングです!松花堂昭乗は、一般的に惺惺翁として知られております。国宝指定の作品も残している偉大な僧侶です。私は、ネットオークションで法華経方便品の権威の松花堂昭乗の作品を落札して幸せです!それでは失礼します。
本日2回目の更新です。朝井まかてさんの『どら蔵』を読み終えました。楽天ブックス(送料無料)どら蔵[朝井まかて]楽天市場2,475円どら蔵【電子書籍】[朝井まかて]楽天市場2,343円朝井まかてさん『どら蔵』寅蔵、18歳。大坂で指折りの骨董商龍仙堂で修行中、丁稚の身だ。実家は同じく大坂・北久太郎町にある道具商松仙堂で、龍仙堂の別家にあたる。寅蔵は松仙堂の跡取り息子なのだが、本家の龍仙堂で七年間丁稚奉公をし、勤め上げ
肥後二見駅の近くで国道3号線に出て、日奈久ICで南九州西回り自動車道の無料区間は終わって高速の下の道を進み、八代海の干拓地の狭い道を進むと球磨川の堤防に出て、河口に向うと水島龍神社に10時前に着きました。小さな島に龍神社が祀られていて、橋で渡ると祠に出て、江戸時代の干拓で地続きになるところを由緒ある島で保護されたとのことで、対岸の島だった大鼠蔵と小鼠蔵は地続きになっています。https://sohujojo.hatenablog.com/entry/2020/01/15/060000八代
僕は、早朝から並んで僕を待っていてくれているお客様に笑顔で迎えた。僕にできることは、笑顔で挨拶すること・・。マロ君に教えてもらった通り、それ以上は、しないことにした。お客様は、皆、すごく優しかった。そして『めんこいね~(かわいいね~)』と言葉をかけて僕の頭をなでなでしてくれた。それだけで、お客様は、満足そうな笑みを浮かべてくれたんだ。そして、お店の中に入って、反物は、高価なので足袋や帯紐や肌襦袢など、それぞれの気持ちで買って下さった。そのお蔭で、丸尾のご主人様や手
ビュフォンの針をやってみた今日は少し自慢話。夏休みの宿題。日頃の、答えのある問題を解くような宿題ではなく、自由研究レポートとか、工作とか。いろいろありますが、中学校でもやはりあるんですね。日頃の課題よりも、もっともっと難しいです。答えがありませんから、どこまで何をどうやれば良いか、なかなか子供たちにはイメージがつきません。しかも数学の宿題。数学の何か話題を決めて、それについて実験、検証して、まとめてレポートを書くんですって。息子はあまり自発的じゃない気がしていたので、私は少し心