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連句の座から句会へでは、句会はどのように始まったのか。『現代俳句大辞典』(三省堂)による句会の歴史の解説を写す。これの執筆者は片山由美子さんである。「数人が集まってその場で句をつくることは、江戸時代の連句(俳諧之連歌)に発する。連句は複数の参加者が共同して一つの作品を完成させてゆくものであるが、蕪村(一七一六~八三)の頃になると、個人の発句、つまり独立した五・七・五の作品を出句して競う句会(句合・発句合)が盛んになった。これは、和歌の歌合のように左右に
「江戸時代の日本より現代の世界は小さい」たしかに昔は国内でも京都から江戸に何日もかけて歩いたのだろう。しかし現代では世界で一番遠い南米やアフリカでも、飛行機に座っていれば30時間で着いてしまう。言葉や気候の違いはあるけど、距離的な問題で海外出張に行かない理由は無いのだなと改めて思う。
母が、大手町に用があり、お供して来ました。用事が思いのほかはやく終わったので、母を鎌倉河岸へ案内しました。ちなみに両親は鎌倉河岸捕物控を全巻読んでいますが、わたしは1巻だけ…💦橘花の仇鎌倉河岸捕物控<一の巻>(文春e-Books)Amazon(アマゾン)橘花の仇―鎌倉河岸捕物控〈1の巻〉(ハルキ文庫時代小説文庫)Amazon(アマゾン)「江戸時代に船がたくさん行き来して、お野菜やお魚をたくさん運んでた川のひとつがここ。日本橋川ね」こんな調子でちょこちょこ説明しつつ、川沿い
東京都中央区八重洲、一石橋のたもとに現存する「一石橋迷子しらせ石標」は、安政4年(1857年)に建立された江戸時代の迷子掲示板です。当時、日本橋周辺の賑わいから迷子が多く発生したため、近隣の有力者が世話人となり設置されました。右側面のくぼみに迷子の情報を知らせる方が、左側面に迷子を尋ねる方が紙を貼り、情報を交換する役割を果たしていました。当時の庶民の相互扶助の精神を伝える貴重な文化財として残されています。
にほんブログ村にほんブログ村「先祖の息遣いを感じる」江戸時代の屋敷『木村家住宅』を国登録有形文化財に指定するよう答申【熊本】(TKUテレビ熊本)-Yahoo!ニュース国の文化審議会は先日、熊本市南区にある江戸時代に建てられた屋敷『木村家住宅』を国の登録有形文化財に指定するよう文部科学大臣に答申しました。TKU制作のドキュメンタリードラマの撮影も11月、行われnews.yahoo.co.jp日南市・飫肥城で江戸時代から続く伝統の「正月飾り」飾りつけ|TBSNEW
江戸時代のように日本だけでやっていくことはもう無理だ。多くの国と協力してやっていかなければ、日本は遅れるばかりだ。だいじなのは外国人を追い出すのではなく、適度な交流を続けることだ。外国人が増えるのが嫌なら、何割以上は増やせないという法律を作ればいいだけだ。
この本は中々売ってなくてやっと探し当てました。主に旗本の昇進過程を調べ上げたかなりの珍書。大岡越前守が江戸時代を通じて出世の仕方が異例中の異例と一般的に言われますが、そんなことは全くない。大名になった旗本はかなりの数がいて一番多いパターンは小姓などの奥から小姓組頭、御側御用取次から若年寄。大番頭や留守居から御側御用取次そして若年寄へなど。大岡のように両番筋から大名になる旗本も江戸時代中期以前は多々見られます。寄合旗本から大名への昇格はもっと多くかなりの数に及びます。中々興味深い本です。
逗子市の桜に着生していた、シダの1種マツバランです。熱帯性の原始的なシダで葉っぱも根も持たず茎だけで生育します。温帯での分布は非常に少なくマツバラン科のシダは日本では本種のみでありしかも全国的に絶滅危惧種となっております。環境省のカテゴリーでは準絶滅危惧種、神奈川県でも準絶滅危惧になっています先端が二股が分かれた茎に黄色く熟した胞子嚢群がたくさん見られます。胞子嚢群は3室(3つが結合したような形)に分かれています珍しい容姿から江戸時代には盛んに栽培され、また環境の変化などから大きく野生個体を
こんにちは!ハローネット鹿児島です。今日12月17日は、人類が初めて「空を飛ぶ」という大きな夢を叶えた「飛行機の日」なんです。1903年のこの日、ライト兄弟が動力飛行に成功。わずか12秒37メートルの飛行が、今では何時間も空を飛ぶ飛行機の時代を作りました。自転車屋さんだった2人は周りから笑われても諦めず、小さな一歩を積み重ねて夢を実現したんです。自己実現、大切ですねでも今日は、ライト兄弟の「空」ではなく、もっと身
076)据え膳食わぬは男の恥?政治家の不倫、芸能人の不倫はニュースになるが、一般人の不倫は、たぶん数知れない?30年以上昔、勤務先事務員に複数回誘惑された。彼女には夫がいる。独身なら大歓迎だが、「不義密通は死罪」が私の信条で相手にしなかった。痩せ我慢?その後、他の社員との不倫が噂になり、退職した。据え膳食わぬは男の矜持?ーーーーー日本において不義密通(不倫)が死罪(死刑)とされていたのは、主に江戸時代のこと。江戸時代の法律では、原則として既婚女性の密通は相手の男性と共に死罪という
おはようございます・・(^_-)-☆今の奈良は、5℃と昨日より少し暖かい冬の日になりました。今日の最高気温は14℃と昨日より少し暖かいが冬本番の日になりそうですね。奈良まほろばソムリエ奈良通2級の13回目の問題です。3奈良県の遺跡や古墳に関する事柄について、最も適当なものを選びなさい。(25)明日香村の水落遺跡は中大兄皇子が造らせた何の施設の跡であると推定されているか。ア.迎賓館イ.道教寺院ウ.みそぎ場エ.漏刻台(26)鎌倉時代の僧、忍
廃校から生まれた、森と人がつながる場所奈良県下市町。かつて学びの場だった下市南小学校は、2024年、地域の新たな拠点として生まれ変わりました。下市町は、江戸時代に吉野川支流・秋野川の谷あいに発展した町。今もなお、豊かな自然環境が大きな魅力です。施設は、学校の面影を残しながら、吉野杉・吉野ヒノキをふんだんに使った空間へリノベーション。館内には、✔ショップ✔カフェ✔マルシェ✔ブルワリー✔キッズスペース世代を超えて楽しめるコンテンツが
大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺』の蔦重のもとで働きながら、のちに『南総里見八犬伝』を書いた『筆一本で乗り越えろ!作家・滝沢馬琴の奮闘』のについて職業作家の元祖!武士として御家再興のためにも書き続けた滝沢馬琴(『NHK-英雄たちの選択』より)番組について大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺』でも蔦屋重三郎の耕書堂で働きながら執筆をする滝沢馬琴(1767~1848)についてでした。ゲストは以下の3人です。高橋源一郎さん(作家)いとうせいこうさん(マ
こんにちわコーンボーイです。大河ドラマのべらぼうが終わりました。個人的にはとても面白かったです。最初はどうなるかわかりませんでしたが見続けるうちにハマっていきました。今までの大河ドラマのように内容を知っているわけではないのでそれも楽しめた要因です。横浜流星よかったよ。粋な感じが出ていました。戦乱ではないのもよかったです。戦で大味な展開にはならなかったからです。今調べたところ視聴率は良くなかったようです。とてもいい作品だったのになぁ。江戸の文化を感じれただけでも価値ある作品で
丙午は出生数が減るということが言われています。1966年(昭和41年)の丙午:この年の出生数は前年より約25%も大幅に減少し、翌年には反動で増加するという特異な変動が見られました。1906年(明治39年)の丙午:この年も同様に出生数の減少が記録されています。2026年(令和8年)の丙午:さて、来年はどうなるでしょうか?江戸時代から「丙午の年に生まれた女性は気性が激しく、夫の寿命を縮める(夫を食い殺す)」という迷信が広まったからなのです。この迷信は日本独自のもので、天和3年(16
前のブログがログイン出来なくなってしまったので新しブログを立ち上げました。探してくれて有難うございました。m(__)m【子どもらの生活に命(死)が身近でなくなっているのではないか?と思い、生き物(ヤギ)を見る、触れれる機会を作りたくヤギを飼い始めました。】「※ヤギは家畜歴が長い動物なので環境への順応率が高いので小屋が線路脇でもストレスになりませんのでご心配なく」また、Googleフォトで「11年前」という写真が出てきました。私が東海道五十三次を歩いた時の写真!
こんにちはハローネット鹿児島です。今日12月16日は、「電話創業の日」1890年(明治23年)の今日、東京〜横浜間で日本初の電話が開通当時の電話料金はなんと月40円。今のお金で約12万円だそうです高いですよねー今では無料で通話する時代そして不用品も無料回収の時代。📞不用品無料回収はハローネットまでそして実は、本日は「紙の記念日」1875年(明治8年)の今日、東京・王子の製紙会社「抄紙会社」が営業運転を開始しました。
前回記事『修理後大公開!静嘉堂の重文・国宝・未来の国宝①』ご訪問ありがとうございます。後少しで終了の静嘉堂文庫美術館で開かれている「修理後大公開!静嘉堂の重文・国宝・未来の国宝」に行ってきた。…ameblo.jpの続きです。購入した図録の章たてに従って、印象深いものを図録より記録しておきます。第1章岩崎家(静嘉堂)と博覧会形見の駒図宮川長春江戸時代(18世紀前半)阿房宮図菊池容斎江戸時代(19世紀後半)濁らぬ水山本
戦国時代から江戸になるまでの本当の話を聞いたら…その当時の日本の人たちの思考や感覚がカッコいいのよね~それではさくやさんのメッセージをリブログしますね「あのね、価値観がちがうの。いまのあなた達の価値観で考えても何もわからないわよ。信長君の頃(戦国の世)では髪が薄いことはなんでもないことだったの。髪が薄いことが恥ずかしい?からかわれること?っていう価値観はなかったのよ。その価値観はいまのあなた達のものであって、その頃の人たちはそんなことまったく気にしていなかった
ここは北九州市小倉北区(旧小笠原藩)のとある街。江戸時代からこの付近は長崎街道として栄えました。付近からは当時の遺跡などが発掘されています。前回からの続きです。『北九州市小倉北区の長崎街道④』ここは北九州市小倉北区(旧小笠原藩)のとある街。江戸時代からこの付近は長崎街道として栄えました。付近からは当時の遺跡などが発掘されています。前回からの続…ameblo.jp記事掲載を忘れてました(>_<)もう終わりですから・・・JR小倉駅から西へ
旦過市場の近くです。鳥居の扁額をみると違う名前になっています。この辺りは江戸時代、神嶽川と紫川の合流点でした。漁や旅の神様のえびす様と大黒様、商売の神様稲荷神を祀っている。そのため『蛭子神社』『大黒神社』『瑜加神社』と3つの鳥居があるようです。珍しいですね。御祭神は倉稲魂神、大国主神、事代主神。昔の人は現代以上に神頼みだったんですね。
色々と〇周年を探しています今回見付けたのは「宝くじ発売80周年」です1945年10月に「政府第1回宝籤(くじ)」が発行されたのが始まりですくじの歴史は古くローマ時代からあったようですが今のような形になったのは15世紀半ばオランダでまちの建設や要塞構築などの資金調達を目的とした「くじ」を発行した記録があるようです日本でも江戸時代に「富くじ」が流行しました1945年7月に軍事費の調達を図るため富くじ「勝札(かちふだ)」を発売しています1枚10円で1等10万円が
今日12月16日の記念日「紙の記念日」1875(明治8)年12月16日に東京・王子の抄紙会社の工場で営業運転を開始したことが由来となっています。抄紙会社は実業家・澁澤榮一が大蔵省紙幣寮から民間企業として独立させたもので、現在の王子製紙株式会社の前身となりました。しかし、実は抄紙会社が創業を開始する前に日本初の製紙会社が創立・創業されていたため、抄紙会社が日本初の製紙会社というわけではありません。日本初の製紙会社は有恒社であり、1872年に創立して1874年には創業を開始していました
皆さん、こんにちは。今回は主に江戸時代以降に日本で発展した古典音楽の一部をご紹介します。民謡における三味線や胡弓の手ほどきを受けるとどうしても邦楽のような日本の古典音楽にも触れてみたいと思うようになります。(あくまでブログ主の個人的な見解です。)SOAぷろじぇくと2016SOUNDOFAKITSUSHIMA-あきつしまの調べ-箏演奏家、松浪千紫(まつなみせんし)と、永池あかりがお届けする、日本の調べ。箏・三味線・胡弓様々な作品を取り上げます。
そうそう、これ私もあれ?と思いました。前日の夜にべらぼうの最終回で、毒まんじゅうの話題がまだ生々しかったのですが翌日の朝ドラばけばけで、珍しくまんじゅうが家にありました。何で、よりによって大河ドラマの翌日にまんじゅうがあるの?と思いました。借金取りの銭太郎がまんじゅうを盗んで逃げて行きましたが、あれ毒饅頭なのでしょうか。それでなくてもお腹を壊してればいいなと、ちょっと意地悪く思いました😝また大河ドラマにはしじみ汁が出てきたのでちょっとびっくりしました。朝
今晩は😃今夜先ずアップ致しますのは「福袋」についてサクッと小噺を🎵既に来年度分2026年の福袋発売予約等がスタートしていますが皆様はお買い求めになられますか?今夜は其の「福袋」についてサクッと小噺を😄※画像は参考の為に拾わせて頂きましたそもそも福袋の起源は江戸時代に遡ると言われていまして、当時の商人達が顧客への感謝と商売繁盛を願って、お得な商品を袋に詰めて販売したのが始まりで有るそうです特に越後屋(現在の三越)が販売した「恵比寿袋」が福袋の原型とされている様で···越後屋が販売した
知ってました???見ればお金に困らないと言い伝えがある香川県観音寺市の巨大砂絵の銭形!(^^)!年末のこの時期!注目を集めているとか・・・江戸時代の通貨である寛永通宝をかたどった東西122メートル、南北90メートルの大きな砂絵だそうです。近くの琴弾山から見下ろせるとか・・・・。できた年は不明だが、幕末期、砲台を視察する藩主を喜ばせるために造らせたとの説があるそうですが・・・・定かではないそうです!観音寺チャンスセンターで高額当選が出てから。年末ジャンボ発売後は、銭形を拝んだという客が売り場に列
みなさま、こんばんは。昨晩のべらぼう最終回を、泣きながら観たさくらんぼです☆登録・フォローお願いします☆YouTube(nicoJapan+)Instagram/X(Twitter)☆1日1回ランキング投票お願いします☆にほんブログ村→click人気ブログランキング→click蔦重にかかわらず、全ての歴史上の人物は既に他界されてることは承知の上なんですが、最後の最後はやっぱり悲しいし、
豪姫さんの思いが前田家に、前田家の思いは秀家に、秀家の思いは八丈島の島民に。江戸という時代に人を思う心がどんどん繋がっていく様子は「見事」と言うしかありません。(前回ここまで)しかし、その想いは江戸で終わることはなかった。江戸幕府が終わり、明治政府になると、八丈島に住む秀家の子孫は刑を赦免されました。前田家は秀家の子孫を東京の加賀藩の領地に家を与え住まわせたそうです。今も宇喜多家(現在は浮田家)の方が赤門の近くにお住まいだそう。あの、おでこの部分の色が褪せてしまった豪姫の肖
久しぶりに築地場外市場へ。店舗のディスプレイコーナーに、江戸時代に使われていた生活用品の展示が。。大河『べらぼう』でも歌麿や重三郎が使うシーン🎬でよくおめにかかった「矢立」が展示されてた。江戸時代の人はこれが携帯筆記用具だったのね…現代のボールペンの代わりってとこかな〜今見てもオシャレ!そして、べらぼうロスな私🥲