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歴史を身近に感じるための第一歩は、時代背景をシンプルに、正しく把握することでしょう。進学塾STEPinTIME塾長STEPinTIME!https://step-in-time.infoSTEPinTIME|千葉県松戸市の文系専門塾step-in-time.info
李氏朝鮮(りしちょうせん)は、1392年8月から1897年10月にかけて朝鮮半島に存在した国で、500年も続きました。日本で一番長く続いた江戸時代より長い王朝でした。国家の成立〜徳川家康と李成桂戦国時代を経て、信長・秀吉とせめぎ合いを経て江戸の地に、徳川家康は幕府を開きます。戦乱の世に終止符を打ち、次次と国家安泰に向け体制強化していきました。一方、弱体化した高麗の武将だった李成桂は、王の命令に逆らって高麗王朝を倒して、新しい国家を打ち立てます。上は初代
今日は用事で祇園へ行ってました。あっ❣️❣️見つけた清浄歓喜団です。京都通なら知ってるお菓子😅解説。。訳してお団と言う遠く奈良時代に遣唐使により我が国に伝えられた唐菓子数多い京菓子の中で千年の歴史を昔の姿そのままに今なお保存されている。唐菓子とはからくだものと呼ばれ仏教と共に伝わる天台宗、真言宗などの密教のお供物で当時は一般庶民は口にする事は出来なかった。貴族のみが食べていた。。七種の香を入れて包んでる。八種の結びは八葉の蓮華を表している形は金袋にな
お越しいただきありがとうございます昨日のお昼、ブログ記事を書いている時なぜか写真がアップできずアプリを再インストールするなどしても解決しなかったのでカスタマーサービスに問い合わせたところ、『その画面のスクショを送ってください』とのことだったのでブログ作成画面で写真を選んでみると、「え?普通に選べるやん!」と、あっさり解決していました〜なんやったんやろ・・・お問い合わせの件につきまして、無事に解決したとの内容を拝読し、私どもとしても安心いたしました。↑暖かいお返事に
昨晩電波が延々と死ね死ね騒ぎになっていたんですけど先程から大阪の殺人事件のニュースがGoogleに出ているんです子供をコンクリート詰めにして殺害したという大阪の殺人事件の騒ぎなんですけど江戸時代はサイコパスを大阪に集めて川辺に配置して屠殺場を作成している被差別部落騒ぎが発生しているんですけど未だに同じ流れが発生しているみたいなんですサイコパスは関西空港からマダガスカルに移送して外部に出られないようにしといた方がいいです!マダガスカルなら景色は綺麗だし外
🎴【1709年・家宣政権の幕開け】―間部詮房と新井白石の登用は、江戸幕府をどう変えたのか?―1709年(宝永6年)、江戸幕府の政治は大きな転換点を迎えます。第六代将軍徳川家宣(いえのぶ)の就任とともに、二人の重要人物が幕政の中枢へ登用されたのです。将軍の側用人として抜群の信任を得た間部詮房(まなべあきふさ)朱子学者として家宣の政治思想を支えた新井白石(あらいはくせき)この二人の登用が、のちに「正徳の治」と呼ばれる政治改革の基盤をつくり、“徳川政治の分岐点”と
山本周五郎全集(第3巻)おたふく物語・楽天旅日記[山本周五郎]楽天市場こんにちは、皆さん。今日は、山本周五郎全集(第3巻)に収録されている「おたふく物語」と「楽天旅日記」について、コンバージョンを意識したレビューをお届けします。山本周五郎さんの作品は、時代を超えて多くの人々に愛されていますよね。特にこの第3巻に収録されている二つの作品は、読む人の心を温かくしてくれる、そんな魅力に溢れているんです。この記事では、なぜ「山本周五郎全集(第3巻):おたふく物語・楽天旅
毎週末楽しみにしている大河ドラマ。昨日は日曜日なので、ほんとうなら大河ドラマを観る日です。ただ、今年のドラマ『べらぼう』は先週最終回でしたので、昨日は見られません。今年の『べらぼう』は、本屋さんを展開して、多くの作品を世に出した蔦谷重三郎が主人公。吉原に重三郎がいた頃、田沼時代、寛政の改革、と3つの時期にわたって話が展開しました。吉高由里子さんが紫式部を演じた『光る君へ』も大きな戦乱が無い平安時代が舞台でしたが、今回も戦乱が無い江戸時代でした。もっとも、戦乱が無
もう一発!冬至の風習シリーズ!(^^)!そしたら!なんで冬至にかぼちゃ??食べるんやろか??日本かぼちゃは、16世紀中頃ポルトガル船によってカンボジアからもたらされたとされています。「かぼちゃ」の名前はカンボジアなんです(笑)江戸時代に普及しましたが、江戸時代中期から風邪や中風の予防にかぼちゃを冬至に食べる風習が根付いたといわれています。これは、当時、冬場に野菜がとぎれてビタミン類が不足することからで、これは、日本かぼちゃしかない時代に始められた風習だそうです。ん・・・・調べてみたらおも
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「べらぼう」最終回、見ましたかぁ〜前回の記事で治済の最後の感想だったね、こちら⬇️『治済、天の怒りが落ちる』皆さぁ〜ん、大河ドラマ「べらぼう」見てますかぁ〜いよいよ最終回だね、どうなったかなぁ〜?ついに落ちた一橋治済。眠り薬入りのお茶を飲んで倒れたんだよねそして阿波…ameblo.jpさて、蔦重は新たに本居宣長の書いた本を扱うことになりますが、この本居宣長…平頼綱じゃねーか!って、それは大河ドラマ「北条時宗」だわ!蔦重の扱う本の範囲がまた拡がりましたよね。でも
※緩い感じの立禅でも生涯の転換期となる今回の冬至の前後(12月22日近辺)は昔ながらの柚子湯に浸かって、うどんを食べて、で、心静かに過ごしませんか?(よりよりお勧めは、心静かに立禅を組みながらの、大周天)。ここ数十年の言い伝えには、商売ありきの初詣のように泥縄的に眉唾なものが多いのですが、昔ながらの、せめて江戸時代くらいからの言い伝えには真実が隠れていたりします(要は、明治政府が明治維新直
本日12月22日は二十四節気【冬至】一年で最も昼が短く夜が長い日で、厳しい冬の寒さが本格化する時期。この日を境に太陽の力が復活し徐々に日足が伸びることから『一陽来復』と言われ、春が近づくことを感じさせる大切な節目の節気でもあります。
冬至なのでベランダの柚子を収穫して柚子湯にしてみました♨江戸の銭湯の客寄せでアレやコレややってたのが一般に広まったそうですが、数百年後の我が家も江戸時代のマーケティングにまんまと乗せられてるのかと思うと、ちょっと面白いですねきとうむら木頭柚子入浴剤バスティーパックゆず湯徳用25g×15袋Amazon(アマゾン)3,284円こだま食品入浴剤わが家のゆず湯30g×2パック102026001Amazon(アマゾン)1,080円きき湯香る炭酸
今回のまささんぽ🐾は大内宿へ。福島県の道の駅の旅とともに、必須な観光スポットにしてました。駐車料金500円をしっかり支払い、いざ行ってみましょう。大雑把な解釈ですが、大内宿は江戸時代の宿場町の雰囲気を、大切に守って受け継いできた場所。詳しくは大内宿観光協会HPをご確認ください。大内宿|奥会津観光スポット福島県南会津にある【大内宿】は、江戸時代に会津若松市と日光今市を結ぶ重要な道の宿場町として栄えました。現在も江戸時代の面影そのままに茅葺屋根の民家が街道沿いに建ち並び、この景
隼人池の名称と掘削時期は?本日も、当ブログにご来訪下さり、本当に有難うございます。当該ブログは、「歴史」に関する内容を言及することを、「謳い文句」としております1923(大正12)年の発行の愛知郡誌によりますと隼人池。御器所村大字廣路に在り。縦百二十間、横四十五間、面積五千七百十坪、周囲五町五十四間あり。水田凡六町九段余の灌漑に供す。里傳に正保三年成瀬隼人正新田開墾の際之を修築せり。依て隼人池と称すと云う。とあります。江戸時代
こんにちは、クロです!ただいま、絶賛無償遠隔募集中(12月24日~1月7日、各日23時45分~24時)です!メリークリスマス&ハッピーニューイヤー無償遠隔♪~ゴールに向けて大いに飛び立とう!申し込みは公式ラインかフォームからお願いします!メリークリスマス&ハッピーニューイヤー無償遠隔♪~申し込み確認2025年12月24日から2026年1月7日の23時45分から24時の15分間無償遠隔を実施します。浄化、大周天を基本に12月は健康系、1月はマインド系の遠隔を実施していく予定
淡海節あんこ入りを、なんかないかな?と検索していましたら「ようこそ三河相撲甚句へ」様から、相撲甚句をあんこ入りにと教え頂き(吹上甚句)のことを教え頂きました。伊勢市吹上町は宇治山田駅近くです。調べてみると吹上甚句は江戸時代からあり現在も継承されているようです。三河相撲甚句さんは、ずーとまえに(里帰り伊勢音頭)にも参加されていた事も教え頂きました。今は閉会してます。(お金が続かない)あらためて見て見ると居るわ。私。この時は幸栄会を発足させるなんてこれっぽっちも思わず、単純に出ただけで伝統
10余年ほど前、工業会の親睦旅行で大分旅行に行った。別府温泉、湯布院、国宝富貴寺や石仏を観て廻るツアー。江戸時代、禅海和尚という僧がたった一人で30年ほどかけて手掘りで掘った岩のトンネル青の洞門に行った。その時、思い出した。小学生の何年生かは忘れたが、道徳の授業で禅海和尚が村の人々の安全のために30年ほどたった一人で岩を掘った話。それまで険しい岩壁から落下して何人もの命が失われていたそうだ。岩壁に掘られた全長346m、内トンネル部分144m。
🌋【1707年・富士山宝永噴火】―日本史最大級の爆発噴火は、なぜ起き、何を残したのか?―1707年12月16日(旧暦:宝永4年11月23日)午前10時頃。富士山は突然、轟音とともに南東斜面から炎と灰を噴き上げ、16日間に及ぶ大噴火——宝永大噴火——を始めました。これは、記録に残る富士山噴火としては最後の噴火であり、日本の火山史においても「史上最大級の爆発的噴火」とされるほど巨大なものでした。◆宝永噴火はいつ起きたのか?―旧暦1707年11月23日、新暦では1
こんにちは。大倉集古館で開催している「企画展人々を援け寄り添う神と仏道釈人物画の世界」へ行ってきました。七福神や鍾馗などの神や仏が、特に江戸時代以降に人々のそばに寄り添っていたことがわかる絵の展示でした。表情豊かで、達磨が美人に衣を作ってもらっている絵もありました(^^)表情豊かで、かっこいい絵もありました♪
御教歌かりた物かへさぬ程の義理しらずそれゆえ人のものをほしがる借りたものを返さない人は義理を知らず、他人の物まで欲しがる癖があることをお示しの御教歌です。ことわざに「借りて借り得貸して貸し損」「借りたらこっちのもので、返せなくなったら返さなくて済む・・と得をした気分になることで、逆に貸した方は、返ってこなくなることもあるので、損することが多い。」言われてみたら、確かに
ごきげんいかがですか月曜日は俳句週歴海に出て木枯帰るところなし山口誓子昭和19年に作ったと言われている。時代背景から、特攻のことを詠っているのではないかと言われた。自然に、海辺の宿で、夜に恐ろしいほどの木枯しの音を聞いたとして読んだ。風がゴーゴーと吹いて、止んだかと思うとまた吹く。海に向かった木枯しは、帰ることはない。太平洋側の地域の海辺で詠んだのだろう。日本海側なら、木枯しは山に向かって超えていく。同じように帰るところはないけれど。「木枯しの果てはありけり海
硝子ギヤマンとは江戸時代に使われていた言葉、今のガラスを指す言葉と言われる。若い人はギヤマンと言われても何のことか分からないと思うが、昔呼ばれたガラスの呼び方。当時、日本ではガラスが製造できなくて海外から輸入していた。その為硝子は高価で非常に高く、一般庶民には到底手の出ない商品であった。舶来品はステータスのシンボルとして支配階級に好まれたもの。
十二支になんで猫がいないかとネットで盛り上がっていた寝られなかったからいろいろ思い出したり考えてみたむかし日本昔ばなしでネズミがネコにウソの日にちを教えたからっう話だったでねネコは神様だからとかトラがネコ科でいるからとかいろいろ話がでていたネコが神様だからなら辰は?龍神様だから神様じゃないの?その前に竜は架空の動物じゃんなんで辰がいたんだろでさトラが日本にいたのかと記憶では虎が日本に来たのは江戸時代位だったような野生はいなかった気がする日本昔
最新の西洋事情を研究し尽していた崋山先生だけに、当時の西洋の食文化にも相当精通されていたようです。特にワインに関してはこだわりがあったようで独自の飲み方まで紹介されています。「図らずもウェーン(ワイン)を頂戴しありがたく存じます。これは葡萄酒かと存じます。恐れながら少々水で割って薄めたものか、或いはもともとこのように薄い味の酒か分かりかねますが、味はいただいたものよりは少し濃いワインを飲んだことがあってそれは苦味もかなりきつかったです。私は非常にこのワインが好きで、ただ、このまま飲むのは
今回は江戸通り沿い、浅草橋二丁目にある佃煮店「鮒佐(ふなさ)」さんに伺いました!鮒佐さんは文久二(1862)年の創業。下総国・船橋出身の初代・大野佐吉氏によりここ浅草橋(当時の浅草瓦町)に店を構えたところから歴史は始まります。ちなみに、鮒佐さんでは当代になると「大野佐吉」の名を継承するという伝統があり、現在は五代目の大野佐吉さんが店を守っておられます。(上の写真は佃煮の包み紙です)また、将来に六代目になられるご子息は私と歳も近く、また鳥越神社の氏子睦会の会
小さいけれど、見応え十分大阪・道修町。医薬の町として知られるこの地の歴史を伝えるのが、くすりの道修町資料館です。場所は、医薬の神様を祀る少彦名(すくなひこな)神社の境内。館内では、江戸時代に中国やオランダから長崎へ入った薬種を買い付け、全国へと流通させていた道修町の商人たちの営みを紹介。「道修町の今と昔」をテーマごとに分け、コンパクトながらも内容の濃い展示が並びます。派手さはないけれど、知れば知るほど面白い。大阪の“知の歴史”を感じられる静かな名所です。
浪人街RONINGAI1990年日本原作:山上伊太郎監督:黒木和雄脚本:笠原和夫製作:鍋島壽夫、足達侃三郎、務台猛雄出演:原田芳雄,石橋蓮司、樋口可南子、勝新太郎ほか企画:鍋島壽夫美術:内藤昭録音:加藤一郎照明:美間博編集:谷口登司夫音楽:松村禎三撮影:高岩仁配給:松竹公開:1990年8月18日技術:アメリカンビスタ(1:1.85)/カラー/モノラル時間:117分鑑賞:U-NEXT見どころ・あらすじーーーーーーーーーーーーー江戸末期の下町を舞台に、そこ
ここは東京臨海部広報展示室「TOKYOミナトリエ」(入館無料)。青海フロンティアビルの20階にあります。江戸時代の街の風景、、、ですが、江戸時代の海からの輸送手段を見ることができます。人力に頼っていた江戸時代、こんな光景もしばしばあったのかもしれません。しかし現代もまた、コンテナからの荷下ろしは、人力に頼らざるを得ないのです(デバンニング)。20階からの眺め。暗くなると、街明かりがとても綺麗に見えます。海からの輸送の歴史を学んだところで、次の目的地は南極観測船「宗谷」。歩くのが好きな
こんにちわふたぬ~ん!↑昨日と今日はちょっと気温高め今朝は朝から暗くて外からは雨音もして外干しできない洗濯だったんですが10時過ぎには雨が上がっていたので気は心と外干ししてみました^^そして午前中は英語勉強会でした!!!ちょっと少な目の参加者でしたがメンバーの一人が調べてきてくれた資料を元に今日やるところに入るまでに1時間くらいいろいろな議論とっても難しい同和問題からの江戸時代の士農工商という身