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浄閑寺というお寺が三ノ輪にあるそうです。吉原の女郎さんが死んだら葬られる、というか処分される投げ込み寺です。江戸時代から大正時代までの記録が残ってて、投げ込まれた女性の最高齢は40歳だそうです。多分数え年ですから、わたしと同じ年齢なのかな。吉原の女郎は、外に出られない、というありえな過ぎるきっつい縛りがありました。その人がいつから吉原にいたのか知りませんが、わたしが仕事始めたのと同じ18だとしたら20年、吉原に来たのと同じ20だとしたら18年、村から出てないことになります。なんの懲役
このブログでは、素晴らしいシーンをいくつかご紹介します。残念ながら、映画のタイトルや女優、さらには元の動画自体に関する情報が不足しています。今回は、江戸時代を舞台にした日本のドラマに焦点を当てます。これらは、女優たちの縛り方や口枷の仕方にあって、相変わらず最高品質の緊縛シーンを提供してくれます。江戸時代は縛り技で有名だった。女優は若くても年老いても、常に縛り技で縛られる。両手は背中で縛られ、麻縄で胸に固定された。言うまでもなく、きつく締まった分厚い結び目のある口枷が女優の声を完全に封
日本体育大学の図書館が所蔵する「楊心流柔術伝書四葉巻」には、「合気様」と云う絵が掲載されており、これをネットで閲覧することも出来る。以下に、アドレスのリンクを貼って置くので確認してみて下さい。国書データベース:国文学研究資料館kokusho.nijl.ac.jpこの絵を見ると、両者が互いに相手の柄と襟を掴み、一種の膠着状態に陥っている。古流剣術に於ける「合気」も、元々は「互いに拮抗し、膠着状態に陥いった状態」を指し、忌むべきものとしている。「四葉巻」に描かれた「合気様」の絵の意
大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺』の蔦重の前の元禄期に大活躍した伝説の豪商”紀文”の人生を探る『追跡!紀伊国屋文左衛門〜伝説の豪商と元禄バブル〜-英雄たちの選択-NHK』のについて政商で大儲けし、豪快に消費し、時代の代わりと共に商売をスパッと止めたがゆえに伝説となった豪商・”紀文”こと紀伊国屋文左衛門(『追跡!紀伊国屋文左衛門〜伝説の豪商と元禄バブル〜-英雄たちの選択-NHK』より)番組について大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺』の蔦重が活躍する前
徳川幕府十一代将軍徳川家斉側室。尾張藩十代藩主徳川斉温、因幡鳥取藩九代藩主池田斉訓正室泰姫生母。女中名をるり、やを。お瑠璃の方と称される。父は旗本戸田政方。母は政方養父、戸田政演の娘。ーーーーーるりが三十三になった年。家斉は将軍を世継の家慶に譲り、本丸から西の丸へ移った。大御所となってからも、家斉の影は容易く薄まるはずがなかった。在位五十年という長さは、家斉の権力を強固なものにしていた。表向きには家慶や老中たちに政務が任されていたが、その実権は家斉が握り続け、家
...と言う事で。サービスエリアメニュー第4弾!【羽生パーキングエリア(上り)】です!ここは、建物がすべて江戸です。もはや江戸村!そしてちゃんと中も…江戸時代の町屋街をイメージして作られているようですね...。たまに空が薄明るくなったりと、時間で変化しているようです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー...と言う事で。各店の脇にある券売機を撮ってきました。この写真じゃ見づらいと思いますが…ーーー
先日の「天皇家男子少ない問題」から派生した「旧宮家再興」の応援ブログ。系図で見てみよう(旧宮家)(関連)https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12951428761.htmlそこではあえて触れなかったのですが、関連して某SNSで「歴代天皇には女系継承があった(だから女系継承もOKのはずだ)」という投稿を見かけました。きっとアレを勘違いしているんだろうな…と予想される個所が2つあって、そのどっちかだろう…と、やり取り(議論と呼ぶには拙すぎる)を
オーデションを経ていよいよ2月から稽古が開始しました。江戸庶民の生活を町屋の舞台に再現するべく老若男女の役者たちの奮闘を楽しみにお待ちください!!なみだ橋慕情「あじさいの記」ムーブホール(ムーブ町屋3F)2026年5月23日(土)24日(日)
大河ドラマべらぼうとタイアップした、湖池屋のピュアポテト豪快海苔しおを買ってきました。絵柄は違いますが2つとも同じのり塩味です。パッケージは3種類あるようですが、お店には2種類しかありませんでした。売れているようです。早速食べてみました。厚切りで海苔の味が聞いていてとても食べ応えがあります。もし江戸時代のべらぼうの時代にも、このポテトチップスがあったら、代表版だったと思います。なぜなかったか不思議だくらいです。ピュアポテト豪快海苔しおは、【圧倒的な海苔
今回の杉屋佐助さんは、岐阜県揖斐郡揖斐川町(いびぐんいびがわちょう)にあるお寺「谷汲山華厳寺(たにぐみさんけごんじ)」です!先日、フォロワーさんから凄い情報を頂きました!いつもありがとうございます!教えていただいたのは『谷汲山の栞』という一冊の本。内容は谷汲山華厳寺のガイドブックのようなもので、発行は明治40年(1907)、ボリュームは60ページほどの本です。そしてなんと、この本に杉屋佐助さんの名前が出てくるというのです!!!!いつもどこかで寺社を訪れてはい
ミナミAアシュタールRadio680「エネルギー場で引かれ合い・・・」vol.1381「寝ぼけてる・・・?」vol.1382「エネルギー場で引かれ合い・・・」ーーーーーーーーーーーーーーーー江戸時代が続くパラレルはきっと〇の世界なのでしょうね。関係がないから知る必要がない。ごもっともですが、ラノベの異世界転生物が大好きな自分としてはスピルバーグがとある宇宙の本当の争いをキャッチしてスターウォーズの脚本を書いたように。いつの日かそちらの世界
まぁそうですよね💦マクロビが全てかと言えばそれは違うのかもしれません☝️縄文時代とまでは言わずとも江戸時代とかの食文化ぐらい?ヒトの體って良くも悪くも昔に比べたら進化?退化?とにかく変わってることは間違いないと思います☝️だから極端に野菜だけとなるとまぁ何かしら體に異変は起きます💦ペスカタリアンで周りにいる方など健康そうな方っていますか⁇🤔正直わたしはそんなに多くないと思っています💦ヒトは草食ではなく雑食なんですよね☝️これはご存知だと思います😊縄文人も狩
<Seiryuuのつぶやき>NO353約束事「指切りげんまん・・嘘ついたら針千本飲~ます」・・・小さい頃、こんな約束事(遊び)をした懐かしい記憶はありませんか?この言葉は、江戸時代に生まれた文化の1つ「江戸しぐさ」にあります。何気なく使っていた言葉でしたが、江戸時代においては、真剣な約束事として取り交わされた言葉のやり取りだったようです。・小指と小指で約束する・・・・約束を破ったら(小)指を切る・・・・げんこつ1万回・・・・嘘
連休前に山形へ行った時ピンクの花が見えて古く立派な門がある家❓ピンクのハナミズキピンクの花びらに見える部分は実は葉っぱなのですなので花持ち❓が良いので長くたのしめるんです山形市内には山形五堰と呼ばれる水路があります洪水被害を繰り返してた馬見ヶ崎川を江戸時代に治水工事して出来た堰だそうです御殿堰オシャレな観光施設として活用されてます山形城のお堀と繋がってたそうです山形市は城下町の面影が至る所に残る町なんですねGoogleMapsFindlocalbusine
東京国立博物館の本館。1階の14室。いつも特集の展示が行われている場所です。現在は、日本の伝統模様「虫」が開催中。●看板四季のある日本では、自然の景色を通じて、心象を表していたりします。衣服や器や道具にその四季のモチーフを使って表現。そのモチーフとしての一つに「虫」があります。蝶や蛍、蝉、鈴虫など。そんな虫たちの表現を特集した展示です。▪️作品紹介気になった作品をいくつか●《表着紅綾地向蝶丸四つ菱繋模様》江戸時代
晩ごはんは、江戸時代の旅籠飯みたいなお膳料理を作りました。旅籠についてAIで調べるとこんな感じです。今の旅館よりも料金はかなり安かったそうなので、食事付きビジホみたいな感じでしょうか。東海道だけでも、約3,000軒の旅籠があったそうです。タイトルバックの絵は、岡山の矢掛町の宿場町に行った際に撮った写真をAIで加工したものです。現在の矢掛町の通り。江戸時代の矢掛町の、同じ通りを撮影した古写真。あまり変わっていないですね。矢掛町は今でも、江戸時代の宿場町の名残が色濃く残っている町で、
大忠をチェックアウトして、宮城県と福島県の県境近くまでやって来ました♪その昔、宮城県と福島県の県境に上戸沢と下戸沢という宿場町があり、その「下戸沢湯元」という集落に江戸時代からお湯が湧き出ていて、その名が「白石湯沢温泉」だそうです。・・・ということで、ようやくたどり着きました「白石湯沢温泉旅館やくせん」↓山あいを抜けて、静かな住宅街の中にひっそりと佇む「旅館やくせん」↓SNSで知ってかねてから訪れてみたいなぁ・・・と思っていました。客室は全13室、宿泊料金は12600
こんばんは☆彡AwesomeCityClub/勿忘4月26日(日)敦賀市の粟野郵便局及び敦賀新和町郵便局の風景印のデザインとなっている史跡を駆け足で訪問粟野郵便局敦賀新和町郵便局柴田権右衛門旧宅(甘棠園)甘棠園…かんとうえんと読みます。棠(とう)とは梨の事みたいね。邸宅の持ち主の柴田氏は江戸時代の敦賀の豪農農民とは言っても大地主庶民の農民とは
ここは昔、京都国際ホテルだった場所。今は別のホテルになっている。入り口がわからないHOTELTHEMITSUIKYOTOの前まで来た。ここが入り口???車寄せとかないのか?二条城前だから表通りなんやけど。。。二条城前だから江戸時代は藩屋敷だったりした場所・・・外の世界とは隔離されたようなホテル・・・ここはマリオット・インターナショナルと提携しており、最高級カテゴリーである「ラグジュアリーコレクション」に加盟している超高級ホテル。。。こちらは北東角。
観葉彩葉~通信~No.386昨年、7年6ヶ月前に種を蒔いた万年青(オモト)がやっと花芽をつけました。なんと、その万年青が今年は3個も花芽をつけています。花芽は、春(4月~5月頃)に葉の根元から立ち上がる、つくしのような形状をした黄緑色の穂です。万年青は江戸時代から「縁起の良い植物」として非常に愛され、家に飾ると運気が良くなると言われています。黄緑色の花芽をつけています。花芽1個目花芽2個目花芽3個目自分が育てているから、わかること、伝えら
おはようございます🌅今日もまきてぃ.ブログにいらしていただきましてありがとうございます今、農業の現場では深刻な問題が起きています。それは、「資材の高騰」。特に岡山のようなフルーツ王国では、梱包資材から加温用の重油まで、あらゆるコストが跳ね上がり、農家の皆さんの経営を強く圧迫しているのが現状です。そんな中、今改めて注目されているのが「江戸時代の循環型農法」先人たちは、身の回りにあるものをどう活かしていたのでしょうか?江戸時代の農学者、佐藤信淵(さとうのぶひろ)翁の著書『培
こんにちは。江戸時代の庶民は、ご飯(麦や雑穀も含めて)をモリモリ食べていたが、筋肉質の人たちが多かったというのは有名な話ですよね。プロテインなんてものはもちろん存在していませんでしょうしお肉もしょっちゅうは食していなかったようですし、驚きですよね。でも本当に江戸時代の食事でマッチョになれるのか!?それを実践されている方は意外に多いのですが、卒論のために実録を残していらっしゃる方の動画がありまして、それがなかなか生々しくて面白かったので共有させていただきますね。半年間も江戸
江戸時代、特に幕末の統計ですが、江戸の町人、奉公人や職人、商人の男性は、経済的理由から結婚が困難で、約50%が独身だったそうです。2026年の今と同じような率です。そして驚くことに、1980年代以前の昭和の時代は、生涯未婚率がなんと1〜2%!!!99%の人が一度は結婚している。昭和の終わり(1985年頃)でも男性の未婚率は4%以下、女性の30〜34歳未婚率も10%未満ですよ。80年代後半から何が起こったか皆さんお分かりでしょうが、女性の社会進出。歴史的に大昔から独身キャリアウーマン
『大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」-NHK』で興味をもった蝦夷地、そこで活躍した海商・高田屋嘉兵衛を主人公にした小説第3巻ついに蝦夷地に進出を果たした高田屋嘉兵衛、最上徳内と出会い、幕臣たちとも関係を築いて、蝦夷地一本で勝負する新装版菜の花の沖(3)(文春文庫)(文春文庫し1-88Amazon菜の花の沖全6巻完結セット(文春文庫)Amazon菜の花の沖(3)新装版(文春文庫)[司馬遼太郎]楽天菜の花の沖(三)【電子書籍】[司馬
冷え込んで来ましたね!もう12月ですからね。たまたまYouTubeを見ていて目に止まったのがこちら「江戸ミステリー図鑑」です。AI技術を上手く使っていて浮世絵のアニメーションが素晴らしく面白いです。絵とナレーションが少しズレてますが(笑)そこはご愛嬌。興味あるかたは覗いてみてくださいね♪江戸ミステリー図鑑「江戸ミステリー図鑑」は、教科書には載らない江戸時代の“裏の歴史”を解き明かすチャンネルです。吉原遊女の真実、処刑の実態、知られざる庶民の暮らし、将軍家の闇、公には語られないスキャンダル…
大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺』の主人公の蔦屋重三郎らを処罰する松平定信を取り上げた『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|全番組が無料放送』の『第85回松平定信・度が過ぎた寛政の改革』についてセーフティネットはうまかったのに、やりすぎと筋に拘り過ぎて失脚に追い込まれた”寛政の改革”の松代定信(『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|』より)異例の若さで老中首座となり、寛政の改革を行った松平定信大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺』の主人
綿とくらし博物館大阪府大阪市平野区平野東2丁目6−14古民家戎井宅の蔵が博物館。かつて平野では綿の栽培が盛んで、戎井家では代々「撚(よ)り糸」の製造を営んできた。製造に使用してきた道具が展示保存されている。江戸時代、綿栽培は平野郷の全耕地面積の約6割を占め、商人・職人のうち、8人に1人は「木綿繰り屋」を営んでいたとか。
浜離宮恩賜庭園散歩【4】①内堀②内堀に架かる橋③水門浜離宮恩賜庭園2026.4.17(金)撮影①内堀こちらが内堀です。内堀に架かる橋の手前からの撮影となります。画像の右方向に延遼館跡がございます。内堀の左側に見えている石段は、荷揚げ用との事です。内堀の向こう側が、延遼館跡となります。画像を拡大しました。発掘された船着場の遺構と、地図上の場所。などがわかります。“…内堀の護岸は間知石(けんちいし)を用いた石積みでつくられ、荷揚げ用の階段も設けられて
私が杉屋佐助さんに興味を持ち始めた頃、笠寺観音にある番頭与吉さんの供養碑に刻まれた「是をよむ人、念仏授けたまへかし」という一文にとても感銘を受け、これは念仏を唱えに行かなければ!と強く思ったことを覚えています。正面は善光寺如来が浮き彫りにされた供養碑は、杉屋佐助さんの息子、佐太郎さんが天保11年(1840)によって建てられました。碑文全体や供養碑については↓の記事にて。『【笠寺観音】杉屋佐太郎さんが建てた供養碑【善光寺如来】』今回の杉屋佐助さんは、愛知県名古屋市南区にある笠覆寺(り
「佃煮(つくだに)」というのは、寿司やラーメン、醤油のように海外で知られている日本食ではありません。外国人の多くは存在すら知らないと思います。それでも、海外に長く住んでいると、こういう素朴な日本の味が、ふと無性に恋しくなることがあります。ご飯に少しのせるだけで日本を思い出せる、それが佃煮の魅力なのかもしれません。卵かけご飯や味噌汁も同じで、決して華やかではないけれど、海外に出てこそわかる日本の心の味です。そんな佃煮のルーツを調べてみました。まず、東京で生まれ育った人なら「佃島