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そうこうしていくうちに、将軍綱吉さまのお目通しの日がやってきた。僕とマロ君は、丸尾のご主人様に連れられて綱吉様のお屋敷に向かった。僕は、何と挨拶をすれば良いのだろう。連日、連夜考えた。けれど、いくら考えても、結局は、何も応えられないような気がして、「当たって砕けろ」と思って出発した。犬の分際で、何ができるんだ!犬が江戸言葉を話すなんて、マロ君ではないのだから、解ってもらえないだろう。今日は、会釈をして、ニコニコしていることにしようと決めていた。呉服問屋の丸尾の看板犬のように・
こんにちは。reasignです。5/8(金)に江戸東京博物館へ行ってきたのでその記録を残したいと思います。江戸東京博物館は、約4年の改装を終えて、2026(令和8)年3月31日にリニューアルオープンしたばかり。小学生の修学旅行で訪れてから大ファンだった私は、久しぶりの訪問にワクワクが止まりませんでした。目次混雑状況は?展示はどんな感じ?給水スポット(水飲み場)があってとっても便利!レストランは1Fに。最後に目次を開く変なホテル東京浅草橋
(’ウωコ)丿凸ハァイ!!最近江戸時代の雑学動画が面白くて気に入ってるw似たの色々あるけど…このチャンネルのが特に好き。食べ物系は美味しそう🤤AIは便利で色々な事できて面白いけど本物なのか偽物なのか簡単に判別できない…違和感あるやつなら良いけどホントに分からんのあるから騙されそう😩心霊モノも昔より疑いの目で観ちゃう…。
富田林駅付近の、江戸時代からの老舗の和菓子屋さん、柏屋葛城堂さんが16日で閉店される。なんだかとてもさびしい。ここの和菓子はちょっと高級だから自分用というより贈り物にしていた方も多いのでは。亡き母もよく行っていた。私も14年前お店オープンの直前にここの柏もなかの箱詰めを持って何軒か挨拶まわりに行ったこと思い出して懐かしい。寺内町せんべいもなくなってしまうということだなぁ....。どこかあとを継いでつくってくれないのかな。ここは閉店されるけど10月から大阪
G『ところで、ピース殿に頼みがあるんだが・・・。』P『何でございましょう?』G『ずっと考えておったんだがな。店もますます繁盛して、ピース殿も、さぞや未来へ戻りてぇことだろう。だが、その前に……綱吉様にお目通り願えねぇだろうか?綱吉様は、大の犬好きでいらっしゃる。ピース殿のように、遠い未来から来た犬には、一度もお目にかかったことはあるまい。それに、狆のマロを授けていただいたお礼も兼ねて、ピース殿をお連れして、綱吉様にご挨拶申し上げてぇと思っておる。どうだ、行ってくれねぇか?』
相州藤沢白旗神社と常光寺の参拝が目的でしたが、途中、浄土真宗「永勝寺」というお寺に立ち寄りました。永勝寺「飯盛女(めしもりおんな)の墓」というパネルに惹かれました。「飯盛女」とは江戸時代、宿場の旅籠屋(はたごや)で給仕をする女性として公認されていましたが遊女としての側面もあったそうです。永勝寺のある場所は旧東海道で藤沢宿のあった場所です。藤沢宿大鋸町では飯盛女のいない宿場がさびれたため1861年(江戸時代後期)に民宿のためとして一旅籠屋二名の飯盛女を置く許可を役人から得たそうです。飯盛女
ヤクザが指を詰める(切断する)のは、組織への忠誠を示したり、犯した過ちに対する謝罪や責任を血肉をもって証明したりするためです。これは「断指(だんし)」や「指詰め」と呼ばれ、主に以下の3つの理由や意味を持っています。1.謝罪と責任の証明(落とし前)組織の規律を破った時や、大きな失敗をして他人に迷惑をかけた際、口先だけの謝罪ではなく「身を削るほどの深い反省」を相手や組長に示すために行われます。2.忠誠心のテストと反抗の抑止指を詰める行為は激しい苦痛を伴います。これに耐えることで
昨日のブログに書いたイタリアンのあと、同じ施設内にあるこちらのお店に寄りました。ひものトップ|ひもの専門「山安」小田原でひもの一筋。山安は文久三年(江戸時代)創業の、ひもの専門製造業者です。小田原干物の伝統の味を守って150年、これからも老舗のこだわりで、美味しさと品質、適正な価格を追求して参ります。himono.orgサウスウッドという商業施設に、なんと小田原で有名なひもの屋さんが出来ていた!お魚大好きな夫が、目をキラッキラさせながら店内を歩いていましたよ。(笑)結局、さば
「定食」という食文化が定着したのは江戸初期。「一定食事献立」の略で、参勤交代が誕生のきっかけともいわれている。「下にぃ~下に!」とお大名を中心に江戸と国元を移動するが、遠い領国では60日近く歩いて移動する。宿泊するとき、殿様は家来が自炊(毒殺防止のため)するけど、家来は旅籠で出す料理を食べる。「一定食事献立」は一度に数十人から数千人の食事を作るための工夫であり、家来たちはその土地ならではの郷土料理を楽しみにしていたという。お店紹介池袋から全国に広がった
先日の「天皇家男子少ない問題」から派生した「旧宮家再興」の応援ブログ。系図で見てみよう(旧宮家)(関連)https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12951428761.htmlそこではあえて触れなかったのですが、関連して某SNSで「歴代天皇には女系継承があった(だから女系継承もOKのはずだ)」という投稿を見かけました。きっとアレを勘違いしているんだろうな…と予想される個所が2つあって、そのどっちかだろう…と、やり取り(議論と呼ぶには拙すぎる)を
「日本人は武士の末裔」こう言うと、「いや、ほとんど農民の子孫だからw」みたいな事を言う人がいます。ちょっと考えてみたいと思います。少し見方を変えていうと、先祖に武士が一人もいない日本人ってどれくらいいるのでしょう?調べてみた所、99%以上の日本人は武士の子孫です。・・・・・↑江戸時代の人口比率これを見ればほとんどの日本人が農民の子孫である事がわかります。そして、「ほとんどの日本人は農民の子孫だからw」と言ってしまうような人は短絡的にこれを見てそういう事を
いつも訪問、ありがとうございます。今日は、”健康”について?いいえ、超健康体についてです。私の過去の記事では、超健康体になるために、1、いかなる化学物質も避け、現代医学の一切の投薬・治療も避ける(自然治癒のみ)。2、現代医学・物理学・栄養学の観念を”捨てる”。3、玄米(または麦食)を中心にした、明治維新以前の伝統的な食事内容にする。4、一日二食以下にする。5、早寝早起き。日の出時間には起床。6、毎日30分以上歩く。7、朝日を10分以上浴びる。とまあ、こんな感
京都文化博物館で開催中の『マリメッコ』展に行きました。あの色彩は印象的で、それを色から考えられること、たくさんあるので、それは、またゆっくりと書きたいと思います。その博物館内で見つけた案内『寛永』展。寛永行幸四百年祭開催記念ということです。二条城は1603年(慶長8年)、江戸幕府初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として築城されました。障壁画は、狩野派の絵師たちによって描かれたものが、数多くあり、見どころがいっぱ
江戸時代、鎖国の中でどのように文化が発展したのか?中学受験でよく問われる問題をまとめました。さくっと15問、隙間時間にチャレンジしてみてください。Q1.江戸時代、17世紀から18世紀はじめにかけて上方(かみがた=京都、大阪)で生まれた文化をなんと呼ぶ?A1.元禄文化Q2.三味線の伴奏と太夫(たゆう)の語りに合わせて人形を操る伝統芸能は?A2.人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)Q3.人形浄瑠璃の脚本家で「曽根崎心中(そねざきしんじゅう)を書いた人物の名前は?A3.近松門左衛門(ち
グローバル化は豊かをもたらす。(2026年8月15日)第二次世界大戦の日本の敗戦の年、日本の平均寿命がものすごく低下したと言っても。江戸時代の頃より、平均寿命は長いし。扇風機。江戸時代の扇風機、江戸後期に発明されたけど、手で回転させるもので、そんなに涼しくならない。今の扇風機、3000円ぐらいで売っている方が涼しくなる。日本人は何でも、日本人が出来ないとダメと言うけど。本当は外国、外国人の知恵を使った方が良いのに。江戸時代の頃は豊かだったので
いつも『しげるお兄さんのブログ』をご覧いただき本当にありがとうございます♪✨3月も中旬に差し掛かりまして、段々と春の陽気になって来ましたね❣️✨『桜』もちらほら咲き始め、今日にも『開花宣言』がされるのではないでしよをうか❓🌸✨僕が住んでする家の目の前にある『小さな公園』の四隅にある樹齢300年以上の立派な桜の木が今年も大輪の花を咲かせてくれる事でしょう💖さてっ❗️本日は『しげるお兄さんの知って得する雑学講座Part130』です❗️🎉✨本日のテーマは〜、、、【なんで「水死体」の
待宵草(マツヨイグサ)ー都立水元公園タナゴ釣の行きに撮りました!何回もタナゴ釣りの前に見に行きましたが、閉じている花がほとんどで、半開きの花がやっとでした。1〜2枚目は晴れの日で、3枚目は曇りでした。原産地:南米科/目:アカバナ科/マツヨイグサ属花期:6月〜8月名の由来は夕方開花する為で、「宵待ち草」や「月見草」などの通称がある。花径3~5センチくらいの黄色い花を咲かせる。花弁は4枚で、一日花である。日本へは江戸時代の末期に渡来、各地で野生化。
私が子供の頃は時代劇は盛んに作られていて、銭形平次もよく見ていました。いまだに主題歌歌えるし。その令和版が亀梨和也さん主演でスタイリッシュに描かれるということで視聴。劇中、群衆が拍手喝采するというシーンがありビックリしました。エキストラでは時代劇での所作でよく注意されることがいくつかあります。歩く時に手を前後に振らないとか指差ししないとか。拍手もそう。世の中の人が拍手をするようになったのは明治以降。江戸時代には存在しなかった身体表現なのです。そのシーンはそもそも現代風なシチュエ
何度かブログに書いてますが「長崎市」ってのはなぜか愛着がある街です「佐世保」のほうが子供の頃から関わりがあったハズなのに佐世保よりも、まして今住んでる田平よりも「長崎市」は愛着も郷愁をありますそんな長崎市も年を重ねるほど、いろんな場所が昔の風景を失い常に生き物のように変わっていきますそれも街のあり方なのでしょう私が関わった1980年代後半1990年代後半にも少しだけ関わったその40年、30年のスパンでも「変わったな」と思いますがそれはあくまで「自分」がモノサシ
「どざえもん」は水中で発見された遺体を指す俗称ですが、腐敗臭がないわけではありません。むしろ、状況によっては非常に強い臭気を発することがあります。ただし、臭いの強さは以下の条件で大きく変わります。水温が低い場合腐敗の進行が遅く、臭いも比較的弱いことがあります。発見までの時間死後間もない場合は、ほとんど臭わないこともあります。数日~数週間経過すると、細菌による分解で腐敗ガスや腐敗臭が発生します。水中か、水面に浮上した後か水中に沈んでいる間は臭いが周囲に拡散しにく
2026年8月某日夏休みも明け、また東京への二拠点生活を再開そして、今回もまた日本橋近辺に宿泊。訪れたのは小伝馬町にあるそば七以前にも一度来たことがある、ホテルからもほど近いお蕎麦屋であるこの日は昼に会食もあり、また暑さもあってかあまり食欲もなく、ささっと蕎麦でも、という気分扉を開けると「いらっしゃいませ〜」との元気の良い女性の声六人がけテーブルが3つほどのこぢんまりとした店内、2階もあるようであるフロアにはおねーさんが二人
昼行灯(ひるあんどん)=昼間に点灯している行灯(あんどん)のように、ぼんやりしていて、役に立たない人をあざけっていう言葉。江戸時代の夜間照明の代表である行灯は、油や、ロウソクのように火を灯すことで周囲を明るくしてた。が、昼間の明るさとは、ちがい、手許を照らす程度の暗いものであった。「昼間に行灯を灯す」とは、灯りの役割を果たさず、無用であったことに由来する。んで・・・イマドキは、「デイライト」と言って、昼間にも被視認性の向上を目的にLED等を灯すものである。それと共に、昨今の二
浅間温泉富士乃湯(長野県)です。江戸時代に松本城主も通った歴史のある温泉地です。街中にひっそりと佇むコンパクトな温泉地です。ここは1832年創業の老舗宿です。エントラスや玄関や建物の中の調度品は老舗宿の風格が漂います。アルカリ性単純泉をかけ流しています。豊富な湯量の源泉を引いているので源泉かけ流しが可能になっていると思います。大小2つの内風呂があり、露天風呂はありません。無色透明無臭の柔らかい湯です。シルクで包まれるような幸福感に包まれます。ついうとうとしてしまいます。
本日2回目の更新です。朝井まかてさんの『どら蔵』を読み終えました。楽天ブックス(送料無料)どら蔵[朝井まかて]楽天市場2,475円どら蔵【電子書籍】[朝井まかて]楽天市場2,343円朝井まかてさん『どら蔵』寅蔵、18歳。大坂で指折りの骨董商龍仙堂で修行中、丁稚の身だ。実家は同じく大坂・北久太郎町にある道具商松仙堂で、龍仙堂の別家にあたる。寅蔵は松仙堂の跡取り息子なのだが、本家の龍仙堂で七年間丁稚奉公をし、勤め上げ
海に出て木枯(こがらし)帰るところなし句集『遠星』にある1944年の作。太平洋戦争末期の作なので航空特攻隊と重ねて読む人もいるが、作句年次などを知らない場合は、木枯と自分を重ねた句として読むだろう。実は、ボクは1944年春の生まれ、この句を知った時、自分の運命を暗示された気がした。江戸時代の俳人、森川言水に「凩(こがらし)の果はありけり海の音」があり、彼は〈凩の言水〉と呼ばれたという。言水の句では凩が海の音に転じているが、誓子の木枯は海に出たきり。ひどくつらいというか絶望的、虚無的だ。
丸根賛太郎、額田六福監督による時代劇映画。出演は嵐寛寿郎、沢村国太郎、瀬川路三郎。<あらすじ>時は天明年間。ライト兄弟に先んじること百年余、空飛ぶ機械の発明に没頭する香具師幸吉。世間から変人扱いされ貧しい生活ながらも弟子の音吉、助手となった浪人・経堂重兵衛らと研究を続ける。幸吉が切支丹一味というデマの流布などの妨害や事故もあったが、遂に飛行の日が来る。<雑感>そういう人物がいたはずで、伝記映画なのかと思いきや、軍部の戦意高揚プロパガンダ映画だった。真面目に見ると損をするが、これはこれ
2025年12月31日。西村慎太郎です。このたび西村慎太郎・西口正隆・山田拓実・三原由起子編『古文書解読事始め2─福島県浪江町の古文書で学ぶくずし字入門─』が蕃山房さんより刊行されました。これは浪江町内に遺された古文書を用いたくずし字入門で、昨年刊行した『古文書解読事始め─福島県大熊町の古文書で学ぶくずし字入門─』の第二弾です。蕃山房公式ホームページやAmazonで販売しておりますので、ぜひお手に取ってみてください。新刊案内なるほどお~そおだったのかあ~くずしもじい~
NPO法人歴史資料継承機構じゃんぴんです。下記の日程で長野県上田市斎藤家文書保存・調査活動を実施致します。今回は保存処置・撮影・目録作成を行いたいと存じますので、お時間がございましたら、お越しください。詳細につきましてはお気軽に下記までお問い合わせください。日時:2026年9月10日(木)~9月13日(日)作業内容:保存処置・写真撮影・目録作成集合:9月10日12時JR上田駅(調整中。予定)※部分参加可。現地集合の方はこの限りではありません作業場所:長野県上田市(詳細は
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきます歴史上の人物の系図を追っていく歴史系図トリビアです。はい(´Д`)。本日は加賀藩前田家三代当主にして、加賀藩二代藩主の前田利常の系図を見ていきたいと思います。前田利常は江戸時代前期の大名で、加賀藩の藩祖・前田利家の四男です。異母兄の利長の養嗣子となって家督を継ぎ、加賀藩前田家三代当主となりました。寛永の危機で江戸幕府から謀反の嫌疑をかけられるも、これを乗り切り、家領を守り抜きました。
久しぶりの記事のため書き方を忘れた!ゆっくり思い出しながら・・・。今回は下街道を歩きます。信州方面から中山道を来て途中から分岐し尾張名古屋に至るルートです。3年前に歩いた、ほぼ並行する尾張藩運営の上街道と揉めた裏道的な街道で、近道だし坂もゆるいのでみんなこちらを通りたがったそうです。実はこの道、大昔、ブログを始めるずっと前、2008年に歩いています。名古屋から恵那市街手前にある中山道と合わさる槇ヶ根追分までの街道ですが、途中の多治見市内で投げ出してほかりっ放しです。