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●幸運を呼び寄せる部屋と不運を呼び寄せる部屋。家相鑑定をしていて実際に拝見した部屋の例です。①■問題1下の家の見取り図を見てください。沢山部屋がありますね。方位を考えると、東南の部屋が良い部屋ですが、今回は方位を考えません。さて、上の家で一番幸運を呼び寄せる部屋は、どこだと思いますか?②■問題2下の家の見取り図を見てください。沢山部屋がありますね。今回は方位を考えません。さて、上の家で一番不運を呼び寄せる部屋は、どこだと思いますか?少し考えてみてから、先をお読
八千代座にて定期公演✨️先日、八千代座で定期公演を行ってきました!山鹿灯籠踊り保存会では、週に2~3回、1日1回11時~定期公演を八千代座にて行っております✨️風情ある八千代座の雰囲気は何度行っても懐かしく、美しい場所🥰今月も定期公演はあっておりますので是非皆様、見に来られて下さい☺️🌈八千代座物語定期公演の詳細はこちらから👇💗八千代座物語~山鹿灯籠踊り定期公演~|山鹿温泉観光協会八千代座見学と山鹿灯籠踊り鑑賞くまもと山鹿の魅力、まるごと体感できます!www
先ずは訪問ダイジェストをご覧ください。本日は、新宿駅近くのお蕎麦屋さんを訪れました。蛇足ですが、江戸時代、日本橋から数えて最初の宿場、江戸幕府が開かれてから90年以上経って、江戸から四里(約16キロ)もあって遠すぎるということで作られた『新宿』。この地域を治めていた内藤氏が幕府に返上した屋敷地に置かれたことと、新しい宿の意味から「内藤新宿」と呼ばれ、新宿の地名の起こりとなりました。因みに、『江戸』というのは朱引きの線(江戸幕府)が定めた江戸の範囲の内側を言います。黒線は墨引きと呼ばれて
ランキングに参加しています。クリックしていただけるとうれしいです。現在高校の11年生の娘はGlobalHistory(世界史)を勉強していて自分の好きな地域の1500年−1700年くらいの歴史についてのプロジェクトをしました。その内容についてはまたいつかお話しますが、娘が江戸時代の日本についていろいろ調べているのを見て、その影響からか徳川家の末裔のお話がおすすめによく出るようになりました。家庭内で同じIPアドレスでいろいろな調べものをしていると、家族が興味を持ってい
テンペラ画サークルの集まりは月1~2回です。日本画も描くSさんが「今度は貝を描きたいの。資料を捜しているんだけど図書館にもいいものがなくて」、と言います。「貝なら蒔絵でよく見かけるわね」とその場でネットで検索。棗に面白い貝の蒔絵の画像がいくつも出てきます。私がいろいろな図柄をプリントして次回(来週)持っていくことになりました。貝が海松(みる)のような海藻と一緒に描かれているのが図柄的に面白いです。帰宅して、ふと家にもそんなのがあったはず、と思い出し
先日日本最古の駄菓子屋さんで童心にかえりお買い物をしました♪お店は雑司ヶ谷にある鬼子母神境内にある創業1781年「上川口屋(かみかわぐちや)」さんです♪江戸時代から続くお店だそうで加賀藩前田家御用達の飴屋が前身で現在13代目の店主さんがいらっしゃいました♪東京大空襲など激動の時代でも大きな被害がなく現存しているそうです。店前には所狭しと駄菓子が並んでいます。これでも少し前にお祭りがあって子供たちが買っていったので品数が少なくな
今ってミディアムボブのヘアースタイルの男性って珍しくないと思うんだけど今日見掛けた人は横、後ろを刈り上げていてボブの部分をねじっておだんごにして玉かんざしを刺して留めていたのマジマジと見てしまったけど陶器でできてるような綺麗なかんざしで女子かって感じなんだけどあんなのどこで手に入れたんだろネットなのかな〜別にどんな髪型をしようと自由なんだけれどもあの人としてはオシャレだと思ってそうしてるのだろうが私はあまり好きじゃないかな〜そこまでした髪型はただの一個人の感想だけれどか
ご訪問ありがとうございます上位ランクイン皆様ありがとうございますハイ〜昨日の続きー宜しくお願いします鴨川シーワールド(おっきなセイウチさんご飯タイムだよー)かわいいねーハイ〜鴨川へ行く前に館山へ寄りました〜(館山駅)バスに乗って。。館山城へいきましたー戦国時代。。里見氏のゆかりの地館山城可愛いらしいお城ですお城からのながめ気持ちがい〜い富士山は見れなかったけど。。三浦半島や伊豆半島が。。館山港が見えました〜ハイ〜今。。映画
最近、「昔より刀の価格が下がっている」とか、「新しく刀を作っても売れない」等と聞きます。個人的にも、確かに全体としてみると昔より価格が下がっているような気がします。私は子供の頃から刀が欲しくて、高校生の時には刀の通販カタログを毎月取り寄せていました。きっとこんな変態高校生は他にいなかったでしょう。当時はまだネットがなかったから。ちなみに先日40歳になってしまいました。高校生の頃からずっと刀の価格を見てきたのですが、私が高校生の頃、1998年くらいだと居合や試
2024年11月22日西村慎太郎です。先日、相馬藩小河家旧蔵資料6冊をゲットしました!!🤩いまだ分析途中ではありますが、いくつか紹介したいと思います。今回はそのうちの1冊『明暦支配帳』に掲載されていた「寛永十六年大膳亮義胤御代之支配帳古給人」の中から標葉郷(まだ南北に分かれていない)の在郷給人を記したいと思います。けっこう虫損が多いのが痛いところ。。。10石熊川横田与五右衛門[](虫損)渋川青田右馬之丞[](虫損)熊川渡辺次兵衛[](虫損)新田大和田作
今回はこういうお題でいきます。どんなことが書けるでしょうか。幽霊の概念・・・ちょっとネット辞典を引いてみます。「死んだ者が成仏できず姿をあらわしたもの・死者の霊が現れたもの」これがWikiで、簡潔ですね。「この世に怨恨や執念を残して死んだ者の霊が成仏できずに,この世に現す姿のこと。幽霊とは元来死霊を意味する言葉であるが、まれには生者の生霊が遊離して幽霊となることもある。この点は、物の怪と類似する。現今では、幽霊とおばけ(化け物)は混同されているが、幽霊は生前の姿または見覚えの
シリーズ第6弾、江戸時代の前半をまとめました。鎖国への流れは特に要チェックです!・1603年(17世紀初頭・江戸)徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府を開く。(幕府と藩が支配する幕藩体制が確立する。将軍の補佐は老中が務め、大名は将軍家一族の親藩、関ヶ原の戦い以前から従っていた譜代大名、関ヶ原の戦い以後に従った外様大名に分類。また、朱印状を所持した朱印船貿易が活発化し、東南アジア各地に日本人が居住する日本町ができた。)→<人群れ(160)騒(3)ぐ>、江戸幕府・1
奥池は江戸時代芦屋村近郷の各村の水不足、水争いを解消すべく、芦屋村の年寄り猿丸安時が20年の歳月を費やし完成させた(1861年頃)と云う。手前の奥池貯水池は芦屋市の上水道の水源として、昭和44年に着工し、昭和46年に完成。満水面積460,000m2というから、東京ドームグランドの数十倍の広さである。最初の写真は奥池からの東お多福山です。春から夏にかけては、山々の濃い緑が一色になり、お多福山とその奥の六甲山最高峰辺りが一体になって、お多福山の山頂がどこだかわからないのです。私
数あるなかからお越しいただき、誠にありがとうございますノウイング・ウェイ・ジャパン認定プロアカシックリーダー、神様カードインストラクター、ヒーラーの桃園りか子ですディヴァイン・ヒーリングアカシックレコードリーディングディヴァイン・アカシックともに、土日祝のみ11~22時(終了)の間で承っています。カードリーディングカードは、平日のみ20:30~22時(終了)の間で承っています。↓メニューはたくさん用意しています。詳細は、メニューページをご覧くださいませ。
居合用に作られた現代刀の反りは15ミリか18ミリが多いように思います。15~18ミリの間というのではなくて、「ぴったり15ミリか18ミリのどちらか」という印象を受けます。昨日助光刀匠に教えて頂いた事ですが、戦後に関市の居合用の模擬刀のメーカーが販売していたのが15~18ミリの居合刀で、それに合わせて居合の練習をするようになったために居合では15ミリ~18ミリの刀が好まれるようになったそうです。だから居合用の真剣もそれと同じ反りに合わせて作られるようになったのでしょう。なん
こんばんなんしあちきは現世で歌い手として活動している江戸吉原の花魁神月乙桜でありんす🌸前回の記事は読んでくれたかい❓『【花魁による簡単な江戸吉原講座㊸】吉原のことならオマカセ!吉原のガイドブック・吉原細見』こんばんなんしあちきは現世で歌い手として活動している江戸吉原の花魁神月乙桜でありんす🌸前回の記事は読んでくれたかい❓『【花魁による簡単な江戸吉原講座㊷…ameblo.jp吉原には吉原細見(よしわらさいけん)というガイドブックがあったんだこのガイドブック
京都御所脇の小道を入ってみた何となく記憶にある小道そこには10年以上前に船越英一郎さんの紹介(京都本)😅で訪れた蕎麦屋さんがっ😲あつもりそば・・江戸時代に親しまれていた蕎麦を現代に伝える✨現代のように蕎麦を茹でるのはなく蒸して食べる❗現代のせいろそばは蕎麦をせいろを器として蒸していた名残のようだ😁看板のそばハくすりあつもりそば蕎麦通の評価はわからないが美味しいですよ👍️👍️👍️
こんな話を聞いた。『今思えば、明治生まれの人は“士農工商”という言葉を使わなかった。学問、あるいは歴史を学んだか学んでいないことではなく、身分制を表す“士農工商”という言葉が伝えられなかった(そもそも代々の暮らしのなかで身分制を表す“士農工商”という言葉が存在しなかった)のでは…、』かつての古老は、言葉による定義は存在していなくとも、身分制は幕府・朝廷・高家の職分であったことを知っていたのではと感じる。身分“士農工商”とは職分論を取り違えた現代人が捉えた身分制の解釈である。近世から近代にかけ
↑古い刀は茎に黒錆がついている。これは自然発生的についたものではなくて、意図的に錆付けされたものだと思います。https://ikedaart.net/?pid=159467378↑昭和初期の刀黒錆を付けずに経年劣化すればこんな感じで赤錆がつく。こうならないように黒錆がつけられていた。鍔は現代でも黒く錆付けされていますよね。いつ頃から茎に錆つけしなくなったのかというと、たぶん明治の廃刀令以降のことでしょう。新々刀の茎は黒錆ついていますし。廃刀令以降し
こんにちは。春画はハッピーな内容が多いですが、時にはダメだよ!!ってやつも。こちらの一枚は、なんだかいつもと違う…そう、「無理やり」しようとしている図です。これは、歌麿の近所で強姦事件がありそれを題材にしているといわれています。娘のセリフに「この利兵衛じじいめ、よしやがれ」男(利兵衛じじい)も思いっきりブサイクに描かれています。事件を憎む歌麿の気持ちがあらわれていますね。おおらかな江戸時代であっても、無理やりはNG!!という共通理解は同じ。お互いの気持ちがあってこそで
今や知る人ぞ知る年末の風物詩なのだけど、その昔、年末になると時代劇スペシャルっていうのが日本テレビで放送されていました。これがなかなかの大作で、後々語り継がれるような名作の数々が生まれています。その中でも評価が高いものの一つ、白虎隊。リアタイで家族でテレビを見た記憶がありますが、何せ子供だったもので、よくわからないところも多かった。もう一度見てみたいなーと思ったのですが、残念ながら配信とかはしてないらしい・・・?(時代劇専門チャンネルとかではたまに放送してるのかしら??)かくなるう
昨日は東京へ行く用事があったので、長距離移動の電車の中で本を読みました。数年前、過去の法科大学院の入試問題で文章が使われた随筆を買うのにハマってでも幼児がいたのでぜんぜん読んでなくて積ん読・・・少しずつ片付けますこちらの新書はもともとバブル期の本。西ドイツや北欧と比べて日本の良くないところ(当時)のデータが並べられています。労働環境の問題が中心です。どちらかというと、社労士さんの分野でしょうか?長時間労働、長時間通勤、専業主婦必須の時代・・・
日本刀は、無銘の脇差しならば、登録証付きでかなり安価に手に入ります。屋内ならば、短い脇差しの方が取り回しは楽で、刺突を用いれば、かなり効果的です。江戸時代に、町民でも護身用に携帯が許された道中差しと呼ばれた刀もいわゆる脇差しです。現代日本も幕末並みに治安が悪化しているような気分https://t.co/Yg8vYh8OjR—鷹見一幸(@takamikazuyuki)2024年10月26日↑このtweetが刀剣鑑賞の愛好家の間で少し話題になっていました。「強盗対策に日本刀なんてけし
こんにちは😊今月の大きな星の動きについてお伝えしていきます☆(ってもう半分以上過ぎてますが)7日土星♓魚座入り(~2026.2.14)17日金星♉牡牛座入り(~4.11)19日水星♈牡羊座入り(~4.3)21日春分(太陽♈牡羊座入り.~4.20)24日冥王星♒水瓶座入り25日火星♋蟹座入り(~5.20)かなりにぎやかな動きです。中でも大きいのは、やはり冥王星のサイン移動ですね!冥王星は破壊と再生の星と言われそのサインに関する古くなった概念などを
こんにちは、江戸すずめです。先日、夫・ミートくんと日本橋川クルーズに参加してきましたゆう・えんの斎藤弘美さん主催の「お江戸まちあるき」シリーズで、今回は船遊びみづはさんの船で10名限定の貸切クルーズですクルーズでは船首部分に乗り込みます!赤いジャケットは船長さん😊日本橋の船着場から乗船し、日本橋川〜神田川を通って隅田川にでて、日本橋川からまた日本橋に戻るという1時間半の周回コースでしたこの日は花曇りでしたが、船には電気毛布やクッションなどがそなえてあって寒さは感
大阪天満宮の近くに天神橋筋商店街があります日本一長い商店街で有名な天神橋筋商店街、その距離なんと2.6キロ地下鉄2区間分の長さに600もの店が軒を連ねているそうです天神橋筋1丁目~6丁目まであります。江戸時代、大阪天満宮の門前町として栄えたのが始まりだそうですよ。さて、その大阪天満宮に近い2丁目のアーケードにこんな人形が飾られています。(南側)(北側)いつもなんの人形だろう、と思っていたら、天神祭と関係のある人形でした御迎え人形と呼ばれています
江戸の本を巡る、貸本屋の世界が読める小説だった。こんな世界があったとは江戸の町で千太郎長屋に一人で住み、貸本屋を営むせんが主人公。良いも悪いも江戸の人達の力強さや、本を出すのに命がけの分野があったり、サスペンス要素もあってドキドキした。艶かしい色香要素もある。面白くて一気に読んだ12歳までは両親と幸せに暮らしてたせん。父は禁書になる本を彫り密告され、酷い罰を受けたあと酒浸りになり、母は若い男と出ていき父は自死し、せんは天涯孤独の身の上に。いろんな気持ちを抱えながら、
以前収集した矢立を一度まとめて紹介したい。数は多くないが、自分なりに厳選し、多種多様な素材、デザインの物から、特色ある矢立を収集するように心がけたつもりだ。ちなみに、最近は全く収集できていない。中国人をはじめとする外国人が大量に買っていったとも聞くので、面白い物の多くは既に海外に渡ってしまったのかもしれない。中国にはこのような矢立は無いはずだが・・・
おじゃまいたします~👘風通しついでに…ひょっこり入室し2019年ものの記事に似合い風な🎵コラボ曲【火事と喧嘩は江戸の華】末巻に添えて参りました(*^.^*)さて…二月ももう…半ば早いことったらありゃしません皆さまいかがお過ごしでしょうか…さて今日はべつばら…もといお江戸「おせい」の舞台裏ある「寺子屋」に奉公するそそっかしい女…おせいの愚話をちょいとばかし時代風に焼いてますどうぞ…三分ばかし寄り道をなさっておくんなまし◆◆二月のあたまのこと…この日は
石州流の話が横道にそれてしまいますが、もう少し余談を。江戸時代、各藩の茶道は、石州流が非常に多かったのは確かですが、勿論、他の流儀も存在しました。藩によっては複数の流儀の茶頭を召し抱えているケースもありますし、年代(時代)によって流儀が変わる例も多い。尾張徳川家など、その代表的な例です。石州流以外で長く関係が続いた例を挙げると、表千家が御三家の一つ紀州徳川家に、裏千家が伊豫松山の久松松平家(家康の異父弟の血筋)、武者小路千家が讃岐高松の松平家(水戸黄門の血筋)と、維新まで繋がりが