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歩いてロープーウエイ街に行ってみました。観光客でにぎわっていました。「丸水(がんすい)」宇和島の鯛めしのお店が長い行列を作っています。ロープーウエイも並んでましたが、わりとすぐに乗れました。新緑を見ながら松山の街を見下ろします。ソフトクリームをベンチで食べてしばし、観光気分を味わいます。坂道はけっこう急で、帰りがこわいので、観光もここまで。ロープーウエイに乗れたの楽しかった♪(市の経営で往復400円、みなさま折があればどうぞお越しくださいませ)松山城の築城者、加藤嘉明
ーーー滋賀県近江の妖怪ーーー滋賀県近江の山の麓に住む「彦兵衛」。彼の両親は織物職人として生計を立てていた。彦兵衛は母親作った織物を町に売りに行く仕事をしていた。しかし6月は「蛍売りの仕事」もしていた。父親が籠職人なのでそれに蛍を入れて町に売り歩いていたようだ。彦兵衛の幼馴染に弥七という「ところてん売り」がいた。年は彦兵衛と同じで今年20歳になる。またその妹の綾乃は亡き父の後を継いでシャボン玉を売ったり枝豆を売ったりして生計を立てていた。だが最近ずっ
江戸時代、将軍の側室は30歳で引退だったそうです。理にかなってるというか、納得できる年齢ではありますね。昔から、30ぐらいから妊娠率も下がり、明らかに生物として老化が始まります。今は30でも40でも若々しく綺麗な人なんて珍しくもないですし、妊娠だって可能。でもそれはスキンケアや医療やヘアケアがあるからであって、生物として進化したわけではないですね。お肌に関していえば、資生堂が日焼け止めを初めて発売したのは1923年。江戸時代も成分はもちろん今のような化学的に開発されたもの
刺子の長半纏てぇのがある、江戸時代の町火消が火事場に駆けつける時に着た、防火服。刺子と言っても津軽のこぎんの様に糸で模様を刺すのではなく、目の粗い木綿生地の事。長い事置いてあった御覧の刺子生地を、馴染みの型染屋で半纏に仕立ててもらった。型染屋の仕事が暇になった頃を見計らって、曳舟まで出張ったと言う訳である。一枚は御覧の長半纏に仕立ててもらったが、火消の長半纏と違う処は袖巾が広い事。寒くなるこれからは、チョイと表に出る時羽織れば防寒着になる。この時半纏の下に着る薄手
「橘さんは、前世を視ることが出来ますか?」時々、そう質問されることがあります。私は不思議なモノ・ことを日々目にしていますが、狙って前世だけを視ることは出来ません(前世を視ることが得意な霊能者もいます)。ですが時々。神様が、『今このタイミングで、必要!』と判断した時だけ、人の前世が視えることがあります。前世自体、あるorないが分かれる案件だからこの話は、夢物語と思ってくださって構いません「へぇ~そういう事もあるのかぁ」くらいの気持ちで、お付き
【相模原の消えた風景】次々と故郷を埋め尽くす軍事施設、そして米軍による土地の占領。しかしそこから這い上がる市民と新しい街の形成!リニア駅の建設も決まった今注目の街、相模原を特集。神奈川県きっての大都市、相模原市の歴史と懐かしい風景を追いました。水が乏しく暮らしに苦労を強いられた江戸時代や、戦前の都市の軍事化、そして戦後の米軍基地の乱立。波乱に満ちた相模原の歴史は目が離せません。そして昔懐かしい、忠実屋、ダイエー、アイワールドなどにも注目しました。訂正3:38あたりで「相模原線」とあります..
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皆様、ご機嫌YOです!薩長史観ではあまり積極的に触れてこなかった事実ですが、江戸時代末期の識字率は6割だったそうです。ちなみに同時期の西欧諸国の識字率は2~3割程度。それと比べると日本の識字率、そして庶民の教育レベルの高さは一目瞭然です。そして、それを支えたのが寺子屋なのです。江戸や大坂などの大都市だけでなく、幕末の頃には地方都市や農村部まで広がっていました。まあ、そうでも無ければ識字率6割なんて普及率にはならないでしょうが。最盛期にはなんと6万もの寺子屋があったそうです。そ
京都の宇治といえば抹茶。お茶で有名な地方は沢山ありますが、京都のお茶は何か高級なイメージがします。うちはお墓が宇治にあるので、宇治の方に来たら、宇治抹茶の老舗、伊藤久右衛門に必ず寄ります。伊藤久右衛門は天保3年創業。西暦に直すと、1832年創業だからなんと192年前から❗️江戸時代❓中に入るとお土産コーナーも充実しています。抹茶だけでなく、こちらはスイーツも有名。テークアウトもやっています。僕のおすすめは、抹茶カレーうどんのセット❗️これ絶品✨このカレーうどんのカレーも中々
「東京六大学街道をゆく」と題して、法政大学の市ヶ谷キャンパスの移り変わりについて、法政大学の歴史を紐解きながら、お伝えして来た。最終回である今回は、2019年2月24日に行われ、私も参加して来た、法政大学の「55年館」「58年館」のお別れセレモニーを中心に、描いて行く事とする。今年(2019年)の3月に、法政大学の市ヶ谷キャンパスの「55年館」「58年館」が取り壊されてしまう前に、その「55年館」「58年館」のお別れセレモニー「55・58フェアウェルDAYS」が、2019年2月
和歌山県立博物館に刀を見にいきました。先日行った日光東照宮では奉納刀がほとんど火災で焼けてしまったということであまり刀がありませんだしたが、この紀州東照宮の奉納刀は素晴らしかったです。合計27振ありました。特徴としては、ほとんどの刀に太刀拵が付属しています。拵は当時のもののはずなのですが、どれも新品のような綺麗さでした。極上の状態です。刀身はほとんどが差し込み研ぎだったと思います(二振を除いて)江戸時代から研ぎ直していないのかもしれません。刀身に若干の鯖びやキズのある刀もありましたので。
運命の土地があっさり見つかり、肩の力がますます抜けた。『『絶対に見つからない運命の土地を引き寄せる』』改めて、土地探しって本当に難しいなと思う。私も彼と出会ってすぐに、最後の夢の家を建てようー!と思い、彼と一緒にいつも土地探しをしていた。もうその時は引き寄…ameblo.jp『運命の土地は『天地降臨〜神様の降りてくる場所』』本当、現実が奇跡過ぎて、あり得ないと朝から何度も呟いた。この奇跡をなんとか、自分のちっぽけな頭で解読しようとしてぶつぶつ言いながら歩いていた。でももうあまりに…am
阪本順治監督・脚本が、先進的な循環型社会を実現していた江戸時代を舞台に、オリジナル脚本で贈るモノクロ時代劇。江戸末期を舞台に、貧乏長屋で暮らす、声を失った武家育ちの娘おきくと、社会の最下層で人々の糞尿を売り買いして生きる青年・中次と矢亮の青春物語。22歳のおきく(黒木華)は、武家育ちでありながら、今は貧乏長屋で父・源兵衛(佐藤浩市)と二人暮らし。毎朝、便所の肥やしを汲んで狭い路地を駆ける中次(寛一郎)のことをずっと知っている。ある時、喉を切られて声を失ったおきくは、それでも子どもたちに文
『加賀屋新田会所跡&ラバーダックちゃん(1)』瓦をのせた冠木門に「古見堂(こけんどう)」の額は、相国寺管長の筆によるもの。ここはどこ?京都のような佇まいをしていますが、実は大阪市内です。こんな所があ…ameblo.jp加賀屋新田会所跡の続きです。江戸時代の豪商の手による、贅をつくした書院や鳳鳴亭に感心しながらお庭へ出ました。リーフレットには、技巧を極めた小堀遠州風の築山林泉廻遊式庭園と書かれていました。お庭の南側から滝が落ち、U字に流れて東池に注ぎます。
日本国内で男性の最高齢だった112歳の男性が死亡したことを受けて、新たに男性の最高齢は110歳の神奈川県厚木市に住む涌井冨三郎さんになったことが分かりました。厚木市によりますと、3月31日に市内に住む涌井冨三郎さんが国内で男性の最高齢になりました。涌井さんは1913年(大正2年)の11月28日生まれで、現在110歳です。厚木市の山口貴裕市長は「大正、昭和、平成、そして令和と、激動の時代を歩んでこられた涌井様に、心から敬意を表しますとともに、これからも健やかに過ごされますようお祈り申し上げ
この話は、日本三大祟りとしても語り継がれ「番町皿屋敷」「四谷怪談」「惣右衛門たたり」とされているらしい。あたなみに、日本三大怨霊は「菅原道真」「平将門」「崇徳天皇」。江戸時代、仙台から海路で下河(※今の福島県いわき市泉の下川)に降り立った僧がいた。そのお坊さんは堅通法師(当時20才)といった。師僧は堅通法師に自分が叶えられなかった夢をたくし亡くなる。それは、京都の本山にいき高僧になること。堅通法師の師僧は、15両(1両が13万円と仮に換算すれば195万円ぐらいの価値らし
野崎まいり昔々の交通手段は、屋形船⁉︎江戸時代の庶民にとって人気の娯楽だったらしい。ウチの地元!一番輝いてる、1週間
こんにちは温泉大好きな小4と年長のママです。いよいよ梅雨やら台風やらやってきますね💦今年は豪雨がひどくなりませんように!さて、日光江戸村の続き。『日光江戸村2023①忍者修行で認定証ゲット!』こんにちは温泉大好きな小4と年長のママです。息子の保育参観がありました。意外にも?しっかり協調生があって安心しました💦さて、日光江戸村3年目のイン。着いて早…ameblo.jp手裏剣体験🥷2箇所ほどやるところがありますが、ちゃんとした道場より、個人的にお土産屋さんの一角にある道場が好きです。
留次郎、5歳にして大橋家門人となるの巻です。この時、大橋宗金は18歳。先代の大橋家当主:大橋宗桂は既に無く、13歳にして大橋家を継いだ若き当主です。またこの時、九世名人大橋分家宗英が11年前に亡くなっており、名人空位の時代でもありました。将棋家筆頭の大橋家当主である宗金としては、名人襲位の野望があった事と思います。その様な状況の中で、留次郎の5歳にして眩いばかりの才能を、我が門人に迎え入れた事は大きな喜びであったに違いありません。しかし、時代は幕末。留
師匠は「前世はない」と断言する人でした。でも、私はときどき、「必要だから、(今のこの人に)前世を教えてあげてね」と神様から言われることがあります。どの神様に聞いても「前世はある」と答えます。でも、師匠が「ない!」と言い張るわけで...。結構長い間葛藤していたのですが、「やっぱり前世ってあるのかも!」と思ったきっかけがありました。母の友人の旦那さん(Sさん)とその方の前世さんですSさんとご挨拶をさせていただいた時、Sさんより先に後ろに
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学生の頃、暑いと男の子は服脱いで上半身裸になっていて。「ずるい、いいなぁ!」「なんで女はできないんだろう!」と思ってた。思ったことありませんか?とはいえ、どういう状況の時だったんだろう水風船投げ合って遊んでた時だったような。でも、昔は普通にしてたみたいですね暑い時期は女性は腰まで着物を下ろしていたり、「男も女も素裸になったまま浴場から街路に出て、近い所ならばそのまま自宅へ帰る」なんてこともあったそうです。皆が身内、みたいな感覚なんだろうか逝きし世の
◆思ったよりも匂いもなく、しっとりと洗いあがりました!こんにちは、山村です!最後はやっぱり自分で洗ってみないとということで、前回つくった、ふのりを30分煮出した洗髪料で、髪と地肌を洗ってみました。髪にふのりをつける前に、念のためガーゼでこしました。板ふのりは、製造過程でむしろの上で干すため、ワラが混ざっていたり、砂粒が入っていたりしたので、それを取り除くためです。下の写真は、ゴミをこして、きれいになったふのり溶液。どろりとしたテクスチャーで、
さあ、江戸の茶陶を見てみようと大上段にに振りかぶったものの、さて弱りました、江戸の茶陶って、考えてみると本当に少ないんですね。まあ気を取り直して参りましょう。江戸で最も古い窯業は、今戸焼でしょう。浅草の近所、今戸神社で有名な場所ですね。種々の説があるのですが、開窯は天正年間、徳川家が江戸に入る前だというのが、一番古い説ですが、とにかく土器でスタートしたことは確かでしょう。江戸城築城に合わせて、瓦製造が中心になります。余談ですが、江戸の町名で下町の諸所に瓦町の名があるのは、皆そこが瓦の製
今日は、江戸時代に行われていたとされる身分制度について、小名木善行先生の講義から考えていきたいと思います学校で習うし、日本人なら知らない人はいない、士農工商(しのうこうしょう)という言葉。これはいったいどういうものだったのか?最近の教科書では、これは身分制度ではなく、職業分類だと書いているものも出てきたようです。じっさいに、その通りで、職業間には自由があった。農民だったけど、武士になる人、商人だった人が武士になる、武士だったけど、商人になる人、武士だけど、職
4次元の入口⑨■江戸時代の高僧と時間と空間の話■パクリ発見38■サロンblog情報■江戸時代の高僧と時間と空間の話高級神霊とマルチョンの坊さん(1分57秒)江戸時代の高僧と時間と空間の話(8分08秒)■パクリ発見38■オンラインサロン案内超人AVALONのアセンションクラブ我々は「意識進化・歴史究明・世界征服」の理念を果たすべく樹立された、超人AVALONを中心とする秘密結社(オンラインサロン)である!!▼一般公開できない情報
皆さんこんにちは♪おかんです!弟夫婦がやってきました。私の作るイカ焼きがえらく気に入ってお昼はいつもコレです道具屋筋で買ったこのイカ焼き器が大活躍お土産に4枚弟が夜にコレをビールのアテにするんです。奥さんのジュンちゃんは旧家の娘さんで「あんたとこ本家やから昔の塗りの蓋付きの煮物椀ない?あったら欲しいわ」と言うと納屋に沢山有って捨てようと思ってたとこらしいです。「アカンアカン私が見てからほかしてや!」という事で4月になったら御椀をもらいに行くことになりました。ジュン
昨日アップした竹下浅間山古墳から北東へ700メートルほどの場所。清原中央小学校のすぐ近くにあるのが、どどづか高塚です。↑フェンスに囲まれてる、どどづか高塚。北側の様子。清原工業団地3号緑地内にあります。駐車場も近くにあるので、車を停めてノンビリ観察できます場所はこちら:36.561523,139.978300↑どどづか高塚についてこの円丘は、高さ約3メートルで、以前「大塚古墳」と呼ばれたこともありましたが、その形状から江戸時代ころに造られた供養塚ではないかと考え
相談のコメントを頂きました。答は勿論、イエスです。あるお医者さんの話によると、細胞にダメージを全く与え無ければ、人間は120才迄生きられる。そうです。。生まれてから、様々なダメージを細胞が、受ける事によって120才より、寿命が縮まっているらしいです。江戸時代は栄養面で、今より劣っていたので、寿命50才位。今は寿命80才位。卵子も一般的に40才以降は加齢が進んで、妊娠しにくいと言われていますが。ダメージさえ無ければ、もっと高齢でも充分妊娠できるそうです。私は46才の時の
幸房の渡し跡(2024.2.14(水))となります。こちらが、幸房の渡し跡です。とは言っても、『幸房の渡し跡』の碑が設置されているだけです。江戸川河川敷に降りて、江戸川の縁に立てば、何処が渡船場なのか、はっきりと確認出来るかと思いますが、そこまでする気力がないため、碑で満足しました。『海から25.25km』の標識傍にあります。『幸房【こうぼう】の渡し跡』の碑から、小生の視線を、江戸川河川敷へと動かした先の眺望となります。落葉樹の樹木が生えています。江戸川縁に人為的に植樹