ブログ記事1,964件
「仮名手本忠臣蔵」の高師直のモデル、吉良上野介(あ、逆か)って、三千石の旗本なんですよね。大名ですら、ない。それなのに、なんであんなに偉そうなのか?高家ってのは、そんなに偉いのか?そもそも吉良ってどういう家なんだ?なんで江戸幕府で重用されているのか?っていう話をしましょう。吉良氏は足利の分家の中でもかなり格上の家です。初代が三河守護に任ぜられ、その後もずっと三河の殿様(ミニ将軍?)としての格式を保っていました。吉良家と今川家は、室町時代の序列でいえば、三官領の細川・斯波・畠山より格
八幡市の橋本へ行きました。幕末の遺構である橋本陣屋跡の講演会と現地説明会が、5月24日にありました。当時ペリーなどの黒船が来航したり、1858年日米修好通商条約などにより、京都を特に御所だと思いますが、海外の国からの警護、防備のため砲台のある台場をつくる必要があると朝廷から幕府に要請されたようです。淀川を外国船が上ってこないように樟葉台場をつくり、その駐屯地とし橋本陣屋がつくられました。その遺構が発見されたということです。現地説明会の当日は、すごい雨でした。それでもすごい人が
「凡庸な二代目」の代名詞みたいに言われる徳川秀忠ですが、実は、めちゃくちゃ優秀な人物です。あんなに優秀な二代目って、なかなかいないですよ。武家諸法度も、禁中並公家諸法度も、秀忠が将軍の時代に作られています。「どうせ家康がやったんだろ、秀忠なんてボーツと見てただけだろ」というのは、偏見もいいところです。もちろん創業以来の優秀な家臣に囲まれていたからこその成果です、それは間違いない。しかし、先代から受け継いだ煩さ型の家来たちと衝突せずに上手く仕事してもらう、これってものすごく難しいことなんで