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2023年7月7日から『北から南へ「天守」シリーズ』をスタートさせ、初回の「プロローグ」では「天守」についてのエピソード等をお話をしました。『<北から南へ「天守」シリーズ>プロローグ』本日から、『北から南へ「天守」シリーズ』をお届けしようと思います。まずは「プロローグ」から。「天守」については、3年ほど前に、現存、復元、復興、模擬をグルー…ameblo.jpそして2回目以降は、具体的に「天守(御三階櫓含む)」があるお城を、北から順次、現存・復元・復興・模擬の「天守(御三階櫓含む)
日比谷公園幸門脇烏帽子石、松本楼付近石橋、雲形池付近馬の水飲みについてです。①烏帽子石日比谷公園幸門脇日比谷公会堂の南東方向烏帽子石2023.12.7(木)撮影こちらが、烏帽子石です。日比谷公園幸門脇日比谷公会堂の南東方向烏帽子石(えぼしいし)"この石は,江戸時代,江戸城外郭市ヶ谷御門の石垣の中にあったもので,形が烏帽子(昔,元服した男子のかぶりものの一種)に似ていたため,人々から烏帽子石と呼ばれて珍重されていたものです.明治時代,道路拡張に伴い石塁が取
新コロナウイルス感染予防の為の「緊急事態宣言」は、既に関西各府県は解除され、東京都と周辺三県も明日にでも解除されるとのことです。この期間、「外出自粛要請」下に始めた「”〇〇天守”を色々な方向から顔・姿を見る”シリーズは、第六弾「”現存三重櫓”を色々な方向から顔・姿を見る」をお届け中です。一昨日の「”現存三重櫓”を色々な方向から顔・姿を見る」の総編https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12598737807.html第六弾「弘前城丑寅櫓・辰巳櫓・未申
〜ワタツミの森~幸せと豊かさへの道ひらきガイドMegです。《イベントのお知らせ》①5月5日(日)11:00~17:00東京スピフェス(浜松町)★『算命学♡星読み(宿命解読・運命調整)』算命学瑠璃の門師範桃花(Meg)★マルコニクス『エネルギーヒーリング』通常の算命学星読みも承っております。イベント・通常メニュー(対面・オンライン)のご予約はtoka.sanmei★gmail.com(★を@に変えてくださいね。)先日は江戸城の石垣鑑賞ツアーに参
連休終わったとたんに☂それで今日は久々歴史もの(⌒∇⌒)スカートdeお城今回は歌舞伎や映画でおなじみ忠臣蔵おのおの方討ち入りでござるおなじみ大石内蔵助その赤穂城へ登城!登城!おのおの方!一大事でござるその赤穂城址に平和なこの藩に江戸から急使がやってきて大騒ぎその赤穂城址国史跡赤穂城跡(兵庫県赤穂市)公式Webサイト(ako-hyg.ed.jp)中堅企業が突然倒産騒ぎですから大変なことだったのですね今も赤穂の街は忠臣蔵です(^▽^)/こちらは事の発端の江戸城
杉原敦子フラメンコ教室💃Estudioazucar主宰の杉原敦子です😃✨いつもご覧いただき、ありがとうございます💓昨日、皇居東御苑🍀の中にある🙋♀️皇居三の丸尚蔵館を拝観したあと👀(その時の様子は、昨日のブログ📗でアップしています⤴️)皇居東御苑🍀を散策しました👣ここは、かつて、江戸城🏯があった場所です🙋♀️今は、お城🏯は残ってないのですが。。。江戸城の模型🏯石垣の跡💦。。。などがあり、当時、江戸城🏯があった頃の情景が浮かんできました😊他にも🙋♀️百人番所江戸城本丸
皆様、こんばんは~🌇🌇🌇🌇🌇本日はM本八幡とK船橋です。エンジョイエアロはもう少し丁寧にやりますね~(サラッと流しすぎたか!)さてさて!!昨日は久しぶりに代行レッスンないのでかねてから行こうと思っていた皇居一般参観に行って来ました。😆😆😆😆皇居は皆さん、ご存知の通り江戸時代に徳川歴代将軍が居城としていました。明治維新の後、明治天皇は千数十年にわたり天皇がお住まいになっていた京都からお移りになります。以来、天皇がお住まいになり、宮殿では諸行事が行われて
http://ameblo.jp/adoringusagi/entry-12143858848.html写真は二重橋ですが、今日は皇居のざっくりした概略をまとめたいと思います。http://ameblo.jp/adoringusagi/entry-12234914983.html江戸城、皇居は江戸時代徳川将軍家の居城であり幕府を開いた所です☺EdoCastle,ortheImperialPalacewastheplacewheretheTokugawaShogun
全国お城の「石・石垣シリーズ」を再開します。本日は、『「石垣」の使われ方』において「笠石銃眼(石狭間)」が見られるお城をご紹介しています。「笠石銃眼(石狭間)」というのは、石垣の一番上の石(天端石)を直方体の長い「笠石」して、その「笠石」に穴を開けて鉄砲狭間としています。その笠石の上には「土塀」が建っていたり「建物」の壁になっていたりします。一般的な「土塀」に△や□を施した「鉄砲狭間」とは違い、「石狭間」とも呼ばれています。現在見られるのは、「大坂城」「二条城」「江戸城」「岡山城」の
只今、「門」と「櫓」を兼ね備え、特に「大手」等の重要箇所を固めた最強の門であった「櫓門」シリーズをお届け中です。ということで、今回第15弾は、「江戸城(前編)」(東京都千代田区)の「櫓門」をお届けします。「江戸城」には、8基(※)の櫓門があり写真もふんだんにありますので、前編、中編、後編の3回に分けてお届けしたいと思います。(※)大手門、桔梗門(内桜田門)、坂下門、西の丸大手門、桜田門(外桜田門)、清水門、田安門、平川門「江戸城大手門渡櫓門、桔梗門(内桜田門)渡櫓門」(いずれも
前回、エネルギーは常に循環しているので、1か所にとどまることはない、というお話をしました。波動に関して、今日は少し違う観点から考えてみたいと思います。それは「結界」について、です。結界とはどういうものか、何のために張られるのか、という問いに、多くの人は「厄難を避け、外敵の侵入を防ぐため」と答えます。もちろん正解です。ただ、結界にはもう一つ、重要な機能があるのです。それは「内側のエネルギーを外に漏らさない」ということです。つまり、外からの流入を防ぎ、内からも漏れ出ないよう
今回の参詣は、港区芝公園の増上寺にある熊野神社(ゆやじんじゃ)へ。ここ芝増上寺は、上野寛永寺とならんで徳川将軍家の菩提寺であり、また江戸城の鬼門・裏鬼門を守護するためにもあったとされる寺院。その増上寺の鬼門を守るための鎮守として置かれたのが今回の熊野神社。熊野神社ゆやじんじゃ増上寺の北東にあり、玉垣によって神域を分かちながらも、お寺の境内のうちにある。また当社は「熊野」と書いて“ゆや”と読む。なぜ“ゆや”なのかを調べても理由は出てこず、もともと二通りの読み方があったという程
実を言うと皇居、と呼ばれる場所に行ったことがなかった。周りを歩いたりはしているけれど。で、調べてみたら、天皇が住まれているいわゆる「皇居」の予約必須の観覧と、そのお隣にある予約不要の「皇居東御苑」に分かれていることに気がついた。両方行った後に書いてますが、・皇居=天皇家の方々のお住まいや、宮内庁のお仕事場見学・東御苑=江戸城の跡地を見るみたいな違いがありました。ということで、今回は皇居東御苑編です。昨日書いた皇居三の丸尚蔵館も東御苑の中にあります。東御苑には予約なしで入れます
正観さんによると…。●江戸城・久能山東照宮・日光東照宮を結び、「結界」をつくる以上挙げた4ヶ所のうち、寛永寺ー山王日吉神社ラインと、浅草寺ー増上寺ラインとはなぜか平行です。2本の線は約2㎞の幅をもって鬼門(北東)から裏鬼門(西南)につながっており、この幅2㎞の帯の中に江戸城がスッポリ入っています。そのように天海は4ヶ寺を配置したのでした。この2km幅の帯は、南北の線に対して30度の傾きがあり、天海が「何か」を隠してこのような寺社配置をしたことがうかがい知れます。そして
皆様、こんにちは。八代恵理子ですm(__)m瀬織津姫様の神社を巡って、『【瀬織津姫を訪ねて】瀧川神社』皆様、こんにちは。八代恵理子ですm(__)m新しい生活リズムが掴めてきてちょっとだけ心にゆとりができて来たので立春前に訪ねた神社の記録をしておきますね♪お正…ameblo.jp『【瀬織津姫を訪ねて】祓所神社』皆様、こんにちは。八代恵理子ですm(__)m1回分、飛んでしまいましたが(;´∀`)氣を取り直して、三島にある瀬織津姫様の神社を訪ねた話の続きです。瀧川神社か…ameblo.j
河竹黙阿弥作四千両小判梅葉四谷見附より牢内言渡しまで。野州無宿富蔵(菊五郎)は、主筋だが今は浪人の藤十郎(梅玉)に江戸城の御金蔵破りを持ちかけ、まんまと盗み出した四千両を藤十郎の住まいに運びこむ。生き別れの母に会いに金沢に行くとちゅう、富蔵は御用になり、伝馬町の牢に入れられる。牢内で二番役に取り立てられるが、浅草で磔刑が決まり、牢を後にする。実際に1855年に起きた江戸城の御金蔵破りの事件をもとにした世話物の名作だそうで、公演記録も今回含めて13回ありました。YOUTUBEに、昭和58
「全国の“三重櫓”を巡る」をテーマで、「復元・復興・模擬」の「三重櫓」の多様性(構造、形式、用途、目的、名称等)を実感しながら、北から南にかけてお届けしてきました。「現存」の「三重櫓」12基と「復元・復興・模擬」の「三重櫓」12基を一同に掲載しますので、どうぞご覧ください。「現存」の「三重櫓」弘前城丑寅櫓、辰巳櫓、未申櫓<全て重文>↓『<弘前城丑寅・辰巳・未申櫓>”現存三重櫓”を色々な方向から顔・姿を見る』昨日からスタートした第六弾「”現存三重櫓”を色々な方向から顔・
「お城紀行」の投稿で中断していた全国お城の「石・石垣シリーズ」は、本日から『「石」の使われ方』において「石樋(いしどい)」が見られるお城をご紹介します。北から順番にお届けしていきますが、あくまで私がお城の中で見つけたものですので、それ以外にも多数設えていると思います。「石樋(いしどい)」というのは、お城の中、特に石垣に雨水が溜まるのを防ぐための排水設備の一つで、「排水溝」とも言います。石垣から、少し石でベロを出したり、口を尖らせたりしていますが、これは排水が直接石垣に当たらないような仕掛け
一月も中旬だというのに昨年暮れの話つづきで恐縮なのですが、師走の一日、皇居(東京都千代田区)の一般参観に行きました。東京にいても、というか逆に東京の近くにいると、いつでも行けると思うからか今までちゃんと皇居の見学をしたことがなかったのですが、今回行こうと思い立ったわけはこうです。以前夫の虎の門病院の定期受診について行ったとき、ひょんなことから主治医の先生にわたしの大腸内視鏡検査と胃の内視鏡検査をすすめられたのですが、職場の簡単な健康診断しか受けたことのないわたしは、嫌だ~~怖い
リアルな城めぐりは意外と時間のかかるものです。大規模な城であれば、1時間や2時間じゃとてもじゃないけど足りません。そんな時、ナーバスな事態となってくるのが「トイレ問題」です。観光地化された平城であれば、各所に立派なトイレが設置されているので、心おきなく城めぐりに没頭できるのですが、ひっそりと山中に佇む廃城だと“いかに麓で出し切っておくか”にすべてがかかってきます。昨年のオフィシャルツアーで訪れた戸石城なんかは、登城口前に簡易トイレが普請されていたのでまだ心のゆとりがありましたが、それすらない所
昨日は、12月14日であった。12月14日といえば、赤穂浪士の吉良邸討ち入りがあった日である。赤穂浪士の墓がある東京の泉岳寺では、毎年12月14日となると、参拝客で混む。ところで、赤穂の浪士は主君のかたき討ちとばかり、吉良邸に討ち入ったのであるが、主君の浅野内匠頭がなぜ吉良に斬りかかったのか、いまだに不明である。一般的なのは、「怨恨説」であるわけだが。これには、「同性愛が原因だ」という珍説もある。浅野には、かわいがっている若者がいた。ある