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#4881台風が来た。東から西へ向かう台風なんて初めてだ。天才バカボンの”西から昇ったお日様が東へ沈む”くらいの驚きだね。今日も青春18きっぷ使って出かけたけど、都内で駅訪だったからレポート無し。石垣ネタも片づけておかないとだ。ちょっと間が開いたけど皇居東御苑へ行ってみたの続き。本丸と呼ばれている高台の部分へやってきた。石垣見に来た、とか言ってるけど本当に見たかったのはコレ。天守台。天守閣を建てるた
こんばんは🌙😃❗「えいじの日記」にお越しいただきまして、ありがとうございます。8月は故人を尊ぶ思いが、どうしても強くなる。広島と長崎への原子爆弾投下によって、敗戦に至るまで。戦争による甚大な被害に重なって、恋人の他界も…。※恋人の他界に関しては、7月3日に発売した初著書「なりふり構わず人生ポップコーン」に詳しく書いております。下記リンク先で紹介しておりますので、ご縁を感じた方は、読んでいただけると幸いです。心に波打つ悲劇を省みながら、ひとり仏壇の前で合掌をすると、次第にどこからともな
8/7.8は仕事で東京へ。なるべく皇居に近い宿を予約して、8/7は夜、8/8は早朝に走りました。仕事や旅行の際にその土地を走るのは大好きです。皇居走るのは10年以上ぶりです。8/7日の入り直前にスタート。29度くらいでかなり暑いですが、ランナーいっぱいです。江戸城のスタンプ押せてませんが、東京来る機会はそれなりにあるのでまたの機会に。あっという間に暗くなりました。桜田門ライトアップしてくれてました。苦しくないペースで。2周で終了。狭い走路でも、並んで走る方が多くて走り
⇧仏堂の十二支の飾り鎌倉英勝寺④太田道灌の屋敷跡鎌倉の英勝寺に行きました。徳川家康の側室のお勝の尼寺です。お勝は、江戸城を作った室町時代の武将の太田道灌の子孫です。この場所は、道灌の屋敷跡でした。道灌ですが、扇谷(おおぎやつ)上杉家の家宰でした。鎌倉の此処の地名も扇谷でした。対立する山内上杉家は、北鎌倉(山内)辺りが本部です!本当に近いです。因みに上杉家は、元々は足利氏との血縁関係
こんばんは。今日は、朝から陽ざしの痛い1日でした。しかし、昨年のような感じではなかったので、外に出てもさほどではなかったように思います。現在、2つの台風が発生して、1つがお盆明けに北日本に近ずく予報があります。もう1つは、今沖縄を通過し、大陸に上陸する模様です。最近の台風の進路が変わったと思っていたら、発生する場所もかなり変化していることもわかりました。以前に、産直の企画をした時に産地移動について考えたことがあります。気候がかなり変わったため、収穫する野菜、果物、漁場の気温
このブログは、私(鯛)の元に現れてくれた様々な偉人・神々との会話を記していくものです。現れた偉人たちは皆、口をそろえて現代の日本人に伝えたいことがあると言っています。神々には日本の行く末が見えてはいますが、あくまでも人間の意志を尊重していると言います。神々に救ってもらおうと考えるのではなく、人間が自分たちの手で社会をどう変えるかが大事なことのようです。信じる、信じないはあなた次第。一つの物語としてお楽しみください。勝海舟シリーズ前回のお話はこちらから『勝海舟⑩「日本の心を
月、火曜日はとても涼しくエアコン要らずで身体がとても楽でした。この涼しさを熊本へ送れたら~!!昨日の天気予報でも「曇りで30℃未満」との事。そこで思いきって日本100名城のスタンプを貰いに外出しました。当初の予定はこうでした。・朝7時30分のバスに乗る・大佐倉駅、佐倉駅を回る・本佐倉城、佐倉城の二つの城を1日で制覇するところがもたもたしてしまい、バスを逃します。次のバスにしようとバス停に着いてからなんとお財布を忘れた事に気がつき、猛ダッシュで家に戻ることに結局乗れたのは8時5
#4875今日も気温は30度届かずくらいだった。楽だね~、明け方なんか窓閉めたくらいだったよ。さて、7月12日のこと。皇居東御苑へ行ってみた。特に何が、ってわけでもなかったんだけど一度は行ってみたいなと思ってた。いわゆる江戸城の跡地だから。城マニアでは無いけど。最寄り駅は東京メトロ大手町駅。駅内は複雑につながってるんでこの出口へ来るまでに迷ったよ。ここから出るとこんな景色が見える。大手門交差点。大手町の地
夏休み!!Summervacation妹ちゃん、お兄ちゃんたっぷり遊んでおりますお勉強も隙間すきまでやってます!(あんまり進みは良くないですが)先日、お兄ちゃんと江戸東京博物館に行ってきましたドラマ・仁の世界!徳川家康の時代!…を感じながら、人々の生活をのぞいてきましたその次の日、江戸城のお堀も見てきました私:今は天皇陛下のお家だよ!兄:え、なんで?!?昔と今がつながってるんだな〜って不思議な気持ちになりましたThankyou.
2026年8月3日月曜日8月なのに曇り空で、気温が低めだったので、江戸城外堀の石垣をめぐってきました。まずは、赤坂から地下鉄「赤坂見附」駅から、東京ガーデンテラス紀尾井町(旧赤坂プリンスホテル)方面へ弁慶濠このあたりだけお堀のあとが残っていて、釣り堀になっています。立派な石垣が残っていて、石の刻印を見ることもできました。刻印を見るためには、双眼鏡がいると思います。こんな階段が整備されていて、散歩がてらみれます。
今も昔も、国のトップに中々庶民の声は届きません。それでも過去には、平民の声に耳を傾けようとした心ある為政者もいました。その最たる例といえば、目安箱ではないでしょうか?戦国時代に北条氏や武田氏でもこれを設置した史実はあるそうですが、最も有名なのは徳川幕府8代将軍・吉宗でしょう。彼が初めて江戸市中にこれを設置したのが、今から305年前の今日・1721(享保6)年8月2日だったそうな。※ただし当時は目安箱という名称はなく、単なる〝箱〟。目安箱という名称は明治政府
江戸城36見附、今回は大手門・大手三の御門・大手仲之御門・大手正門へ。図の中央下の中の御門から中雀門から本丸へ・・・本丸への御門(虎口は)他に、西桔橋門・蓮池御門・富士見櫓下埋門・上埋門・汐見坂門・上梅林門らがありますね、江戸城凄いですね。35番目の中之御門・・・本丸警護の重要な門幕府同心が警護・・・右側が当時からの同心番所・・・奥が大手三の門。大手六門の中で唯一桝形構造でなく・・・藤堂高虎縄張りの続多門長屋塀の中間を空けた櫓門。大手三の門方向からの中の御門。当時の中の御門。36番目
江戸城36見附今回は江戸城本丸、図の下側坂下門から三の丸へ。図下の坂下門、その横の内桜田門、大手門正面から大手三の門へ。32番目の坂下門・・・西の丸の坂の下から名前が付いたとか(西の丸の通用門・・現宮内庁)。元来は桝形構造の虎口で土橋で無く木橋とか。33番目の桔梗門・・・桔梗濠から見た、桜田二重櫓・桔梗門・富士見櫓・・・江戸城ですね・・・脇は三の丸。桔梗門(内桜田門)・・・6ー7万石の譜代大名が警備、西の丸下(現皇居前広場)の高官からの登城口、桝形構造で脇は武者落とし。34番目の大手
No.0027『気まぐれ美術室』今年、挑戦というほどではないんですが💦美術の勉強しようと思ってます。(๑˃̵ᴗ˂̵)وヨシ!まずは身近な葛飾北斎から始めたいです。『富嶽三十六景』『江戸日本橋』(No29)(えどにほんばし)ここは江戸日本橋(ᴖ·̫ᴖ)画中下部に擬宝珠とそこに行き交う人々の賑わいを描くことによって日本橋の存在を示し、大胆な透視画法で描かれた街並みの先には江戸城
江戸城36見附今回は図の下側2つと図の真ん中へ。下の図平川門と北桔橋門から上側桜田門下の正門・二重橋門へ。28番目の平川門・・・三の丸の正門、御三卿の登城口・・・別名御局御門(大奥女性の通用門)・・・不浄門とも。橋の外側も桝形。桝形内に二つの門が・・・石垣の最上段の狭間は藤堂高虎が考案。平川門は竹橋からの帯曲輪で濠が二分されていますね・・・江戸城内の下肥の処理はここ平川門から大手濠へ小舟で処理していたのです。29番目の北桔橋門・・・太田道灌時の江戸城大手門はこの辺りとか、冠木門と橋(
世界最古の会社をご存知ですか?578年創業「金剛組」です。当時、日本は飛鳥時代。聖徳太子(!)が四天王寺を建てるために百済から招いた宮大工・金剛重光によって創業されたのが金剛組です。2005年まで金剛一族で経営していたというから驚き。代々、四天王寺のお抱え大工として寺社建築を中心に手がけ、江戸城・大阪城の修復にも関わっています。しかし利益を度外視して品質にこだわる職人気質がたたって、2006年には経営破綻。現在は高松建設のグループ会社となって1400年以上続く技術を継承しています。
江戸城36見附、今回は西の丸下(図の左上皇居外苑)。図の左上の日比谷公園横から下に・・・。24番目の日比谷門・・・此処は橋は無く、日比谷公園側に高麗門日比谷交差点側に渡櫓門の桝形で日比谷濠への武者落とし・・・他の見附門と異なり江戸城本丸へ向いていますね。日比谷公園側から入る形ですね・・・心字池は当時の濠。25番目の・・・馬場先門、広島藩浅野家築、門の遺構は?。説明版が・・・この辺りは日比谷の入江で濠を描いて埋め立てをしたのですね。26番目の和田倉門・・・仙台藩伊達家築、入江からこの辺
江戸城36見附今回は北側の図の下側になりますが、江戸城北の丸の清水門・田安門・半蔵門・桜田門(外桜田)・・・江戸城の内堀。図の下側の清水門から田安門・・・右側の半蔵門から図上の桜田門(外桜田門)。20番目の清水門・・・広島藩浅野家築、正面は清水濠、右側が牛が淵・・・水位が異なりますね、桝形ですが、正面左側は武者落としで高麗門を破っても渡櫓、脇の石垣上からの攻撃態勢の仕組みですね・・・渡櫓内もまた桝形構造の防御体制の高い虎口ですね。。濠に架かる橋も高麗門前が鵜口(狭められている)で防御性
江戸城36見附今回は図の右側の旧平川(日本橋川)。平川の右側下が神田橋門・・・上流へ真ん中が17一ツ橋門・・・門の下側の内堀が徳川御三卿の一ツ橋家・・・その上流が18雉子橋門・・・その中間の左側内堀が19竹橋門とこの辺りは中堀・内堀が本丸近く複雑です。17番目の一ツ橋門・・・出羽・陸奥の大名家築、一ツ橋家からの前でなく小田原北条氏時から丸太橋が一つ架かっていた頃の名前とか・・・遺構として右側川沿いに石垣の一部が。石垣の一部を・・・。18番目の雉子橋・・・福井藩松平家築、橋元に由来の看板が
江戸城36見附今回は図の右側の銀座方面から東京日本橋方面。浅草橋から漸く渦巻きが1周・・・外堀が完成・・・濠は水のある濠・・・江戸城は空堀がなく濠ですね。13番目の鍛冶橋門・・・出羽・陸奥の大名築、外堀通大きな濠が・・・内堀側は馬場崎門へ通じますね、1万石余の外様大名が交代で警備。鍛冶橋見附の説明版が・・・遺構は?。14番目の呉服橋見附・・・出羽・陸奥の大名家築・・・門内南側に北町奉行所、2万石余の外様が警備呉服橋の交差点名ぐらいですかね・・・遺構は無いですね。15番目の常盤橋見附・
現在、皇居となっている江戸城。残念ながら天守閣などは残っていませんが・・・今日は、この名城を築いた太田道灌の命日・没後540周年にあたります。太田道灌像伊勢原市大慈寺・蔵彼が江戸城を造ったことをご存知の方でも、どんな人物だったのか?と問われると、意外と答えられない方が多いのではないのではないでしょうか。太田道灌(資長)は、室町時代の1431年、関東管領の一族・扇谷(おおぎがやつ)上杉家の有能な家宰(筆頭家老に相当)であった、源氏
江戸城36見附、今回は図の下側ですね。09虎ノ門・10幸橋門・11山下門・12数寄屋橋門・・・外堀と中堀で構成。09番目の虎ノ門見附・・・佐賀藩鍋島家築、東海道口の守備の外郭部・内郭は外桜田門、文部科学省の地下に石垣の一部が残り展示。溜池から虎ノ門・幸橋にかけてはすべて埋められて・・・遺構がわかりずらいですね。10番目の幸橋門・・・熊本藩細川家築・・・外濠の汐留川沿い・・・電車道ガード下にわずかに名前が残りますね・・・新橋は新しい橋ですから違いますね。11番目の山下橋門・・・高松藩生駒
7月上旬に所用が有り草津市役所に出かけました。合間に余裕ができたので旧東海道まで出てみました。旧東海道らしい町並みが残っています。こちらは太田酒造です。この酒蔵は江戸城を作ったという太田道灌の子孫が営む造り酒屋です街道から奥に延びる酒蔵のお屋敷です杉玉と道潅蔵と書かれた暖簾道潅の酒樽太田道灌の子孫がなぜ滋賀でと思いますよね。文末にGeminiにまとめてもらいましたの後でご覧下さい。千代八千代の酒樽こちらはお祝いの酒でしょう二階が太田道灌資料室
江戸城36見附・・・今回は図の左の市ヶ谷門から・・・。05市ヶ谷門・06四谷門・07喰違門・08赤坂門の見附。05番目の市ヶ谷門・・・津山藩森家築・・・町作りも天下普請各大名割り振りですね、濠の向こう側には尾張徳川の上屋敷がありますね。市ヶ谷門見附の石垣の一部が残っていますね・・・市ヶ谷・四谷この辺りは名前からも谷間だったのですね・・・外掘、中央線総武線等とその後も利用。06番目の四谷門・・・長州藩毛利家築、石垣の一部が残っていますね。四谷門は江戸城の搦手半蔵門から甲州街道を甲府への脱
江戸城の防衛線である内曲輪・外曲輪は敵に攻め込まれないよう見附と呼ばれる、濠に架かけた橋と一体的に設置された城門を置き、見張・番所を設けた・・・・俗に江戸城36見附。江戸城を取り巻く、外堀・中堀・内堀・・・天下普請により江戸城だけでなくそれらを取り巻く防御体制も行われたのです・・・右上神田川の下流・・・浅草橋門から反時計回りに江戸城本丸までの防御を見て回りますね。今は皇居・・・江戸城は内堀・外掘で守られていますね、外曲輪・・・外掘と内堀の間、内堀内・・北の丸・吹上・西の丸・西の丸下・三の丸・
異様に暑い。その中でも外回りの営業に出ている。大会社、大ブランドの商社などに行き、OEM供給の話をするのだ。一つでも決まればデカイ売上になるので、暑いからと出かけないわけにはいかないのである。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる方式だから、まれに熱のある話が長時間に及ぶこともあるが、たいていは期待したよりも短時間で話が終わる。そういう時は、週末と同じく、街歩きを楽しんでいる。いや、ブラついてるんじゃないよ。営業で歩かなきゃいけない時に、暑い暑いとダレるんじゃなく、歩きながら楽しみを見付けるようにしてるのだ
ほぼ始発の「のぞみ🚅」に乗り新大阪を出発名古屋から満員になった富士山は🗻残念ながら着いた先は「江戸城🏯」知ってはいたが都会のまん真ん中にこの広大なスペース。天皇陛下御一家はさぞかし資産価値高いやろうなこれ日差しを遮るモノが何もなく暑いわ「二重橋」駅で降りたはずやのに出口は「日比谷」🧐広い、とにかく広い。さすが江戸城楠木正成はん、こんな有名なんか暑さに心が折れそうになるもなんとか観光する。外人しかおらんおぉ!テレビでよく見る二重橋!石垣も見事!桜田門にも寄ってみた桜
畠中恵集英社2026年4月発行久しぶりの畠中さん。前回はしゃばけシリーズのこちらでした。『325_あやかしたち』畠中恵新潮社2025年9月発行しゃばけシリーズの最新刊です。ようやく読めました。シリーズの前回はこちら『269_なぞとき(しゃばけシリーズ)』畠中恵新潮社…ameblo.jp今回は「猫君」の続編です。と言っても・・本当に久しぶり。1冊目は2020年でしたから・・そんなことで読書ブログも書いてませんでしたよ。思い出すためにはこちらお江戸ファンタジ
中山道と聞くと、多くの方は参勤交代や宿場町を思い浮かべるかもしれません。しかし、中山道が江戸幕府にとって重要だった理由は、それだけではありません。実は、中山道は江戸城建設を支えた重要な道でもあったのです。江戸時代の初め、徳川家康は江戸を政治の中心とするため、江戸城の大規模な整備を進めました。その建設には、膨大な量の良質な木材が必要でした。そこで重要な役割を果たしたのが、現在の長野県南部から岐阜県東濃地方にかけて広がる木曽の森です。この地域には、ヒノキ・サワラ・アスナロ・コウヤマキ・ネ