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大阪はかつては大坂だった。土に反る(かえる)のは縁起が悪いという、愚かな理由によって大阪に名称を変えた。城は大坂城と呼ぶべきなのに、大阪城と呼んでいる。現在の大坂城はレプリカだから、大阪城で良いという見解もあると思うが、江戸城を東京城と呼ぶようなものだ。
読者のみなさま、おこんばんわm(__)m本日もご訪問ありがとうございます。たった一度で一生開運神仏融合アチューメント3,800名以上の実績逢うだけで運気爆上げ代表競泳選手専任ヒーラー神仏融合師坂田暢悠(skipper)ですこれまでのラジオ放送はプロフイール欄最下部より昔の盛り上がりは今はコチラリアルタイム更新facebookお友達申請待ってまーすおばんでやんす。今日は昨日とうってかわって、さぶいですね。天気予報は「真冬日」と言っており
「千鳥ヶ淵緑道」のある千鳥ヶ淵は江戸開府当時、水を確保するためのダムとして機能していました。(^_^)/麹町から流れる小川をせき止めることで水源を確保し、江戸城創成期には本丸と西の丸の間を通って日比谷入江(現在の日比谷公園あたり)に流れ込んでいたと言われています。ちなみに、千鳥ヶ淵の名の由来は冬に都鳥などが多く集まる点からきているという話や......(^^)V字型の濠が千鳥に似ている点からきているという話など諸説あるようですよ。区営の「千鳥ヶ淵ボート場」があり、お濠の水面から桜を仰ぐこ
1月のとある土曜日の日暮れ頃、皇居東御苑内の三の丸尚蔵館を訪れました。金曜と土曜は夜間開館しています。夜間は大手門で日時指定チケット画面を確認されました。現在「瑞祥のかたち」展が開催中一般1000円めでたいことの訪れを告げる「瑞祥ずいしょう」の造形美を楽しむ展覧会です。お正月っぽくていいですね。ほとんどの作品が撮影できました。気に入った作品を紹介します。鳳置物2代海野美盛銀色絵鳳凰紐香炉後で補われた蒔絵台も美しかったぁ日出処日本横山大観
原作宮尾登美子『天璋院篤姫』脚本田渕久美子楽曲吉俣良レビュー一覧1~10回11~20回21~25回26~30回31~35回36~40回41~45回キャスト一覧『大河ドラマ「篤姫」キャスト一覧NHK2008年』大河ドラマ「篤姫」キャスト一覧ドラマ「篤姫」のための参考今和泉島津家於一(おかつ)→篤姫→天璋院宮﨑あおい家定の御台所島津忠剛(しまづただたけ)…ameblo.jp感想この再放送
人類を救う100万人の法華経入門『妙法蓮華経妙音菩薩品第二十四』について5「文殊師利、仏に白して言さく、」文殊師利、仏に白して言さく、「世尊、是の菩薩は、何なる善本(ぜんぽん)を種え、何なる功徳を修(しゅ)して、能く是の大神通力有る。」世尊、是の菩薩は、何なる善本(ぜんぽん)を種え、何なる功徳を修(しゅ)して、能く是の大神通力が有る。「何なる三昧を行ずる。」何なる三昧を行ずる。「願わくは我等が為に、是の三昧の名字を説きたまえ。」願わくは我等が為に、是の三昧の名字
昨日のIRセミナーに行くタイミングで今年は行こうと思っていた皇居(今年の目標1つ達成)都内にこんなに心鎮まる場所があるのですね✨澄み渡る青空と穏やかな氣の流れを受け取り追手門で手荷物検査🔍を受けたのち中へ。江戸城があったこの場所。奥に江戸城跡の石垣が見えます。昨年訪れた名古屋城もそうでしたが石垣が凄い!国内の城めぐりをいつかしてみたいのですが石垣めぐりも良いかも椿も満開で見頃でした散策される外国人も多く観光スポットに。ゆったりした時間が流れまさに都
前回の続きです。その①はこちら『初めての皇居東御苑①大手門から二の丸庭園へ』今年の初詣先を探しているときに、そういえばここも行ったことないな?と思ったのが皇居東御苑。江戸城の天守閣跡などがある有名な場所ですが、一度も行ってない……。こ…ameblo.jp一度平川門を出て、もう一度東御苑へ入りなおしました。大手門は正門でしたが、こちらは女中などが出入りしていた通用門だったそうです。江戸時代にここを見てみたかったですが、平民ではここへ来ることも叶わなかったのでしょうね。またまた雰囲気の
江戸時代後期、徳川家治と家斉の二人の将軍に仕え、大奥総取締で筆頭老女として大きな権勢を振るったのが高岳である。高岳の生涯を、詳しく見ていこう。高岳は、生没年は不詳だが、10代徳川家治と11代家斉の二人の将軍に仕え、大奥の筆頭老女として権勢をふるった。大奥は、江戸城本丸のうち北部の大半を占め、時代によって多少の違いはあったが、建坪およそ約二万平方メートルにおよぶ広大、華麗な殿舎が甍を並べていた。しかもこれが御殿向・御広敷向および長局向の三つに分かれていた。江戸城の表と中奥は、いわゆる
NHKドラマ10「大奥」。疫病により男性が激減し、女性が労働や将軍職を担う逆転世界を描く、江戸時代を舞台にしたSF時代劇。当初、KKは後半(シーズン2)から視聴。風雲急を告げる幕末が舞台。登場した、雪で染まる江戸城内CG。シーズン1の第二回で登場した同一CG。立派な五層の天守閣があ~るじゃありませんか。同じく第二回で登場した天守閣が見えるCG。橋と天守の位置関係&角度から推定すると、北西の西詰橋となるが…。「青天を衝け」二ノ丸御殿が放火されたシーン。
今年の初詣先を探しているときに、そういえばここも行ったことないな?と思ったのが皇居東御苑。江戸城の天守閣跡などがある有名な場所ですが、一度も行ってない……。ここは東京タワー同様、東京に住んでてもなかなか行かないスポットのひとつだと思います(⌒-⌒;)大手町駅で降りて皇居方面へ歩いていると、駅伝の碑がありました。自分も見ていましたが、今年も青学は強かったですね。往路中盤まで中央の独走だったのに、やはり駅伝は全員で走る競技ですね。その先には、将門の首塚がありました。学生時代に何度か
JR赤羽駅より徒歩8分、岩槻街道から赤羽台地へ登る中坂の上から北西に下る坂(赤羽西1-24-4地先)。高低差9.58m・平均斜度6度もあるにもかかわらず距離が80mと短いため、かなり急で、わずかに“く”の字状に曲がる。坂上には「勾配20%」の道路標識がある。坂を登りきった北側あたりに「三日月茶屋」というお店ができ、坂名はこれに由来する。また、近くには「道灌湯」という銭湯があったことから(2006年に廃業)、「道灌坂」とも呼ばれていた。ここから北東に位置する静勝寺境内(赤羽西1-
職場近くの御穂鹿嶋神社に新年のご挨拶御穂鹿嶋の二柱の神様が合祀満開の椿の中神恩感謝と国家安康働くための、健康、資金、勇気が与えられるよう祈願しました。子連れの狛犬末社は、天満社、稲荷社、住吉社東京神社庁ホームページの情報↓御祭神藤原藤房卿(ふじわらふじふさきょう)武甕槌命御由緒後村上天皇の頃当地に気高き老翁あり。俗人に交じりささやかな庵を結び村人を教え導いたという。翁の没後その高徳をしたい庵の跡に宮所を設け尉殿の宮と崇めた。例祭日6月10日所在地〒10
日本製鉄がUSスチールを買収することに対して、バイデン大統領が禁止しました。国防上の理由だそうですが、これは建前で、アジア人に買収されるのが嫌なんだそうです。ヨーロッパの企業なら、禁止しなかった可能性が高いらしいです。未だに人種差別するんですね。(人類は単一種で、人種はないらしいですが。)バイデン氏、もうすぐ任期が終わりますが、歴史上、ほぼ最低ランクの大統領だったみたいです。(トランプ氏はもっと低いそうですが。)そういえば、同級生が日本製鉄の副社長をやっていました。もう引退したか
おはようございます🌞先日、桜田門を通る機会がありました。桜田門外の変は皆さんご存知だと思います。1860年3月3日。当時の大老職(最高権力者)に就き、政治を取り仕切っていた井伊直弼さんが、江戸城の桜田門の目の前で、水戸藩を中心とした浪士達に暗殺をされた事件。事件の政治的な背景をすごく簡単に説明すると、、、黒船に乗ってやってきたアメリカが鎖国していた幕府に開国を迫り、開国を嫌がる天皇陛下の意思を尊重する尊王攘夷派と、(そんのうじょうい、天皇を尊び
昨夜、NHKの大河の新番組、べらぼう、を観て、江戸の火事は多かったと思いました。だから、江戸城も火事で消失されています。そして、吉原と言う遊郭の食糧事情が悪かった事など、衛生事情も悪かった事など感じました。亡くなった女性も多かったでしょう。親に口減らしとして売られて来た女性たちでした。そして、田沼意次について説明したいです。当時の老中でした。彼は、1719年に江戸で田沼意行の子供として生まれました。1788年に亡くなっております。没年70歳。幼名は龍助です。父はもともと紀州藩の足軽でした
大河ドラマ「べらぼう」が始まります。江戸の蔦屋重三郎を扱った大河としては武士でもなく、町人であります。今でいうとメディアの中心的存在になった男を描いています。江戸文化の後ろ盾に老中の田沼意次がいます。ドラマでは渡辺謙さんが演じるところから、好意的に扱われるのでしょう。田沼意次はそれまでの価値基準だった「米」から「資金」に変えた人物で、そもそも身分が低かったことから古い価値基準の幕閣などから嫌われ評判を落とされてしまいます。しかし最近は是正が進んでいるころから失地回復になるのでしょ
小6の社会の授業で15代将軍徳川慶喜が江戸城を開け渡したあたりを習ったとき。あるクラスメイトが慶喜が最後まで戦わなかったことについて疑問というか諦めなかったら良かったのに、みたいなことを言った。当時の教科書にどう書いてあったかあまり覚えていないが、出来事の裏事情や詳細はそこまで書かれていなかったのではないかと思う。私も、それまでの歴史では最後まで抵抗する、とかが多いイメージがあったのでなんだかあっけない印象を持っていた。すると、担任が静かに優しい口調で言った。「…そう?僕
江戸城36見附(6)【Ⅲ】外曲輪諸門26.浅草橋御門(旗本5千石から1万石の通用門)古写真・浅草橋御門同同・絵地図同・現地図現・浅草橋御門跡同同27.筋違橋御門(旗本3千石から1万石の通用門)古写真・筋違橋御門(旗本3千石から一万石の通用門)同同戦前の筋違橋御門同・絵地図案内図現・地図現・筋違橋御門跡万世橋から筋違橋御門跡方面近くの昌
1年はスタートダッシュが肝心。販売業やサービス業の方は今日から仕事ですね。仕事始めにオススメの神社をご紹介します。鹿島神宮武神で有名な武甕槌命の神社ですが境内にある鹿島の森は強いお力を頂けます。独立、開業に向いている神社ですが強い精神力を頂けるので営業職にも向いています。どうせなら東国三社めぐりをした方がいいでしょう。日枝神社(赤坂)江戸
松の内3日目、みなさんあけましておめでとうございます。本年も「シロスキーのお城紀行」をどうぞよろしくお願いいたします。昨年末のブログでも触れましたが、現在首を痛めていて、新たなお城めぐりができない状況ですので「お城紀行」の発信が当分の間できないと思います。しかし、現在投稿中の『全国「城門」を巡る』シリーズは継続していきますので、どうぞ引続きご覧いただければ幸いです。只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」について
神田錦町散策【4】神田橋神田橋門跡千代田区神田橋公園2024.12.30(月)撮影①神田橋こちらが、神田橋となります。神田橋の下を日本橋川が流れています。日本橋川は、神田川と同じく隅田川に合流します。そのうち、日本橋川沿いに散策して、隅田川との合流地点を見聞してみたいと考えております。神田橋の上を首都高速が通っております。一応頭上に注意ですね。こちらは、大手町側に渡ったところです。画像にはほんの少しだけ写っていますが、首都高速神田橋入口内回りの案内標識があります
神田錦町散策【2】護持院ヶ原跡「ごじいんがはら跡」石碑千代田区錦三会児童遊園「錦三会子供遊び場」2024.12.30(月)撮影護持院Wikipediaウェブサイトより"護持院ヶ原は森鷗外の歴史小説「護持院原の敵討」の舞台としても知られる。弘化3年(1846)にあった仇討ち事件を描いている。""享保2年に焼失した護持院の跡地は火除け地となり、護持院ヶ原と呼ばれた。江戸城の北、平川門と竹橋の対岸にあったことから、おそらく江戸城に対する防火機能をもたせたと考えられている。
松の内2日目ですが、みなさん、あけましておめでとうございます。本年も「シロスキーのお城紀行」をどうぞよろしくお願いいたします。昨年末のブログでも触れましたが、現在首を痛めていて、新たなお城めぐりができない状況ですので「お城紀行」の発信が当分の間できないと思います。しかし、現在投稿中の『全国「城門」を巡る』シリーズは継続していきますので、どうぞ引続きご覧いただければ幸いです。さて、2025年の元旦、本年一発目は、お正月に相応しく城郭NO.1の「江戸城」の「城門」(『全国「城
今日は皇居の新年一般参賀へ昨年は能登半島地震でそれどころじゃなくなりましたから…今年は天災が起こらなくて良かったです友達と待ち合わせは10時に東京駅朝は陽が当たらないようです宮内庁のHPによると10:10、11:00、11:50、…、…午後の回は少し時間が開くので、午前の回に行ことにしました荷物検査、ボディーチェックを経て集合場所でしばしの待機ここで初回の回は始まっているので、想定通りに2回目に参加出来れば良いなーと30分程待って、移動となりました江戸城の普段は通る事が出来な
田沼意次は、元足軽だった家の出身ながら、優れた政治能力で幕政の中心に上り、蔦屋重三郎らに江戸文化の華を開かせた。しかし華美な文化の影で賄賂が横行し、その政治手法が批判され、意次は失脚する。田沼意次の生涯を詳しく、見ていこう。田沼意次は1719年享保4年、紀州藩士から旗本になった田沼意行の長男として生まれた。父の意行は紀州藩の足軽だったが、部屋住み時代の徳川吉宗の側近に登用される。そして、吉宗が第8代将軍となると、出世して幕臣となり小身旗本となった。意次も吉宗の長男・家重の小姓となって
もう昨年ですね💦12月30日に打ち合わせに行ったついでに丸の内方面へ。大手町駅を出ると人通りはまばらですね。わかりづらいですが、奥に江戸城大手門が見えます。今回は江戸城方面ではなく丸の内方面へ。イルミがありますね。丸の内仲通りはイルミも点灯していますね。街はクリスマスが終わって、すっかりお正月な感じです。丸の内イルミネーション方面に歩いて行きます。ひさしぶりにカメラを持って行きました。混んでなさそうで
みなさん、あけましておめでとうございます。本年も「シロスキーのお城紀行」をどうぞよろしくお願いいたします。昨年末のブログでも触れましたが、現在首を痛めていて、新たなお城めぐりができない状況ですので「お城紀行」の発信が当分の間できないと思います。しかし、現在投稿中の『全国「城門」を巡る』シリーズは継続していきますので、どうぞ引続きご覧いただければ幸いです。さて、2025年の元旦、本年一発目は、お正月に相応しく城郭NO.1の「江戸城」の「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ
皇居、と言うか江戸城跡に行ってきた後半です!何とか年内に駆け込み投稿です!皇居イラストマップイラストマップ-宮内庁www.kunaicho.go.jp『皇居東御苑(江戸城)へ行ってきた・前半』皇居、と言うか江戸城跡に行ってきました!念願の江戸城!行ってよかったです!皇居イラストマップイラストマップ-宮内庁www.kunaicho.go.jp行っ…ameblo.jp『皇居東御苑(江戸城)へ行ってきた・中盤』皇居、と言うか江戸城跡に行ってきた中盤です前後編のつもりで書いてましたが、
年末の休みに入って2日間忙しさで放置されてた物達を片付けだいぶ部屋がスッキリ特に推し活系が散乱(笑)してたので見やすくなるだけでもかなり気持、上がりますよね珍しく、昨日に続き連続更新ですが、大晦日となり、あとは音楽番組を見るのみ私としては、神田川紀行をしたばかりなので紅白の「神田川」を楽しみにしています『神田川紀行②仁と幕末散歩』神田川紀行②は水道橋駅から出発です途中ちょっと横道(歴史散歩)にそれますがまた神田川に戻りますので長いですがお茶の水まで🚟よろしくお願いします窓に