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第四夜noteアップしました。第四夜(完結)|鬼門と裏鬼門は、なぜ曖昧なのか――城郭風水が示す「循環」の思想|星の猫安倍晴明の時代から、陰陽師と風水によって護られてきた平安京。その思想は、江戸時代まで形を変えながら受け継がれてきました。明治期に陰陽師という制度は廃止され、その実態の多くは歴史の闇に消えましたが、「風水」という知恵そのものは、今もなお私たちの足元に息づいています。平安京の都市設計、伊達政宗による六芒星結界、江戸城を中心とした鬼門・裏…note.com
日本橋遊覧船で巡ります江戸城石垣よく見ると、各藩が切り出した石のマークが確認できます目線が異なると見え方も違うでございます!船頭さんのお話しも面白いです。ここかしこに時代が感じられ、タイムスリップできそうな👍👍👍お忘れ物は無いように、貴重品だけは置いて行ってもらっても構いません🤣🤣🤣🤣なんでやねん😄😁
*まぁちゃん*のブログへようこそ✨ご訪問ありがとうございます日本人だから一生のうちで1度行きたかったたもの一昨年は友達と行く予定にしていたのに能登の地震で中止になり行けなくて新年一般参賀今回は1人で行くつもりが次女も一緒に行ってみる、と言い朝揃って出かけましたこちらより出発9時半頃から並び始めたかな30分程並んでから進み、、、手荷物検査もして、、、1時間以上並んで、、、いよいよ皇居正門より進み長和殿のある参賀会場へ、、、3回目のお出ましに入れるのか
九段下の日本武道館に来ております。今日はここで星組トップスター礼真琴のコンサート「ANTHEM」の千秋楽を観劇します。しかし席がもう天井に近いような後方の席で、寒いのなんの・・・。14時に開演し16時には終演。『星組公演ANTHEM-アンセム-』2025年1月18日~21日日本武道館・星組公演●礼真琴日本武道館コンサート「ANTHEM-アンセム-」構成・演出/竹田悠一郎星組トップスター礼真琴が日…ameblo.jp田安門を抜けたところのお堀。日本武道館は江戸
とりあえずは元旦ですが、久々に仕事をしない日になりました💦まあ、我が家はおせちを食べるわけでもなく、餅も食べない通常運転ですので(笑)初詣だけは行ってきました!ですのでここからは通常運転に💦乾通り一般公開の続きです。江戸城西の丸方面からの本丸を見ます。明治初頭まであった、数奇屋二重櫓跡と富士見宝蔵局輪になります。こちらは本丸塁上唯一残る、御休息所前多聞(富士見多聞)です。案内板もありますね。一般公開されているので、あちら側からは前回みました。せめ
皇居乾通り一般公開の続きです。紅葉が綺麗でしたので江戸城富士見櫓と。江戸城の西の丸から吹上付近になります。紅葉狩りもしっかりとです。東京のど真ん中でお手軽な紅葉でした。山下通りです。皇居新宮殿の裏側?に通じる道のようです。「イロハモミジ」こちらは案内がありました。続きます。
おすすめで出てきた動画をたまたま見ました。動画内の江戸の鬼門、裏鬼門の図を見ていたら、ふと、長野の上田城に当てはまりそうな気がして、地図で実際見たところなかなか興味深い内容でした。なお以下はあくまで私の感覚で見立てた内容です。北東鬼門の右頂点部分の拡大が以下です。真田山長谷寺(ちょうこくじ)は真田の菩提寺で幸隆、昌幸公が眠ります。真田の人々と歴史/長谷寺|【公式サイト】さなだんごの旅真田一族と関わりの深い土地「上州(群馬)」と「信州(長野)」。この二つのエリ
皆さんこんばんは🌙大学生ブロガーたむコンガです🪘🪘🪘♧♢♡♤♧♢♡♤♧♢♡♤♧♢♡♤♧♢♡♤♧今日は一日中、PrimeVideoで「どうする家康」を観ていました。この写真は、夏に訪れた「江戸城跡」お城🏯は無くなってしまいましたが、重みが感じられました。平和な世の中づくりに貢献した、徳川家康公に感謝ですね。(最近はC国など、野蛮な国が増えているので、悲惨な戦争を起こさないために、政府が進める防衛力強化を心から支持します)話が少しそれましたが、私は歴史が超好きです💗時代に翻弄され
2025年12月26日今回は新しく手に入れた一眼レフの試し撮りを兼ねて江戸城に行きました。江戸城のライトアップは見たことがなかったので、このチャンスに訪城です。たまたまこの日は寒波が来ており、体感温度が-4°と東京でもかなり寒い日でした。しかし、大手町駅から大手門に向かうと夜の闇に照らされた大手門が現れます。とても寒い中でも城を見ると寒さも軽減されます。ライトアップされた大手門を見て一気にテンションが上がりました。大手門は江戸城の正門となり、参勤交代で江戸に滞在していた大名たちはこ
この間、ちょっと空いた時間に行ってきた。ここは何回か通ったことがある。さらにその先へ。ここは通れないので、こっちを回って、こっちから立派な天守台。江戸に生まれて育ちながら初めて来ました。本丸御殿があったところも広い。なるほど、ここがね。最後はここ。逆に回ったわけだね。皆様、メリークリスマス。良いお年を。
ほぼ、居ないだろうなぁ~(*'▽')天皇陛下がいらっしゃる、、、「皇居」としか、外国人には見えていないだろう、、、現在の令和天皇は、「126代目」の天皇だそうだ、、、(*'▽')ちなみに、日本の天皇家と比して存在感がある「英国王室」は、、、現在、「チャールズ3世」は、40代目だそうだ。。。うむ、西洋人を中心とした外国人観光客には、この皇居の威厳と、126代目の天皇陛下と言う存在感は、すごい!と感じるのは、大いに分かる。ただ、、、、まぁ、、、この石垣作りのどでかい建物が、「皇居
必殺剣劇人早縄の青次演-田中建生業は町火消で、殺しの装束も得物も火消し風。殺しの得物は火消しのトレードマークである鳶口と鈎縄。身が軽く「早縄」の二つ名のとおり、縄で敵を転倒させたり手繰り寄せたりして鳶口で昏倒させる。真の悪には先端に付いた鉄鈎を打ち込む、縄で釣る、屋根から落とすなどして始末する。決め台詞は「ぁ、おととい来やがれ!」。本作は新鮮味満載の活動時代劇で、3人の父親たちが江戸の町狭しと大立ち回りを見せ、許せぬ悪を成敗する。色も鮮
先週江戸城散歩しました平川橋を渡り擬宝珠(ぎぼし)江戸城関係最古の金石文と呼ばれているそうですこっちの門から入ったら空いていたので手荷物チェックも並ばずにできました平川門(高麗門)平川門は江戸城三の丸の正門大奥に通じていたことから別名「お局門(おつぼねもん)」平川門(渡櫓門)↓門の上部の小さな窓は狭間(さま)と呼ばれ、敵を鉄砲や槍などで攻撃する際に使用皇居東御苑この広い広場が大奥跡地大奥からの天守閣今は天守台のみ天守台から見える大奥跡地そのさらに先にあるの
皇居の周りを走っている「内堀通り」今回は、靖国通りの「九段下」から回り始めたのだが、基本的に、この内堀通りは、都道区間の方が、圧倒的に長い。東京都道401号麹町竹平線(平川門交差点-九段下交差点)東京都道302号新宿両国線(九段下交差点-九段坂上交差点)東京都道401号麹町竹平線(九段坂上交差点-半蔵門交差点)国道20号(半蔵門交差点-桜田門交差点)国道1号(桜田門交差点-祝田橋交差点)東京都道301号白山祝田田町線(祝田橋交差点-平川門交差点)(wiki
2025年/年末撮影の続きになりますが、クリスマスが近いのでこちらを先に💦江戸城を見て和田倉門跡に。こちらもライトアップされています。明治に入って渡櫓など撤去されたようですが、こちらの規模もかなり大きいですねってそちらは後ほど。この季節の黄色は夜景にも映えます!行幸通りを東京駅を目指します。東京駅周辺は賑わっていそうですね。売店も出て結構な賑わいです。続きます。
大河ドラマべらぼうが終わってしまったので、今日はNHKBSの夕方6時からも放送がありません。ちょっとしょんぼりしていますが今夜のNHKBSは大富豪同心スペシャル後編が夕方の6時45分から放送されます。大規模同士を演じるのは、べらぼうで鬼平を演じた中村隼人さんです。大富豪同心は放送された当時から大ファンです。とても面白いです楽しみです。https://share.google/HMCVCVCHHR9ZNu2Vs後編|大富豪同心スペシャル【NHK】
今度の29,30日に、大阪、奈良、京都と、昔の「皇居」に行ってみようと思っているのだが、、、昔の「皇居」を地図で見ている限りでは、、、なんと、「堀」が無い。京都御所なんかも、そうなのだが、「塀」しかないようだ。現在の「東京・皇居」のように深い「お濠」がある御所ってのは、現在の皇居以外には、無かった、、、(*'▽')そして、堀と共に、、、東京皇居は、、、どでかい石垣で作られている。ふと、思うに、「武士」と言う「軍隊の最高機関」であった「幕府」と言う「護衛拠点」であったこを、皇居回
再来週の、29、30日に、4つの都に行かねばならんので、、、まず、予行演習として、1つの都と、2つの国府に行ってきた~考えれば考えるほど、この国府が、新しいことに気付かされてしまった。29、30日と、「4つの都」を歩いて来ようと思っているので、、、まずは、我が国の「二つの国府」と、、、、あの「一つの京」に行ってきてしまった。まぁ、写真を見て頂ければ、お判りであろう。本日は、「東京宮」である「元・江戸城」と、かつての「武蔵国府府中」を行く。29、30日に、「飛鳥宮」「平城宮」「難
先日の皇居(江戸城)一般公開エリア散策一間以上ある巨大な石を、かつて人力でここまで聳え立つように隙間なく積み上げた、先人の技術力は凄いですね城壁のそそり立つ角度も見事ですかつての堀や城壁で囲まれた城🏯での攻城戦、凄い世界ですわかつて、1番高い江戸城が高層ビル群🏙️に囲まれる世の中がくるとは、昔の人は想像もできなかったでしょうね送料無料【皇居外苑・抹茶20本入り】皇居外苑皇薫十重二重抹茶手土産お歳暮お供え東京土産お土産プレゼントギフト東京銘菓お菓子東京駅
江戸城へ行こうぜ!と、昔よく行ってた懐かしの竹橋の平川門から入ろうとしたら、1分差で「本日終了」って事で入れなかった。あートイレ寄らなきゃ入れたな。チクショー!ちゃんちゃちゃんちゃちゃ…という事で、翌日も東銀座へ行く予定があったから、今度は大手門から間に合うように入りました。江戸城に想いを馳せながら、松の廊下へむかいます。爆烈忠臣蔵に夢中な今こそ行くべきところでしょう。坂を登って広場の奥にある松の大廊下跡。夕方で寒いんだけど、爆烈忠臣蔵のおかげで、ココロ熱くこの場を楽しみました。ベンチ
2025年の紅葉と黄葉回顧編です観賞日は11月29日。この日もあさイチにて活動開始既に一般公開の期間は終了してしまいましたが、今年の「乾門」への通り抜け(皇居乾通り一般公開)は、このような形で開催されていました👇皇居乾通り一般公開について-宮内庁皇居乾通り一般公開について掲載しています。www.kunaicho.go.jpで、chuが赴きましたのはなんと公開初日てか、都心の紅葉と黄葉鑑賞の最初の訪問先として、東京駅丸の内口の駅前から皇居に向かって続いている、「行幸通り」のイチョウ並木の
令和7年秋季皇居乾通り一般公開の続きです。荷物検査が済み💦坂下門より入ります。照明器具が明治な感じですね。人の流れに沿って歩きます。やっぱり見たいのが富士見櫓ですね。この角度からは普段見れません。新宮殿です。江戸城旧西の丸にあたります。ちょっと広場になっている場所に。宮内庁庁舎です。相変わらず富士見櫓を💦ここからは紅葉も含めて続きます。
ー※日本の名所内容含み明治からかな?と思いきや呼称としては『幕末から』、、あるのだとか。。--二重のสองเท่า/S̄xongthèāa※G先生作+補正พยัญชนะเสียงควบกล้ำ/phayanchanásǐaŋkhûapklâmパヤンチャナシアンクアップグラム二重子音※ご
🔥江戸が“燃えた二日間”――1657年明暦の大火(振袖火事)―日本史最大級の市街地火災、その真相と都市大改造の物語―1657年、わずか二日間で江戸の6割を灰に変えた“史上最悪の火事”。三代将軍家光の死、慶安の変を乗り越えたばかりの江戸に、再び巨大な危機が襲いかかります。🕒第1章二日間で江戸を破壊した「三つの火」■明暦3年1月18日(1657年3月2日):最初の火出火場所:本郷丸山・本妙寺ここからすべてが始まります。乾燥した強風が吹き荒れ、江戸は火事が“暴れ回る
江戸城富士見櫓江戸城跡江戸城跡は、東京都千代田区にある城跡です。江戸幕府の中心地かつ徳川将軍家の居城であった場所で、現在は皇居として知られています。圧倒的な規模と歴史の深さで訪れる人々を魅了し、年間を通して多くの観光客で賑わいます。壮大な石垣や堀、門は見どころの一つで、江戸城跡からは日本の武家政権の歴史を感じることができます。平安時代末期、江戸氏が居館を構えていたと見られ、そこに長禄元年(1457)、扇谷上杉氏の執事太田道潅によって築城された。道潅を暗
♪わせだ~わせだ~♪まだ、分からん、、、、(*'▽')あの「大隈重信」が、こんな、早稲田などと言う、江戸五街道も走らん辺鄙な地に。。。。もともと、この早稲田通りとは、江戸城築城時の「石」を運ぶための「早稲田通り」それも、主幹線道は、「目白通り」の中で、、、、あの「オオクマ」は、、、、この「亜道」の「早稲田通り」に、大学を築いた。まぁ、メイン通りである「中山道」では、本郷に「東京大学」が出来、その、サブ街道「川越街道」のさらに下の、、、、、、「早稲田」にしか、、、、
本日はビンテ-ジ花園です!「殿中でござる!」とは、江戸城内(殿中)で刀を抜くことは固く禁じられていたため、刀を抜いた(抜こうとした)人物に対して、周囲が「いけない、いけない、ここは城内だ!」と制止する際の有名なセリフです特に『忠臣蔵』で浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が吉良上野介(きらこうずけのすけ)に斬りかかった際に使われた言葉です。これは、「殿中での刃傷(にんじょう)は理由の如何を問わず切腹」という厳罰が待っていたことを意味し、その重大さを知らせる緊急の警告でした殿
創建年は詳細不明とされていますが江戸城築城以前から鎮座していた古社1465年に太田道灌が江戸城の城壁の鎮守として溜池に遷座した記録が残っている。鎌倉時代の刀工・栗田口久国作の刀が奉納された→「久国」の名の由来<主祭神>ウカノミタマ鳥居横に狛犬1対1943年(昭和18年)生まれ口が大きく鼻の穴もかなり強調耳も尖っている表情に愛嬌がある向かって右向かって左毛並みの表現が独特こちらの狛犬は左右ともなかなか個性的で愛嬌があります
12月14日は赤穂浪士討ち入りの日です時代劇でも人気の忠臣蔵新選組近藤勇もリスペクトしていた赤穂浪士の歴史であり物語時は元禄15年12月14日江戸時代中期の元禄14年3月14日江戸城殿中松之大廊下で赤穂藩藩主浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかるこの事件で浅野内匠頭は切腹となった斬られた側の吉良はお咎めなしとなったその結果を許さないのが浅野家家臣達赤穂藩国家老・大石良雄内蔵助をはじめとする赤穂浪士47名が元禄15年12月14日未明に吉良邸への討ち入りをし
おはようございます。気温は11,2℃、天気は曇りです。本日はかの有名な赤穂浪士討ち入りの日。元禄15年12月14日に起こった事件です。この事件を含めて一連のことを「赤穂騒動」と申すそうな。ことの発端は、元禄14年3月14日に、江戸城の松の廊下で、赤穂藩主浅野内匠頭が、高家筆頭の吉良上野介に切りつけたことから始まります。理由は私怨とのことですが、殿中での抜刀はご法度。浅野内匠頭は、将軍徳川綱吉の判断で、その日のうちに即刻切腹となりました。ここで浅野内匠頭の辞世