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葬儀会場の入口左手には参列者を出迎えるように黒のフレームに入った母の『遺影』が置かれ会場では祭壇の大きなモニターに笑顔の母が写し出されていました。この母の『遺影』、打ち合わせの時にデータを渡した際には、「このまま修正なしで使用させて頂きますねお洋服も明るいお色がお似合いですし背景もうっすら木々の緑がぼかしてあって何よりお母様が自然な笑顔ですね」「なかなかこんないいお写真を持って来られる方はいらっしゃらないです。」と言っ
『母のこと』こんにちは。今日も見て頂きありがとうございます☺️いいねやコメントも本当に嬉しいです✨去年の夏、母が突然亡くなりました。毎日連絡とってたわけでもなく、たまに話…ameblo.jp昨日も見て頂きありがとうございます。続きです。母は結局一度も目を覚ますことなく旅立ちました。もう助からないとわかって亡くなるまでの日々は本当に辛く、なんで最初に聞いたときにすぐに会いに行かなかったんだろう、もう少し連絡取ってればとずっと後悔していました。突然の別れがあるとは頭ではわかっていましたが
四十九日法要のお坊さんの手配を依頼した翌日、葬儀の時にお経をよんで頂いたお坊さんから電話がかかってきました。(お坊さん)「四十九日法要の確認のお電話をさせて頂きました。当日私が先に予定が入っておりまして同じ寺から別の者がお参りさせて頂きます」(私)「よろしくお願いします。場所はおわかりになりますか?」(お坊さん)「はい、ご自宅ですよね。何かご不明な点やご心配なことはございますか?」(私)「”過去帳”をまだ書
こんにちは🤗いつもいいねや、メッセージありがとうございます🙇今日は雨で雨だと気分もあがりませんね☔題名の件です🌳今日は久しぶりにヨガにいってきたいと思います❗元々体がものすごく硬くて将来寝たきりになりたくない!という思いからヨガをオンライン始めていたんですが母の死や離婚でやる精神的な余裕がなくなりさらに精神的なストレスで激ヤセしてしまったからか体が不調になってしまって💦💦短期間で七キロ痩せてしまいました特に上半身の痩せ方がすごくてあばら骨がクッキリ見えます💦ご飯も沢山
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。私がやめたことのひとつに人の機嫌を取ることがあります。嫌われたくなくてね。知らず知らずのうちに人の機嫌を取ってばかりいたんです。相手に合わせて愛想よく笑ったりしてね。でもそうやって相手に合わせているのに理不尽な態度を取られたりするわけですよ。今なら嫌われないようにするからこそそんな態度を取られるんだとわかるんですけどね。嫌われないようにするって前提が私は嫌われる人になっているってこと。なので
1.619:38母は息を引き取った。その後、連絡した父たちがS病院に到着したのは、20:50ごろでした。父たちが母と面会をして最期のお別れをする。母に「頑張ったな」と声を掛けてあげている。そんな風景をぼんやりと私は見てました。母が亡くなったことが夢物語のように感じられて。やがたM先生が来て21:05死亡確認されました。M先生によると母は多発性骨髄腫による全身アミロイドーシスが原因で亡くなった。重症だったのは腸管アミロイドーシスからの麻痺性イレウ
医師の最後の診察が終わった後、母の部屋に残った私たち三人(私、旦那、息子)葬儀社への連絡は旦那に任せて私は親族への連絡をすることにしました。父が亡くなってから10年間富山の実家で一人暮らしをしていた母2019年3月に「もう1人暮らしを続けるのは難しいです」とケアマネから連絡があり私の住む関西に呼び寄せました。その時の様子はこちら↓『ケアマネさんからの長い電話』昨日の母に人生最悪と言われた日からのつづきです。ケアマネさんはゆっくり私を気
母が亡くなって、半年たちました。あっという間でした。毎朝、お仏壇にむかって、「お父さん、お母さん、そちらはどうですか?私は1人で頑張ってるよ。だから、いつも傍にいてね。豊くんも、時々来てくれてるから安心してね。あのね、私にしかわからない合図を送ってくれる?傍にいるってわかるように。」そう、話しかけています。でも、なかなか合図を送ってくれない(笑)私は、母から自立してたつもりだったけど、実は、一卵性親子だったのかなぁ。。。と、最
母が去った施設の玄関先で旦那とケンカしてしまった私泣きながら一人自転車で飛び出しましたが結局家以外に帰る場所はありませんでした。あっという間に夕方近くになり、ご飯を作る時間時間がくればどんなに悲しくてもお腹がすく「生きている」ってそういうことです。旦那と言えば、さっきあったことはすっかり忘れてるかのように(旦那)「ねぇ、ごはんどうする?疲れてるやろうから何か買ってこようか?」といつもと変わらぬ感じ(^-^;
というわけで、母が死んでから今日でまるっと1年がたったわけで、叔母には「ーーさんの1周忌がすぐですね、天気が良い日に伺います」と言われたけれども、きてどうするのかというと、まだ骨壷が置いてあるだけで、2mくらい続く腰くらいの高さの本棚の棚板の上の端にコツンと置いてあるわけで、なんとなく骨壷感が酷かったので、クリスマスに100均で買った、シルバーと緑で、ところどこに赤い飾りがついて、いかにもクリスマスなツリーにかけるワサワサしたライン飾りを上にばさっとかけたままのやつがあるだけで、そこの隣に
母の法名も決まり急いでお泊りの準備と棺(ひつぎ)に入れるものを用意して母の元へ戻らなくてはなりません。※棺に何を入れたか、、の話はまた後日に母の葬儀のスケジュールは次のように決まりました。<葬儀前日>8:00葬儀打ち合わせ17:00付き添い宿泊の説明を聞く○葬儀会館泊まり<葬儀当日>11:00喪主(私)打合せ12:00親族集合(兄、旦那、息子)12:15告別式13:15出棺14:
父と母が障害のある兄のために残してくれた兄がこれから生きていくためのお金それは、今後の生活費であったりいずれ誰もが必要となる医療や介護の費用ともなりうるお金でした。兄は自分名義の銀行口座をいくつか持っていましたが今までのものと一緒にしてしまうと「知らん間になくなってたー」となっても困るので新たな口座を作ることにしました。(兄は使うより貯めることが趣味のような人なので誰かに騙されたりしない限りはたぶん大丈夫なんですけどねー)
ユーロス・リン監督によるウェールズのミステリ映画。出演はケイトリン・スチュワート、ディファンド・ワイフォー、シャロンハフ・モーガン。<あらすじ>ナンとアナの双子の姉妹は、母であるエレナ・ウディグのことを調べているエベン医師を殺すために図書館へとやってきた。エベン医師は、エレナの伝記を書こうとしており、彼女の日記を調べていた。そしてある1ページを破りポケットに入れた。そこに双子がやってきた。計画通り実行していくナンとアナ。しかし、段取りが悪く、エベン医師の殺害は失敗。薬を盛られて死にかけ
母の四十九日法要に選んだ日は亡くなった日から四十九日が過ぎる前の前倒しの日曜日でした。私は四時起きで部屋を掃除し、ごはんを焚きます。本当は毎朝ごはんをお供えしたいけど、朝は毎日パン食の我が家。しかも小学生の登校前はバタバタで、お線香をあげるのも忘れそうになるほどです。葬儀の後、お持ち帰り用として渡された後飾りセット↓説明書をみながらリビングの北側に組み立ててみました。こんな感じ(^-^;一番奥の段は、元々部屋にあっ
お母さんが喜びそうなことは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう今年はなぜかセンチな気分が強い私。--------------------------------------------------2015年6月。母は二度と私の目の前に戻らない存在になってしまった。脳出血で急死。当日私は母の家へ遊びに行く予定だった。その日は今日みたいに大粒の雨が急に降りだして、傘を取りに家まで戻ったあの日。私が母宅を開けたとき・・・母は玄関近くで倒れた状態
2023年、年末、母が亡くなりました。この日なんと父が亡くなった日と同じ日。夫婦で同じ日ってなんかすごいなって思いました。私は地方に住んでいます。クリスマス前にちょっと用事があり普段だったら行かないのですが東京に行きました。その時、母と会いクリスマスケーキを食べさせてあげて一緒に過ごしました。認知症でわかっているのかわかっていないのか?私の名前〇〇ちゃんって呼んでもらえなかったな…最後呼んで欲しかったなでも最後に会えてよかったな。と思います。子供たちが帰省してくる
母が亡くなった日は八月の第二週葬儀・告別式が終わって一息ついた時はちょうどお盆休み中の土日でした。結果として旦那は一日も会社を休まず息子も一日も学校・塾を休まずそして様々な手続きをするにも市役所はちょうどお休みで私たちは何の予定もない夏休みをとっていました。「母は誰にも迷惑かけないようこの日を自ら選んで旅立っていったのかな」そんなことを考えながらお花の水を替え、お線香をあげます。ふと「祖母が亡くなったとき、
母が亡くなってから、あっという間に二か月半が経過しました。やっと、一通りの届け出や手続きが終わった感じです。(まだ手続き中のものもあります)これからは、親が亡くなった後に次々訪れる葬儀・法要・届け出・相続などの手続きについて書いていきたいと思います。あくまでも私が行った順番ですが、・こうしたらスムーズに進んだ・もっとこうすればよかった・その時私がどう思ったか、、も含めて引き続き綴っていきたいと思います。親の死後
ピッコマで漫画配信中!「ぎふてっど」で検索オンラインサロンへのご参加もお待ちしています♪オンラインサロン/コミュニティ運営ならYOOR「ユア」YOORは、オンラインサロン専用トークルームを完備した、コミュニティやファンクラブ、オンラインレッスンの場として利用できるプラットフォームです。yoor.jp母と2晩ほど一緒に過ごし、火葬の日。いよいよお棺の顔の部分の蓋が閉じられるという瞬間。母の死後の顔は散々見たのに、これで見納めかと思うとなんだか妙に悲しくな
母の呼吸が止まった後も私は母の手を握り、顔を見つめていました。「母は、私を待っていてくれた」「私の手の中で旅立っていった」そう思うと涙だけがただあふれてきて声を出すこともできず時計の時刻を確認することもできませんでした。しばらくしてふと顔をあげると少し離れた場所で静かに泣いてくれているサ責さんと目が合いました。私がうなずくと、隣にいた看護師さんが近くまできて母の「脈」を確認します。「医師に連絡してきます」そう
平成が終わった年の1月31日に、母を看取りました。小腸癌で、発見時はすでにステージ4。主治医からは緩和ケアしかないと言われながらも、癌の統合医療を専門にしている弟のおかげで、さまざまな治療ができました。最期は、母が結婚する前に長年勤めていた病院に入院させていただき、親友の看護師さんと、父がつきっきりで看病してくれました。私も片道500キロの距離を車を走らせ、お見舞いに行ってました。ある日、病室の母が、「雪が☃️みたい」と言いました。起き上がる力はもう無かったので、ベッドを起こすと「
やっぱり、母に会いたくなる気持ちが定期的にやってきます。でも、思い出したらダメな気がして。なるべく母への思いは封印するようにして過ごしています。母がいなくなった現実にいる自分と向き合うのさえ辛いです。何もなかったかのようなふりをしながら生きていますが、時々、「私、こんな世界で何のために生きてるのかなー。」なんて思ったりしています。でも、前にも書きましたが、ただ、生きていくしかなくて。生きているというより生かされてますよね、本当に。生きてる意味がいまだにわからなくなり自分の気持ち
こんばんは。天国からの笑顔と癒しをあなたへ。母ロスカウンセラーかのんです。今この本を読んでいます。死別後シンドロームー大切な人を亡くしたあとの心と体の病いーAmazon(アマゾン)1,887〜5,499円Amazon(アマゾン)で詳細を見る楽天市場で詳細を見る【遷延性悲嘆症=死別後シンドローム】大切な人を亡くしたあと亡くなった人への悲しみ想い焦がれる気持ち自分を責め続ける思いなどが心を占拠しその人のことが常に心にあっていつになってもラクにならない
こんばんは。あなたのココロに灯りを。母ロスヒーラーかのんです。愛する人を失うと現実が見えなくなる。こんなことも出来なかった。あんなことも出来なかった。本当はもっとこうしたかったのに。本当はもっとああしたかったのに。あのときこうしていたら。あのときああしていたら。私がいけないんだ。私がダメなんだ。そんな想いがとめどなく溢れてくる。出口の見えない迷路のように次から次へと溢れてくる。でもね。それって本当?愛する人にしてあげたかったのに出来なかっ
ピッコマで漫画配信中!「ぎふてっど」で検索オンラインサロンへのご参加もお待ちしています♪オンラインサロン/コミュニティ運営ならYOOR「ユア」YOORは、オンラインサロン専用トークルームを完備した、コミュニティやファンクラブ、オンラインレッスンの場として利用できるプラットフォームです。yoor.jp母の葬儀は宗教葬でした。新興宗教の仲間が葬儀を取り仕切るので、宗教名簿から外れたと断言している私は何もすることがありません葬儀の準備の時、義兄が私の会っ
施設の部屋で母を看取った後、身体をきれいに拭いてもらいお気に入りの洋服に着替えさせ母に化粧をしました。こちらからのつづきです↓『母旅立ちの直後~着替えと化粧~』母の呼吸が止まった後も私は母の手を握り、顔を見つめていました。「母は、私を待っていてくれた」「私の手の中で旅立っていった」そう思うと涙だけがただあふ…ameblo.jp看護師さんから「医師の到着までに一時間程かかるそうです」と聞いていましたが、訪問医は40分程でやっ
来週、母の命日を迎えます。正直なところこの1年間とても長かったです。やらなければならない事や気持ちの整理に追われて怒涛の日々を送りました。もう一度この1年をやれと言われたら、やり遂げる自信はありません。1年かかりましたが、母の物語もエピローグまでたどり着くことが出来ました。読み進めてくれた方々、応援してくれた方々、本当にありがとうございました。文章に綴ることによって、思い出したくない過去、向き合わなくては行けない過去、苦しい時もありました。そして、先週は鬱々の日々を過ごしておりました
”クァク・ヘスク”の死から何年か経ってのミジョンとク氏との再会でした。なぜ、ソウルに住んでいるのか?どんな生活だったのかは映像として描かれてなくそれぞれのセリフの中から読み取る演出でした。16話も今すぐに観たいのですが結末を知ってからだとまた感じ方が変わりそうで観ないで15話を書いています。2人は歩きながらの会話を聞くと、似た者同士ですね。「やっぱり俺たちは草木が似合う」ク氏「落ち着くの。木や風や石は私たちを不快にさせないから」ミジョンク氏は言う「1対多数の
母の部屋で眠れぬ夜を過ごす間少しづつ荷物を片付けている自分がいました。「今使わないものはまとめておこう」そう思って片付け始めると施設の部屋の中にあるものはもう使わないものばかりでした。母は退院してからずっとパジャマしか着ていなかったので洋服も全て「使わないもの」でしたが、夏服にはまだ手をつけず冬服はすべて畳んで、大きな紙袋につめていきました。私は洋服を一枚ずつ畳みながら母の最期に着る服を選んでいました。母が好きだった
母の葬儀・火葬が終わった後もう一つ兄をグループホームまで送り届ける仕事が残っていました。自宅で息子を一旦下ろし、秒で着替えた後、母の遺骨や他の荷物は車に積んだまま旦那と一緒に兄貴を部屋まで送り届けます。私の軽自動車も葬儀会場の駐車場に停めっぱなしだったので帰りは旦那と二台に別れ自宅へ戻ることになりました。私が水色の軽自動車の助手席に母の遺骨・遺影・白木の位牌を乗せると旦那がシートベルトをかけてくれました。母をこの車に乗せて外出するとき