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恋する紅茶のakicoです。ブログを見に来てくださってありがとうございます。先週、母が逝去いたしました。家族葬で静かに見送りました。煩雑な公的手続きをひとつずつこなすとひとつずつ母についていた番号が消されていきます。母とこの世をつなぐものが消えていきます。わたしの手によって。明日、実家の電話番号がなくなります。さっきその番号にかけてみた。10回くらい鳴らして切りました。声をあげて泣きました。は
私には姉が居て末っ子だったせいか小さいころから母の後ばかりついて周りいわゆる《マザコン》でした母が大好きでしたがよくケンカや言い合いもしました小さいころから我がままだったので母にはとても迷惑も心労もかけたと思います何度も大喧嘩をして何度も出てけ!!!と言われました笑それでも気が付くと仲直り?していて一緒に出掛けたりよくしてました姉と3人で推しのライブに行ったり旅行をしたりと3姉妹のように過ごしてました○フォロー大歓迎◯
昨日は心配事が「大丈夫」に変わった日でした。母に関する必要な手続きについての問い合わせを色々したのですがどの担当者さんもとても親切で丁寧で私ができることが分かり、安心することができました。母は遠方(母の故郷)で入院しているのですが『昨日「やらない」と決めたこと』にほんブログ村昨日の記事に「終わりが見えない時」について書きましたが『終わりが見えない時』にほんブログ村「終わりがあるから、頑張れるんだ…ameblo.j
ある日のランチガスト赤身ビーフステーキランチ3月4日(水曜日)母の葬儀の日。葬儀会場の集合が13時だったので、少し早めに着いて、12時前に近くのガストで昼飯でも食うかと席に着いたんだよ。注文して、ふぅっと一息ついたその時だ。通路を挟んだ隣の席から——「あ、兄ちゃん」って声がするじゃねぇか。見ると弟が普通に飯食ってる。なんだよこの偶然、って思わず笑っちまったよ。で、あいつはあいつで律儀なもんでさ。昼時に4人席を1人で占領してるのが悪いと思ったらしく、
気づけばあっという間に月日が経ち最後にブログを書いてから1ヶ月も空いてしまいました頑張って続きを書こうとは思うのですがなかなか筆が進まないというかキーボードが叩けないというのも、これから先の話は母が死に向かっていく内容なので正直思い出すのがとても辛くて当時の私の選択は間違っていたのではあの時、ああしていれば母はまだ生きていたかもそんな気持ちと、在宅
母は30代の頃に膠原病になりました膠原病といっても色々と種類があるらしく母は『全身性エリテマトーデス』という病名でしたその後、入院や手術などをし毎日たくさんの薬を飲んでましたが寛解状態で月に1度、近くの病院に通ってました寛解状態だったからか、たまに体調が悪いくらいでよく食べよく寝る母でした○フォロー大歓迎◯お買い物旅行趣味
母の特養から電話があった。母も96歳まで生きたのだから…。何があっても起こってもおかしくはないのだ。特養の指定医の先生と特養の職員さんと話をする。説明を聞いて書類にサインした。延命治療は望まないのだ。最悪救急車も視野に入れている。相変わらず水分を摂らないようです。元々水が嫌い。お茶もほうじ茶や玄米茶は好きではありません。感染症になりうるらしいです。1度なったそうです。とにかく生んでくれたことやそだててくれたことには感謝しています。帰りに久しぶりにFacebookのお友達