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昨日は心配事が「大丈夫」に変わった日でした。母に関する必要な手続きについての問い合わせを色々したのですがどの担当者さんもとても親切で丁寧で私ができることが分かり、安心することができました。母は遠方(母の故郷)で入院しているのですが『昨日「やらない」と決めたこと』にほんブログ村昨日の記事に「終わりが見えない時」について書きましたが『終わりが見えない時』にほんブログ村「終わりがあるから、頑張れるんだ…ameblo.j
母が亡くなっていた浴室。そこを、ずっとどうするか悩んでいました。普通のハウスクリーニングなら、もっと安く済む。でも今回は「特殊清掃」が必要でした。わたしも内科勤めのときは死後処置をしていたので亡くなった後の掃除は、大変とわかっとります。わかっているはずでしたが⋯遺体の発見まで時間が経っている場合、・体液などが床や浴槽に染み込む・強い臭いが残る・細菌などによる衛生面の問題がある・害虫が発生することがある・床や壁、排水口などに汚染が入り込むことがある
とりあえず、朝イチのバス🚌でまほろば荘へ帰宅した。しかしね、腰が痛い(ノ∀`)家の布団が良くないのかな❔️むかしTwitter民をやってた頃、フォロワーさん(女性)で、認知症のお姑さんを引き取って同居する…ということを始めた人がいた。多分、その女性は今の私くらいの年齢だったと思う。認知機能の低下した母親と、知的障害のある妹、それに加えて自分自身はノーミソぐるぐる🌀😵💫病→コレって三重苦よね┐(´д`)┌頼る人はいないのだ。在家出家したら、なにか変わるかなぁ❔️とか帰りのバス🚌の中
ちょっと、思いだしたことがひとつ。もう何十年も前のことですが、姉が結婚する前、自分のティーカップの茶渋をとるために、中に漂白剤を入れておいてあったのですが、姉が席を外した後に母が来て、あろうことかそのティーカップの水を飲んでしまったのです。「お母さん、漂白剤飲んじゃったよ!」お母さんが苦しそうにしていて「どうすればいい?」と言うのですが、漂白剤など飲んだこともない僕は、どう答えたらいいのかもわからず。母は結局、外へ飛び出して、呑みこんだものを吐いたのです。それで九死に一生を得たのですが
母の特養から電話があった。母も96歳まで生きたのだから…。何があっても起こってもおかしくはないのだ。特養の指定医の先生と特養の職員さんと話をする。説明を聞いて書類にサインした。延命治療は望まないのだ。最悪救急車も視野に入れている。相変わらず水分を摂らないようです。元々水が嫌い。お茶もほうじ茶や玄米茶は好きではありません。感染症になりうるらしいです。1度なったそうです。とにかく生んでくれたことやそだててくれたことには感謝しています。帰りに久しぶりにFacebookのお友達
砂がこぼれて行くそのさらさらのの感じそれだけなのか角度を少し変えて思いをわずかにでも加えたいと自分の手首を横に切る時泣きじゃくりながらすえう子もいる薬を欲しがる苦痛が又走って頭の中に母のことや友への思いが自分の悩みと重なって巡りそして巡り出来ない何も声を掛けることすらかえって彼女たちの心を傷めてしまうことも思いをどこかにそうして書き続ける砂はむしろ増えている彼女たちの砂時計はおそらく終わらないと
両親が仲良くなってきた私の子供の頃の悩みは両親の仲が悪い事でした。父は母と喧嘩をすると母が話しかけても無視するという行動をしばしばとっていました。長い時で3か月位母のことを無視していたこともありました。その時の父は母が食事を作っても一切手を付けずに自分の部屋で買ってきたものを食べていました。家庭の中の空気はどんよりとしていて今でも思い出すと嫌な気持ちになります。母はたびたび私に愚痴をこぼしていてとても辛そうで心が痛
ご機嫌いかがですかOpenSesameです🗝️今日は月イチ通院日。歩いてすぐの診療所に向かうとエレベーター前で一組の母娘さんと一緒になりました。「お母さん、右足上げて」「お腹に力入れて歩いて」絶え間なく声掛けする娘さんと一言も発しないお母さん。院内に着いてからもお母さんの一挙手一投足を声掛けしながら誘導する娘さん。「ちょっと車に荷物置いてくるから!」そう言って足早に去る娘さんに「ハイ」初めてお母さんの声を聞いた。うちの母より耳も良いし自分の足で歩けるなんて元気だ
義父が、勝手にNさんの部屋から薬を持ち出して飲んでいる。けれど、Nさんは、薬がなくなったことにさえ気づいていない。それでも、私は義父にもNさんにも何も言わない。なぜなら、義父が頭痛薬だと思って飲んでいる薬は、実際には整腸剤だから。この整腸剤は作用の弱いもので、義父が毎日飲んでいるわけでもない。私の方で毎週、薬の使用状況を確認しているが、多くても1週間に2回ほど。まったく飲まない週もある。一日に何度も飲むわけではなく、使用頻度は少ない。こうした状況については、医師にも伝えている。
今日は午後勤務だったんだけど午前中、母のことモヤモヤ考えてたら過敏性腸症候群で、酷くお腹を壊してからの行くなり同僚からミス指摘され落ち込みはしなかったです気を付けなければならないと思いましたからの3時前後に超忙しく仕事してたらしっかり疲れました😩でもシルバーさんと楽しく会話し私にとっての問題は休日の過ごし方です暇で何もしないと考えてもどうもできないことをクルクル考えてしまい挙句の果てに過敏性腸症候群になるのでもっと体を動かした方がいいな。と、思いましたそれ
第9話初めて触れた温もりと、消えない心の距離『ごめん。少しだけ時間がほしい。』直人から届いたその一文を、美咲は何度も読み返していました。つい数日前まで、二人は笑い合っていたはずでした。海辺で気持ちを伝え合い、初めて手を握った時の温もりも、まだ忘れていません。それなのに、どうして。美咲の胸には、答えのない疑問ばかりが広がっていました。時間がほしいとは、どういう意味なのだろう。もう会いたくないということなのか。それとも、本当に一人で考えたいだけなのか。聞きた
こんばんは。今日は家でずっとゴロゴロしています。とは言え洗濯や昼ごはんの支度やら家事はあるけれどとてもイイ天気で久々にお布団をじっくり干した雨のときに布団乾燥はしたけれどおひさまに干すと匂いがいいよね。金曜日に銀行の来店予約をして銀行へ行きました『ねぇ?バカなの?バカなの私ふたたび〜AIに騙された金曜日〜』おはようございます。私のひとりごとにイイネありがとうこざいました。(前記事)ひとりごとなのに、すみませんm(__)m先週、飲んでいたエクオールを飲み終えたの…ameblo.j
昨日の10月10日土曜日ダンナさまと母の面会に行ってきました⁕⁕⁕⁕⁕⁕⁕⁕⁕⁕2024年3月から今の病院に入院母は寝たきりで少しずつ認知症も進み重度の心不全も抱えています2026年8月末に体調を崩し今は個室にいます⁕⁕⁕⁕⁕⁕⁕⁕⁕⁕病室に入ると母は目を閉じていました寝顔がいつもと微妙に違って険しいような感じが…いつものように声をかけてもずっと目を閉じたまま…つらいのかな?しんどいのかな?…
こんばんは。ROSEです。随分と久しぶりの投稿になってしまいました。皆様いかがお過ごしでしょうか?最近の私は、ヒーリングについて学んでいます。学びながら自分自身もヒーリングを受けているのですが、先日、とても心に残る体験がありました。「ヒーリングって、こんなにも人の心を軽くしてくれるんだ」そんなことを改めて感じたので、今日は少し書いてみたいと思います。ヒーリングを受ける前に、「今、悲しいと感じていることはありますか?」と聞かれました。スピ
こんばんは。ちょっと母のことでバタついております。介護の現場は葬儀の現場と似ているところもあり100人いれば100人の介護の仕方があると思います。この人にはこういう言い方でも別の人にはそれは合わないなどなど。同じ現場はない、葬儀、納棺の現場と同じかなと。ただ、その中でも似た事案でこうしたら結果的に相手に寄り添う形となったということもあり引き出しをどのぐらい持っているかどれぐらいの経験があるかというのも大事なことになると思います。家族の中でも意見が合わない
81歳、現役で働く母。すごい人だけど、母親としては…私の母、81歳。今も現役で働いている。海外生活も長く、英語の先生としてバリバリ仕事をこなし、活躍してきた人。とにかく自分が大好き!自分に自信があって、自分の人生を堂々と生きている。ある意味、すごい人だと思う。81歳になっても働き続けるなんて、なかなかできることじゃない。でもね……。そんな母にも、もうひとつの顔がある。それは、母親としての顔。子どもの頃、私はネグレクトといえるような環境で育った。外では立派に活躍していても、
大切な人を突然亡くし悲しみに暮れる歌です曲に希望があります母のことを想って歌いました
昨日の夕方母の入っている施設から連絡あり何だか手続きがあるから来て欲しいと2年前に、母は膵臓に腫瘍があってもしかしたら癌かもしれないとただ、年齢も年齢なので内視鏡とか負担がかかるし手術になったらどうするかとか聞かれた一旦持ち帰って、手術はしないということになったその説明があったのが2年前今の母の状態は、面会に行くと顔色も良く、食事も全部平らげ話も普通にできているすっかり、2年前のことも忘れていたくらい経過観察は続いているらしけどね今回は、看護師さんと話をしてもし
本日2回目のブログ更新です今朝のブログ『今日からほぼ日常かな…』昨日は家の中でリハビリ兼ねて掃除と洗濯をササっと済ませ夕方にはダンナさまの運転で近所のスーパーに行ってきましたまだふわふわ感があるため車に乗るとふ…ameblo.jp10月9日金曜日ダンナさまと母の面会に行ってきました⁕⁕⁕⁕⁕⁕⁕⁕⁕⁕2024年3月から今の病院に入院母は寝たきりで少しずつ認知症も進み重度の心不全も抱えています2026年8
先日、生まれて初めて母とサシ飲みしました。みんなで食事とかはたまにあるんやけど、私は母が苦手なので2人きりは避けてきてたんです。けど、次男坊の事がおちつき自分の生活も何不自由なく過ごせてる今、なんかすごく親のことが気になってきたんですね。最近知人がお母様と一緒におられるところに遭遇した事があってその時なんと手をつないで仲良く歩いて居られて…その光景を見た時…私ははたして母と手をつないで歩けるやろかってふと考えたんです。連絡も会うのも年に数回…盆も正月
久しぶりのブログ更新です実は体調を崩していました金曜日の夕方病院へ吐き気とふらつきもあり日曜日に一度だけ嘔吐その後は水分補給のためイヤイヤながら水分を少しずつとるのみで固形物は食べれず…一昨日やっと一日がかりでうどん1玉食べれるようになりましたそして、昨日は塩おむすび、お味噌汁、うどんなどを食べ寝てばかりではなく座って過ごせるようにもなりましたそして、今日は床上げをしてみましたまだ完璧ではないので家
あれ、何なんでしょうね〜母のことなんですけど、認知能力が衰えてきたとは言え、私が「絶対あなたには触られたくない!」とか「これはしてくれるな!」と注意することをわざわざ触ったりしてあるのは何ででしょう?私は、今が盛りとばかりに咲く薔薇の鉢には触れるなと言ってあるのに、何故か移動しているのです。結構な重さなんですよ間を空けて庭に配置してあるのが、何故か窮屈に移動していて、葉っぱが傷つくからやめて欲しいと言ったのにこんな理由をつけるんです。「鉢の間を通って歩くのに邪魔だから」はあ?こう言
こんにちはUMIでカウンセラーを目指して心の勉強中のけいこです今日はふと/お母さんにしてほしかったことって何だろうな\ということを、思いつくままにここに書いてみますまず最初に思い浮かんだのはお母さんが笑顔で「おいで」って言ってくれてぎゅーって苦しいほど抱きしめてほしかったでしたそれから学校から帰った私をおかえりって迎えてくれておやつを食べる私のことを何も言わないで見守っててほしかったでした想像していたら自然と涙が出てきてあぁお母さんのことが大好
昨日の朝救急車を呼んだと妹から連絡が📲数日前から母の調子が悪い事は聞いていて(発熱や倦怠感)発熱も37℃台と本人は言っていたらしいけど熱が出ると直ぐにロキソニンを服用💊腎臓の数値が良くないからロキソニンはあまり飲まないように言っていたのに聞く耳を持たない勿論、勝手に飲まないように取り上げてみたりもしたけど渡すまでずーっとずーっと言ってくるらしいそして今回も症状を聞くと「大した事無いから❗️」と、キレ気味で言っていたらしい毎回同じ事を繰り返し結局最後は動けなくなり
前回の記事ご満悦子さんのスペシャルシューズあゆみが入荷したと連絡が入り受け取りに❣️1足ずつ私と妹でプレゼントすることにしたのでお渡しの際にプレゼント🎁だよっと伝えたら幸せだぁ〜幸せ❤️幸せを連呼して最高の笑顔だったのに急に泣き出して幸せだとなんで涙がでちゃうんだろう😭って。良かった良かった。泣き顔はモザイク処理してあります笑
夜中にアジカン聴いてたら急に母のことを思い出した。ガンで余命宣告されてから、京急線に乗って横浜まで何度も何度も病院へ通った頃。あの頃もたぶん、イヤホンでアジカン聴いてた。電車の揺れとか、窓の景色とか、駅のホームとか、何年経っても、音楽ひとつ一瞬で戻るんだな。今、流れてきたのは「ブラックアウト」。なんとも言えない気持ちになってちょっとだけ昔の自分と母に会いに行ってきたような夜。そんな午前2時過ぎ。お腹空いてきた。どうしよう。
父の施設での生活も少しずつ落ち着いてきていました。母の抗がん剤治療も半分まできました。残り3ヶ月。まだまだ先は長いけれど、少しずつ、みんなの生活も落ち着いてきたように感じていました。父の部屋へ行くと、部屋に1枚の写真が飾ってありました。看護師さんに車椅子を押してもらい、外へ出た時の写真。以前から父が言っていた「車椅子でいいから散歩に行きたい」という願い。どうやら、介護士さんが外へ連れ出してくれたようでした。写真の中の父は、外の空気を感じながら、穏やかな表情をしていました。「
母のことで気になる方がありまして。妹旦那のお父さんの快気祝いをするという話を聞きました。私はそれって行っても妹までだと思ってまして。むしろ、私が妹の立場なら「家族水入らずで楽しんできてね」と送り出します。相手の家族とは必要最低限でいた方がお互いのためだと思うので。しかし!なぜか、母も参加することになってて。さらに、私も行くように言われました。本当に「は?」です。いつの間にか快気祝い+母の誕生日というおかしな会になってました。もともと妹の旦那の弟は来るつもりだったのにキャンセル
こんにちは。先日、車を運転していたら、葬儀屋さんの前で赤信号になりました。何気なく横を見ると、「生前相談」という看板が。それを見た瞬間、11年前に亡くなった母のことを思い出しました。母も生前、自分の葬儀について相談をしていて、そのときは、わたしも一緒に行っています。実際に母を見送ったとき、「あのとき相談しておいて、本当によかった」と思いました。大切な人が亡くなったあとって、悲しんでいるだけではいられないんですよね。
母のことをブログで書くのは前回だけのつもりでしたが、どうしてもこれだけは伝えたいと思い最後に投稿します。それは健康診断の大切さ。13年前に膵臓癌を経験してから、最初の数年は四半期に一度、その後は半年に一度フォローアップ検診を受けていた母。生前よく言ってました。「自分はがん検診で上から下までMRIで撮影してる。それは健康診断を受けてるのと同じ」私も父もその言葉を疑ったことはなかった。実際に母は毎回血液検査とMRIを受けていて、癌の再発と転移をチェックしていた訳だからこれ以上の検診は無い