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福井滞在4日目の観光は一乗谷朝倉氏遺跡一乗谷朝倉氏遺跡ICHIJO-DANI一乗谷朝倉氏遺跡公式ポータルサイト一乗谷朝倉氏遺跡公式ポータルサイト|国の特別史跡、特別名勝、重要文化財」の三重指定を受けている全国でも貴重な遺跡。京の都に勝るとも劣らないと言われた当時の城下町の様子をほぼそのまま復原。福井県立一乗谷朝倉氏博物館も開館しました。ichijo-dani.com一乗谷に本拠を置き、5代約100年にわたり越前を支配した戦国大名朝倉氏北陸の小京都とも呼ばれていましたしかし1573
ジパング倶楽部使って、姫路駅に降りました。駅からも美しい姫路城が見えます。今回、姫路城と好古園の共通券を購入し、まずは、好古園に入ることにしました。姫路城には、何度か訪れているのですが、好古園には、初めて訪れました。昔は、武家屋敷と藩校があった所を庭園に作られています。ちょうど、雑草いけばな展が催されていました。普段、見落としがちな雑草が主役の生け花とっても素敵で見入りました。好古園のお庭、紅葉は過ぎていましたが、とても雰囲気が良くて、手入れが行き届いています。時代劇ロケ地でも
長崎県の観光スポットのお話長崎県の島原観光。島原城🏯の城下町の島原武家屋敷通りを散策しました🔶島原城のお話🏯『島原城』長崎県の観光スポットのお話🏯前回の長崎旅行では雲仙温泉♨️に宿泊し、島原半島を少し観光しました島原鉄道🚋の島原駅🚉からお城🏯が見えました島原城🏯です今回の旅で…ameblo.jp武家屋敷通りには車🚗が入れませんので駐車場を探すのに苦労しました何度も島原城🏯の周りを巡回しやっと発見❗駐車場の真ん前は桜門公園⛲この無料の駐車場に車🚗を停めて、武家屋敷通りへと向かいま
令和6年10月、お城り遠征で宮崎県を訪問した際に訪問したお店になります。飫肥城を散策したあとはお昼の時間です。目星を付けていたお店は、こちら。『武家屋敷伊東邸おび茶寮』さん場所は飫肥城の大手門通りを下ってすぐ。武家屋敷だったと言う伊東邸ですが、元々は荒れ果てた廃墟だったらしいです。一度解体して新たに建てたので、武家屋敷を再利用した訳じゃなさそうですが雰囲気は出ています。雨模様の平日、開店時間に合わせての訪問でしたが、他にグループ客が1組、後ほどカップルが1組の訪問でした。
ソメヤユキです。五島列島・福江島旅記事その7これがラスト!たぶん。最終日の3日目オットの体調復活五島うどん、煮物、練りもの麦みそのお味噌汁、ふかし芋ミネストローネ、カレーフォカッチャ、サラダ、果物・・・朝ビュッフェ満喫腹ごなしに敷地内を散歩名に反してなだらかな鬼岳をのぞむ池のほとりに謎のマーライオン案内看板に従って歩いてみるもワイナリー以外の建物はよくわからずアパートタイプやちいさなコテージはだいぶ年季がはい
弾丸福井旅。大師山清大寺越前大仏に行ってみたくて。食の旅じゃない時は弾丸ソロで良い。でもちょっと遠いんだよな〜となかなか行けずにいた場所。長距離移動なんだけど1泊2日の弾丸だから詰め込まず、のんびり寄り道しながら移動して夕方到着。レンズ交換が面倒なので単焦点レンズしか持って行かない私、スケールのデカさにやられる。単焦点レンズじゃ全貌が入り切らずiPhoneで撮影。狛犬さんも大きい。さらにその後ろ、門の左右に阿吽の像。迫力がありすぎる!!かっこよ!!でも写真じゃ大きさが伝わ
毎年、パルコ劇場で志の輔が開催している独演会。WOWOWでは、3演目中、2席を放送。「新版・しじみ売り」と「創作・モモリン」。これ、はじめてきいた。鼠小僧こと次郎吉のお噺。7歳の少年が、ある料理屋にしじみを売りに来たところから噺ははじまり、なぜ、こんなに幼い少年が早朝からしじみを売らなければならん事情があるのかと、料理屋の客である男が、少年から家庭の事情をききだす、人情噺。わたしの落語家いちばんは、立川談春なのですが、兄弟子の人情噺は、人間への興味に温かみがあり、おか
前回の続きです。今回はふるさと資料館から北畠氏館跡までです。ふるさと資料館から北畠氏館跡まで歩きます。Googleマップです。ふるさと資料館④から門の外に出ると美杉ふるさと資料館の門の外④です。④から⑤に歩くと上図⑤付近から⑥方向です。北畠神社の赤い鳥居が見えます。⑥付近から鳥居方向です。下の古絵図から道路の右側の畑は下の古絵図では、馬場と武家屋敷だったようです。黄色い道は現代と同じ位置と考えられます。⑦の鳥居前に行くと
旧赤線地域の路地を探訪した後、高崎電気館の西側の鉤型の路地を見に行きました。高崎電気館前の道路から南を望むと、見事に鉤の手に曲がっている路地がありました。高崎城の北東にあり、城内北郭だった場所なので、防衛のための鍵型なのか気になるところ。結論から言うと江戸期にこの路地は存在しませんでした。宝永期(1704年~1711年)の高崎城周辺の絵図で確認したところ、この場所はこの路地の形に武家屋敷が建っていたようです。写真右手が武家屋敷で、この路地から左側