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ご訪問ありがとうございます。さて今回から武烈天皇ですが、まずは「武烈天皇紀」の冒頭、この前飛ばした総評の部分を見ることにしましょう。小泊瀬稚鷦鷯オハツセノワカササギ天皇は、仁賢天皇の皇太子である。母を春日大娘カスガノオオイラツメ皇后という。仁賢天皇7年、立ちて皇太子となる。長じては刑の判断や執行を好み、法令に詳しかった。日が暮れるまで政治を行い、無実を見抜き、訴えは退けるにしても情はおありになった。と、ここまで見るといい人に見えますが、これは「法治主義」です。法がすべてで、儒教のよ
このブログは、鯛の元に現れてくれた様々な偉人・神々との会話を記していくものです。現れた偉人たちは皆、口をそろえて現代の日本人に伝えたいことがあると言っています。神々には日本の行く末が見えてはいますが、あくまでも人間の意志を尊重していると言います。神々に救ってもらおうと考えるのではなく、人間が自分たちの手で社会をどう変えるかが大事なことのようです。信じる、信じないはあなた次第。一つの物語としてお楽しみください。神々シリーズ前回のお話はこちらから『神々との会話㊸「猿田彦の神と
武内宿禰に刺客を放った応神天皇武内宿禰に反乱容疑壱岐神社(西区)に祀られた壱岐真根子武内宿禰と中臣烏賊津は義兄弟か?武内宿禰と容姿が似ていた壱岐真根子の謎中臣烏賊津(雷大臣)の二人の息子とその末裔香椎宮の神木「綾杉」の右奥に、第14代仲哀天皇と神功皇后に仕えた重臣「武内宿禰」の像がある。↑腕に抱っこしているのは、神功皇后の子・後の応神天皇である。武内宿禰は仲哀天皇の急死の後、お腹に子を身ごもった神功皇后を助け、朝鮮半島出征を成功させる。帰国後、皇后は宇美八幡宮で皇子を出産
いよいよ九州の旅も2日目……東横イン「鹿児島中央西口」の朝食バイキングを食べ、チェックアウトをすると、僕は鹿児島中央駅ヘと急ぎました。まずは、鹿児島中央駅から新幹線に乗って、佐賀の新鳥栖(とす)駅へ向かい、その後、第1の目的地である武雄(たけお)温泉駅へと向かいます。旅の1日目は南九州が主にターゲットでしたが、2日目以降は一気に九州を北上し、北九州のあちこちを廻ります。南に行ったり北に行ったり、それにしても極端な行程の九州ツアーを、計画したものだと思いま
古代史で『竹内文書』というのがある。偽書と言われている書物だ。古代に武内宿禰という人物がいた。日本書記では武内宿禰。;古事記では建内宿禰と表記されている。第12代、景行天皇、成務・仲哀・応神・第16代仁徳天皇まで5世代にわたって仕えた伝説の忠臣。明治のお札に顔の絵が印刷されている。紀氏・巨勢・平郡氏、葛城氏・蘇我氏の祖始。300歳近く生きた人物だが、世襲制で何代かにわたって朝廷に仕えたようだ。武内宿禰の末裔だと称するのが、竹内巨麿『竹内文書』の本を出