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「東海道五十三次の謎」その26『東海道五十三次』は浮世絵である。そもそも「浮世絵」とは、江戸時代に発達した色彩豊かな風俗画のことだ。昔の日本人が憧れた美人や役者、尊敬した武将、花鳥風月を楽しむ絵のことで、現代風に考えれば漫画も掲載された大人向けの週刊誌みたいなものだ。江戸時代までの絵画は公家、大名などの庇護による土佐派や狩野派が主で、その中では風俗画も描かれていたが承応年間頃(1654年)には衰退、庶民階級による風俗画が描かれるようになった。これは、土佐派や狩野派から転身した絵師や庶民
お世話になってるかたの古希のお祝いで凧を描いています。まだ湿ってるwwwとりあえずここまでできたら凧の骨に張ってもらいますよ🪁ちなみに横幅は170センチくらいかな?そして歌川国芳の絵を見て描きました❤️国芳大好き❤凧の骨に張ってもらったら、色を入れて出来上がりです❤️色は染料を使いますよ!透明度が高く空に凧が舞い上がったときにお日様の光が透けてとっても綺麗なんです❤️黒目は最後に描き入れます❤️完成までもう少し!!喜んでくれるといいなー🐲
CHICFLICAGATAストライプの配分が絶妙でデザイン性の高いお洒落カジュアルなバッグです横幅32cm×縦21.5cm×マチ14cm縦サイズはバッグ間口までの高さですハンドルの長さは編む方の手の加減で微妙に変わります小さすぎず、大きすぎずお出かけ時に刺繍のお道具またはハードカバーの本がすっぽりと入るので私はとっても使いやすいです私のバッグはGlossyのブラックとグレージュになります本体のカラーは2色選んでいただきますが1色で編んでいただいてもOKですし
歌川国芳の左り甚五郎タイトルの「左り甚五郎」とは江戸時代初期の伝説的な宮大工で、左利きであったためこのように呼ばれた。図の中央で聖徳太子像を彫る人物がその甚五郎であるが、実はこの絵の作者である歌川国芳本人でもある。肩にかけている手拭や座布団には、国芳のトレードマーク「芳桐紋」。傍らにいる三毛猫は猫好きで有名な国芳の飼い猫だろう。地獄変相図のどてらは、国芳の愛用品として知られている。国芳=甚五郎が作っているのは、不動(明王)と制多迦(せいたか)・矜羯羅童子(こんがらどう
歌川國芳源頼光公舘土蜘作妖怪圖(国立国会図書館蔵)天保の改革で浮世絵にも多くの厳しい規制が掛けられてしまいます。天保十三年(1842)の役者似顔絵禁止、遊女芸者絵の禁止、錦絵は三枚続まで、色摺りは7~8度摺まで、価格を16文以下、等々。錦絵での役者絵や遊女などの美人画の禁止は、まさに浮世絵の人気商品ですから浮世絵師だけでなく板元、摺師、彫師など関わる人全てに大きな影響が出た事でしょう。そんな中で浮世絵師歌川国芳は、幕府の禁令を笑い飛ばすかのよう
2024年4月7日に辻惟雄「奇想の系譜又兵衛-国芳」を読了しました幽霊絵師火狂の流れで。奇想の絵師が好きで、本で取り上げている絵師の展覧会によく行くのに、本当にこういう本があったとは知りませんでした。岩佐又兵衛と言えば、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」でもちらりと話が出てきた、荒木村重の息子なんですよね。狩野山雪は、桃山画壇四巨匠の1人(他は狩野永徳、長谷川等伯、海北友松)。妙心寺天球院の障壁画や襖絵を見たと思いますが、泉涌寺で舎利殿に触れているのに「雲龍図」は出てこず。伊藤若冲はいっ
ぶらぶら散歩鶴形山の阿知の藤命輝く花舞台子供の頃の遊び場、思い出の場所の鶴形山。阿知の藤が見頃となっている事を新聞で知り、久しぶりに見たくなりぶらぶら散歩をしました。今日は鶴形山南側の美観地区側から登りました。昔ながらの家並みを歩き、阿智神社への鳥居をくぐり石段を登って行きます。階段の途中には、江戸末期の浮世絵師歌川国芳のミュージアム「UKIYO-EKURASHIKI/国芳館」の入口が有ります。世界初の歌川国芳のミュージアムで、巨大な骸骨を描いた国芳の代表作「相馬の古内裏」他
オランダで葛飾北斎が描いた西洋(風)画が発見されました。正確には、誰が描いたものともわからなかった絵画の作者が、葛飾北斎であるという証拠が確認されたというものです。オランダのライデン国立民族学博物館に所蔵され、作者不明とされてきた6枚の絵画。これらの作品は、日本橋や品川など江戸の町並みが描かれたもので、遠近法など浮世絵とは異なる西洋の技法が駆使されており、用いられた画材は和紙と水彩絵具のようです。実はこの作品の元々の持ち主はあのシーボルトとのこと。シーボルトは、江戸時代