ブログ記事3,781件
林あまり(1963〜)歌人本名真理子同世代の俵万智さんと共に「ライトウァース」と呼ばれ口語短歌を特徴とする大胆な性描写、暴力を詠み込みセンセーショナルなデビューを果たす********************僕はこの林あまりと云う歌人を今迄知らなかった先日有る短歌集を図書館で借りた時、その冒頭にこの人の短歌が紹介されていたその歌は「女うた」の一つにして、男には詠み込めない世界だとそう言われてみると、気になってネットで作品群を拾い集めてみた言葉で云うより、作品に触れる事が大事だ
ARS下町の妻です歌人長尾幹也さん今年1月に66歳でご逝去されています。ご冥福をお祈りします🙏62歳から多系統萎縮症と診断され、近年は闘病の歌が多いです。奥様と病室で過ごした日々に思いを馳せると一つ一つの歌にキュンとします。噴水にたつ虹ほどの淡さにて人の心に棲みたし死後は長尾幹也さんの歌ですが、おそらく主人もブログを書く事はこの思いと同じでしょう。ブログを始めて、1年いろいろな記録を残してくれました。初めてアップして、遠い沖縄の方からいいねが来た時は、夫婦2人で感動し
西行と崇徳院…なりひらを語るうちに源氏物語など加わり入院沙汰…更にはふたつの神宮への想いまでもを語りだし。時が過ぎ…m(__)m最早、冬…(源氏香葉書、ついに秋は一枚のみのご紹介にとどまっております…m(__)m)いったいどこまで西行と崇徳院を語ったかを、失念…“崇徳院と西行の年齢差は?”でしたm(__)m前回までのあらすじ?はこちら☆もう、このテーマ、いいですかねいえいえ…院のことは、捨て置けませぬ…。という訳で。結論か
みなさんこんにちはきょう、8月20日は鎌倉時代の歌人で小倉百人一首を手がけた藤原定家の命日名前の「定家」は「ていか」と音読みされることが多く、「定家忌(ていかき)」は秋の季語名前の由来が藤原定家にちなんでいるという「テイカカズラ(定家葛)」平安時代の女流歌人、式子内親王を愛した藤原定家が死後も彼女を忘れられず、ついに蔦葛に生まれ変わって彼女の墓にからみついたという伝説に基づく能「定家」から付けられたといいます日本、朝鮮半島、中国が原産地のキ
備忘メモ。朝日新聞の歌壇(読者の短歌投稿欄)の常連で、長尾幹也さんというサラリーマン歌人の方がいました。晩年に難病を患い、今年の1月、66歳で亡くなられました。わたしと同時代を生きてきた方です。中堅どころの広告会社のサラリーマンだったとかで、リーマンショックで会社が苦しくなった時に、同僚をリストラする役割を担わされて、まるで自らの身を切り刻みながら、同僚をリストラしていくつらい気持ちを詠み込んだ歌が、当時、何首も入選していたことを覚えています。さらに退職後の晩年には、手足が動かなくなる難病を
和泉式部筆塚碑大阪府岸和田市下松町4丁目15和泉式部の愛用していた筆をまつった塚とも。平安時代、百人一首の歌人、中古三十六歌仙、女房三十六歌仙として活躍した和泉式部。978年、越前守・大江雅致と越中守・平保衡の娘として誕生。999年、和泉守・橘道貞と結婚。母は冷泉天皇皇后昌子(太皇太后)に仕えた、父が太皇太后宮大進、夫の和泉守橘道貞が同権大進を兼ねていた。恋愛遍歴が多く、藤原道長から「浮かれ女」と評されたとも。同僚女房の紫式部からは「恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない
確か、“鼓ヶ滝”で使われている名(迷)歌。有馬温泉の近くにある名所鼓ヶ滝の前で、諸国行脚の歌人西行法師の独り言。「この水がいいねと君が言ったから七月六日は滝だ記念日」・・・。冗談はともかく、「サラダ記念日」の歌人の俵万智さんが、こどもの日に因んで、4首の短歌を詠まれたそうです。子育てする親の気持ちを詠ったものですが、個人的には、3番目と最後の歌が響きました。特に、最後の歌がいいですね。娘が小学生の高学年になって、手を広げる私に飛びついて来る娘
在原業平の命日である5月28日に奈良市にある不退寺(ふたいじ)で「開山忌(かいざんき)」が開催されます。在原業平(ありわらのなりひら)とは・・・平安時代初期の貴族・歌人で平城天皇の孫です。全百二十五段からなる「伊勢物語」は、在原業平の物語であると古くからみなされています。歌人としては「古今和歌集」の30首を始め、「勅撰和歌集」に87首が入集しています。本堂内に業平画像をかかげ、キショウブ・カキツバタなどを飾り遺徳を偲ぶ法要が行われます。また、重文の多宝塔も特別公開されます。ぜひ
10月17日都内神田・学士会館にて、現代歌人協会主催・朝日新聞社後援「第四十四回全国短歌大会・授賞式」に出席させていただきました。まだ現代短歌歴の浅い私は、新聞等にも投稿した事も無いまま、一昨年に運だけでいきなり本デビューをさせていただきました。昨年の暮れから、短歌結社に所属させていただいたものの夏に甲府で開催された全国大会には、子供の塾の送迎が有り参加出来ませんでした。そこで、結社の全国大会に初出稿予定でした作品を、現代歌人協会の全国大会に初めて投稿させていただきました。かす
秘境の美容室『ぱぁまやさん』奈良吉野郡川上村で美容室をしてます鍵谷(かぎたに)いづみいーさんですおはようございます去年の今日のブログをリライトしてますたまたま去年と同じ日に静香さんが髪を切りに来てくれますうわぁー静香さんと行った金峯神社⛩️もう一年経つんだ!ってなってます吉野山のてっぺんに鎮座する金峯神社⛩に行ってきました奥千本にあります吉野山の地主神を祭る神社。標高は約765mあり吉野山で1番高い場所にあります詳しくはこちらから奈良にある最強のパワー
永遠に愛されたいと思うけど春の夜に見る一瞬の夢月城龍二2024/5/9(木)朝日新聞東海歌壇加藤治郎先生選ありがとうございます。
和泉式部ゆかりの恋の淵大阪府岸和田市上松町3丁目10古来この地に清泉が湧出するところから、恋多き女性和泉式部の旧蹟とも。平安時代、百人一首の歌人、中古三十六歌仙、女房三十六歌仙として活躍した和泉式部。978年、越前守・大江雅致と越中守・平保衡の娘として誕生。999年、和泉守・橘道貞と結婚。母は冷泉天皇皇后昌子(太皇太后)に仕えた、父が太皇太后宮大進、夫の和泉守橘道貞が同権大進を兼ねていた。恋愛遍歴が多く、藤原道長から「浮かれ女」と評されたとも。同僚女房の紫式部からは「恋文や和歌は
街灯の下の明るき所へと桜の花びら集まって来る月城龍二2024/5/12(日)東京歌壇佐佐木幸綱先生選ありがとうございます。
俳句生活~よ句もわる句も~兼題「花見」航跡の白き湖岸や花見酒月城龍二佳作でした。ありがとうございます。
「熟るるまじと決意する果実、雷の夜の固き芯めく少女とあり」浜田到という歌人の短歌だ。作者は内科医でもあり、これは拒食する少女のことを歌ったもの、ではないか、という解釈つきで見つけた。成熟を拒む果実のような少女が、雷の夜、固い芯のようになって自分と対峙している、というわけだ。作者は1968年に亡くなっているので、痩せ姫がまだ珍しかった時代。この解釈が当たっていれば、かなり希少な光景が描かれてるともいえる。「熟るるまじ」という「決意」を、否定もしていないこと
春の朝光を浴びて大丈夫なふりをしている雑踏の中月城龍二2024/5/9(木)産経歌壇伊藤一彦先生選ありがとうございます。
次の場所に行く前に少し休憩しました河内町かわち水と緑のふれあい公園案内板大きな池がある公園ですぶらっと歩いてきます碑があります河内町生まれの歌人大野誠夫公園内は静かです時折犬の散歩の人に出会います広場では親子連れがボール遊びをしていました桜の時期はきれいでしょうね池は広い
鴨長明は日本の歌人・随筆家であり、活躍したのは平安時代末期から鎌倉時代前期である。彼は「方丈記」の初めに「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」とうたっている。河の水は常に変化しているが、変化しているのは水だけではない。河の流れの道筋も少しずつ変わっているのである。河の道筋が少しカーブすることがある。そうなると、カーブの外側では侵食、内側では堆積が行われる。その結果、カーブは徐々に大きなものとなり、根元の
失望と希望の破片861詩人、童話作家タダノマサヲ「役者馬鹿」とは、役者で売れている人の事では無い。売れもしないのにアルバイトをしながら役者を、芝居を続けている人たちの事だ!!!。「タダノさ~ん、国会議員は税金で飯を食ってんだから、税金で飯を食ってる奴らの為じゃ無く、我々庶民の為の政治を行うべきじゃ無いでしょうか。インボイス制度は、一人親方やフリーランスで仕事を貰い生活している人たちをどれだけ困窮させるか、解かんないんですかね~!!
こんにちは。寄り添い犬🐾モモさんの負けん気闘病記食欲はありますが、ダルいのかあまり動かないモモさんです。予め飲ませておいた抗生剤のおかげでこの前のようなブルブル発熱は今のところないようです。今日は16時30分に動物病院を予約してあるので血液検査と診察に行ってまいります。なんてことないさって涼しい顔で行きますがホントは不安でしょうがない。悪くなってるとか、進行しているとか言われたらどうしたらいいのかなんて…せめて現状維持で、と祈りたいところです。
失望と希望の破片863詩人、童話作家タダノマサヲ君のお父さんお母さん、君の御祖父さん御祖母さんが、朝鮮半島の出身者だとして、若しも君が日本の国会議員だとしたら、君は朝鮮半島に対し、有利な政治を行いますか?。私ならやります。「タダノさ~ん、漫画のワンピースって、最近回想シーンばっかりで、物語が遅々として進まないんで、読むのを止めたんですよ。デビルマンみたいに終わるのもなんだかな~なんですけど、勢いで長引かせて更に儲けるつもりなんです
<今日の表紙>昨日の朝の電子レンジ内2日連続して夕食時の取り忘れで朝食が豪勢になりました。2日連続は初めてです。歳をとると初めてのことがだんだん多くなりそうです。僕の日曜日の朝の楽しみの一つが朝日新聞の朝日歌壇です。僕の好きなアメリカで終身形で刑務所に服役している獄中歌人の郷隼人さんの歌が5年ぶりに載っていました。黒人の女性の歌うSUKIYAKIを独房に響く甘き憂鬱ラジオよりキュー・サカモトのSUKIYAKIが突然流れ来日本を想う選者の先生方も待ちわび
今日は暑いぐらいですね。ちょっと運動しただけで、大汗をかきます。でも気持ちがいいですよね。さて本日の「文学の窓」は川口常孝の歌を取り上げます。幸せというは小さきものにして一つの独楽のころがる音す―川口常孝しあわせというはちいさきものにしてひとつのこまのころがるおとす幸せは遠くにあるものではなく、普通の日常の中にある、というのはよく聞くことです。名作『青い鳥』の中でチルチ
絶妙な言葉選びのセンス。「Twitter民の想いが詰まっています」「青い鳥が突然いなくなってしまったのは本当に寂しい」と共感する声が出ています。ハフポスト日本版編集部2023年07月27日16時30分JST更新2023年07月28日JSTTwitterの改名騒動を受けて『サラダ記念日』で知られる歌人の俵万智さんが短歌を詠んだ。絶妙な言葉選びが「天才っているんだなぁ」などと話題になり、投稿から3日足らずで約15万件の「いいね」を集めている。Twitter公式アカウント名は日本時
失望と希望の破片862詩人、童話作家タダノマサヲ深夜眠っている時に、石ころに躓く夢を見て、転んではならぬと思い、気が付くと掛け布団をおっぺがし、敷布団の上に立っていた!!?。同世代の松田聖子と中森明菜は、事あるごとにその存在を比べられてきた。松田聖子はお花畑の女の子の歌を歌い、中森明菜ははすっぱな女の子を歌い、やがて成熟した女性の心を歌い上げる歌い手になった。松田聖子は自身の歌う歌と裏腹に、男をとっかえひっかえし、中森明菜は一途す
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきますみなさんこんばんは(´Д`)。本日は歴史好きなぶたさんの大好物!楽しい歴史系図でございます(´Д`)!ぶたさんは歴史上の人物の系図がとにかく好きなんです。はい(´Д`)。本日は藤原道長の正室で、藤原彰子・頼通らの母である源倫子の母方の系図を見ていきたいと思います。源倫子、大河ドラマ「光る君へ」でもよく出てきますよね。この機会に母方の系図をまとめました。源倫子は左大臣・源雅信
歌人の俵万智さんが5月12日、母の日にまつわる短歌をXで投稿し、話題になっている。俵さんは「母の日」とハッシュタグをつけ、母親にまつわる5つの短歌を並べた。最初に詠んだのは東京へ発つ朝母は老けて見ゆこれから会わぬ年月のぶん東京に行く日の朝、しばらく会わないであろう期間の分だけ、母親が年齢を重ねたように見えたと詠んでいる模様だ。「短所」見て長所と思う「長所」見て長所と思う母というものという短歌では、子どもの良いところを見てくれるという母親の姿が表現されている。さら
サンド・ウッド・ストーン(タダノ式マザーグース)詩人、童話作家タダノマサヲお前は砂の城を造った砂で固めた城を造ったお前には金が無かったし何よりも知恵が無かった砂で造った城を大波が襲った城は波の強大な力で崩れ去りそしてお前もを連れ去ったお前は木の城を造った色々な大きさの木を組み立て城を造ったお前は金を搾取するのが上手かったし多少の知恵もあった木で造った城を野火が襲った城を狙った付け火なのかも知れない業火が城を、お前を
2016/2/27渥美半島のドライブ旅の一コマです。伊良湖岬灯台を逆光で撮ってみました。いい雰囲気に撮れたと思いませんか。逆光じゃないと、こんな感じです。伊良湖岬灯台は、愛知県の渥美半島の先端にある、伊良湖岬の突端に立つ白亜塔形の灯台です。太平洋や伊良湖水道を望む風光明媚の地にあり、「日本の灯台50選」にも選ばれています。灯台あたりの遊歩道は歩きやすいように整備されています。遊歩道の縁石には・・・磯丸歌選歌61首が刻まれていました
斎藤茂吉記念日(5月14日記念日)山形県上山市の公益財団法人・斎藤茂吉記念館が制定。日付は斎藤茂吉(さいとうもきち、1882~1953年)の生誕日である1882年(明治15年)5月14日に由来する。斎藤茂吉は明治から昭和にかけて活躍した歌人で、数多くの短歌や随筆、歌論等の作品を残した。2022年(令和4年)は近代短歌に大きな影響を与えた斎藤茂吉の生誕140年の節目の年となり、記念日を通してその存在と業績の普及が目的。記念日は2022年に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された