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JR日豊本線大泊暗渠(おおとまりあんきょ)大分県臼杵市大字大泊臼杵駅-津久見駅間橋幅:34.00m径間:0.90m架設:1916年(大正5年)頃と推測訪問日:2020年1月11日(土曜日)津久見から臼杵へ抜ける県道217号線(クネクネの山道)が工事中ということで、無難に臼杵側から県道217号線を大泊地区へ周り込みました。以前から気になっていた「こうもり谷渓谷入口」の看板が立つカーブする場所です。詳細は不明ですが、暗渠が完成した後に、井戸は掘られたようですが、推測の
探索日2010/03/20中国電力三隅発電所建設にともなう経路変更切り替えは1992年岡見駅寄り部分は、三隅発電所への専用線として現役三保三隅駅方新旧線分岐点左は現在線耳峠トンネル三保三隅駅方口旧線は右へカーブし、海岸沿いを進んでいた埋め立てられ、海岸は消えているむこうの煙突のある場所が三隅発電所奥へ続く廃線跡右の更地は新線切り替え前は海やった防波堤沿いを走る旧線跡波除板が、そこに海があった証未舗装の生活道路となっている旧線跡路盤が残る距離標
【2025年1月9日23:50追記】にしさんがコメントにて正式名称を教えてくださいましたので、今ならまだ間に合うかと(笑)記事タイトルを修正しました(多摩湖赤坂道橋梁(仮)→公園口架道橋)。タイトルはしばらくこのままにしときますが、時期を見て正式名称のみとします。記事内には名前がわからないなどの記述をしてますが、これはあえて残しておきます。2023年2月6日、東村山界隈漫遊。この日ここまでのネタで記事にしているのは、住宅街ど真ん中の廃木橋。今宵ご紹介するのもまた事前情報なし、現地で出
2021年9月27日、初の長州遠征の3日目・最終日。この日のネタで記事にしているのは、山口県●●局のトンネルと夕方のメインターゲット、釣上隧道。今宵ご紹介するのは、●●局のトンネルから約50分後、お昼前に訪ねた物件。意外な(ってわたくしが知らんかっただけだが)大物だった。まずはこれ。現在地はこちら。高欄の残念改修はいただけないが、キモはこちら、ボウストリングトラス。そして、重厚な石積み橋脚。一見して古い橋だ。手前に写って
豆撒き神事に行った帰り、折角なので旧生駒トンネルの西側の廃線跡等を巡ってみました。石切参道商店街の入り口です。この歓迎の看板の後ろに朽ちた階段があります。かつてこの上には近鉄奈良線の旧石切駅がありました。新生駒トンネル開通まではここから石切駅傍の道路付近を通り、孔舎衙坂駅を経て旧生駒トンネルに至りました。旧石切駅をすぐ東側の現在線の橋梁取付部です。石組みの上にコンクリートで嵩上げしています。石切駅傍の道路を経て、登坂を上がると孔舎衙坂駅跡及び旧生駒トンネルの坑口が見えてきます
探索日2013/04/14切り替えは1973年4月の複線化時現在線を1500系電車が通過旧線はここへのびてくる切通しが残る現在線との角度を見ると、曲線のきつさがおわかりいただけるだろう上記の場所をふかん奥へ続く切通しを確認できる現在線と分岐して山側へむかった旧線は左へカーブし、踏切の先で現在線と交差する掘割りを進む旧線跡石積みの側壁小川を渡る橋りょうの跡架けられているガーダーは鉄道時代のもの?橋りょう跡から平野駅方面を見る同じく一の鳥居駅方面
取材してから3年近く、この日のネタは全部お蔵入りしていた(^-^;というのも、構成上、最初にくるべき物件があまりにも冴えないから。ぶっちゃけ最後の10枚程の写真以外はほとんど面白みがないと思われる(^-^;今回は一応最初の見どころな物件までを取り上げる。そして、つい先日追加取材した、それの衝撃的な現在の姿も、、、さて、ここは大網白里市小中(こなか)にある小中池公園。奥に見えるのは小中池という溜池のダム。この公園、ちょっと長めのローラー滑り台もあって休日はそれなりに賑わっている。
5月4日夕張支線廃線跡探訪の第2回目です。清水沢駅の手前にある踏切跡から清水沢駅跡構内を望むと、かつての広かったであろう構内を偲ぶことができました。鹿ノ谷-清水沢清水沢駅は三菱大夕張炭鉱・南大夕張炭鉱から石炭を運び出す三菱石炭鉱業大夕張鉄道線と北炭清水沢炭鉱専用側線が接続し多くの側線を有した駅でした。夕張に向かって右側に駅舎がありましたが、2022年11月に解体されてしまいました。その駅舎に接して大夕張鉄道の単式ホーム1面1線があり、4本の留置線を挟んで夕張線用の島式ホーム1面2線が長い
九州鉄道・海老津赤レンガアーチ(きゅうしゅうてつどうえびつあかれんがあーち)福岡県遠賀郡岡垣町大字海老津橋幅:4.60m径間:5.40m拱矢:2.70m架設:1890年(明治23年)型式:壁石:イギリス積みアーチ部:4段小口積み笠石有り指定:岡垣町指定文化財2006年(平成18年)4月指定「九州鉄道・海老津赤レンガアーチ」にはかなり以前から行きたかったのですが、なかなか縁がありませんでした。大分県中津市での忘年会の次の日、この際にと岡垣町まで出かけました。か
高屋川橋梁は、京都府船井郡京丹波町下山にある山陰本線の新旧橋梁である。いわゆる橋梁の付け替え工事に伴う路線の移動であり、ほぼ平行して、短い区間であるが新旧路線が存在する。とはいうものの、旧路線は橋脚しか残っていないとのことであるが。場所であるが、山陰本線の下山駅から京都市方向へ500m程度戻ったところにある。その下山駅であるが、山陰本線開業時の駅ではないが、懇願駅として大正14年に開業している。その懇願が建設に結びついた理由であるが、旧高屋川橋梁の建設に伴って、町民一丸となって協力した為の「ご
北海道と青森県の間に挟まれた津軽海峡。そこは、日本海と太平洋を抜けるための航路として、地政学上も大変重要な地域だということはあきらかです。また、北海道と青森県を連絡するためには、津軽海峡を横断する事が必須条件でした。明治時代から昭和の敗戦までの期間は、津軽海峡は軍略上もとても重要な地域でした。そこで、日本政府は津軽海峡を防衛するためにも、函館要塞を明治30年代に本格的に建設しています。その後は、北海道側だけでなく、青森県側の津軽要塞の建設も進めて行っています。日露戦争時のバルチック艦隊が
【24年8月3日探索・12月30日公開】現在地はこの辺埼玉県秩父市荒川上田野この記事の続きになる。藪で見えにくいが私は錦沢に架かる錦沢橋(昭和57年竣工)から秩父鉄道の錦沢橋梁を見ている。橋梁のガーダーには1928(昭和3年)の銘板があった。この区間は昭和5年(1930)3月に開業しているので開業時からの橋梁という事になる。道路橋を渡ったところから線路方向に道があり、第4種踏切が見えた。ここも軽トラなら通行できそうな気もするが、普通はやめた方が
【22年7月24日探索・10月18日公開】現在地はこの辺(中心地点)先ほど見上げた橋台と思しき構造物の上側に来た。その位置関係から言っても日光鋼索鉄道(ケーブルカー)の大谷川橋梁、下側の橋台という事で間違いなさそうだ。他にもこんなコンクリート遺構があり・・・ゆるやかな下り勾配になった。この辺がかつてのケーブルカーの馬返駅であったと思われ、この付近には軌道線乗り換え通路としての階段があったはずの場所だ。そんな場所でいくつか見つけたのは・・・
↑↑↑どれかクリックしていただけると元気が出ますw!(^^)!2024年8月22日(木)の記録です。日鉄鉱業赤谷鉱業所専用鉄道は、かつて新潟県北蒲原郡赤谷村内にあった専用鉄道で、日鉄鉱業赤谷鉄山から産出される鉄鉱石を運搬するために国鉄赤谷線東赤谷駅~赤谷鉄山間に敷設されていた。昨日お伝えしたシェッドについても触れておきましょう~赤谷鉱山の専用鉄道も冬期の11月から翌年の4月までは積雪や雪崩のために不通となり、鉄鉱石
【19年12月1日探索・20年8月15日公開】現在地はここ神奈川県中郡二宮町山西国道1号線を走行中、この橋の親柱が気になり停車した。梅沢川に架かる吾妻橋だ。親柱には竣功情報があった。昭和11年3月竣功、なんと戦前製だ。下り線側の親橋と、その先の相模湾を撮っておこう。さて、下を覗いてみよう。梅沢川に架かっているようだが、川は見えない。暗渠になっているようだ。何か壊れかけの建物がやたら目に入るな。橋のサイドビューを撮影するため
2024年8月1日に敢行した「そうだ、七宗行こうツアー」。この日のネタで記事にしているのは、花車尾谷の隧道訪問記と南天の滝。本日ご紹介するのは、帰りがけに立ち寄ったこの日の最終物件。まあ、事前にマークしていた物件で帰りの道すがらにあるのに寄っただけだったんだが、うん!好きな感じ。現在地はこちら。お名前は、川小牧橋。ちなみにちょっとでもサイドを窺えるのはここだけだったと思う。写真見にくいが三径間のコンクリート桁橋のようだ。こちら河
【22年7月24日探索・10月4日公開】現在地はこの辺日光鋼索鉄道の路線内にあった唯一の橋梁だ。そのサイドビューなんだが、かなり草臥れている感じだ。この部分はRCアーチだ。橋脚も何本かある。廃止後50年余りが過ぎ、かなり劣化が進んでいる。次回訪問時には崩れてしまっているかもしれない。路盤に復帰した。これは馬返方向に振り返った画像になるが、ちょうどこのあたりが中間地点、そう、行き違い箇所なのであった。階段部分を進んで行く。右側の鉄製カバーの中には何
こんにちは!自己満ブログ脱線番。。。今、東京に道路橋点検士なる資格を取りに来ています。道路橋点検士、、、聞きなれない方も多いと思いますが、簡単に言うと橋を点検する人ですwwこの資格を取ると現場のトップにはなれませんが、担当者として業務に従事することができます。自分の場合は、もっぱら助っ人的な立場&無資格で今まで現場をやって来ましたが、ついに社長から取ってこいと命令が・・・しかも実は1回落ちてます(´△`)今回は2回目の挑戦です。昨日から東京に来て講習会を受けてますが、やはり難し
昨晩は帰宅時に吹雪いていたので、積雪していなければいいなと思いながら外を見ると、雪はない。外に出たら、雪ではなく時雨れていました。気温が下がらなかったようです。それでも県内のより山間地では、5cm以上の積雪もあったようですが、9日から10日が寒波のピークになるらしい。次は積雪と凍結が心配されます。酷くないことを祈ろう。そんな寒い中、そして時折時雨れる中、橋梁上部工の架設をやっている現場があるので見に行きました。橋梁架替工事なんて、そう何回もあるもんじゃないからね。実に16年ぶりくら
こんにちは、吉田です今回は「踏掛版(ふみかけばん)」の話ですふみかけばん.....高欄や伸縮装置よりもマイナーな言葉だと思いますのでいつもどおり説明から踏掛版とは、橋の両端の外側(橋と道路が接続する箇所)にある大きくて、分厚いコンクリートの版のことを指します。(普段は地面の下に埋まっているため見ることはできません。。)下の写真の手前にあるコンクリート版が踏掛版です基本的に橋の両端にあります。----いきなり質問コーナー---
夕闇の烏川橋梁を上る115系R窓車。115系の増備も終わりの頃になると、ホント高崎線では稀少な存在になっていた大目玉。。高崎線・新町~倉賀野1979
色とりどりのアーチ橋を楽しむ方法について、お話しします。旭橋(北海道旭川市)しゃあっ橋解説の時間だああぁぁぁっぁぁぁあああ!!!皆さんお待ちかねの「日本いい橋探訪シリーズ」、第2回はアーチ橋についてです。大三島橋(愛媛県今治市)アーチ橋の何よりの良さといえば、やはり、素人目でも理解るその構造的美しさ。丹念に削られた素材が組み合わされ、宙を舞い弧を描き、不思
橋梁には、必ず橋の名前である『橋名』が刻まれています。親柱の石材に、直接掘り込まれたり、橋名板と呼ばれる、板状の”銘板”に文字が書かれたものを取り付けたりと、いろいろなタイプに分かれます。橋名が記されていない橋はいままで見たことがありません。それだけ、橋には重要なアイテムだといえそうです。その橋名を記されだした時期ですが、調べてみてもよくわかりませんでした。ただ、明治以降に写真が撮影された橋梁については、見受けられます。おそらく、明治より前から主要な橋には記されてはいたのでしょう
こんにちは、吉田です床版のコンクリートの養生が終わったので次は地覆のコンクリートです(床版・地覆についてはこちらを参照)まずは、コンクリートの型枠の設置です。通り(まっすぐに立っているか)を確認しながら組み立てていきます。高欄と防護柵のアンカーボルトを設置しています。(↑穴を開けた固定用の板(テンプレート)にボルトを差し込みその板を固定することでボルトがずれないようにしています。)完成した型枠は、事前に大きさやかぶり(型枠と鉄筋とのキョリ)を計測し、
路面の凍結箇所は、あらゆる利用者において転倒等の危険性が高くなるものと想定されます。色々方法があると思いますが、特に滑りやすい場所に関しましては、そもそも雪を積もらせない、凍結させない遠赤外線スポット融雪も効果的であると考えます。<防雪施設設置の必要な箇所>①こう配5%を超える箇所(縦断こう配5%を超えるスロープ)②堆雪幅が確保できない箇所(幅員狭隘)③横断歩道及び横断歩道に接続する歩道等の部分④横断歩道接続部及び出入口等の警告・方向指示のための部分的な視覚障害者誘導用ブロック
※iPhone12撮影1.奥澤橋梁【軍畑駅】〒198-0172東京都青梅市沢井1丁目267〒198-0172東京都青梅市沢井1丁目267goo.gl駅から5分くらいで到着できます。住宅地の隙間を縫う形となりますので、敷地に入らないようにしましょう。2.沢井駅跨線橋青梅より沢井駅·〒198-0172東京都青梅市沢井2丁目★★★★☆·駅goo.gl跨線橋を渡る人通りは少なめです。柵の低いところから撮るといい感じです。3.沢井駅跨線橋青梅より場所は2と
【23年7月23日探索・24年4月8日公開】現在地はこの辺新潟県南魚沼郡湯沢町大字土樽魚野川に架かる蓬橋(昭和45年架橋)だ。今回の目的地は土樽スキー場跡だ。スキー場が現役のころはJR上越線下りホーム(専用出口)からすぐ、Wikipediaによれば徒歩3分とあるが、今はかなり迂回して行く事になる。川上流方向を見る。上越線の橋梁が見える。下流方向、水、冷たくて気持ちよさそうだ(探索時は夏だったので)。線路が徐々に近づいて来て・・・上
【23年7月23日探索・24年4月9日公開】現在地はこの辺清水トンネルに近づいたが、雑草はずっと続いていた。これは何とか右側に行けそうなところを見つけて・・・鉄道敷地内に入らないようギリギリの場所で少し手を伸ばして撮影した清水トンネルの新潟側ポータルがこの画像になる。少し高い場所から魚野川橋梁(上り線)を見た。元の道に戻り目的地に向かう。上越線下り線の橋梁をくぐり、線路側を見ると・・・下り線側のポータルが見えた。え!?
【20年4月4日探索・7月20日公開】現在地はここ西武新宿線をくぐり50mほど進むと、古そうな橋が架かっていた。橋は斜めに架かっている。欄干デザインに特徴がある。橋の名は旭橋、御影石の親柱を持つ。親柱の脇に看板が建っていた。この橋、登録有形文化財に指定されていた。昭和5年(1930)3月竣工だ。親柱の上にはかつてブロンズの電灯があったようだ(戦時中の金属供出により失われた)。さらに上流を目指す。ところで、この橋の両側のコ
2019年4月29日、平成最後の遊撃@紀伊半島3日目最終日。この日のネタで記事にしているのは、新和歌浦第二隧道、一軒屋橋横のワーレントラス管橋、犬鳴隧道。今宵紹介するのは、犬鳴隧道を目指しているときに見つけて急停止…しそうになった(笑)物件。どうせ同じ道を戻ってくるので帰りにしよう、ということで犬鳴隧道訪問後、この県道路肩に無理くり停車。場所はコチラ。ここがどうした?って感じだと思うが、後ろのガードレールが切れているところに注目。その奥に…橋