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【22年10月8日探索・25年1月10日公開】現在地はこの辺藪がすごくて撤退した、その道の反対側から行ってみようという事で来てみたんだが、道として描かれている場所は個人宅の敷地っぽい雰囲気だったので・・・上の画像からは右方向を見た画像になる。左に個人宅があるので進むのは・・・兄川という名の川のようだ。その川沿いを進んでいく。50mくらい進んでいくと何かが見えてきた。橋だ。橋梁名不明、竣工年次も不明だった。雰囲気的には昭和40年代くら
【2025年1月9日23:50追記】にしさんがコメントにて正式名称を教えてくださいましたので、今ならまだ間に合うかと(笑)記事タイトルを修正しました(多摩湖赤坂道橋梁(仮)→公園口架道橋)。タイトルはしばらくこのままにしときますが、時期を見て正式名称のみとします。記事内には名前がわからないなどの記述をしてますが、これはあえて残しておきます。2023年2月6日、東村山界隈漫遊。この日ここまでのネタで記事にしているのは、住宅街ど真ん中の廃木橋。今宵ご紹介するのもまた事前情報なし、現地で出
本日の午前中に時間が出来たので、久しぶりに野田線に8111Fの撮影に行ってきました。最初に東岩槻に向かいます。東岩槻から藤の牛島に向かい、古利根川橋梁で撮影しました。藤の牛島から野田市に向かい、8163Fと8159Fを撮影します。このあと8111Fも来るので、野田市で待つことにしました。次の記事に続きます。
昨晩は帰宅時に吹雪いていたので、積雪していなければいいなと思いながら外を見ると、雪はない。外に出たら、雪ではなく時雨れていました。気温が下がらなかったようです。それでも県内のより山間地では、5cm以上の積雪もあったようですが、9日から10日が寒波のピークになるらしい。次は積雪と凍結が心配されます。酷くないことを祈ろう。そんな寒い中、そして時折時雨れる中、橋梁上部工の架設をやっている現場があるので見に行きました。橋梁架替工事なんて、そう何回もあるもんじゃないからね。実に16年ぶりくら
夕闇の烏川橋梁を上る115系R窓車。115系の増備も終わりの頃になると、ホント高崎線では稀少な存在になっていた大目玉。。高崎線・新町~倉賀野1979
九州鉄道・海老津赤レンガアーチ(きゅうしゅうてつどうえびつあかれんがあーち)福岡県遠賀郡岡垣町大字海老津橋幅:4.60m径間:5.40m拱矢:2.70m架設:1890年(明治23年)型式:壁石:イギリス積みアーチ部:4段小口積み笠石有り指定:岡垣町指定文化財2006年(平成18年)4月指定「九州鉄道・海老津赤レンガアーチ」にはかなり以前から行きたかったのですが、なかなか縁がありませんでした。大分県中津市での忘年会の次の日、この際にと岡垣町まで出かけました。か
夜の明ける都会村野四郎電線は蜘蛛の巣のように霧にぬれ消えのこった夜がまだそこらで蛾のように引き懸っているが灰色のひくい空のしたでは劇場の屋根の赤い旗がぼんやり魚のように游(およ)いでふかい麻酔からのさめぎわの夢を脈うたせている都会の夜あけはどこかの橋梁(はし)のしたで明した酔漢(よいどれ)のように疲憊(ひはい)によごれてきたないがある一抹の凉気をにおわせてすやすやとおもむろにうすらんでゆく記憶のなかで何か美しいものを待望している(詩集「罠」より)
こんばんは、如何お過ごしでしょうか。尾張地方(愛知県西部)は朝方から快晴で穏やかな元日を迎えました。レッドサンダーの愛称持つ、EF510形交直流電気機関車、それが牽く貨物列車です。縦構図でも撮影しました。穏やかな川の流れでした。こちらは「金太郎」の愛称を持つEF210形直流用電気機関車。JR東海東海道本線庄内川橋梁付近愛知県デジタル一眼カメラCanonEOS
六月になって白姫は今まで以上元気になって戻ってきました今回の一連の不調は昨年末に"ガレージナガタ"を退職した"メカニック"のいい加減な整備が引き金となり発生した事が明らかに!o(`ω´)o今まで100%"信頼"していただけにショックでした!しかし数ヶ月後もっと恐ろしい事実を知る事になるとは夢にも思っていなかったのです!六月に出かけた所は岐阜県土岐市の道の駅"どんぶり会館"に出かけました建物も印象でしたが橋梁好きのharubonはこれを見
鉄道遺産群をめぐる旅はこれで最後です烏谷川橋梁(からすだにがわ)の場所はA方面に鴉山池があって写真の矢印のあたりにねじりまんぽがあります一番上の写真の手前の道の右側の道を下りて行って矢印のところで左に下りていきます橋をくぐって本当にここなんと思いつつ進みますありましたねじりまんぽJR西日本は関西本線、加太駅と柘植駅の間にある煉瓦斜拱橋、ねじりまんぽと呼ばれるトンネルです。明治23年造でかなり古い煉瓦構造物であり
おはようございます、如何お過ごしでしょうか。尾張地方(愛知県西部)は朝方から時より冷たい日で、日中は西風が酷く寒い日になりました。N700Sが通過していきました。あたかも貨物列車を追っかけるかのような新幹線車両。こちらは在来線313系車両とN700Aの並びです。川面には波があり水鏡になりませんでした。川の中まで続いている階段付近で撮影しました。JR東海東海道新幹線庄内川橋
【24年8月3日探索・12月30日公開】現在地はこの辺埼玉県秩父市荒川上田野この記事の続きになる。藪で見えにくいが私は錦沢に架かる錦沢橋(昭和57年竣工)から秩父鉄道の錦沢橋梁を見ている。橋梁のガーダーには1928(昭和3年)の銘板があった。この区間は昭和5年(1930)3月に開業しているので開業時からの橋梁という事になる。道路橋を渡ったところから線路方向に道があり、第4種踏切が見えた。ここも軽トラなら通行できそうな気もするが、普通はやめた方が
北陸自動車道初めて通る道路で舞鶴へ行く途中、雲に掛かる虹が見えたり見た事のない鳥が飛んでいたりスマホから手が離せない由良川橋梁丹後神崎駅から丹後由良駅の間にある海の上の長い長い橋梁https://uminokyoto.jp/spot/detail.php?sid=991本当はこの電車が橋を通るところが見たかったんだけど、タイミング合わず。。。まぁ橋だけでも眺められて良かったとしようここら辺の山はとっても可愛い
近代土木遺産Bランク1890年(明治23年)竣工、煉瓦積/側壁下部切石積拱渠。関西本線・草津線の前身である。明治23年に私鉄の関西鉄道により柘植(現伊賀市)-四日市市間で開業した。市場川橋梁は、加太市場地内の牛谷川に架かる。径間3.7m。開口部の煉瓦はイギリス積みとし、線路と河川がやや斜めに交わるため上面を斜めに切り欠く。小規模ながら煉瓦造独特のマッシブ外観になっています。腰部とアーチの境界の起拱継目(スプリングライン)は、煉瓦を斜めにおいて凹凸を付け
近代土木遺産Bランク関西本線・草津線の前身である。関西本線の最大の難所だった加太越えは、明治21年、四日市に本社を置いた関西鉄道(かんせいてつどう)として工事が始まり、明治23年12月25日に四日市〜草津間が開業。矢渕川橋梁は、加太板屋地内の加太川に架かる。鋼製3連桁橋、橋長59.7m。加太川に両岸40フィート級、柘植川に中央の70フィート級の鈑桁を深い谷に架ける。橋脚は、石材を”こぶ出し”に仕上げ、五角形断面の上に長方形断面を乗せて”江戸切り”の帯石で引き
12/16は京成線中川橋梁で撮影した。京急車も京成線や北総線~成田スカイアクセス線へも乗入れている。1256H特急三崎口行1725F1364H特急三崎口行1731F2024.12.16
近代土木遺産Bランク関西本線・草津線の前身である。関西本線の最大の難所だった加太越えは、明治21年、四日市に本社を置いた関西鉄道(かんせいてつどう)として工事が始まり、明治23年12月25日に四日市〜草津間が開業。板屋川橋梁(いたやかわきょうりょう)は加太板屋地内の加太川に架かる。銅製2連桁橋、橋長35.4m。加太川側に40フィート級、柘植側に70フィート級の鈑桁を深い谷に架ける。橋脚は、石材を”こぶ出し”に仕上げ、五
6月7日は架け替え工事中の古利根川橋梁を見に行ってきました。この辺りはワシクリと呼ばれる宇都宮線(東北本線)の有名撮影地です。こちらは水沢踏切水沢踏切から東京方面に向かって大きくカーブしています。下り線は仮線に切り替わりました。島川踏切は工事のため閉鎖されています架け替え工事中の古利根川橋梁訪問日:2024年6月7日
2024年8月1日に敢行した「そうだ、七宗行こうツアー」。この日のネタで記事にしているのは、花車尾谷の隧道訪問記と南天の滝。本日ご紹介するのは、帰りがけに立ち寄ったこの日の最終物件。まあ、事前にマークしていた物件で帰りの道すがらにあるのに寄っただけだったんだが、うん!好きな感じ。現在地はこちら。お名前は、川小牧橋。ちなみにちょっとでもサイドを窺えるのはここだけだったと思う。写真見にくいが三径間のコンクリート桁橋のようだ。こちら河
昨日の続きですこちらの手前から左側の道を進みます看板から左側の道に降りていきます川沿いに下りていくと大崖川橋梁があります狭いので落ちないように歩きます橋梁の上の道が歩いてきた道です近代土木遺産Aランク関西本線・草津線の前身である。関西本線の最大の難所だった加太越えは、明治21年、四日市に本社を置いた関西鉄道(かんせいてつどう)として工事が始まり、明治23年12月25日に四日市〜草津間が開業。大崖川(おおかけかわ)橋梁
JR鹿児島本線広丸橋梁(ひろまるきょうりょう)福岡県遠賀郡岡垣町大字海老津JR鹿児島本線海老津駅ー教育大前駅間橋幅:13.00m径間:5.20m拱矢:2.60m架設:1890年(明治23年)頃と推測型式:壁石:イギリス積みアーチ部:5段小口積み「九州鉄道・海老津赤レンガアーチ」の北側から坂道を下って行った鹿児島本線に架かっています。道勢橋梁とほぼ同じ構造ですが、この広丸橋梁の方が構造的には大きいです。訪問日:2024年12月1日(日曜日)「九州鉄
12月15日の撮影分です。最後の185系:C1編成の団臨の運転になるのでは?・・と、新金線へ出撃してきました。9373M185系(C1編成):4M2T中川鉄橋(中川放水路橋梁)にて。9374M185系(C1編成)これが最後の走行写真にならないことを祈るだけです。
今朝も寒いです。時雨れていたのか、庭が濡れています。しかし、寝ていて寒くなかった。逆に、ポカポカと温かすぎて汗なんかかいてしまった。何故でしょう。昨晩、掛け布団を敷くときに、布団カバーの中身を確認してみました。夏布団と冬布団(薄手)の2枚重ねで、4隅と中央をホックで留めるようになっているのですが、これが数カ所外れていて夏布団が隅っこに偏っていました。つまり、薄い布団1枚で寝ていた訳です。どおりで寒いわけですわ。フックをかけ直して、しっかり2枚着て寝るようにしたら、まあ温かいこと。
11月15日荒川橋梁俯瞰はがっかりでしたので、追っかけで挽回を狙います予定通りの場所でぎりぎりセーフいつもと違う立ち位置で紅葉を狙いました橋梁の向こう側が綺麗なので、機関車は手前でそして機関車が全部見える位置で再び追っかけますが、ここでもいつもと違う立ち位置でいつもの位置は、手前で力行が切れることが多いのですが、今日はずっと力行してたので残念💦最後もいつもの場所でバックに色付いた木々が入ってラッキー(^^♪
■1871ピーエス・コンストラクションC工事の大手、大成建設の子会社。土木事業(プレストレスト・コンクリート工事、PCセグメント橋梁・複合構造橋梁による公共工事)、建築事業(PC工事中心、PC製品販売、工事請負)を営む。PC(プレストレストコンクリート)のパイオニア、橋梁のPC工事は国内トップ、耐震・免震の建築構造物の実績など国土基盤の整備に貢献。今期業績推移2Qで既に素晴らしい進捗率。通期修正は2Qではしませんでした。じゃあ下期悪いのかといえば・・・ここ下期偏重なんですよね。
JR鹿児島本線道勢橋梁(どうせいきょうりょう)福岡県遠賀郡岡垣町大字海老津JR鹿児島本線海老津駅ー教育大前駅間橋幅:10.80m径間:3.60m拱矢:2.30m架設:1890年(明治23年)頃と推測型式:壁石:イギリス積みアーチ部:5段小口積み「九州鉄道・海老津赤レンガアーチ」の南側から坂道を下って、その先を右折した鹿児島本線に架かっています。訪問日:2024年12月1日(日曜日)道勢橋梁道勢橋梁道勢橋梁道勢橋梁道勢橋梁
JR鹿児島本線海老津橋梁(えびつきょうりょう)福岡県遠賀郡岡垣町大字海老津JR鹿児島本線海老津駅ー教育大前駅間橋幅:19.80m径間:3.80m拱矢:1.90m架設:1890年(明治23年)頃と推測型式:壁石:イギリス積みアーチ部:4段小口積み延び延びになっていた「九州鉄道・海老津赤レンガアーチ」を見たくて高倉神社から鹿児島本線へやって来ました。高倉神社で思った以上に時間を費やしたので、時間があまりないのですが、午前中に周れる「九州鉄道・海老津赤レンガアーチ
山陰本線日野川橋梁をゆく定期列車です。829M米子行き国鉄型車両がまだ頑張っています。7013Mやくも13号新型やくもがすっかり日常光景となりました。東山公園ー米子にて
どうも。わらびです。年末が近づくと仕事のモチベーションが下がる現象と対峙する毎日を送っています。反比例的に仕事の量は増えるんですが、なんなんでしょうねあの現象。それはさておき前回に引き続き伊集院のネタをやっていきますヨ。今回は若干の小ネタ感でお送りします。伊集院周辺(猪鹿倉地区)が宅地化される以前からその場所に存在する小さな橋です。余談ですが猪鹿倉はいがくらと読みます。今回取り上げるのは地図赤文字の橋。神之川の支流の一つである長松川に架かる小さな橋で、時代に取り残されたような空間に
【23年4月16日探索・24年12月18日公開】現在地はこの辺神奈川県横浜市中区吉田町左の少し遠くに見えるアーチ橋はJR根岸線の橋梁だ。ここで少し後ろの方に行くと・・・橋が架かっていた。橋の名は桜川橋、昭和48年(1973)架橋だ。で、川の名は大岡川、ひらがなで書くとちょっと面白いな。100mほど上流側に行くと、古そうな橋が架かっていた。橋の名は都橋、親柱も古さと存在感がすごい。昭和3年(1928)7月竣工、震災復興