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2024/05/05♦︎指折り数える日々が続く一日目はとても長く一日が十日に思え三日目はとうとう我慢が出来なくて…いつの間にか曜日の感覚がスッカリ無くなり始めた♦︎過ぎ去れば…きっとあの日も佳き想い出となることを信じて今日は日曜日五月五日子供の日♦︎♦︎昨年のゴールデンウィークはノロウイルスに罹りオコモリ今年はちゃちゃの骨折手術5日目さすがに鳴く声もかすれてきた♦︎♦︎みーちゃんも元気がなく明日だよと言い聞かせている♦︎イヤ何より自分
2024/05/07♦︎例年のゴールデンウィーク明けには杉も檜も花粉から新芽若芽となり不快な症状が消え去るはずなのに今年は長引いている♦︎【黄砂の襲来】♦︎謎の咳に喉の痛みと毎年風邪症状が酷い春となるのだろうか♦︎♦︎おかげさまにてちゃちゃも無事に退院してきた16日に抜糸ハードからソフトギブスに変える予定♦︎♦︎入院中にスッカリエリザベスカラーでの生活に慣れ嫌がらないのが何より昼間は側に置き目を離さずに監視するひとつ退いた事に因り時間の
明治30年代、海岸通りのひとつ裏通り、外国人が水町通り(ウオーターストリート)呼ぶ通りの37番に、日本の美術品を扱うクーン・アンド・コモル商会という店があった。店主はS・コモルというハンガリー人で、英語の達者な番頭長谷川幸次郎が番頭をしていた。コモル商会には8歳になる男の子ジョージ(GeorgeKomor1888-1976)がいた。彼は1888年ブダペストで生まれ、ちょうど1年前、父母と共に横浜にやって来た。ジョージは日本語をいち早く覚え、日本の習慣も知り、日本の友達も増えた。成人して父の