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ワタシが日本に住む理由~100軒の古民家を見て回り辿り着いたのが奥信濃飯山の古民家~はるばる海外から日本にやってきて、日本で職を持ち、生活をしている外国人たちの「日本に住むと決めた理由」とは?毎回、一人の外国人が登場。VTRで仕事や生活ぶり、さらには彼らが住む地元の町案内などをご紹介。外国人から見た日本の良さ、そして、私たちの知らなかった日本を再発見!!12月7日(土)放送の「ワタシが日本に住む理由」の主人公はイギリス人のリチャード・モーガンさんと松本市出身のモーガン麻衣子さん。故郷飯山
「痛みさえとれればリハビリ始めらる」気丈に話す聞くは切なし今日の一首424再起を祈りて5「田人以後」より平成17年出版「痛みさえとれればリハビリ始めらる」気丈に話す聞くは切なしかすれた声で従兄弟は、「この痛みさえ取れればリハビリを始める」と言うのを聞き、相づちを打ちながら、切なくなりました。#短歌#長野県飯山市#長野県#素晴らしい飯山#田人以後#田人#短歌誌#歌集#出版#箱店屋横丁大家の店番日記#今日の一首#従兄弟#病気見舞い
泥中の蓮一日一訓6月8日あじさい寺高源院戸狩温泉スキー場#奥信濃飯山#一日一訓#あじさい寺#高源院#戸狩温泉スキー場#箱店屋横丁大家の店番日記
千曲市の後援会を報ずる信濃毎日新聞伊藤千尋講演会2025~6月15日(日)午後2時~文化交流館なちゅら大ホールで開催~全国各地で~いのち・人権・平和などの講演をされている「伊藤千尋」さん。昨年9月の「伊藤千尋講演会」につづき飯山市で開催~「伊藤千尋講演会2025」は2部構成で開催され1部は◆みんなで歌いましょう伊藤千尋さんが曲の解説をし、地元の竹松えりさんが司会・伴奏します。2部は◆伊藤千尋さんの講演「いっしょに考えてみませんか!いのち・人権・平和『だれも
負けるなと病に負けぬ気を持てと言いつつわれは空しかりけり今日の一首423再起を祈りて4「田人以後」より平成17年出版負けるなと病に負けぬ気を持てと言いつつわれは空しかりけり従兄弟の症状は「がん末期」~負けるな、頑張れと言いつつ、空しい気持ちになっています。#短歌#長野県飯山市#長野県#素晴らしい飯山#田人以後#田人#短歌誌#歌集#出版#箱店屋横丁大家の店番日記#今日の一首#従兄弟#病気見舞い
国府台陸軍病院跡地里見公園の一部国府台陸軍病院は入院患者数1500名の大病院~「きくよ」は新病棟の外科治療室勤務~絵本「かさじぞう」と飯山…23瀬田夫人「きくよ」4「きくよ」と瀬田貞二が国府台(こうのだい)陸軍病院で出会ったのは1942年12月以降です。貞二が徴兵で国府台陸軍病院の衛生2等兵として入隊したのが、1942年(昭和17年)12月であることを、「きくよ」が発刊した「旅の仲間瀬田貞二追悼文集」に、国府台陸軍病院で親友だった森野壬子郎が記した「貞二を憶う」の中で、「貞二君は
一燈をもって百千燈を燃やす一日一訓1月7日あじさい寺高源院戸狩温泉スキー場#奥信濃飯山#一日一訓#あじさい寺#高源院#戸狩温泉スキー場#長野県#長野県飯山市#箱店屋横丁大家の店番日記
上杉謙信の武将鬼小島弥太郎の墓は、飯山城の北西約700mの皿川沿いの英岩寺にあります。英岩寺英岩寺は、初代飯山城主泉重信の菩提寺で飯山市街地では最古のお寺と言われている。永仁年間天台宗の修験道場として創立され、その当時は江岸寺と呼ばれていた。戦国期に衰微し、文禄4(1595)年、高源七世通庵寿貫和尚によって栄巌寺として中興され、『英岩寺』と改名し現在に至るという。上杉謙信の直臣で「鬼」と呼ばれた槍の名人小島弥太郎は、川中島合戦で深傷を負い春日山城へ帰る途中、足手まといになるとこの地で自
「破戒」は昭和37年にも映画化された~監督は市川崑。丑松は市川雷蔵、お志保藤村志保のデビュー作~飯山再発見のための連載~260「破戒と飯山&真宗寺」60藤村が~清水謹冶から保科百助について取材したこと30「破戒」はもう一本の映画がある。昭和37年に大映により映画化された。脚本:和田夏十、監督:市川崑、出演者:市川雷蔵、長門裕之、船越英二、藤村志保、三國連太郎、中村鴈治郎、岸田今日子、宮口精二、加藤嘉、杉村春子、見明凡太朗、潮万太郎、浜村純、浦辺粂子とそうそうたるメンバーの映画であ
篠ノ井線の篠ノ井駅~松本駅間には2カ所のスイッチバックが現存しています。田植え後の棚田を見ること。松本市縄手通りの「かえるまつり」と松本城を見ることが目的で、篠ノ井線に乗車して来ました。篠ノ井線には、姨捨駅と、姨捨駅~稲荷山駅間にある桑ノ原信号場の2カ所にスイッチバックが現存しています。スイッチバックは、鉄道が急勾配を克服するため、勾配をジグザグに登り、列車を前後進させ高度を稼ぐ「折り返し型スイッチバック」。もう一つは、日本で圧倒的に多い、勾配の途中に水平の停車場を設けた「通過型スイッチバ
神輿の重さは100貫=約400kg~勾配14%、六十六段の石段を神輿を下ろすのは命がけ~小菅神社柱松柴燈神事⑬里社神輿殿から講堂前の祭会場東側にある御旅所まで、神輿に天王様「スサノオノミコト」を乗せて移動するのが『神輿渡御神事』。陣笠を被り、法被を着て6尺棒を持った警固を先頭にした行列が、石段を一段ずつ下りてくる。面を被った猿田彦神、手力雄、細女は介添えが手を引いて下る。足を踏み外せば、一気に転げ落ちるほど急な石段である。行列の先頭が石段を下りきった辺りで神輿が石段の頂部に姿を見
8月25日午前10時から中野市東山公園で~「高社鄕満蒙開拓殉難者慰霊法要」が行われます~8月25日は、78年前に満蒙開拓団・高社郷の入植者が、満州において集団自決した日です。「満州農業移民100万戸移住計画」という国策により、満州に移民した「高社鄕開拓団」は、中野市、山ノ内町、飯山市(木島村・瑞穂村)、木島平村、野沢温泉村、栄村などの180戸、721人。このうち、514人が、関東軍から終戦を知らされず、8月25日に満州において集団自決しました。この集団自決に追い込まれた開拓団員を慰霊す
信はこの世の旅の糧一日一訓1月6日あじさい寺高源院戸狩温泉スキー場#奥信濃飯山#一日一訓#あじさい寺#高源院#戸狩温泉スキー場#長野県#長野県飯山市#箱店屋横丁大家の店番日記