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金剛山登山翌日に控えた山上ヶ岳(大峰山)登山への足慣らしにと、大阪と奈良をまたぐ日本二百名山にも選ばれる関西随一の霊山「金剛山」に登ることにしました。金剛登山口(千早本道口)バス停千早赤坂村の「金剛登山口(千早本道口)」にやってきました。バス停と道を挟んで向い側の駐車場「千早モータープール」に車を停めました。料金は「600円/1日」です。駐車場のすぐ脇にあるトイレに行って、登山準備を整えます。千早本道にも2種類があって、「山の豆腐まつまさ」を経由する比較
明治から昭和の戦前まで、南北朝時代の天皇は「南朝が正統」とされ、異論は許されませんでした。現実の天皇は北朝の子孫なのに。たとえ学問の分野でも、うっかり足利尊氏や北朝を擁護するようなことを言うと、ヒステリックに非難され、弾圧されました。なんでか?明治維新、という政治運動が「南朝正統」という思想をドグマとしていた、からです。幕末に活躍した「討幕の志士たち」が自分たちの活動の基盤とした思想は、「とにかく天皇は神聖で、天皇に逆らう者は悪である」という「尊皇思想」というヤツです。天皇の意志に叛
4月24日2026年4月24日6:19富田林市嬉62腰神神社の藤例年は満開でしたが、今年は現在部分的にしか咲いていません。どうしたんだろう。いつもなら大木に寄りかかって見事な花を咲かせるのに...それでも発色はいいようです。ことしも野生の藤らしくシンプルな花を咲かせました。いつもなら高いところから大木にせり出して咲くのに、低い位置に控えめに咲いています。この時不思議にも日当たりの良い高い位置には咲いていないようです。腰の病に霊験あら
「南北朝の戦い」というのは、実は「源平合戦」と同じくらい、誤解を招く表現です。南北朝時代を「南朝と北朝が戦った時代」と考え「北朝の勝利で終結した」という捉え方は、あまり実情を反映していないからです。つまり、北朝の天皇は、戦ってもいないし勝ってもいません、実際のところを見れば。足利尊氏や後醍醐天皇のせいで天皇家が二つに分かれちゃった訳では、ありません。天皇家は、尊氏よりずっと以前、鎌倉時代のうちから、「持明院統」と「大覚寺統」の二つに割れて、交互に天皇を出しながら反目していたんです