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端午の節句今日は朝から爽やかな初夏の陽気ちまきを買って食べましたお墓参り先週、毎年恒例のお墓参りへ行ってきました義父のお墓がある観心寺毎年この時期は躑躅が満開で新緑がとても美しい季節🌱青もみじなどの若葉が瑞々しくマイナスイオンをたっぷりと浴びました少しお腹が空いてきたのでお寺の前にある茶店に入って名物のにゅうめんを頂きましたたっぷりのえのきや山菜が入ったあっさり味の美味しいにゅうめんでした山門前の楠公さんに別れを告げて帰途につきましたGWも後半戦に入りました
楠木正成は鎌倉時代末期の武将で、幕府に反旗を翻した後醍醐天皇を援けて建武の新政成立に貢献したが、天皇に背いた足利尊氏と湊川で戦って討ち死にした。正成の首は京でさらされた後、故郷の観心寺に送られ埋葬された。河内長野市寺元の観心寺境内には楠木正成の首塚があり、塚の上には五輪塔が建てられている。
4月24日2026年4月24日6:19富田林市嬉62腰神神社の藤例年は満開でしたが、今年は現在部分的にしか咲いていません。どうしたんだろう。いつもなら大木に寄りかかって見事な花を咲かせるのに...それでも発色はいいようです。ことしも野生の藤らしくシンプルな花を咲かせました。いつもなら高いところから大木にせり出して咲くのに、低い位置に控えめに咲いています。この時不思議にも日当たりの良い高い位置には咲いていないようです。腰の病に霊験あら
今回はこういうお題でいきます。日本史のカテゴリですね。あんまり怖い話にはならないと思います。さて、新田義貞は、『太平記』に登場する武将の中で、楠木正成、足利尊氏と並ぶ3本の柱の一人ですが、他の2人に比べるとマイナーというか、歴史的評価もあまり高くないですよね。『太平記』は戦前、天皇に忠義をつらぬく物語として皇国史観に利用され、その反動から、戦後はあまり読まれなくなりました。中学校の古典教材に『平家物語』は出てきても、『太平記』が出てこないのは、『平家物語』のほうが文章が優れてるため
所在地〒586-0051大阪府河内長野市末広町(長野公園)特徴幕府に反旗を翻した楠木正成の山城で、山頂まで段郭の痕跡が確認できる。感想公園整備による改変が著しいが、古い宝篋印塔や石碑も建っていた。
所在地〒584-0056大阪府富田林市嬉特徴幕府に反旗を翻した楠木正成の山城で、北西麓に登山口があるが駐車場は少し北になる。寺院跡や兵舎跡、段郭を経て登ると広い主郭で、西方向の眺望が良好。感想適度に整備されてハイキング向きだが、堀や土塁はなく見所は多くない。
西葛城神社(赤マーク)は、水間鉄道:水間駅(最終駅)から南東へ1.2㎞のところに在ります。水間観音(青マーク)からだと東へ1㎞です。鎮座地大阪府貝塚市木積2273拝殿に前には、枯れた御神木。左の御神木には、仏像が納められています。文久三年に奉納された狛犬。割拝殿。ちょっと変わったお賽銭箱です。左から、楠神社、西葛城神社。楠木神社は千鳥破風と軒唐破風、西葛城神社は千鳥破風が3つ作られています
明治から昭和の戦前まで、南北朝時代の天皇は「南朝が正統」とされ、異論は許されませんでした。現実の天皇は北朝の子孫なのに。たとえ学問の分野でも、うっかり足利尊氏や北朝を擁護するようなことを言うと、ヒステリックに非難され、弾圧されました。なんでか?明治維新、という政治運動が「南朝正統」という思想をドグマとしていた、からです。幕末に活躍した「討幕の志士たち」が自分たちの活動の基盤とした思想は、「とにかく天皇は神聖で、天皇に逆らう者は悪である」という「尊皇思想」というヤツです。天皇の意志に叛
国芳⚔️武者絵歌川国芳「通俗水滸伝豪傑百八人之壱人両頭蛇觧珍」「通俗水滸伝豪傑壱百八人之壱人」シリーズは、その国芳の出世作なのだが、どこを切ってもドバッと血が噴き出しそうな、リアルでフィジカルな重量感にあふれている。この国芳も“北斎チルドレン”なのである。本武将浮世絵(武者絵)に描かれた武将「樋口治郎」(ひぐちじろう)とは、平安時代末期に「義仲四天王」(よしなかしてんのう)のひとりとして名を馳せた「樋口兼光」(ひぐちかねみつ)のことです。樋口兼光が仕えた「木曽義仲」(きそ
みなさま、こんにちは。古谷維久子です。先月、>>>こちらの第5弾として、先月の六甲・金鳥山とロックガーデンに続いて、大阪南部の金剛山に行ってきました。集合場所は、地元・河内長野駅です。そこから、南海バスに乗ります。今回は、急な登りがない、伏見峠口からスタートです。お決まりの写真で、気合を入れていきます。スタートから10分くらい。まだまだ元気です。車も通れる道ですが、上り坂が続きます。延々と、上り坂が続きます。
2026-04-05石清水八幡宮の境内を散策中です片付けをされていました黄金の雨樋が見られるんだもう少し早く来てたら、、、御本殿の後ろにあるお社たち鬼門封じ前に来たときに見たね〜わざと角を削ってるやつね校倉あ、この塀が信長塀か〜信長塀の向こうから大きな木がこちらへ迫ってるね楠木正成クンが『楠』を奉納したんだね〜上から二番目の写真信長の黄金の雨樋だ生で見てみたいなぁ〜コレ信長塀は御本殿を囲むように建ってます瓦が挟まれてるんだけど、ミルフィーユみたいだね御本殿の
今までの中から印象的であったものを2週間ほどリバイバルします。原本:2025年4月29日2025年4月25日16:24富田林市嬉62腰神神社の藤今年は4月25日が満開のようです。西日が当たる時に撮りたかったのですが、当日はあいにく午後曇りでした。まわりの大木にしがみついて覆いかぶさり、花を咲かせる藤。花は日の当たるところで咲くようです。4月21日15:124日前はこのようにまだ紫の発色がよくない状態。4月25日16:544日でこのようになりま
登場人物覚え書き|高峰明日香の明日はどっちだ!人物・設定はコチラ↑あすか「楠木正成って人は、近畿地方の武人だったんだけど、彼の過去を知る者はいない。『太平記』によれば、鎌倉幕府を倒そうと挙兵した後醍醐天皇が夢の中で『楠』という者を頼れとお告げがあって、探させてみたら楠木正成にあたったという話だよ。鎌倉時代後期の話だ」あすか「それまで無名だった楠木正成は、後醍醐天皇に忠誠を違った。やがて幕府軍は後醍醐天皇の要塞とする山に放火し、後醍醐天皇と側近をとらえてしまう。だけど天皇の第三王
今回は怖い日本史のカテゴリに入る内容です。立川流(たちかわりゅう)は、オカルトフアンならご存知だと思いますが、真言系密教の一流派で、淫祠邪教の代名詞のようにあつかわれています。ちなみに、字は同じですが立川流(たてかわりゅう)と読むと、故立川談志師匠が創設した落語団体のことになります。どっから話していきましょうか。まず、立川流の教義および儀式ですが、これははっきりわかってはいません。というのは、立川流は徹底的に弾圧され、独自の経典などは焚書ですべて失われているからです。現在残っ
日本を蝕む”朱子学”の闇その76日本に「儒教」が伝わったのは朝鮮半島より遥かに早く、継体天皇の時代の513年、百済より五経博士が儒教の教典とともに渡日して以降のことである。つまり仏教よりも早く、さらにはこれ以前にも、王仁(わに)が『論語』『千字文』を持って渡来したという伝承が『古事記』などにも記されており、概ね5世紀頃には伝来していたものと考えられている。儒教の思想は多神教を奉祀する古神道と相入れやすかったと考えられ、儒教よりもさらに前の4世紀頃には入ってきていた道教、儒教と同時期に入
足が痛くなってきたし、自然散策だけで十分楽しめたし、行かないかなあ、でも、せっかくここまで来たのだから行ってみよう、くらいの思いで行った吉水神社。驚きました!神社の中に、(これ、宝物殿とか博物館とかで厳重に展示されるような物じゃないの?!)と思えるような品々が、空調も無いような畳の部屋に沢山!小野篁とか楠木正成とか物語の人のように感じていたけれど、その人達が実際に身に付けていた物とかを見ると、ああ、本当に生きて存在していた人達なのだなあ、と、感慨深かった。南朝の皇
“島の谷の観音さん”MAPのその名に昔から村の人に愛された場所なのだと感じます来た道を振り返るとこんな風…街道沿い、天見川に開けた集落から山へ入って行く所そこに標のように佇んでいた島の谷の観音さん(H30・10の画像です)そして山の集落へただ一本道を辿りますこの道を抜けて行くとまず目に飛び込んできたのは早桜椎茸を栽培されていましたパッと開けて…道々の南天が景色のアクセントになっています夏蜜柑?の橙色と青空が美しいですねこの頃はサンシュユが満開を迎えて道に沿い
続きです。夫が流罪となって2年後、彼女は夫とともに脱出。地元の豪族名和長年の屋敷に身を寄せてたのです。しかし側近の日野俊基は乱の責任を取って処刑されます。やがて鎌倉幕府も足利高氏や新田義貞たちの攻撃を受けて滅亡。時の執権赤橋守時や得宗だった北条高時たち北条の一族が鎌倉の東勝寺にて自害します。そしてやっと夫の天下となります。そして親政が行われてこれがのちの建武の新政と呼ばれるんですけどね。廉子も夫の寵姫として夫に寄り添い多忙な日々を送ってました。まあ鎌倉から朝廷に100年ぶり
―竹中半兵衛―さて、大河では、藤吉郎の「しんがり」に対して、竹中半兵衛が「敵を狭い場所に誘いこんで、分断・迎撃し殿(信長)様が退却する時間をかせぐよう」進言します。そして、陣内に藁人形のかかしを立てたり、酒に似せた爆薬入りの酒瓶を置いたりして、敵方を翻弄させました。なお、竹中半兵衛が、金ヶ崎の戦いで、本当に活躍したかどうか、一次史料がないためわかりません。また、前回でも紹介しましたが、この「しんがり」には、明智
私が今まで強い権力に対峙する時、そうですね、典型的には小田原市長だった守屋輝彦やそれと手を組んだ小田原箱根商工会議所会頭らと対峙した2020-2024年。小田原で最も権力を持っている市長と経済界のトップを敵に回して、巨大権力に挑んだんですからね。並大抵の事じゃないんですよ。だから、私は第二次加藤政権では、市長を作り替えた責任者としてふるまっているのです。議員でもなんでもない市民で間違いなく「最強市民」だったと思います。私は何の後ろ盾もなく、自分でこの地位を築いてきたので
前に早朝再放送した時の録画が第3話から。。。(これは多分SD版だったのかな)だったので、今回のリマスター版1話2話をゆっくり録画してみることができて、そして、当時よりも少しは日本の歴史も詳しくなっていたので、さらに興味深かった。早くも榎木孝明の日野俊基や赤井英和の楠木正成の弟バサラな佐々木道誉の陣内孝則宮沢りえの藤夜叉樋口夏菜子の花夜叉NHK大河ドラマ1991年「太平記」のやっと1回目を視聴しました。4Kで、録画で2026年0
未完の塔と完成された仏ー観心寺で感じた楠木正成の無念|千世(ちせ)かねてより会いたかった仏さまにやっと会うことができました!この日の見仏仲間は、偏光さんあらため岡埜由木古さん。彼女とは春日大社・萬葉雅楽会以来なので、かれこれ約半年ぶりになります。この日も変態同士、話題満開になりそうで、ワクワクしながら向かいました。ネット情報では「8時半から整理券を配布」とあるので、少々ビビりながらもマイペースで10時ごろに到着し…note.com
【再訪】かつて700~800人の修行僧がいた幻の山岳寺院「小馬寺」-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be開始のところからの宝篋印塔と、元々そばにあったとされる五輪塔は、実際は、1337年に金ヶ崎の戦いで敗れて自害した、後醍醐天皇の第一皇子・尊良(たかよし)親王と、新田義貞の嫡男、新田義顕(よしあき)の供養塔であったと考えられます。この前年、
石清水八幡宮(本殿〜裏参道)後半は本殿と裏参道、帰路の様子をお伝えします。南総門から本殿を望みます。この日は特別拝観(1,000円)があり本殿内を初めて見学しました。残念ながら撮影禁止のため、信長寄贈の「金の雨樋」や左甚五郎作「目貫の猿」なども見るだけでした。本殿内から周辺の摂社・末社を望みます(内部は撮影禁止)。本殿の周りも摂社や末社、「信長塀」や「楠木正成奉納の楠」など見どころ満載です。本殿東北の角を切り取った鬼門封じ楠木正成奉納の楠と信長塀
こんにちは湊川周辺にいってきました湊川商店街南側大通りです湊川公園につづく新開地商店街大楠公(楠木正成)の騎馬像です湊川公園からのながめ公園の下を道路が通ってます東山商店街です商店街は活気にあふれています商店街の北側の川沿いの桜ですいつもありがとうございますまた、きてくださいね
壬申の乱で王権を略奪されて以降セト(新王朝・漢民族・藤原氏)によって、旧王朝(オシリス信仰・日下)の記憶は、尽く封印されましたが、土地の中に潜んでいるエジプトの残滓は、音と意味の共通性や伝承などから、いくらか見つけられたりします。今回は「大阪府大東市・四條畷市」にみられる記紀の編纂者が隠しきれなかった「音の記憶」の断片や伝承から「旧王朝の断片」をご紹介したいと思います。大東市や四條畷という土地は、実は「天之日矛」の物語において欠かせない重要な「水の座標」です。この地域は天之日矛の影が色濃く漂
今月のLINE特典神様からのメッセージは『四條畷神社』(しじょうなわて)です✨️LINE登録されてる方に毎月無料で配信しております😊数年前にこちらの御祭神に来るように言われていましたが…ようやく行くタイミングが取れて行くことになりました。何かと期限が言われていない場所は後回しになりがちです。もちろん緊急性のあるものは否応なしに駆けつけたりします。こちらは南北朝時代の武将の楠木正行(くすのきまさつら)を主祭神として祀られております。正行は、楠木正成(まさしげ)の嫡男です。正行は
こんにちは、ヒロスケです。いつも私の拙いブログに訪問していただきありがとうございます。これまでアメトピに選ばれた記事↓土の上に敷くのは芝生?砂利?○○なんてどう?子供部屋の広さってどうやって決めてる?どれくらいあればいいアラフィフの転職と退職願老後の生活ってどう考えてます?私は歴史小説が好きです大学生のころに司馬遼太郎にはまりそれ以降歴史小説を読むのが好きです今お気に入りなのは今村翔吾さん今回オーディブルで選んだのは「人よ、花よ、」
式内社・建水分(たけみくまり)神社に参拝4月5日、往生院六萬寺での楠木正行公(胴塚墓所)の毎月の月命日供養の後に参拝できたのは誠に妙縁となりました。金剛山総鎮守、楠木家氏神。祭神は、天御中主神、天水分神・水波能姫神、国水分神・瀬織津姫神。勅額「正一位水分大明神」は、後醍醐天皇の宸筆で、元は楠木正行公奉納の木製(宝物)。後醍醐天皇の勅命で楠木正成公が中・左・右殿を再建。摂社、南木神社は、祭神、楠木正成公。後村上天皇による神号下賜
こんばんは☕️先日、久々にオフ会へ😊ZENI-BAさんが、東京へいらっしゃるということで、春らしい東京を味わっていただこうというと東京駅で待ち合わせをして、先ずは、皇居へ(私、皇居の周りは、時々、通るのですが、ゆっくり見たことがない所があって、お付き合いいただきました😽)1️⃣二重橋へ(正確には、正門石橋)インバウンドが、たくさん!!一般参賀の時、ニュースで流れるあの橋へ。2️⃣桜田門🌸あの井伊直弼の「桜田門外の変」は、この門の外であったそう。(井伊直弼