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<2025年>2月浸潤性小葉がん確定2月~7月術前抗がん剤(ドセタキセル4クール、EC療法4クール)8月右胸を全摘9月病理の結果9月~10月放射線治療25回9月タモキシフェン10年スタート9月TS-11年スタート9月リュープリン半年ごと2~5年スタート<病理検査の結果等>・浸潤性小葉がん・サブタイプ:ルミナールB(ホルモン受容体陽性、HER2陰性)・ステージ:2B・大きさ:100×80mmにガンが散在・リンパ節転移:なし・センチネル
小学5年生の姫。先日、宿泊校外学習がありました。分離不安症気味の姫なので、心配でしたが、行くまで散々泣いていたわりには、学校に着いたとたんに元気100倍!問題なく宿泊して帰ってきました。「友達」のパワーってすごいですねそれはさておき、宿泊校外学習で、1番の心配は、「髪の毛」でした。くせ毛がすごいので、「なんだ、お前その髪の毛!きたね~」って言われちゃわないか、心配で心配で💦お風呂を出たらすぐにドライヤーで乾かして伸ばしておかないと、翌朝の髪の毛は
今日、私はお休みですが子ども達&パパは学校&仕事で通常どおりでもパパが在宅勤務なので家に居る手前、ゴロゴロもしていられないしな...仕方ないから汚部屋の片付けでもしようか〜と悩んでいるところです。今朝の川越はどしゃ降り叩きつけるようなメッチャ激しい雨が降っているのですがこんな中で娘は校外学習で群馬へ行ってますお昼はバーベキューだそうや、やむといいね〜おそらくムリでしょうけど幸い、今夜はレッスンもお休みで何なら明日もお休みだから風邪だけはひかないように、元気に楽しんできて欲
洲崎(すざき)洲崎の古道を歩きます。洲崎(すざき)須崎・瀬崎とも記す。元弘3年(1333年)5月の鎌倉幕府滅亡の際に新田義貞軍と北條軍北條守時とが激突した古戦場として名高い。地名の由来は砂(す)の崎(さき)で砂州(さす)の伸びた岬という。初見は貞和5年(1349年)成立の「梅松論」で北條守時が武蔵路沿いの洲崎千代塚において新田義貞軍と戦い敗れて自害したと記されている。「太平記」でも洲崎合戦の様子を詳述している。「日工集」永和2年(1376年)1月17日條に「瀬崎の宿屋」とあり、
村岡(むらおか)村岡の旧道を歩きます。その1村岡村岡は鎌倉郡谷七郷の1つ。相模国鎌倉郡村岡郷にあり平良文が村岡城を築城したことにちなむ。建久2年11月22日源頼朝寄進状写に「相模国村岡郷内」とあるのが初見。元弘3年(1333年)5月に新田義貞の鎌倉攻めで「飽間孫三郎宗長卅五於相州村岡十八日討死」と記された重文の板碑が東村山市徳蔵寺にあり、5月18日に村岡で合戦が行われたことが分かる。原宿(庵野原)深谷汲沢高谷小塚宮前弥勒寺東俣野柄沢城廻関谷植木岡本渡内
春日大社に正装でお詣り※明け方で参拝者のいない時間帯に参詣大鎧展10時から12時半まで、鎌倉智士が徹底解説2.国宝赤韋縅鎧岡山県立博物館所蔵岡山県立博物館所蔵の赤韋縅鎧は備中国赤木氏に伝来の鎧。岡山県立博物館が6億円で購入したとされる。赤木氏は桓武平氏(平良文)流の秩父平氏。白河忠兼の次男赤木親忠を祖とする。赤木氏の家紋は向茶実(むこうちゃのみ)。白河忠兼の時代に信濃国に入り、赤木親忠が信濃国筑摩郡赤木郷を本拠に分流。承久の乱(1221年)に赤木長忠は勲功により備中国穴田