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6月8日月曜日書写山圓教寺羽柴小一郎の落書き大河ドラマ「豊臣兄弟」で三木城攻めの本陣であった姫路書写山円教寺の旧摩尼殿の柱に羽柴小一郎(豊臣秀長)が小刀で名前を刻むシーンがあったが書写山円教寺の旧摩尼殿の柱には実際に羽柴小一郎と言う落書きがあるようです。実際には本人ではなくて家臣の誰かが刻んだようです。●兵庫区自転車修理●兵庫区自転車店●兵庫区自転車屋●兵庫区中古自転車●サイクルプラザ・イレブンのブログhttps://ameblo.jp/
御茶屋/本陣江戸時代、街道の宿場で大名等が宿舎・休憩のため設置された施設。「御茶屋」の他「本陣」と呼ばれた。御茶屋跡(太養院跡)福岡県飯塚市本町20-17現在は飯塚片島交流センターがある。この地が「本陣」だった為、地名が「本町」となった。階段を降りようとすると見えるこの石垣は当時のものだという。飯塚山太養院(いいづかさんたいよういん)福岡県飯塚市本町19-15曹洞宗の寺院。700年代に行基の開山と伝えられる飯塚村最古のお寺。器運山香積寺(きうんざんこうじゃくじ)と号して
前回からの続き(3月7日のこと)です橋を渡り、茶臼山へやって来ました茶臼山史蹟茶臼山及河底池の石碑があります大坂夏の陣天王寺口布陣図大坂の陣は言わずとしれた豊臣方と徳川方との最後の戦いです💦ただ、これによると兵力は3倍近くあります😅いっぱい解説板がありました今回は全国武将でも好きな武将の1人・真田幸村なので、文字起こしは全部します🤣なので、文字かなり多め(過去最高!?💦)となります気になった方のみお付き合い頂ければと思います😌茶臼山古戦場跡慶長20年5月7日〔1615
吉井城(岡山市東区吉井)近世地誌類には記載が認められないが、文明15(1483)年の福岡合戦の松田元成の本陣跡とされ、「城ヶ辻城」などとともに重要な役割を担ったと思われる。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第1冊備前編より)南東二重堀切(南)南東二重堀切(北)長大で東側が土塁状の南東二郭南東二郭西帯曲輪南西三郭南西四郭南西五郭南西三郭南部の井戸南西六郭南西六郭の西土塁南西七郭主郭主郭北東帯曲輪緩傾斜の北西二郭主郭西帯曲輪北部の土塁北西三郭北東畝状竪堀が三条
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第22回の紀行で、書寫山圓教寺、丈六阿弥陀如来坐像が出てきましたね。(続きです。)秀吉が播磨平定のための本陣を置いた書寫山圓教寺。書写山の山上は要塞と化し、およそ2万の兵が配置されたといいます。丈六阿弥陀如来坐像。現在、寺の宝物が納められている食堂。ここに「羽柴小一郎」の文字が刻まれた柱が残されています。当
つれあいの病院の送り迎えで衣笠へ。色んな都合があって、久しぶりの送迎だった。つれあいが病院で検査を受けている間、衣笠の街をぶらぶら(病院は衣笠にあるのだ)。この街は高校生当時、住んでいた家からも通っていた高校からも近くて、しょっちゅううろついていた街。ご多分に漏れず、当時と比べるとシャッターも目立つようになった。それでも数年前の大河ドラマで、三浦半島を所領としていた三浦一族が取り上げられていたこともあって、その名残が商店街のアーケードに残っている。そろそろその過去の