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まだ続いている最後はね「本陣岩波家」長いお庭を過ぎたら築220年の建物が28代目当主が説明してくれましたすべてがお手入れしてあって維持するの大変にみえましたよお庭素敵お抹茶付きどこも素敵すぎるそしてここもおともだちと2人きり静かな場所幸せだったことこの階段が欲しいな~~最後まで読んでいただきありがとうございますにちかく(毎日書く)のだちゃんの毎日出来事日記
韓国で戒厳令が発令され、6時間で解除されたとの事詳しい事情は与り知らぬところではありますが、その影響は大きく様々な混乱が起きているようですその中で気になったのは、戒厳令を発令した大統領の出身高校がいきなり私服登校OKになったそうです大統領を非難するあまり、出身高校にもその矛先が向くという事でこれって恐ろしい事ですよねただ出身高校だというだけで、全く関係のない高校や現役生徒に避難が向かうのですから非難の方向性って怖いですねえこういった醜悪な様を他山の石として色々と律していきたいですね
今日は2024年12月9日(月)です。昨日はテレビ東京の「Youは何しに日本へ」を見ました。外国人が中山道(なかせんどう)を歩いて旅をします。途中岐阜県妻籠宿馬籠宿を通りました。参勤交代する際の宿場町です。古い日本がそのまま残っていますいいとこです。僕は2009年に行った事が有ります。懐かしいので振り返って見ました。過去記事です。↓===============2009年9月18日の出来事です。9月18日(金)
敵襲だ!どこから?どこに?筑肥に安芸から敵勢が襲来…。毛利か!?今、筑肥は宇喜多に任せてあるが、移動したてで兵力が整ってない(はず)💦だが、仕方ない。現状、筑肥で出せる兵を全て投入する💧勝てるか?毛利の陣容は?ぎぇー!毛利は全軍で筑肥に来た💦こちら(宇喜多)の主力は足軽👣673くらい。これはダメか💦(諦め?)瞬く間に、毛利勢が宇喜多勢にやられ、本陣(足軽👣)が減退。完敗💧💧💧やはり毛利の騎馬隊が強い!そりゃそうだ。兵力が違いすぎる…。筑肥を毛利に奪われたしか
12/7「狩留家史跡めぐり」の後編です…「西八幡神社」建立時期は不明のようです…🤔本殿・拝殿は1994年(平成6年)広島市重要有形文化財となりました。室町末期の部材や特徴を残した建築様式であるようです。正面の扁額の特徴は「八幡宮」の"八"の字が対の「鳩」で書かれており、鎌倉の「鶴岡八幡宮」と同じと説明を受けました。目の前は「三篠川」ですが、川向うの山腹には「東八幡神社」もあるそうです…🫡その三篠川には鴨が泳いでいました…🦆お昼ご飯は地元集会所にて地元名産の「狩留家なす」料理を
ガードを引いて、加藤(清正、武力1800)を得た。兵力はまだ危うが、この加藤(清正)を使い、先に三備の宇喜多を討つ?だが仮に、この宇喜多を倒して三備を獲たとしたら…、地政学的に、安芸の毛利と播磨の赤松に挟まれる形になる。これは厳しいか?どうする?……少し悩む。毛利を放置しては置けないな。しかし、毛利討伐に兵を割けば相当の消耗になる。安芸を獲ても、“次”(たぶん赤松討伐)が危うくなる…。毛利か、赤松か?では、赤松の兵力は?それなりに毛利ほどの兵力ではないな?(毛利が強すぎ
島津悲願の九州制覇まで、残りは豊前のみ。豊前の領主は城井氏。この兵力なら勝てそうだが、問題はその背後(三備)の宇喜多。豊前を獲ったら、すぐに乗り込んでくるだろう。その宇喜多の兵力は?おっ?これなら攻め込まれても倒せるか?ならば、すぐに出兵だ!しかし💦龍造寺との消耗戦で、こちらの兵力はガタガタとても攻められないな。なので…、まず、本陣(本拠地)を獲得したばかりの筑肥へ。そして、九州の属国(領国)から搾取…。5ヶ国もあるから、移動で兵力を集中させる。…多少、心が痛むが
この日も部下2号とランチを食べにオフィスを出ました。車を走らせながら何を食べようか考えます。時間もあるし元気なお姉さんにも会いたくなりこのお店に向かいましたよ~(^。^)そば処本陣本店住所:札幌市東区北9条東8丁目1−5お蕎麦屋なのに定食メニューが豊富な本陣です(^_^)/前回来たのが10月中旬(こちら)なので約1ヶ月半ぶりの入店になります。おすすめメニューがこちら。変わりないですね~デフォメニューです。こちらも変わりありません。店内は先客が5名と空いていたので
嘆きの亡霊は引退したい第9話✨敵の本陣へ乗り込むハンター達👊だが狂暴なキメラに巨大ゴーレム、迫りくる難敵に手こずり一進一退の攻防へ❗そんな命を賭けた激しい戦いは、クライの到着により急転直下の結末を迎える…。後日、ノト・コクレア率いる『アカシャの塔』の面々は、無念の敗走からの再起を誓うと、ハンター側に潜入していたソフィアと合流する✋だがソフィアの様子はいつもとまるで異なっていた…。戸惑う一同の前に現れたのは『あの人物』だった❗
佐柿国吉城は粟谷勝久が築城したと伝わっています。1563年頃から越前の朝倉氏からの度重なる攻撃に何度も耐えた難攻不落の城として名を馳せている城でした一方、玄蕃尾城は羽柴秀吉との戦いの為に柴田勝家が本陣を置いた城でしたしかし秀吉軍の隙をついたにもかかわらず秀吉の反撃に合い総崩れとなり今の福井城のある北庄城に敗走する事になります。柴田勝家に組していた前田利家の軍が突如、戦線離脱した事から柴田軍の士気は一気に下がりましたが恐らく豊臣秀吉の画策があったと思われます佐柿国吉城で
旧東海道神奈川宿を進みますと…「滝の川」に出ます。滝の川は権現山から流れでる水が滝となって落ちていたことから、滝の川となったという。この橋(滝の橋)を渡って左に行くのですが、旧東海道が拡幅され第一京浜国道と重なっています。往時は瀧の橋の袂に「高札場」があったことがこの図からわかります。今はこの先の神奈川地区センター前に復原(後日掲載します)されています。『武相叢書第ニ編金子砂子附神奈川史要瀧之橋権現山』神奈川宿場時代は、この滝の川を挟んで西側に
今日12時には目がさめてましたが二度寝してこの時間最近は寒くなってきたそうで・・・・・・とりあえず部屋掃除から☆☆にてもっかい某所勉強なれたら本陣へ行く!とりあえず業務スーパーにて朝ごはん弁当そして寝る前にユーチューブみたのだがまるで糞ひょっとしたらブロックするかもとりあえず業務スーパーの惣菜へ!
嘆きの亡霊は引退したい第8話✨シトリーの手腕によって、ピンチを脱したハンター達✋焦った『アカシャの塔』の構成員達はソフィアの命令を無視してしまい、あえなく自滅する💦さらにシトリーは敵の本陣を難なく特定💡ハンター達は一気に攻勢に出ようとするも…。突然、アカシャ屈指の魔導師フリックによる一撃必殺の雷撃魔法が一同を襲う❗形勢は逆転しハンター達は全滅してしまった😰…かに思えたが…。クライもようやく動き出し、戦いはいよいよ最終局面へ❗
その後、第7師団は徐々に前線のほうへと進軍していった。隊の仲間が一人、また一人と戦死していく中で、残っている隊で隊列を組み、組織を何とか編成する。この日は、N字型の隊列の編成だった。一等兵の#が歩きながら、不満や愚痴をこぼす。#:「ちくしょう。軍靴の中が蒸れていて、足にイボができて痛い」すると、上等兵の$がすかさず気の利いたことを返答する。$:「クリームを塗っておくか?」それを聞いた軍医の¥が立ち止まって背中に背負っていたリュックサックの中をごそごそと探す。だが、見つからない。大尉も一
当ブログは趣味の釣りや自然観察郷土の歴史、庭仕事、家庭菜園など田舎暮らしの様子を岡山県からお届けしている日記ブログです。みな様おはようございます。本日もご訪問ございます。今日は11月13日(水曜日)仏滅(大名行列の日)今日の記事は11月10日に岡山県矢掛町で行われた大名行列の日の様子をお届けします。午後12時30分からは甲冑を着た岡山城鉄砲隊の演技が披露されました。火縄銃の大きな音に観衆のみなさんが驚きと拍手を送っ
西陣の日(11月11日記念日)京都府の西陣織工業組合など西陣織関係の13団体で組織された「西陣の日」事業協議会が制定。文明9年11月11日(新暦1477年12月16日)、京都が戦場となった応仁の乱(1467~77)が治まった。戦火を逃れて全国各地に散らばっていた織手達が京都に戻り、西軍の本陣のあった辺りに住み付いたことから「西陣織」と呼ばれるようになった。
いい天気で、室津港に立ち寄り。8世紀に書かれた「播磨国風土記」には、ニャンコが呟いている言葉が書かれる程の天然の良港だったようで、室津の名前の由来になっているようです。四国、九州の大名が参勤交代の時に、この港を使うようになって、最盛期には、本陣が6つもあったそうですが、本陣の建物は、残念ながら残っていません。こちらは、脇本陣として使われていた建物。現在は、資料館になっています。こ
11月4日二川宿の続きです。正午より大名行列の出発式が行われました。お殿様(三河吉田藩主松平伊豆守信明)とお姫様(雅姫・琴姫)が前方に座っていましたね。お姫さまの二人は、公募で選ばれました。また、若殿と妹姫もいましたよ。忍者もいました!服部半蔵忍者隊の皆さんです。子供の奴も「お鬚」が似合いますね。子供の奴を監督する人のカバンには「奴」の字。この日の為に特注したのかな?そして、大人の奴の演技が始まりました。奴は、参勤交代の長い道中に、山賊に
11/6水曜日今週は冬型の天気よく眠れますが、起きれない!!!さて、風邪対策にビタミンを意識していきましょうもう風邪ひいたんやけど・・・【菜飯と味噌炒め弁当】・菜飯(小松菜・ごま油・塩)を炒めてご飯に混ぜます※少ししょっぱいくらいがちょうどよい・味噌炒め(豚小間・糀味噌・てんさい糖・酒・醤油)・卵焼き(てんさい糖・塩)・ゆでブロッコリー・ちくわグルグル糀味噌でお肉もやわらか■北陸は糀味噌なので日頃から麹とりますあんこみたいに「こし」てのもあるけど話変わって昨日は
11月4日二川宿の続きです。本陣、旅籠屋の次は、資料館に行きました。ここにも、多くの資料があるので一部だけ紹介しますね。この資料館は、施設の整備の為、しばらく休館していましたが、11月3日、再始動しました。11月3日、4日は、無料開館でしたね。中に入ると、本陣のミニチュアがありましたよ。今も残る本陣・脇本陣と旅籠屋の説明もありました。たくさんの宿場があったんですね!皆さん、興味深く見ていましたよ。また、二川宿の詳細の地図もありました。多くの
11月4日旧東海道を歩くのを再開しました。今年の3月以来ですね。本日は、二川宿です。二川宿は、江戸日本橋から数えて、33番目で、遠江国より三河国に入って最初の宿場でしたね。JR二川駅から、旧東海道を歩きました。JR二川駅前には、二川宿の説明がありましたよ。旧東海道は、最初は、道幅が広かったです。ちょっと、旧東海道らしくないですね!途中から道幅が狭くなり・・・二川宿らしくなってきましたよ。地元消防団の建屋のシャッターも、いい感じですね!街
快晴の中、二川本陣祭り!久しぶりに仲間が揃いました。色々な手作り品などを並べていまーす。
"前回の続き"です人力車に乗って小諸の城下町を巡ります人力車を引く"喜楽屋笑太"さんのご指名により息子が"カメラマン"に(^○^)普通に考えたらこの様な光景って車を運転している方は驚きますよね!この車を運転していた方もかなり驚いていた様子でしたこちらの建物は"旧小諸本陣問屋場"です修復前に撮影した記憶があったのですが...画像が見つかりませんでしたこちらは旧脇本陣"粂屋"さんです現在でも宿泊出来るそうですこの日は陽射しが強く少し暑いくらいでしたが
小仏城山からの帰り道、こんなノボリがたくさんありました来週は大名行列か。そういえばこの近くに本陣があったな。前に来たときはコロナのせいで休館中だったけど、今日は時間も余ったし寄って行くか小原宿-Wikipediaja.m.wikipedia.orgそんなわけで小原宿本陣(おばらじゅくほんじん)に寄りました本陣とは、宿場で大名行列など身分の高い人が泊まった屋敷。普通の宿屋とは違うわけです。現存する建物は多くないようですが、ここは神奈川県内で唯一残る貴重な史跡だそう。よく手入
どんより曇った平日(火曜日)、東海道五十三次の江戸から数えて47番目の宿場町、関宿(せきじゅく)に行って来ました。関宿は、江戸時代には参勤交代やお伊勢参りの人々でにぎわいました。その範囲は東西に1.8Kmあり、今も江戸時代から明治時代にかけて建てられた古い町屋が残っています。街道のほぼ中央付近の郵便局(高札場跡)には、☟江戸時代の旅人とお侍の顔出しパネルがあります。☟そしてその敷地に高札場(明治初期に撤去)の復元されたものが建っています。⇩
思い立ってから30分で黒バハ開始そんなビックリな突発黒バハに参加しております久しぶりの黒バハ参加で情報量が多いですねえアルティメットボディとアステリオスまでで一回分の記事になってしまったというそれでは黒バハの続き行きますですよー上層第三戦目インフェルノワイバーン戦開始なのです飛行モードから繰り出される連射炎弾はそもそも画面に収める事自体至難更にそこからタイミングを合わせ防御するのはさらに難しいのですが、ねしかしそこは神秘盾ヘカトンです鏡花水月とファイアーリフレクションでインフ
エジプトちほーナイル町では二カ月に一回くらいのペースで町内清掃があるのですね回覧板で回ってきて、7:30開始という事で三連休だというのに朝もはよからと思いつつ、町内のお掃除頑張ろうと早起きしたのですよ7時に起きて身支度整えていると、表からがさがさという音が聞こえてきます7時30分にお掃除しようと表に出ると、ゴミ袋を持った近所のお年寄り衆がやり切った感でごみを集めて帰り支度をしていますはい、そうですお年寄りがたが6時30分くらいから集まってお掃除してしまったといういや、早いよ!足並み
飛騨高山へ行ってきた。昼飯は本陣平野屋外国人が沢山くる高級旅館だった。寿司食べてきた🍣。飛騨牛寿司がとろけた。久々に回らん寿司食べた。温泉の肌触りがツルンツルン!高山の湯ってこんなに美肌の湯だったのね。HPより拝借満足。古い街並みでデザート食べて帰宅
この日も部下2号とランチを食べにオフィスを出ました。車に乗り込みながら何を食べようか考えます。時間に余裕がある・・・そして温かい物が食べたい!となればこのお店でしょう~(^。^)そば処本陣本店住所:札幌市東区北9条東8丁目1−5定食メニューが豊富なお蕎麦屋の本陣です(^_^)/前回来たのが9月中旬(こちら)なので約1ヶ月ぶりの入店になります。おすすめ定食メニューです。一番安いメニューが600円からってホント助かりますよね!しかもどれもボリューム満点なんです。デフォメニ
おはようございます。朝方、夢を見ました。まだ、うっすら記憶のあるうちに書こうと思い…時は戦国…相手の総大将は柴田勝家そして味方は武田信玄みな刀は持たず相手も味方も竹の先を鋭く削りその竹は10本束のものも、一本のものもありとにかく敵味方、必死に相手に投げるそして突き刺さり倒れていく光景がなんとも痛々しくリアルでした。中盤なんかは馬も出てきたり我々、武田軍は本陣の防衛で、大勢の敵がどんどん攻めてきて必死に防衛していました。その数は数えきれない。人間も馬も。そして後半、相