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新装版考えるヒント(文春文庫)Amazon(アマゾン)49〜5,750円わずか10頁の短編評論ですが、小林秀雄の畢生の大作・名著「本居宣長」の核心部分が見事に語られている傑作です。本文より一部抜粋しておきます。この感想文で興味を持たれた方は、是非、全文お読み下さい。本居宣長に、「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」という言葉がある。ここで姿というのは、言葉の姿の事で、言葉は真似し難いが、意味は真似し易いと言うのである。普通の意見とは逆のようで、普通なら、口真似はやさしいが、心は
夜半に雨が降ったらしい。ややに湿った庭下駄を履いて、桜のめぐりを歩いてみる、ゆっくりと、ゆっくりと。雨と予測していた空は気持ちよく晴れ、地を埋めるほどではないが、花びらが散っている。猫はこの景色が不思議なようだ。花びらを眺めためらい、匂いをかぎ、それから庭散歩に踏み出している。夏には13歳になる愛は、近頃では垣根をくぐって遁走することもなく、庭をひとめぐりすると古びた庭いすにやすらっている。バードコールを鳴らすと、これが帰っておいでの合図と覚えたようで、私のところに戻ってくる
本田親徳翁の「産土神徳講義」について考察したいと思います。(現代語訳と本文中の注は西原壮聡氏、「考察」部分は筆者)************************産土神徳講義(上)(注)本田親徳(ほんだちかあつ)による産土神(うぶすながみ)の働きについての解説講義録。講義の年代、場所は不明。北海道明治神社宮司・鈴木重道氏によれば、産土百首が完成した明治18(1885)年頃、静岡県三島大社において地元の氏子に対しておこなわれた講義録ではないか、とのことである。<本文>さて
前回の続きです。今回は北畠神社(北畠氏館跡)その2です。ふるさと資料館の模型です。頂いたパンフレットからの引用です。社務所あたりが常御殿跡と考えられます。上図⑫付近から撮影しました。右側が社務所です。この付近に常御殿と主殿があったようです。1500年代の生活は7代目の北畠氏当主の政勝(政郷)像です。禅が流行り、京都では銀閣寺が出来た時代です。食器の出土は90%以上が土師器です。日常生活では磁器はまだ普及していません。安濃郡の国人長野氏の長野政高
(檜山哲彦文学館2025年4月通巻4号)敷島のやまと心を人とはば朝日ににほふ山桜花本居宣長昨年、亡くなったドイツ文学者で東京藝大教授、「りいの」主宰・檜山哲彦さんを顕彰する目的であろう。「檜山哲彦文学館」という冊子があり、いつも定期的に送っていただいている。今回、一筆箋が入っており、心のこもった言葉をのこしていただけましたこと今なお有り難く思っております、云々…と書かれてあった。大変ありがたい言葉だが、そんな言葉書いたかな?と思った。考えられるの
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************『本文十一、此く気吹放ちてば、根国底国に坐す、速佐須良比咩と云ふ神、持佐須良ひ失ひてむ。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)(注)「読み方」では、現代語訳として「このように息を吹いて飛ばしてしまつたら、根の国とか底の国とかにいらつしゃる(流浪の神といわれている)速さすら姫という神が持ってさまよい出てきっとなくしてしまうであろう
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************『○根国底国に気吹放ちてむ。根国底国に就いては、地球上の何処かにあるであろうが、造化の神々が生成化育の神業を以て生産されて居る吾々の住んで居る国と異る所が在るものとして斯く申して居るものと解す。古事記〔身禊〕の件に『僕(ア)は妣(ハハ)の国根の堅洲国に罷らむとおもふがからに哭く』と速須佐の男の命の詔(ミコトノリ)りの中に「
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************(注)「祝詞新講」では、「気吹戸主神」を「氣吹門の主人なる神といふ意の名である。「ヌシ」は「ノウシ」(之主人)が約つたのである。後釋に、倭姫命世記の「多賀宮一座.豊受荒魂也。伊弉那伎神所生神、名伊吹戸主、亦名曰神直日神」を引いて、多賀官は伊勢外宮の別宮なる高宮の事で、之を豊受神の荒魂としたのは心得られないが、伊吹戸主を直毗神と
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************(注)「祝詞新講」では、「速佐須良比咩」を『「速」は速開都比咩の速と同じ。「佐須良比咩」は「サスラヒヒメ」といふべきのを。「ヒ」が重なるから一つを省いたのである。「さすらひ」は動詞の「さすらふ」の活用形であつて、流浪又は漂泊の義である。罪穢を持ちさすらうて之を棄てる神徳のある神としての名である。後釋に、速佐須良比咩を古事記の須
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************『〔解説〕○此く気吹放ちてば、とは気吹戸主の神の威力に因って罪抜れを息吹きの勢いを以て吹き散らして消滅させたならば。との意である。○根国底国に坐す、速佐須良比咩と云ふ神、持佐須良ひ失ひてむ。速佐須良比咩と云ふ神、の御名は、速は、素早くの意。佐(サ)は、割別る意あり、小さく細かく割き別ると申す事。須(ス)は、澄むの意あり
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************ところで、穢れが消滅するという意味をどう考えるか。大祓祝詞では祓い戸の四柱の神が働く場が4つの階層に分かれている。これはそれぞれの場面で異なる祓いが行われているということ。そしてその最終場面が根の国底の国というわけだ。この一連の流れは、細分化の意味があると思う。つまりどんなに毒性の高い物質でも、究極まで細分化されたならば、例え
本田親徳翁の「産土神徳講義」について考察したいと思います。現代語訳と(注)及び本文中の注は西原壮聡氏、「考察」部分は筆者。************************産土神徳講義(上)本田親徳(ほんだちかあつ)による産土神(うぶすながみ)の働きについての解説講義録。講義の年代、場所は不明。北海道明治神社宮司・鈴木重道氏によれば、産土百首が完成した明治18(1885)年頃、静岡県三島大社において地元の氏子に対しておこなわれた講義録ではないか、とのことである。※鈴木重道(す
本田親徳翁の「産土神徳講義」について考察したいと思います。(現代語訳と本文中の注は西原壮聡氏、「考察」部分は筆者)************************産土神徳講義(上)(注)本田親徳(ほんだちかあつ)による産土神(うぶすながみ)の働きについての解説講義録。講義の年代、場所は不明。北海道明治神社宮司・鈴木重道氏によれば、産土百首が完成した明治18(1885)年頃、静岡県三島大社において地元の氏子に対しておこなわれた講義録ではないか、とのことである。<本文>そして
幽斎ハ宇宙ノ主宰ニ感合シ親シク八百万神ニ接ス。其ノ修シ得ルニ至テハ至大無外、至小無内、無遠近、無大小、無広狭、無明暗、過去卜現在卜未来トヲ間ハズ一モ通ゼザルハ無シ。是即チ惟神ノ妙法。常ニ服鷹スベキ者アリ。玆ニ其概ヲ挙グ。一、霊魂ハ神界ノ賦与ニシテ即チ分霊ナレバ、自ラ之ヲ尊重シ妖魅等ノ為ニ証カサル、事勿レ。二、正邪理非ノ分別ヲ明カニス可シ。三、常ニ神典ヲ誦読シ神徳ヲ記憶ス可シ。四、幽冥ニ正神界卜妖魅界卜在ル事ヲ了得ス可シ。五、正神ニ百八十一ノ階級アリ、妖魅亦之ニ同ジ。六、正神界
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。******************①皇室神道・・宮中三殿(賢所、皇霊殿、神殿)を中心とする皇室の神道賢所/天照大御神(神鏡)を祀る、皇霊殿/歴代天皇及び皇族の霊を祀る、神殿/天神地祇(八神)を祀る②神社神道・・神社を中心として行なわれる祭祀儀礼中心の信仰形態③教派神道(神道十三派)・・教祖や開祖などの宗教的神秘体験にもとづいて始まった宗教④古神道・・仏教伝来前の原始神道⑤国家神道・・明治維新より第二次世界大戦終結ま
リトグリです✨4月のデュオキャンプの記事です今回2人が訪れたのは。📍三重県多気郡明和町明和町は、三重県のほぼ中央にある、伊勢平野の南部に位置し、東は伊勢市、西は松阪市、南は玉城町、多気町(←前にご紹介したVISONがあります)に接して、北側には伊勢湾もあります。広々とした田園風景に囲まれており、太平洋(海)も隣接していていることから、豊かな農産物・海産物に囲まれた街です。歴史深い街でもありますので、そちらは後日ご紹介しますね今日のキャンプ地は🏕️以前から、2人が訪れたかった。大
自宅ポストに、ゆうメールで「かぜとゆき」という通販カタログが突然送られてきた。????「かぜとゆき」などという通販サイトは一度も利用したことがないし、心当たりがないのでネットで検索。「かぜとゆき」という会社は、DHCの元社長の会社みたいですね。元社長の吉田嘉明氏がDHCを売却し、作った通販サイトみたいですね。で、HPの会社概要を見ようとすると、なぜか本居宣長の和歌が出てくるし・・・・。一番気になるのは自分の住所&氏名がどこから漏れたのか??DHCで
太田茶臼山古墳4(茨木市)2024年7月24日これまで拝見した天皇陵は、入り口から真っすぐな参道が伸び、正面に拝所の鳥居が見えているものです。ところがこちらの参道は少し湾曲し、入口から鳥居も見えない。藍野ワールドが入り組んだ上に住宅の建て込んでいる場所がらか、用地上の問題があったのでしょう。それでも参道には両側に松が植えられ、白砂利が敷き詰められ、天皇陵の風格を漂わせています。旧西国街道に接して継体天皇陵の正面拝所への入り口が見える。江戸時代に松下見林、本居宣長
656.春待ちて桜前線動き出す先駆け1輪憂き世に開花筆者は桜🌸を詠んだ歌をこれまで何度か紹介した。ブログNo.56「世の中に絶えて桜🌸のなかりせば春の心はのどけからまし」(在原業平、伊勢物語)「願はくは花🌸の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」(西行法師)ブログNo.341「満開の桜🌸ずずんと四股を踏みわれは古代の王として立つ」(佐々木幸綱)「人々の嘆きみちみつるみちのくを心してゆけ桜🌸前線」(長谷川櫂、東日本大震災後)
本田親徳翁の「産土神徳講義」について考察したいと思います。(現代語訳と本文中の注は西原壮聡氏、「考察」部分は筆者)************************産土神徳講義(上)(注)本田親徳(ほんだちかあつ)による産土神(うぶすながみ)の働きについての解説講義録。講義の年代、場所は不明。北海道明治神社宮司・鈴木重道氏によれば、産土百首が完成した明治18(1885)年頃、静岡県三島大社において地元の氏子に対しておこなわれた講義録ではないか、とのことである。<本文>先祖