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只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。はじめに↓『全国「城門」を巡る”はじめに”』「城郭建造物」の「御殿(居館)」シリーズを終えました。「御殿」には殿さまやその家族が居住したり政務を執る為の所謂「御殿」や、城主・家族の憩いの場や来客対応の…ameblo.jp「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ
リトグリです✨4月のデュオキャンプの記事です今回2人が訪れたのは。📍三重県多気郡明和町明和町は、三重県のほぼ中央にある、伊勢平野の南部に位置し、東は伊勢市、西は松阪市、南は玉城町、多気町(←前にご紹介したVISONがあります)に接して、北側には伊勢湾もあります。広々とした田園風景に囲まれており、太平洋(海)も隣接していていることから、豊かな農産物・海産物に囲まれた街です。歴史深い街でもありますので、そちらは後日ご紹介しますね今日のキャンプ地は🏕️以前から、2人が訪れたかった。大
江戸時代紀州藩の飛び地領松阪藩に行って来ました。松阪市役所駐車場が土日無料開放。『古事記伝』江戸時代の国学者・本居宣長によって書かれた。『記伝』と略される。題字は宣長を召抱えた紀州藩10代藩主徳川治寶から下賜されたもの。下は印刷用の版木彫る技術と刷る技術は目を見張る。宣長以後、本居家は家督を継いだ養子大平の系譜に連なる和歌山本居家と、実子春庭の系譜に連なる松坂の本居家に分かれる。当時は片道4日かかったらしい。宣長は鈴の蒐集家でもあり、多く所有しているほど
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************『翁は、この講の最後で大祓の眼日、精神を、次のように述べています。我々は神の分霊分魂でありますから、万一間違ひを起した時には、再び神の魂に還らなければなりません。丁度白玉が泥中にまみれる事があつても、之を洗ひ去れば、再び元の白玉に返る如きでありまして、之が大祓の眼目であり、精神であります。この祓え観は、本居宣長が穢れや凶事
寛政7年(1795)3月25日、蔦屋重三郎が伊勢国松阪の国学者・本居宣長と面会しました。宣長の随筆『雅事要案』には「同廿五日来ル一江戸油通町蔦屋重三郎来ル右ハ蔭春海ナトコンイノ書林也」と記しています。春海はたぶん宣長と同じ国学者の村田春海ではなでしょうか?近年では、春海の隣に住んでいた斉藤十郎兵衛が東洲斎写楽だとも言われていますし、春海は若い頃に吉原に通っていたようですので、蔦屋重三郎と本居宣長は村田春海を仲介して面会を果たしたと考えて間違いないでしょう。田沼時代に様々なアイデ
井上陽水の楽曲に“人生が二度あれば”という名曲があります。ご存じの方も多いと思いますが、こういう歌詞です。“父は今年二月で六十五顔のシワはふえてゆくばかり仕事に追われこのごろやっとゆとりができた父の湯呑み茶碗は欠けているそれにお茶を入れて飲んでいる湯飲みに写る自分の顔をじっと見ている人生が二度あればこの人生が二度あれば”-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人
自宅ポストに、ゆうメールで「かぜとゆき」という通販カタログが突然送られてきた。????「かぜとゆき」などという通販サイトは一度も利用したことがないし、心当たりがないのでネットで検索。「かぜとゆき」という会社は、DHCの元社長の会社みたいですね。元社長の吉田嘉明氏がDHCを売却し、作った通販サイトみたいですね。で、HPの会社概要を見ようとすると、なぜか本居宣長の和歌が出てくるし・・・・。一番気になるのは自分の住所&氏名がどこから漏れたのか??DHCで
新装版考えるヒント(文春文庫)Amazon(アマゾン)49〜5,750円わずか10頁の短編評論ですが、小林秀雄の畢生の大作・名著「本居宣長」の核心部分が見事に語られている傑作です。本文より一部抜粋しておきます。この感想文で興味を持たれた方は、是非、全文お読み下さい。本居宣長に、「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」という言葉がある。ここで姿というのは、言葉の姿の事で、言葉は真似し難いが、意味は真似し易いと言うのである。普通の意見とは逆のようで、普通なら、口真似はやさしいが、心は