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本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************本田霊学の鎮魂法について、前述の考え方(祭事鎮魂の項を参照されたい)を参考に解釈すると、まず「鎮魂の器械」(「本田親徳全集」)として御神霊の鎮まる鎮魂石を必要とする。これは天皇の鎮魂が三種の神器を介して神界に通ずるのと同じ意味合いである。友清歓真氏のように御神霊の鎮斎されていない石をただ清めるだけでは、鎮魂の用をなさない。友清氏は以下のように書いている。『鎮魂は先づ鎮魂の
伊勢参宮道歩きは、松阪宿をめぐります。本町通りより1本西の通り一帯を魚町といいます。ここに「特別史跡・本居宣長宅阯」があります。近世を代表する国学者「本居宣長」が、12歳から72歳の生涯を閉じるまでの60年間を過ごしたところです。㊟本居宣長家古写真「宣長」の住んだ居宅は、明治42年に保存と公開のため、松阪城二の丸跡に移築され、「鈴屋(すずのや)…後日記事にします」の名称で公開されています。宅阯に残るのは、宣長の長男・春庭の旧宅と本居家の土蔵で、往
今回は吉田兼好の無常観(侘びに通じることとして)を批判した本居宣長について私なりの考えを。それにより日本人の「侘び」のこころを明らかにできるのではないかと。先ずは、本居宣長の玉勝間の主張(兼好法師が詞のあげつらひ)参考YOUTUBE”玉勝間兼好法師への批判”文法参考玉勝間兼好法師が詞のあげつらひ原文要約1,兼好法師は花や月は盛りの時だけが趣深いというのでは無いと言っているが、花に風が吹くのを待ち、月に雲がかかるのを願う歌などありはしない。法師のいうのは後世のこざかしい心で
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************本田翁の遺訓に『帰神ノ法ヲ幽斎ノ法トイフ。神界ニ感合スルノ道ハ至尊至貴、濫ニ語ル可キ者ニ非ズ。吾朝古典往々其実績ヲ載スト雖モ、中世祭祀ノ道衰へ其術ヲ失フ既二久シ。神法ニ依リ其古ニ復ス。是即チ玄理ノ窮極、皇祖ノ以テ皇孫ニ伝ヘシ治国ノ大本ニシテ祭祀ノ薀奥ナリ。蓋シ幽斎ノ法タル至厳至重、深ク戒慎シ其人ニ非レバ行フ可ラザル者アリ。濫ニ伝フ可ラザル意蚊ニ存ス。然リト雖モ其精神萬難ニ撓
2025京大文系古文にチャレンジ!!3/10は京都大学の合格発表日。Twitterで12時ちょうどに合格の悲鳴を聞いてテンション上がるやん。入試問題解いてみたくなるやん(そんな変わりもんおらんやろ)京大理系古文は高校入試レベルで簡単すぎるのでパス。本居宣長とか江戸時代やん。つまり古文の中でも現代語に近い=読みやすい。京大文系古文こそガチの古典文学で難しいわけや。タイトルは義経記ときた。源義経と弁慶も出てくるよ!源義経が武蔵坊弁慶をお供に北の方を連れてみちのくは平泉の奥州藤
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『石が授かったら塩水或いは塩湯で清め、祓祝詞を奏し、祓いを行なって』塩気を取るため最後に水で洗わなければならない。次に、顕斎ではないので、祓祝詞の奏上は必要ない。幽の祓いは当然行うが、彼は知らないのだろうか。『天宇受売神の御霊が鎮まるように真心込めて神界に祈念し』心の持ち方としては正しいが、ただ祈念するだけでは実現しない。先ず天宇受賣大神に通ずる必要がある。祈念だけし
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************抑々、上記の本田翁の伝書にある「鎮魂法」は、神を鎮祭する際の鎮魂法であって、個人が行う修行としての鎮魂法ではない。その鎮祭目的の方法が鈴木廣道氏に伝授されたということだ。これが可能になるには、審神者レベルで霊魂の運転活用ができることが必要条件だが、北海道に帰郷する鈴木氏に対して、その時点では無理でもいつか役立てられるように伝えおいたものと推測する。何故なら、これは御霊璽、鎮魂石