ブログ記事1,067件
先週4月9日は一年間休んでいた俳句会でした一年間一句も詠まずにチンタラしてたので提出の5句は大変でした私は難しい文字も言葉も知らないしよく分かりませんでも何故か短歌や俳句か好きです☆合格の知らせのライン文字跳ねる(4点)☆下萌えを広げて空の青さかな(3点)☆蓬餅大き過ぎると声のして(2点)☆枝垂桜畑の片隅悠々と(0点)☆初音きて遠く遠くに探しをり(0点)5句中3句も選句してもらって嬉しかったです家から公民館までは近いので持ち物の少ないときは徒歩
以下、戸矢学『縄文の神――よみがえる精霊信仰』(河出書房新社、2016年)から引用です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー第4章コトダマ信仰―縄文人の言葉大和言葉が教えてくれる縄文人の気質p.132漢字はもちろん、文字のない縄文時代には言葉は「音」だけであった。すなわち人は純粋に「言霊[ことだま]」に添うていた。たとえば人間には「目」「鼻」「歯」があるが、縄文人は「メ」「ハナ」「ハ」と発音のみを共有する。そして、草木にも「メ」「ハナ」「ハ」の存在を認める。後々に
本田親徳翁の「産土神徳講義」について考察したいと思います。(現代語訳と本文中の注は西原壮聡氏、「考察」部分は筆者)************************産土神徳講義(上)(注)本田親徳(ほんだちかあつ)による産土神(うぶすながみ)の働きについての解説講義録。講義の年代、場所は不明。北海道明治神社宮司・鈴木重道氏によれば、産土百首が完成した明治18(1885)年頃、静岡県三島大社において地元の氏子に対しておこなわれた講義録ではないか、とのことである。<本文>先祖
夜半に雨が降ったらしい。ややに湿った庭下駄を履いて、桜のめぐりを歩いてみる、ゆっくりと、ゆっくりと。雨と予測していた空は気持ちよく晴れ、地を埋めるほどではないが、花びらが散っている。猫はこの景色が不思議なようだ。花びらを眺めためらい、匂いをかぎ、それから庭散歩に踏み出している。夏には13歳になる愛は、近頃では垣根をくぐって遁走することもなく、庭をひとめぐりすると古びた庭いすにやすらっている。バードコールを鳴らすと、これが帰っておいでの合図と覚えたようで、私のところに戻ってくる
本田親徳翁の「産土神徳講義」について考察したいと思います。(現代語訳と本文中の注は西原壮聡氏、「考察」部分は筆者)************************産土神徳講義(上)(注)本田親徳(ほんだちかあつ)による産土神(うぶすながみ)の働きについての解説講義録。講義の年代、場所は不明。北海道明治神社宮司・鈴木重道氏によれば、産土百首が完成した明治18(1885)年頃、静岡県三島大社において地元の氏子に対しておこなわれた講義録ではないか、とのことである。<本文>さて
前回の続きです。今回は北畠神社(北畠氏館跡)その2です。ふるさと資料館の模型です。頂いたパンフレットからの引用です。社務所あたりが常御殿跡と考えられます。上図⑫付近から撮影しました。右側が社務所です。この付近に常御殿と主殿があったようです。1500年代の生活は7代目の北畠氏当主の政勝(政郷)像です。禅が流行り、京都では銀閣寺が出来た時代です。食器の出土は90%以上が土師器です。日常生活では磁器はまだ普及していません。安濃郡の国人長野氏の長野政高
太田茶臼山古墳4(茨木市)2024年7月24日これまで拝見した天皇陵は、入り口から真っすぐな参道が伸び、正面に拝所の鳥居が見えているものです。ところがこちらの参道は少し湾曲し、入口から鳥居も見えない。藍野ワールドが入り組んだ上に住宅の建て込んでいる場所がらか、用地上の問題があったのでしょう。それでも参道には両側に松が植えられ、白砂利が敷き詰められ、天皇陵の風格を漂わせています。旧西国街道に接して継体天皇陵の正面拝所への入り口が見える。江戸時代に松下見林、本居宣長
本田親徳翁の「産土神徳講義」について考察したいと思います。(現代語訳と本文中の注は西原壮聡氏、「考察」部分は筆者)************************産土神徳講義(上)(注)本田親徳(ほんだちかあつ)による産土神(うぶすながみ)の働きについての解説講義録。講義の年代、場所は不明。北海道明治神社宮司・鈴木重道氏によれば、産土百首が完成した明治18(1885)年頃、静岡県三島大社において地元の氏子に対しておこなわれた講義録ではないか、とのことである。<本文>そして
本田親徳翁の「産土神徳講義」について考察したいと思います。現代語訳と(注)及び本文中の注は西原壮聡氏、「考察」部分は筆者。************************産土神徳講義(上)本田親徳(ほんだちかあつ)による産土神(うぶすながみ)の働きについての解説講義録。講義の年代、場所は不明。北海道明治神社宮司・鈴木重道氏によれば、産土百首が完成した明治18(1885)年頃、静岡県三島大社において地元の氏子に対しておこなわれた講義録ではないか、とのことである。※鈴木重道(す
「邪馬台国の位置論」(直木孝次郎)より●古代・中世の位置論(奈良時代)『日本書紀』神功皇后紀三十九年、四十年、四十三年条神功皇后が卑弥呼と考えていた。→大和説:編纂時以降後代の学者がつけた注だとしても大和説が主流だったことになる。(鎌倉時代)『釈日本紀』耶馬臺・耶摩堆・耶靡堆は皆、倭(ヤマト)と称する音をとるなり。→大和説(南北朝時代)北畠親房著『神皇正統記』:神功皇后を卑弥呼と同一人物と見ていた。→大和説(室町時代)瑞溪
桜の満開までもう少しというところ、先日の記事に続き松阪市のジョギングコースを紹介します。市で配布のウォーキングマップを参考にしています。まつさかいきいきウオーキングマップ-健康センターはるる-お肉のまち松阪市公式ホームページwww.city.matsusaka.mie.jp今回のコースは「まつさかいきいきウオーキングマップ第2号」に掲載されています。(画像をお借りします)本居(もとおり宣長(のりなが奥墓(おくつきコース。各ウォーキングコースには【初心者向け】【中級者向
【第3844回】僕は批評家の小林秀雄さんの講演CDやその他の音源を知る限りすべて持っていて、何度も繰り返し聞いてきました。それはもちろん、小林さんの思考、思想が好きだからです。「近代批評を確立した」とか「知の巨人」と言われたりして知識人からも信頼され手本とされてきた人ですが本居宣長のことを語るときに小林さんは比較した自己評価を無学であり、何も知らないと言っています。一般的な評価とは全く違いますが小林さんは謙遜ではなく本居宣長を研究するにあたって本当に無学だと感
改めて国学、と思い、国学といえば、本居宣長。読んだことはないが。貝原益軒の養生訓の抜粋本を読む。と、話題の蔦屋重三郎の本を立ち読みすると、本居宣長の話が出てきます。で、行くか、となります。松坂駅降りて、観光案内所に、蒲生氏郷!と地元戦国武将のように出てますが、3年ほどいて、築城されて、会津に移封される。お城作って、非常に、ここ松坂で愛されている。で、三井高利など、発祥の地だよ、とのこと。で、城郭は、残ってないが、石垣は残ってます。なかなか階段の展開が素晴らしいです。うま
令義解云、鎮安也言招離遊之運魂留身体之中腑故謂之鎮魂。トアリテ招字乃チ字眼ナラム。書紀石屋戸ノ章ニ招禱云々トアリ。大穴持命ノ幽界ニ隠レ玉フ章ニ、ミスマルノ玉ヲ披(をき)テトアリ。神功皇后ノ征韓ノ章ニ、荒魂ヲ撝テトアリ。古事記天降ノ章ニ、袁岐斯トアリ。之等ノ御文面ニ徴スルトキハ、招、撝、披、又袁岐斯ノ義ハ幽深ノ秘訣アリテ飾字ニハ非ルベシ。必ズヤ霊魂ノ其物体ニ憑依スルノ神法有リテ、確乎トシテ動ス可ラザルヲ信ズ。出雲ノ風土記素盞雄尊ノ己尊ノ霊魂ヲ草木ニ著ケジト宣ヒ、又神賀詞ニ和魂ヲ八咫鏡ニ取託
(檜山哲彦文学館2025年4月通巻4号)敷島のやまと心を人とはば朝日ににほふ山桜花本居宣長昨年、亡くなったドイツ文学者で東京藝大教授、「りいの」主宰・檜山哲彦さんを顕彰する目的であろう。「檜山哲彦文学館」という冊子があり、いつも定期的に送っていただいている。今回、一筆箋が入っており、心のこもった言葉をのこしていただけましたこと今なお有り難く思っております、云々…と書かれてあった。大変ありがたい言葉だが、そんな言葉書いたかな?と思った。考えられるの
1691年に松坂職人町に建てられた本居宣長の家は、その後魚町に移築され1909年に松坂城の「隠居丸」に再び移築されました😃宣長が12歳から72歳まで暮らした家でした🤗35歳頃から執筆を始めた「古事記」の注釈書「古事記伝」は35年と言う長きに完成した現在でも取り出されるほどの研究書です🥰書斎の名前を「鈴屋」としたのは柱に鈴を掛けて疲れた時や息抜きの時に鈴を鳴らして音色を楽しみリフレッシュしていたようですね😍でも鈴の音色は「チリンチリン」ではなく「さやさや」と宣長には聴こえ
解除淘滌ハ彼ノ大礼タル大祓ノコトナルカ。之ハ正月一日ヨリ六月三十日迄又七月一日ヨリ十二月三十日迄、朝廷ニ於テ行ハセ玉フ御事ナルコトハ皆人ノ知ル処ナリ。然リト雖モ之ハ朝廷ノ萬民ノ為メニ執行シ玉フ御事ニシテ、其過犯ノ条目ハ挙テ祓詞ニ明ナリ。而シテ人民ノ暗ニ過犯スル処ノ曲事ハ実ニ無数無限ナレバ、人々自ラ己レノ穢汚ヲ精神卜形体卜共ニ直接ニ祓除ノ法則ヲ教ヘズシテ、只管ニ祓除スベシト言トモ、不学無識ノ村翁野嫗如何ニシテカ其心ノ汚穢其体ノ不浄ヲ観察シテ、之ガ解除滌スルノ法ヲ行フヲ得ムヤ。実ニ小児ヲシテ
蒲生氏郷は松阪市で「松坂開府の祖」と称えられています🤗その理由は城の周囲に織田信長と同じく「楽市楽座」を行い近江や伊勢の商人たちを受け入れて新たな城下町を造ろうとした事が、後の江戸に進出した「松坂商人」の活躍ぶりで証明されました😃「隠居丸」には2棟の「道具蔵」と「宝蔵」や「米蔵」が建っていました😊現在は、松坂出身の国学者・本居宣長の旧宅が移築されています😍「隠居丸」下の右側は本居宣長記念館「本居宣長記念館」の右側の石垣には「埋門跡」がありました。記念館の裏側にある穴は「水
画像認証のためにメールが出せないことがありましたが、これはGoogleクロームをUPDATEしたらなくなり、正常にメールが出せています。前回の続きです。今回は最終回で旧小津清左衛門家です。松阪大橋近くにあった、小津清左衛門家(上図赤枠)Googleマップです。(上が北)旧小津清左衛門家です。江戸時代に紀州藩徳川家の領地となってからは、奉行所がおかれて、松阪は武士が少なく栄えてきました。氏郷以来の政策は松阪を商業の中心地として栄えさせることで、有力
にほんブログ村にほんブログ村草莽崛起(TheRisingMultitude)
令和7年3月26日、水曜日、晴泉州岸和田市は、朝から晴れています。昨日から暖かくなりました。岸和田市も最高気温22度という陽気になっています。夜間は、毛布要りませんでした。昨日、岸和田市立図書館で3冊の本を借りてきました。プレジデントで紹介されていた本3冊です。①宮本輝「流転の海・上」②森信三「修身教授禄」③〃「心魂にひびく言葉」です。早速、読んでみますと、★僕が今まで思い続けていた言葉「人間は一生のうちに会うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、
■さらに吉野の山の奥にある神社に向かいます。まあとにかく道が狭いので、車で行くのはおすすめできません。吉野はやはり電車でくるのがベスト。そして、今日のブログの神社にはバスで向かうのをオススメします。金峰神社(きんぷじんじゃ)に向かいます。まあ野生のシカがいっぱい。シカは神さまの遣いといいますが、これだけいると怖いですw。創建は不明ですが式内社なので、1000年を超える歴史がある神社です。明治までは、「金精明神(こんしょうみょうじん)」と呼ばれていました。
邪馬台国、これは学校の教科書で『やまたいこく』って習いますね。そこから間違いです。魏志倭人伝に書かれているのは邪馬壹国『やまとこく』です。なぜ、間違ったのか?それは江戸時代に本居宣長が、壹を台と書き間違ったからです。古事記は上・中・下巻3冊だった。漢字だけで書かれた文章です。本居宣長が和訳し、44冊になった。現在、書店などで現代語訳された本なので、内容も間違った部分があります。本居宣長は自分の足で確認せず、文字からだけで勝手に意訳したから
前回の続きです。今回は本居宣長と松阪です。下図G付近からT方向です。のこぎり状の街並みになっています。本居宣長宅跡と見庵(小泉家)跡があります。両家ともに医師を開業しています。現在地にある地図です。豪商長谷川家の横に家がありますので、金銭的な援助もしてもらっていました。江戸時代後期の再現模型です。本居宣長は2階部分を鈴屋と呼んで書斎にしていました。次回になりますが、日本一の紙問屋小津家も遠縁でしたので、幼い頃より紙が豊富に使えたことも、著述家とし
今週の≪暮らしの古典≫119話のタイトルは≪みやび≫です。漢字を当てれば「雅」です。『新字源』改訂版1994年、角川書店によりますと、この漢字は「隹」と音符「牙」(からすの鳴き声)から成り、「みやまがらす」の意の漢音は「ア」、「みやびやか」の意の漢音は「ガ」とあります。漢字の音に成程です。鴉の鳴き声が吾輩の耳には「カアカア」としか聞こえて来なかったのは、あまりにも、この国の文化に馴染んだ僻耳だったのでしょうか?「夏・義・儀に通じ、借りて「みやびやか」の意に用いる」ともあります
真訣第三章天神之真魂賦於人者謂之神魂人随其所之而行焉。謂之惟神之道。然人之有形気不能無気質之穢人欲之汚。故不能全神魂之用。以践惟神之道。於是乎解除淘滌気稟人欲之穢汚復帰于天神界与之本然而脩鎮魂法造次顚沛必於是久之日用動静之間有不可言之妙境。楽地奉天事神之際。有不可語之感。格霊応身。心自清静精神自渙発。以照古今以窮物理。方以全神魂之体用。謂之神習謂之神教。此天神ノ真魂卜云者、一大地上ノ人類ニ賚ル処ノ精神ナル者卜撰者ハ思ハレシナラム。然リト雖共天神ノ真魂ヲ測量スルコト能ハザルコト彼ノ際涯
真訣第ニ章天之御中主之発動之妙即高皇産霊神生焉。其静復之妙即神皇産霊神生焉。乃相交感而生天地人萬物。皆天之御中主之玄体妙用也。蓋一神生二神二神生萬神萬神帰於二神復帰於一神。故合言造化神。則至誠之妙生々不息之謂也。荀不為言語文字所眩惑則簡易明白易悟矣。此天真中主ノ発動ノ妙ヨリシテ高皇産霊ノ生レシト云フ、皇典ニ於テ見ル処ナシ。撰者ノ一家言ナラム。如斯憶断ヲ以テ皇典上ヲ議セラルルハ抑モ何ノ心ゾモ。発動ノ至妙不思議卜云ハムヨリ寧ロ神幽界ノコトハ我輩ノ知ルベキニ非ズトアラマホシ。而シテ此妙中ヨ
大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺』の主役・蔦屋重三郎の転機を3つの勝負で見ていく『たたかう蔦屋重三郎いざ!三本勝負-NHK』のについて名プロデューサー蔦屋重三郎、吉原細見・浮世絵・役者絵の三本勝負!(『たたかう蔦屋重三郎いざ!三本勝負-NHK』より)蔦重の人生を3つの戦いで描く大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺』の主人公・蔦屋重三郎が”江戸のメディア王”になりあがっていくその人生を以下の三本勝負で見ていくものです。1.吉原ガイドブックをめぐる戦い