ブログ記事1,020件
こんにちはお忙しいなか、ブログにお越しいただき、ありがとうございます若い頃に、友人と参拝したことのある京都の八坂神社に夫と参拝してきました。八坂神社八坂神社は全国にある祇園社の総本社で、京都市東山区にあります。祇園さんと親しまれてきた八坂神社には、素戔嗚尊(すさのおのみこと)や縁結びや美の神様などが祀られております。日本三大祭、京都三大祭である祇園祭もご紹介します。www.yasaka-jinja.or.jp平日にも関わらず、とても賑わっていました。
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************(注)「祝詞新講」では、「前段に於て,人々が過ち犯した種々の怖るべき罪、若しくは穢について想起せしめたから、此の段ではそれを承けて、天津宮事と天津祝詞の太祝詞事とによつて、身に附いてゐる罪と穢を祓ひ清めさせ、其の太祝詞は天神地祇の耳に達して、神祗の力によつて、遠く國外に放逐せられる事を告げらせるのである。大祓の儀式は、上古以来
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************『○国津神は高山の末・短山の末に上坐して、高山の伊穂理・短山の伊穂理を撥別て所聞食さむ。国津神は、前の真道問対でのお答えは、「有形に在りては国津神と日ふ」とある如く、地球その物が大国主の神の体であると、滄海窓間答に述べられて居るように、地上に於いて直接生成化育を担当して居られるのが国津神と申せよう、大国主太神を始め、国魂神
以下、常光徹『魔除けの民俗学――家・道具・災害の俗信』(角川選書、2019)から引用です。ーーⅡ生活道具と俗信第一章人生の節目を表象――箒p.117箒の俗信は多様で、生活のあらゆる場面に顔を出していて伝承の裾野は広い。個々の俗信は、一見とりとめもなく散らばっているかにみえるが、そこには発想の共通原理が機能していて、豊かな連想の輪を交錯させながら、あるまとまりをもった全体像を形づくっている。根底には、この道具がもつ「掃き出す」という実用的な働きがあって、ほとんどの俗信はその機能を軸
--------------------------------------------2024年学んだら実践しなければ。2023年11月14日--------------------------------------------今日は何を学ぼうかなぁ。人間関係について学びます。仕事で会社を辞める理由は人間関係が大きいですよね。2022年11月14日--------------------------------------------学問に終わりなしというところでしょ
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************『〔解説〕○此く宣らば、此く、とは天津祝詞の太祝詞事の事。宣らば、は、宣べるならば、奏上致すならばの意である。○天津神は天の磐門を押開きて、天の八重雲を伊頭の千別に千別て所聞食さむ。天津神と国津神に就いては、真道問対で次のように現わして居る。◎天神地祗の弁は如何。〇幽の幽宇宙の主宰天御中主神その他
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************『本文五、此く宣らば、天津神は天の磐門を押披きて、天の八重雲を伊頭の千別に千別て所聞食さむ。国津神は高山の末・短山の末に上坐して、高山の伊穂理・短山の伊穂理を撥別て所聞食さむ。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)(注)「読み方」では、現代語訳として「このように読み上げたら、天にいらつしゃる神は[天の入り口にあるという]
映画『破戒』。©全国水平社創立100周年記念映画製作委員会。島崎藤村の小説『破戒』は、日本最初の本格的言文一致体小説だった。講談社学術文庫“戦前”の思考「共産主義が終わった」「五五年体制が終わった」―。二〇世紀最後の十年は「終わり」が強調された時代だった。そして、それは戦前の風景に酷似している。あの戦前を反復しないためにこそ、自身を“戦前”において思索することの必要性を説く著者が、明晰な論理展開で繰り広げる思考実験。ネーション=ステートを超克する「希望の原理」とは何か。www
八神奉斎の起源と成立については、二つの説がありました。神籬磐境の神勅一つは古来の定説で、忌部広成氏の『古語拾遺(こごしゅうい)』にも述べてあるように、その忌部氏の祖神である太玉命が、天孫降臨の際に御伴をする事になった時に天照大御神と高皇産霊尊の詔(みことのり)として(『日本書紀』においては高皇産霊尊の詔)天児屋根命(あまのこやねのみこと・のちの中臣氏=藤原氏の祖神)とともに天津神籬(あまつひもろぎ)と天津磐境(あまついわさか)を起こしたてて葦原中つ国に降り、天孫の為に斎ひ奉れ
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************本田翁は「幽斎は神殿有る無く。へい幣帛有る無く、祭文有る無し。霊を以て霊に対する耳(ノミ)。」(「真道問対」)としている。神の祝詞は幽斎の領域にあるのだから、顕斎のような祭文は用いない。「幽斎は霊を以て霊に対し、顕斎は形を以て形に対す、故に幽斎は神像宮殿無くして真神を祈る。顕斎は神像宮殿有りて衆神を祭る」(「道の大原」)とあ
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************そこで古事記に戻るが、祭りには祭式を主とする顕斎と、神の力による幽斎がある。この天児屋命が高天原で行ったのは、幽の世界でのことなので幽斎になる。神が奏上する祝詞とは、果たしてどのようなものなのだろう?神には人格はないし、神と神が人間の言葉で意思の疎通を行うこともない。つまり「天つ祝詞の太祝詞事」とは、人間の言葉を用いたもの
『物語要素事典』(神山重彦著、国書刊行会、2024)神戸三宮のジュンク堂書店にありませんでした・・・お店の人に聞いたら、東京と大阪のみの配本だそうです。神戸(地方都市)って、こういうところが損だなあ。どうしても欲しいので(こんなベラボーな事典はなかなかない)お取り寄せすることに。二週間ほどかかるそうです。待ちますよ、わたしは。国書刊行会『物語要素事典』(神山重彦著、2024)まだ手元に届いていないうちから「こんなベラボーな事典はない」と絶賛するのは、筆者
在特会系のヘイト・デモに「帰れ」コールを浴びせるカウンター。2016年1月31日、神奈川県川崎市川崎区。©在日本大韓民国民団。講談社学術文庫“戦前”の思考「共産主義が終わった」「五五年体制が終わった」―。二〇世紀最後の十年は「終わり」が強調された時代だった。そして、それは戦前の風景に酷似している。あの戦前を反復しないためにこそ、自身を“戦前”において思索することの必要性を説く著者が、明晰な論理展開で繰り広げる思考実験。ネーション=ステートを超克する「希望の原理」とは何か。ww
津田説の誤謬は、本を糺せば本居宣長の誤訓に始まるものかも知れない。『古事記』序に「朕聞く、諸家の賷る帝紀及び本辞、既に正実に違ひ、多く虚偽を加ふと。」とある。この読み下し文は、岩波書店出版の「日本古典文学大系」の『古事記』(倉野憲司校注)に拠るが、そこではこのように「賷」字に「もたる」と振り仮名をする。「賷」字を「もたる」と読む例は、既に本居宣長の『古事記伝』二之巻「古事記上巻并序」にあり、そこでは「賷」と訓註される。それ以来、現代の代表的訓本「新訂増補国史大系」本・「古事記総索引
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************昔からこの大祓祝詞で議論になっているのは、「天つ祝詞の太祝詞事」とは何かという点だ。「天つ祝詞の太祝詞事を宣れ」と書かれていること、そしてその次の文面が「此く宣らば」となっているので、この二つの文面の間で、何か別の祝詞文?を発するのではないか、という疑問がある。本居宣長はじめ平田篤胤等みなそれぞれの考えを述べていて、未だに結
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************『○天津祝詞の大祝詞事を宣れ。天津祝詞は、古事記〔天の岩戸〕の件に『天の児屋の命(日本書記では、中臣連の遠祖(トオツオヤ)天児屋命、神の事を取る宗源(ミナモト)なり。故(カレ)、太占(フトマニ)の卜部(ウラベ)を以て仕え奉る。とある)、太祝詞(フトノリト)言寿(コトホギ)白して』と在る。此の天の児屋の命の神感に因り宣られた
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************『○天つ菅曽を本苅断、末苅切て、八針に取辟て、天津菅曽の菅曽(スガソ)とは、菅(スグ属の草)を裂いたままの緒、祓いの時、身の核れを祓い清めるのに用いるものである。前に天津金木で神殿を中心に上下左右の四方を祓い清め、献饌物を置足はして、その次に奉仕する者(神界では御眷属・現界では奉仕者)を祓い清める。此のような順序を踏ん
【『日本書紀』における「倭」と「日本」神野志隆光著『「日本」国号の由来と歴史』には、日本書紀における倭と日本の扱い方の相違について記されている。多くの場合、中国と対するときは「倭」を使い、(神功皇后紀)三十九年、是年也太歲己未。魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守鄧夏、遣吏將送詣京都也。」四十年。魏志云「正始元年、遣建忠校尉梯携等、奉詔書印綬、詣倭國也。」四十三年。魏志云「正始四年、倭王復遣使大夫伊聲者掖耶約等八人上獻。」六十六
和本幕末~明治期国学和歌「頭書古今和歌集遠鏡」8冊揃い/本居宣長/山崎美成/古書古文書/木版摺りです。2+69、22+10+23、21+9+23、8+14+21+18、19+21、30+14、22+23、27+13丁。18cm×12cm。木版刷り。元題簽。見返しあり。奥付あり(刊年の記載なし)。【書名】頭書古今和歌集遠鏡【巻冊】8冊揃い【著者】本居宣長著述山崎美成頭書【成立】幕末~明治期
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************(注)「祝詞新講」では、「瑞穂抄に、『天上の故事を以て、神代よりの遺法に任せて解除するを云ふ也。』とあるので、意義は明かであるが、後釋には更に委しく述べている。即ち高天原なる天照大御神の朝廷で行はせられる儀式に倣つて、其の如くに行ひ給ふ事をいふので、皇御孫命の朝廷に於ける儀式は、すべて皆高天原のに倣つて行はれるのであるから、下
源氏物語についての古今の言説をまとめたもの。「紫式部日記」のある箇所が掲載されているが、ちょうど先週か先々週の大河ドラマのシーンに該当。敦成親王のお食い初めで藤原公任が「若紫はいるか」と尋ねると式部が「光源氏がいませんよ」と答える。あの時、ロバート秋山演じる実資が酔っぱらって女御の袖の色を数えていたが、あれはコメディ演出でなくて実話(!)。東の柱もとに、右大将寄りて、衣のつま・袖口数へ給へるけしき、人よりことなり。(p21)1000年たっても「様子が変」とかバレちゃって、恥ず
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************『○千座の置座に置足はして、千座の置座に就いては、多くの台に載せた祓物(ハラエモノ)、上代罪の償いとして科したもの。記上「速須佐之男命に、千座の置戸を負わせ」、と解釈してある。古事記〔天の岩戸〕の件に、『かれ天照大御神の出でます時に、高天原と葦原の中つ国とおのづから照り明りき。ここに八百万の神共に議(ハカ)りて、速須佐の男の
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************『○天津金木を本打切り末切断て、天津金木の金木とは、字解では堅い木の意とあるが、幽斎問答に於ける、お答えでは、「金木は、クナキなり、クは奇霊なるもの、ナキは去来地気(イザナキ)の地気にして、奇しき大地の気なり」と仰せられて居る。金木其のものは正しい神霊の憑(ヨ)り付く事を願って腐蝕の起らない、磐境(イワサカ)に匹敵致す堅木
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************『〔解説〕○此く出でば、とは「天つ罪、国つ罪、許々太久の罪穢れが出たならば」と申すことであるが、天つ罪から許々太久の罪穢れ迄、全般に亘って居るものを漫然とした態度で奏上致しても、完全な祓い清めの達成は難しいと思う。其処に奏上する人の真心が無ければ神明に通じないものと心得る事が最も肝要である。○天津宮事以ちて、天津宮と
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************『本文四、此く出でば、天津宮事以ちて、天津金木を本打切り末切断て、千座の置座に置足はして、天つ菅曽を本苅断、末苅切て、八針に取辟て、天津祝詞の大祝詞事を宣れ。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)(注)「読み方」では、「こうして[多くの罪過が]出てきたら、[高天の原で行われた]朝廷の行事によって、天の金属のような堅い木を、そ
10月16-18日、三重県松阪市で国学者本居宣長記念館、周辺の遺跡などを観光した。本居宣長(1730-1801)は、当時、読解できていなかった古事記や源氏物語を長年の研究で解読した国学の創始者である。ーーーーー松阪は、奈良(⇒京都)と接し、伊勢神宮にも近く、全国からのお参り客が通り、古くから情報の集積地であった。地域は、白粉(化粧用;近くの丹生に水銀を算出)を初め、後には、綿織物、お茶、紙販売で商家集団を形成、三井グループの祖である三井高利(1622-1694)を初めとする豪商を育
9月23日近鉄週末フリーパスを有効活用するために、出費を増やした。桑名に車を停め、松坂へ行った。駅から松坂城へ向かう。大阪のレトロビルめぐりの直後でレトロな建物に目が行ってしまう。松阪城↑↓最近この角のドキドキ感を楽しいと感じる。下の隅の方がより前に出ないと撮影できないので何度もチャレンジした。ここには張らないが、この城にはスリルをあじわえる角がたくさんあった。予定にはなかったが、本居宣長記念館に入ってみた。と
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************善悪という概念は、神道上ではあまり重視させず「罪穢れ」が問題だとされている。(罪には天津罪と国津罪の2種類あるが)端的には、悪意や過失からの行動や言動などにより、自分や他の生命、そして大自然を穢すことが罪とされる、と思えばいいだろう。穢れとは「気が枯れる」の意味で、生命力が低下することを意味する。そして生命力を低下させる原因
【日中国交正常化の日】1972年(昭和47年)9月29日、北京において、周恩来首相と田中角栄首相らにより「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」がなされ、両国の国交が正常化。【招き猫の日】「9(くる)29(ふく)=来る福」の語呂合わせ。三重県の伊勢内宮前のおかげ横丁では「来る福招き猫まつり」が行われる。日本招猫倶楽部が制定。【クリーニングの日】「9(クリー)29(ニング)」の語呂合わせ。全国クリーニング生活衛生同業組合連合会が、消費者にもっとクリーニングを利用してもらい、自ら
以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。******************(注)「善言美詞」では「天津罪」を「天の経綸を阻害し、或いはこれを紊乱(みだすこと)せしむる行為を言う。天然自然に賦与せられた水力、電磁力、地物、鉱物、山物、動植物等の利用開発を怠る罪を言う。」「従来は文明だの進歩だのといっていたが、全然穿き違いの文明進歩で、一つ調子が狂えばたちまち飢餓に苦しむようなやり方、現在、世界各国の四