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このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月19日・・の続き。入院中の楽しみはシャワータイムでした数日前までは銭湯♨️にでも行くかのようにお風呂セットを抱えて足取りも軽く・・しかし、ここ最近は急激に体力が落ち、歩くのもちょっとキツそうになりました。それでもお風呂の許可が出るとやっぱりちょっと嬉しそうな顔になりゆっくりゆっくり準備を始めます。若い男子だしちょっぴり恥ずかしさもあり大丈
娘が病室を出発して、暫くすると…看護師さんが来て下さいました。看護師『身体を拭きましょうか?』お風呂が大好きな息子です。きっと、息子なら"お願いします!"と言うかな?と思いました。オカン『お願いします。』看護師『じゃあ、準備をして来ますね。』暫くすると、看護師さんが準備を整えて病室に来て下さいました。オカンも看護師さんと一緒に、息子の身体を拭きました。桶やビニール袋を利用して、手足はお湯に浸けて頂きました。パジャマも着替えて、スッキリした息子です。オカン『さっぱりした
16日に入院して、日程が詰まっていたので、その日から抗がん剤治療を始め次の日から放射線治療も始まった。放射線は4日って聞いていたのに、2日しかなくよくよく聞いてみると、やっぱり55歳以上の高齢ということと、肺炎がネックということで、ミニ移植らしい。。こっちから聞かなくても、ちゃんと説明してほしいなぁ。一昨日の晩から急になんにも食べれなくなった。前処置は、ミニ移植だから緩いはずなのに、それでも体にこたえるんだなぁ。昨日も今日も寝てばかり。明日からかなり辛い日々が続くけど生きるために頑張
day426(臍帯血移植)day188(末梢血移植)熱が続いています。今日は、38.1℃です。息子『炭酸飲料とか、飲んでみたいんやけど…吐くかなぁ?』オカン『カルピスソーダと、飲むヨーグルトとかあるで?』息子『どうしよっかな…。』悩んだ末に、飲んでみる事にした息子。息子『美味しいわ!』食べる事も飲む事も…嘔吐が怖くて、二の足を踏む息子ですが、飲み薬だけは嫌とは言わずに挑戦してくれます。頑張って薬を飲み込むと、吐き気に襲われる息子です。白目を剥いて涙目で嘔吐くのに、上手
この日は移植後1日目です。朝は37度程度の微熱があり、お昼になるにつれて段々と熱が上がっていきました。夕方には38.6度程でしたが身体がだるくてきつくたまらない程ではありません。食欲も若干落ちてきましたが、何とか完食しました。ここでクリーンルーム内での1日のルーティーンを紹介します。クリーンルーム内では自分の体調はある程度自分で管理します。朝と夕方に体重を測ります。6時9時14時17時21時に体温を測ります。トイレに行った回数を数えます。このような記録を看護師さんから渡され
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。久し振りの更新です。急に実家の母が入院しましてそのお世話でバタバタしておりました幸い体調も回復し、先日無事に退院することが出来ましたまた、ぼちぼちブログ更新していきますのでどうぞ宜しくお願いします。H29年2月6~8日翔平の味覚がなくなりました・・・・。抗がん剤とかの副作用だと思いますが前回までとは比べものにならないくらいです何を食べても味がしない・・そ
この日は骨髄移植前日です。前処置は昨日で終わったので、完全にオフの日でした。感染予防の抗生剤などの点滴は前処置が始まってからずっと打ってます。前処置をなぜやるのかというと、骨髄移植前にできるだけ自分の骨髄を破壊し、ドナーの幹細胞が生着しやすくするためです。前処置によって自分の血液がどう変化したかグラフでお見せしたいと思います。白血球は前処置を始めてから一気に下がっていますが、血小板はDay-6の日に跳ね上がっています。これは血小板輸血をしたからです。赤血球も2以上をキープしています
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。先日(2月5日)の誕生日にはたくさんのおめでとーのメッセージが携帯にありました。でも再発、移植、生存率、など『死』の文字が頭をよぎるその日の翔平には『ありがとう』と返信する事が出来ませんでした。でも、後日・・移植に望みを託す事を決心した翔平は親友たちへメッセージを送ってました。誕生日のメッセージありがとう。なかなか言い出せんかったけど実は俺の病気なか
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月11日~12日あんまり調子が良くない・・・。今、食べれるものは牛乳カロリーメイトのチョコ味カフェオレベビーチーズでも、ほんのちょびっと・・。抗がん剤、輸血、血小板輸血次々と点滴に繋がれ可哀想になる服用しているお薬も10種類もあってそれでなくても口内炎で痛いのに、それでも頑張って必死に飲んでる姿を見て目頭が熱くなった。そんな時にプレゼントが
day422(臍帯血移植)day184(末梢血移植)お義母さんと、夫の妹弟、息子と年齢が近い従兄弟が息子に会いに来てくれました。お正月・お盆・GWには、夫の実家に全員集合する仲良し親族なので、ずっと息子は帰省したいと言っていました。皆んな、大きくなりました…。皆んなが帰る前に、ラーメン屋さんに晩御飯を食べに行きましたが、オカンと息子はお留守番です。息子が食べたいと言っていた"天下一品"のラーメンを、夫と娘が"お持ち帰り"して来てくれました。オカン『こんな、こってり
day438(臍帯血移植)day200(末梢血移植)今日も、熱は37℃代です。熱は下がりましたが、携帯電話を触る事もありません。録画しておいた番組を見ると言って、テレビを点けるのですが、10分と経たずに眠ってしまいます。水を飲んだ後は、咳込む事が多くなりました。ゲップも上手く出せない様子で、出ない時は嘔吐してしまう事もあります。赤ちゃんの頃、ゲップが出なくてミルクを吐いていた事を思い出してしまいました。抱っこして、トントンして、ゲップを出してやれたら良いのに…。そんな事を思っ
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月19日また食欲ダウン足の浮腫みも酷くなる一方・・血液検査の数字もかんばしくない・・移植に向けて家族一丸となって頑張ってる!・・・表面上はそうだ・・でも、みんな内心は不安で押し潰されそうこれから翔平はどうなってしまうんだろう?移植成功するかな?また元気な翔平に戻れるかな?たくさんの思いが脳裏をかすめるあんなに前向きだった翔平も全然平気だと
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月13日・・その①翔平君の担当をします・・と緩和ケアチームの方々が病室にやって来た。えっ!翔平そんなに悪いの?!私の勝手な認識で申し訳ありませんが『緩和』って聞くと末期の癌患者さんが心穏やかに最期を・・というイメージがありました。※気分を害した方がいらしたらごめんなさい。あくまでも、私個人の今までの考えでした※担当医はもちろん看護師さん・栄養
息子就寝時のパターンは…12〜1時:就寝2〜3時:給水とトイレ5〜6時:給水8〜9時:給水とトイレこの日のオカンは、一度目の給水に起きる事が出来ませんでした。夫が目を覚まし、対応している物音で目が覚めました。二度目の給水には起きる事が出来ましたが、ちょっとショックでした。この日の失敗は、まだ続きます…出勤中に夫からLINEが届きました。今まで、オムツの交換はオカンが対応していました。業務の都合上、すぐに帰る事も出来ない上、オムツは夫が交換してくれたと思い込
息子の容態が悪化したので、娘を病院に呼びましたが…その後は落ち着いていると思っていたオカンです。殆どの時間を眠り、ときどき目を覚ましては氷を欲しがる息子でしたが…今は、何か言いたそうな顔をしています。オカン『…ん?なんや?』息子の口元に耳を近づけました。息子『もう、眠らして…。』オカン『しんどいんやな?お薬、入れて貰うんやな?』確認するオカンに、息子は頷きました。平静を装っていましたが…息子から"眠らせて"と言う言葉を聞いたオカンは、胸が締め付けられる思いで、この言
主治医から電話を頂いたので、ベッドが搬入された事をお伝えしました。主治医『それは良かったです。準備が整ったのなら、なるべく早く退院した方が良いですね。息子さんが良ければ、明日にでも退院しますか?』オカン『息子の気持ちと体調に問題がないのなら、明日でも大丈夫ですが…。』今までは、どんなにお願いしても外泊や退院の許可を出して下さらなかった主治医が、この一週間程で急に退院を急がせます。ずっと怖くて聞けなかった事を…主治医に聞いて見ました。オカン『息子は…あと、どれくらい…』主
息子を退院させ、自宅で過ごさせると決めましたが、夫にもオカンにも仕事があります。仕事を休む事も考えましたが、いきなり休めば職場に多大な迷惑を掛けしてしまいます。息子の容態が悪くなれば、休む事になりますが、息子と長く過ごせると信じるからこそ、今すぐ休むべきでは無いのかも?と考え、上司に事情を説明し、夫もオカンも在宅勤務をさせて頂く事になりました。コロナ禍で、息子の側に居られない事を嘆きましたが…コロナ禍だったからこそ、在宅でも仕事が出来る環境が整っていました。理解のある会社・職場に、改
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月14日今日は、家族の中の一番のドナー有力候補である主人の健康診断朝から緊張気味検査の前に翔平の顔を見に病室へ『父さん、今日は宜しくお願いします』『おぅ任せとけ絶対合格するから』と、エールを交わして、いざ検査へ。採血心電図呼吸機能エコーetc.いろんな検査をした結果どこも悪い所はなくめでたく合格晴れて正式にドナーとなりまし
入院3日目の夕方…眠っている息子の枕元に座っていると、主治医と看護師さん達がバタバタと病室に入って来られました。息子の容態が悪化しているそうです。眠っている息子…容態が悪化している様には見えません。オカンは、息子の名前を呼ぶ事しか出来ませんでしたが…夫が、自宅で待機している娘に連絡をしてくれていました。急いで病院に向かっても、自宅からは1時間程かかります。緊張が走りましたが…娘が到着する頃には、息子の容態も落ち着いていました。娘『大丈夫なん?』オカン『今は、落ち着いてる。
みなさまへたくさんのコメント・メッセージを頂き、ありがとうございます。お会いした事も無い皆さんが、息子の死去を悲しみ嘆いて下さるなんて…息子もオカンも幸せ者だと思っております。本来なら、個々にお返事を差し上げるところですが…まだ、心身ともに定まらずぼんやりと過ごしてしまうオカンをお許しください。息子の事ばかり思い出して、日々を過ごしておりましたが、"どうせ、息子の事を回想しているのなら、ブログの続きを書こうかな?"と思い始めました。ここまで書き続けた息子の軌跡…最期の数日
昨日投稿した『翔平の気持ち』ですがちょっと不備がありまして、削除させて頂きました。たくさんの方々に『いいね』や『コメント』を頂いておりましたので、本当に申し訳なく思っています。頂いたコメントには全てお返事させてはもらいましたが、もしかするとまだ見ておられない方もいらっしゃったかもしれません。本当にすみませんでした!そして、私事ですが、どうしても記録として残したい!と思っていまして・・再度投稿させて頂きました。昨日と全く内容は同じですので、既に読まれた方はもちろんスルーしていただい
day425(臍帯血移植)day187(末梢血移植)おじいちゃん先生が、往診に来て下さいました。体温・血圧・酸素濃度・聴診器での確認をして頂きました。診察結果は、右肺に異音がするそうですが入院中から異音があるので、変化なしだと思います。酸素濃度は90でしたが、息苦しさは感じていない様です。入院中から微熱が続いていましたが、今日は37.9℃まで上がりました。食事は、夕飯だけ…おかずを一口ずつ頑張って食べてくれましたが、吐いてしまいました。オカン『朝から水分しか摂れてへんなぁ?お腹
day436(臍帯血移植)day198(末梢血移植)今日も熱は、38℃代です。息子『…くない?』オカン『ん?何?何か欲しいんか?』息子が呼ぶ時は、何か欲しい時だと思ってしまうオカンです。息子『空気、悪くない?』オカン『そうか?感じひんけど。息苦しいんか?』息子『苦しいんかな?分からんけど。なんか空気が悪い気がする。』オカン『窓、開けよか?』息子『いや…違うならいいわ。』酸素が足りていないのでしょうか?あの指に挟む計測器を買っておけば良かったと思いました。オカン『気分
退院3日目から上がり始めた熱は、ここ数日で39℃を超えています。座薬は役に立たないので、数日使用しただけで止めてしまいました。酸素濃度は88…息苦しさは感じていないそうです。夫『ほとんど寝とるなぁ?』オカン『寝てても、手足がモゾモゾして落ち着きがないやん?乾いた咳も出るし…寝てても休まってないんやろなぁ?』夫『"しんどい"とか言わんし、どのくらい辛いのか分からんな。』オカン『我慢しとるんやろなぁ?』夫『そやろなぁ。最近、顔の浮腫が無くなったよな?』オカン『点滴してない
昨日は前回から引き続きの定期検診でした。最近通院間隔度が短くなったので大変です💦💦仕事を休むとお金が減る〜派遣の辛いとこです。さて、結果はあまり変わらずな経過観察。血液検査ではWT1を直ぐに確認することが出来ないので今回は前回の血液検査でやったWT1の結果です。やはり少し白血病細胞は増えてるらしいということで次回は骨髄検査になりました。はぁ…嫌だなぁ。何回やっても😞…。私の主治医はとても上手なので早いし痛みも最低限。それはとてもいいのですが、とは言えど痛いし、嫌な検査なのは間違い
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月15日昨日から20分程度のリハビリをやっている。足を曲げたり伸ばしたり病棟内を散歩したり母さ~んサロンパスくれーへっ?もう筋肉痛ですかい?そういえば、昨日めでたくドナーに決定したお父さん翔平からドナーが父さんで良かったと言われうるうるしてました。お父さんは25日から移植の準備に入ります。その日はお父さんの誕生日これも何かの縁でしょうか最
B病院に入院してまずは移植についての説明。私、旦那さん、娘で聞く。娘からという事で、半合致。末梢血幹細胞移植で行うとのこと。移植のスケジュールや、どんな症状が起きるのかなど。まずは、私が移植できる状態かを検査しつつ、娘がドナーとして問題ないか検査をとのこと。好中球が長く0(約5ヶ月)の割に、元気なのがすごく稀ですって。明日、何があっても不思議じゃないですって言われて、そうなの〜と驚いちゃった。😅その後移植コーディネーターさんとお話しして、娘と直接連絡取ってもらうことに。娘が
前日の二回の放射線治療以降やたらとのどが渇くようになりました。夜中に何回起きて水や麦茶を飲んだことか。朝の体重は前日より2キロ以上増えていました。この日は前処置の3日目で午後にフルダラビンという抗がん剤を投与します。事前に吐き気止めを打ってからの抗がん剤投与です。やっぱり身体には毒なものを分かっていて打つのは緊張します。私が緊張しているのとは裏腹に、看護師さんはてきぱきと用意して、いつもの事です、みたいな感じで抗がん剤の投与が始まりました。この液体が私の骨髄液を破壊していくのか
day437(臍帯血移植)day199(末梢血移植)熱が37℃代に下がったので、喜んでいたオカンですが…往診の帰り際に、おじいちゃん先生が"もう、熱を出す体力が無くなって来たんやろなぁ。"と仰るのを聞いて、愕然としてしまいました。息子が"パス"と言うので、昨日・一昨日と、身体が拭けずにいました。オカン『熱も下がって来たし、今日は身体拭いとこか?』息子『う〜ん。まぁ、しゃ〜なしで?拭いてもらおかな?』(笑)身体が、怠いのでしょうね。乗り気ではありませんが、承諾してくれ
去年の今日はとんでもない日でした。何もよくわからないまま入院生活スタート。初めから無菌室…診断から1年、厳密には1年と2日。この2日間が怒濤の2日間だったな〜今思い出しても本当に大変だった。1番困ったのは1番下のもうすぐ2歳になる子のこと。預け先がな〜い色んなとこに電話や突撃しまくって無理を言って保育園に入れてもらった💦役所は何もしてくれなかったよ…助けてくれたのはママ友です。入院生活スタートしてすぐに抗がん剤スタート。もうやる事ないからとりあえず自分の病気のこと調べまく