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国宝本願寺御影堂(ほんがんじごえいどう)江戸前期1636年桁行62.1メートル、梁間53.8メートル、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺中央に親鸞聖人の木像、左右に本願寺歴代門主の御影を安置し、重要な行事は、この御堂で行われます。堂正面に「見真」と書かれた額が掲げられている。、親鸞は明治天皇から見真大師の大師諡号を1876年に贈られた。ただし、2008年の「宗制」改正によって、「見真大師」の語は「宗制」から削除されている。建物の配置と構造は東向きを原則とする真宗建築の典型で、親鸞聖
国宝広隆寺桂宮院本堂(こうりゅうじけいきゅいんほんどう)鎌倉前期八角円堂、一重、檜皮葺境内の西側、塀で囲まれた一画にある。聖徳太子像を祀る堂で、法隆寺夢殿と同じ八角円堂であるが、建築様式的には純和様で檜皮葺きの軽快な堂である。正確な建造年は不明であるが、建長3年(1251年)、中観上人澄禅による当堂建立のための勧進帳があることから、おおむねその頃の建立と推定される。堂内の八角形の厨子も堂と同時代のもので、国宝の附(つけたり)として指定されている。本尊の聖徳太子半跏像(鎌倉時代、重要文
広隆寺は国宝彫刻(仏像)を6件保有するお寺です。ここには私の大好きな弥勒菩薩があります。見ているだけで心が洗われるような気がします。基本仏像は写真撮影禁止ですので、ウィキペディアから写真をお借りしています。広隆寺(こうりゅうじ)は、京都市右京区太秦にある寺。宗派は真言宗系単立。山号を蜂岡山と称する。蜂岡寺(はちおかでら)、秦公寺(はたのきみでら)、太秦寺などの別称があり、地名を冠して太秦広隆寺とも呼ばれる。渡来人系の氏族である秦氏の氏寺であり、平安京遷都以前から存在した、京
国宝円成寺春日堂(左)・白山堂(右)鎌倉前期1228年再建春日堂一間社春日造、檜皮葺白山堂一間社春日造、檜皮葺本堂の脇に建つ2棟の社殿で、2棟とも同規模・同形式である。安貞2年(1228年)の再建といわれる。春日造社殿の現存最古の例として国宝に指定されている。明治初期の神仏分離令による破壊をまぬがれるため、仏堂風に「堂」と称した。円成寺(えんじょうじ)は、奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)にある真言宗御室派の仏教寺院。山号は忍辱山(にんにくせん)、本尊は阿弥陀如来。奈
国宝本願寺書院(ほんがんじしょいん)ByHideyukiKAMONfromTakarazuka/宝塚,Hyogo/兵庫,Japan/日本-TheRoomofStorks(AudienceRoom)Uploadedbybamse,CC表示-継承2.0,Link国宝本願寺書院(対面所上段)ByHideyukiKAMONfromTakarazuka/???,Hyogo/???,Japan/??-Shiro-S
国宝薬師寺東塔(やくしじとうとう)天平2年730年三間三重塔婆、毎重もこし付、本瓦葺現在寺に残る建築のうち、奈良時代(天平年間)にさかのぼる唯一のもの。総高34.1メートル(相輪含む)。日本に現存する江戸時代以前に作られた仏塔としては、東寺五重塔、興福寺五重塔、醍醐寺五重塔に次ぎ、4番目の高さを誇る。屋根の出が6か所にあり、一見六重の塔に見えるが、下から1・3・5番目の屋根は裳階(もこし)であり、構造的には三重の塔である。仏塔建築としては他に類例のない意匠を示す。塔の先端部
国宝長保寺本堂(ちょうほうじほんどう)鎌倉後期1311年桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺本尊釈迦如来右脇侍普賢菩薩像座左脇侍文殊菩薩獅子座右前立毘沙門天左前立広目天長保寺(ちょうほうじ)は、和歌山県海南市下津町にある天台宗の仏教寺院。山号を慶徳山と称する。本尊は釈迦如来、開山は性空(しょうくう)である。三棟の国宝建築と紀州藩主紀州徳川家歴代の墓所(国の史跡)がある寺として知られている。ウィキペディアより長保寺が保有する国宝建造物3件